ブランド信仰から抜け出せない心理
ブランド物好きの人の心理は劣等感や承認欲求の象徴である。
ブランド物好きの人は、物自体の作られた技術などは後回しで、己のステータスのアピールが第一優先なのである。
ブランドづくしの女子大生
ハイブランドの店舗が並ぶ表参道などは、その街自体が見栄と欲望で渦巻いている。
そんな都心の女子大でファッション・センスの先端をいっていると自負する学生たちを集めて、個別に話を聞いた結果がある。
見かけ通り自信たっぷりに語る者もいれば、不安やコンプレックスをちらつかせながら語る者もいた。
話すうちに、この自信はどこから来るのだろうと思わせる者も、意外にしっかりと自分をみつめているではないかと感心させられる面をもっていることがわかった。
いずれにしても、彼女たちが衣服やアクセサリーで理想的な自分らしさを演出するのに、いかに気を遣っているかはわかった。
たとえば、六本木で見映えもよく感じのよい男の子に声をかけられたけれども、そのときの自分の服装と彼の服装が合わなかったので、残念ながら誘いにのらなかったという学生がいた。
アンバランスな服装のカップルほどみっともない存在はないというのだ。
同様に、車に乗っている男の子から声をかけられたけれども、自分の服装と腕時計がその車に合わないから乗らなかったという者もいた。
いかに合わないかを説明した。
そのほかにも、グルメで高級なレストランにときどき行くけれども、彼のファッションはそういった店に負けるので、いつも女友達と行くという学生や、自分が身につけたい時計は100万円近くするロレックスであって、2,30万円のロレックスじゃ恥ずかしくてつけられないから、今は不便だけれども腕時計なしですごしているという学生もいた。
ブランドがアイデンティティを支えている
色彩や材質や形態が似合うかどうかといったことなら、誰にでも感覚的に了解できるかもしれない。
しかし、どのブランドとどのブランドの組み合わせはダサイとか気取りすぎだとかいうことになると、各ブランドに与えられているイメージとそれをめぐるストーリーを知っていなければ話にはならない。
彼女たちは、人からこう見られたいという自己イメージをしっかりと持っている。
そのイメージ演出の小道具として、各種ブランドものを身につけるのである。
そこに、一人の魅力的な女のストーリーができあがる。
一流のブランドものを身につけることで、そのブランドのもつイメージを借りて、自分のイメージとする。
いわば、ブランドを自分のアイデンティティに重ねるわけである。
ブランドのイメージが命なので、カタログ雑誌には熱心に目を通すし、流行の変遷にも敏感である。
流行によってブランドのもつイメージが変わると、自分のイメージも変わってしまうのであるから。
最近、服やアクセサリーだけでなく、文房具、レストラン、旅館などに関しても、一流のものを集めたカタログが雑誌の特集などで目につくようになった。
ということは、多くの若者が、一流のものをもったり、一流の場所に行くことで、自分のアイデンティティを支えているということなのであろうか。
それとも、こうした傾向に目をつけた企業側の戦略が先行しているのであろうか。
ブランドの組み合わせで自分のアイデンティティを形作る人は、学生時代はよいのですが、社会に出て働くようになると、このままでよいのだろうかと不安を感じることもあるようである。
自信たっぷりに働いている女性が身近にいたりすると、ブランドで自分を支えている自分なんだか中身が空っぽみたいに思えて、地に足が着いていないような不安を覚えると話してくれた人がいた。
あるいは、三十歳前後の男性の給料はいくらくらいだから、結婚したら月々いくらで暮らさなければならないとか、身近にいる上司は月給いくらで妻子を養っているのだなどと、現実面に目を向けることで動揺するケースもある。
だからこそ、これからつきあうとしたら不動産つきの男性でなければ、とあくまでも自分の生き方を貫こうという学生もいる。
しかし、それはまた極端なケースでしょうし、一流ブランドで自分のアイデンティティを支える生き方がやがて破綻せざるをえない、そうしたら自分がなくなってしまうという不安に脅かされる人も少なくない。
裸になっても持ち続けられるものを身につける
ところで、一流ブランドで自分のアイデンティティを支えるというやり方は、それほど特殊なことなのだろうか。
学歴社会だ、偏差値社会だといわれる今日、高校や大学は合格難易度によって細かく序列化されている。
超難関といわれる学校の学生は、頭のよさを自分のアイデンティティの中心にすえ、教養を身につけ、知性を磨くことに励むかもしれない。
お嬢さん学校としての誉れ高い学校の学生は、家柄のよさや裕福さを自分のアイデンティティの支えとし、優雅さや高級な趣味を身につけようと努めるかもしれない。
これらは、頭が良いことをイメージさせるブランド、家柄のよいお嬢さんをイメージさせるブランドを身につけるのと同じしくみといえないこともない。
一流企業のメンバーであることを支えにしている人も、子どもが有名大学の附属に入学したり、ピアノ・コンクールで入賞したり、スポーツで全国大会に出場したことを支えにしている親なども同様である。
一流の仕事能力があることを示すブランドや、一流の子を育てた親であることを示すブランドを手に入れたに等しい面がないとはいえない。
結婚適齢期になって、華道や茶道の免状をとる女性も、しとやかな女性をイメージさせるブランドを手に入れるわけである。
このようにみてくると、多くの人が日常いたるところで、ブランドによって自分のアイデンティティを支えるということを行なっているのがわかる。
一流ブランドの持ち物で自分のアイデンティティづくりをするのがけっして特殊なわけではないようである。
しかし、それだからといって、このような生き方で充分といえるであろうか。
