対人トラブルは増えても、対処するスキルがない
生活が豊かになって価値観が多様化したこと。
現代人が生の人に慣れていないこと。
そしてインターネットの影響。
これらの結果、対人トラブルは増える傾向にある。
ただ、たとえ駅の構内で混雑が増し、人とぶつかる可能性が高くなったとしても、都会の人のように、人の波間をスタスタと歩いて行けるスキルがあればそれほど問題はない。
対人トラブルも同様に、対処するさまざまなスキルがあれば、乗り切ってはいけるのだ。
けれども現実は、そのスキルを増やし、磨く機会も減ってきている。
コミュニケーションの多くはインターネットが占め、生活に困らないゆえ、相互支援の必要も少なくなってきているからだ。
対人トラブルが増えれば、当然疲れてしまう。
それを調整するスキルのバリエーションもない。
すると、私たちが使ってしまうのは、次の二つの対処パターンだ。
一つは「我慢する」こと。
もう一つは「忘れてしまう」こと。
この二つの対処は私たちが子どものころから鍛えてきたスキルであり、使いやすいため、気づかないうちに私たちは多用している。
ところが、これこそが、現代人の人付き合いの疲れを蓄積し、拡大する隠れた理由になっているのである。
人付き合いに疲れるのは、我慢するから
「我慢する対処」と「忘れてしまう対処」の何が苦しさを生み出すのか。
これらは、実は決して悪い対処法ではない。
特に日本人は、「自分だけ我慢をする」ことになじんでいる。
和を尊重する文化で、周囲に合わせる精神構造がベースにあるからだ。
ところが、あらゆる対人トラブルの対処を「我慢」だけに頼ると、次のように、デメリットが大きくなってしまう。
我慢の苦しさ1:エネルギーを消耗する
「我慢をする」ということは、通常の3倍の感情エネルギーを要することであると考えられる。
例えば、会議のための資料をコピーする、という一つの仕事があるとしよう。
元気な時は、なんということはない作業量。
本来は後輩がやるべきだと思う仕事だが、上司に指示されたのは、あなただった。
明日までに仕上げなくてはいけない企画書の作成を、さっき同じ上司に言われたばかりなのに、である。
あなたは心の内では納得がいかない。
この時、このコピーの作業にイライラという感情が乗る。
イライラにエネルギーが奪われるので負担感が「1」プラスされると考えてほしい。
ただ、もしここであなたが、その怒りを上手に発散できれば、それほどの消耗にはつながらない。
ところがここであなたが、ここで不満を言っても仕方がないとそのイライラをぐっと我慢して、コピー作業を行ったとしよう。
イライラと同じだけの力でそれを抑えるので、そのために必要なエネルギーがかかり、負担感がまた「1」プラスされる。
しかも作業が終わっても、イライラと我慢の押し合いはかなり長く続いてしまう。
この継続による負担感を「1」とすれば、我慢すると、本来の作業量に加え、感情関連のエネルギー消耗が3倍も大きくなってしまうのだ。
食に不自由のない現代では想像しにくいが、三日に1度しか食べられない原始人にとって、エネルギーの消費はまさに死活問題。
その感覚は私たちにも生きており、今でも、無駄な仕事をさせられるのは、本当につらい。
我慢は、貴重なエネルギーを使う。
だからつらい。
またある程度エネルギーがある時は我慢できても、疲れている時は我慢できなくなる。
それは、意志力の問題ではなく、エネルギーの問題なのだ。
我慢の苦しさ2:被害者意識が大きくなりやすい
さて、内心イライラのコピー作業を、我慢しながら終えたあなた。
1倍で済むはずだった感情関連消耗が3倍になっている。
我慢したことによって、急激に大きなエネルギー消費を強要された形となるので、原始人的には「大きな危機」と感じやすい状況である。
これ以上エネルギーを消費されないよう、あなたの中の原始人は、周囲に対し強い警戒心を抱くことになる。
そこへ、上司が再び登場して、「例の企画書、できた?先にチェックしたいから、今日中に1度仕上げて、私に見せてね」と言ったとする。
実は上司は、企画書の出来を心配して、あなたを助けたい気持ちで言っている。
でも、エネルギーを消耗しているあなたには、急かされているようにしか聞こえない。
目の前で、のほほんと座っている後輩の姿も目に入ってくる。
「なんで私ばっかり・・・」。
原始人メカニズムの「期待と比較」のプログラムの影響で、「我慢」は、あなたの被害者意識をさらに拡大させてしまう。
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我慢の苦しさ3:自信の低下を招く
さて資料もそろい、会議が始まる。
出席者は、緑茶かコーヒーかを選べることになった。
あなたは緑茶が飲みたかったが、あなた以外の全員がコーヒーを選ぶ。
そこで準備してくれる人の手間を考え、緑茶は我慢してコーヒーにした。
なのに、遅れてきた後輩は、空気も読まず緑茶を注文。
「え!」と思ったが、周囲の人も大してそのことを気にしてはいないようだ。
後輩はおいしそうに緑茶を飲んでいる。
はたから見ると、しっかり気遣いのできるあなたの行動は正しい。
しかし、あなた自身は心の中で、「私は、なんで後輩のようにしっかり自己主張できないのだろう」と、自己嫌悪。
このように、我慢ばかりをしていると、無意識のうちに「私の感覚、私の意見は、重要ではない」というメッセージを自分の心の中で反芻してしまうのだ。
当然、自信を失っていく。
自信というのは、自分を信じると書く。
自分の感性を否定するのだから、自信は生まれない。
さらに「期待と比較」が追い打ちをかける。
しっかり自己主張できる先輩と、自分を比較するだけでなく、自分が期待したような先輩になれていないことを、意識してしまうのだ。
「先輩はこうあるべき」という、自分自身に対する期待が自分を苦しめる。
我慢の苦しさ4:世の中への警戒心が強くなる
我慢は自己否定。
我慢が常になってしまうと、だれもしっかりとした自信を持ちにくくなるし、気分も沈みがちになってくる。
あなたは入社したてのはりきっていたころに比べたら、クヨクヨすることが増えて「弱くなってしまった」と感じてしまう。
しかも、その得意技の我慢も、いつもうまくいくとは限らない。
疲れがたまった時など、我慢できずに爆発してしまうこともある。
それもまた大きく自信を失われる。
このように、我慢によって自信が低下すると、いっそう警戒心が強くなりやすくなる。
というのも原始人メカニズムの中で自己イメージの縮小は、相対的に、「世の中は危険」というイメージを拡大するからだ。
危険な世の中に対して警戒して生きるためには、さまざまな感情を早めに発動させなければならない。
少しのことでイライラや不安が大きくなり、ビクビクすることも増える。
それだけでも疲れるのに、そんな自分にさらなる自己嫌悪を感じ、また疲れやすくなるという悪循環に陥りがちだ。
我慢とはこんなにも苦しさを伴うことなのである。