どうも中身のむなしさに不安を覚えるというのなら、そこのところをしっかりみすえることも大切である。
たとえば、一流の大学や企業に実力ではいった人は、それなりの勉強をして実力を身につけたのでしょうし、スポーツで全国大会に出た人は、想像を絶する厳しい訓練の末に人並みはずれた筋力を身につけたに違いない。
もちろん、今は何も勉強していないし、スポーツもしていないというなら、単なる過去の栄光にすぎない。
でも、金を出せばそっくり買うことのできるブランドで自分を支えることと、これらを同列でとらえるのは、どこかおかしくないであろうか。
いや、個々のアイテムごとに種々のブランド・イメージを整理して、それらの組み合わせが生み出す意味を解読するための文法を頭にたたきこむのは大変なことだ。
流行の変遷も激しいし、金を出すだけでなく、情報摂取に絶えず努めていなければならない。
けっこう本気に勉強しているのだ、という人もいるかもしれない。
それでもときどき不安になるのは、そうした勉強や努力の成果が自分の血となり肉となる類のものではないと、どこかで感じているからかもしれない。
頭を鍛えたり、性格や身体を鍛えたり、技術を身につけたりということをしていれば、日々の成長を実感できる。
それにより得られたものは、自分のなかに蓄積され、かなりの永続性をもつ。
身につけるものに頼っている限り、自分自身のどこかが成長したという実感を得にくいし、経済力が破綻したら消えてしまう性質をもつ。
特殊な技能や知識・教養、あるいは筋肉は脱ぐことはできないが、衣服やアクセサリーなどはいとも簡単に取り外すことができる。
そのことにどこかで気付いているから、不安になるのである。
そんな人は、どんなものでもいいから、自分の頭や心や身体を直接使って、何か脱ぐことのできないもの、裸になっても持ち続けられるものを身につけることを考えたほうがよい。
■関連記事
自尊心が低い人が高める心理
”自信がないからブランド物に頼る”
神経症者は自己蔑視しているから、常に感謝とか賞賛を必要とする
自分が自分をバカにしている。
そうして自己蔑視を相手に外化する。
受け身で外化した場合には相手が自分をバカにしていると感じる。
「自分が自分をバカにしている」という心の中を、相手を通して感じる。
ブランド物に頼る人は自分が自分を見下げていると、他人が自分を見下げていなくても、他人は自分を見下げていると感じてしまう。
これが自己蔑視の受け身の外化である。
自己蔑視をこうして受け身で外化すると、相手の厚意を感じ取れない。
外化をしているブランド物に頼る人は、他人を見ているのではなく、他人を通して自分の心を見ているに過ぎない。
ブランド物に頼る人は他人が何か日常の些細なことを頼むと、自分の価値が貶められたように感じてしまう。
ブランド物に頼る人はそして怒る。
決して相手はこちらの価値を見下げているから、その些細なことを頼んだのではなくても、自分には価値が無いから、それを頼んだのだと感じてしまう。
そしてブランド物に頼る人は不愉快になる。
したがってブランド物に頼る人は虚栄心の強い人などが、すぐに「バカにされた」と感じる。
それは、虚栄心の強いブランド物に頼る人は心の中で自分が自分を軽蔑しているからである。
虚栄心の強いブランド物に頼る人というのは劣等感の強い人であり、その劣等感から逃げて優越感を持っている人である。
ブランド物に頼る人のベースはあくまでも劣等感
自分をバカにしていなければ虚栄心はあり得ない
いずれにしろ虚栄心の強いブランド物に頼る人たちは、いつも人から「バカにされている」と感じている。
ブランド物に頼る人はそこでバカにされまいと身構える。
これが優越感の実体である。
そうなるとブランド物に頼る人はいよいよ虚勢を張る。
いよいよブランド物で身を飾る。
虚栄心の強いブランド物に頼る人は周りの人が嫌いである。
嫌いでなければブランド物で身を飾りたいとは思わない。
夫や子供を嫌いな奥さんほど、ブランド物で身を飾る。
■関連記事
劣等感からがんばりすぎる人
劣等感を克服する心理
ブランド物で身を飾る必要のないところに行くのにも、ブランド物で身を飾る
極端に虚栄心の強い人で、極端に自己蔑視している人は、裁判所に行くのにもブランド物で身を飾る。
自分が自分をバカにしているから、周囲の人が自分をバカにしていると思い、ブランド物で身を飾って高級レストランに行きたいと思う。
カレンホルナイの言う復讐的勝利を求めているのである
好きな人に囲まれいれば、ブランド物で身を飾って高級レストランに行って高級ワインを飲みたいとは思わない。
人とコミュニケーションが上手くいかない人は一度、「自分はなぜブランド物で身を飾って高級レストランに行きたいと思うのか?」を考えてみることである。
自己蔑視していなければ、彼女は高級レストランに行きたいとは思わない。
夫をはじめ嫌いな人達の集団にいなければ、彼女もその高級レストランに行きたいと思わない。
とにかくブランド物に頼る人は虚勢を張ることの動機は「自分はバカにされている」という感じ方である。
そこでブランド物に頼る人は虚勢を張ることによってさらに「バカにされている」という感じ方を強めてしまう。
アメリカの精神科医ジョージ・ウェインバーグのいう「行動は背後にある動機となった考え方を強化する」からである。
そうしてブランド物に頼る人は自分の周りに壁をどんどん高く厚くしていき、その結果さらに人とコミュニケーションできなくなる。
そしてブランド物に頼る人は人とのトラブルが絶えなくなる。
ブランド物に頼る人は結果として頑張って努力しているのだけれども虚しい人生になる
アドラーは社会的感情なくしては人生の問題を解決できないと主張している。
その通りである。
対人恐怖症、社交不安障害の人は心のブランド物を外すことである。