人間関係の悩みにはツボがあり
嫌なことに反応してしまう花粉の法則
人間関係に悩む人の中には、怒りっぽい方、内向的な方、空気の読めない方、他人に思ったことが言えない方、自信がない方・・・。
いろんな方がいます。
けれども、それぞれの方が人間関係で悩んでいるとき、その「悩みの構造」はほぼ同じです。
どういうことかというと-。
例えば「他人に無視された」という「出来事」があるとします。
・Aさんは、その「出来事」について、「深く思い悩み」ました。
・Bさんは、その「出来事」を「まったく気にしません」でした。
この場合、「悩みの正体」は、「出来事」ではなくて、Aさんの「深く思い悩んだ心」です。
もう一つ例えをあげましょう。
まわりに「〇〇するべきだ!」と「高らかに主張する人」がいたとします。
・Aさんは「高らかに主張する人」に対して、「なんでそんなことを押し付けるんだ!」と怒りを覚えました。
・Bさんは「高らかに主張する人」に対して、「へえそう思うんだ」と気にしませんでした。
この場合も「悩みの正体」は、「高らかに主張する人」というより、「Aさんの怒りを覚える心」です。
つまり人間関係の「悩みの正体」は、「悩みを作っている心」なのです。
言い換えれば「その出来事をつらい、問題だと感じる心」です。
こういった「悩みの正体」について、よく「花粉症」になぞらえます。
Aさんは、花粉に体が「反応」して、くしゃみが止まりません。
Bさんは、花粉が飛んでいることさえわかりません。
この場合、Aさんにとって「花粉」は「問題」です。
でも、Bさんにとっては「問題ではない」のです。
世の中に花粉が飛んでいるという「事実」は変わらないのに。
つまり「花粉」そのものは、「問題」ではないのです。
本当の問題は、「花粉に反応してしまうAさんの中」にこそあるのです。
花粉症の人は、体の中に花粉に対する「抗体」があるから、花粉に反応します。
だからといって花粉症の人が、自分のまわりから「花粉」という存在をいっさいなくそうとしても無理です。
せめてマスクをして、少しでも入ってくる量を減らすぐらいしかできません。
避けて通るわけにもいきません。
無視しても無視できません。
やはり一番効果的なのは、体質、つまり「自分を変えること」でしょう。
人間関係の悩みもこれと同じです。
人間関係の問題も同じように、ある特定の他人や、出来事に反応する人は、その言動や出来事に対する「抗体」があるから、「反応」するのです。
その「抗体」が「悩みの種」です。
ところが、人間関係においては相手の言動に反応して、必死で相手を責め立てて、相手を変えようとします。
花粉をなくそうとするように。
当然ですが、そんなの、ぜんぜん変わりません。
なぜなら、その相手が問題なのではなく、その人の言動を「問題と感じる」「反応している」ことが問題だからです。
人間関係に悩み、「しんどい!」と思う時、それは、あなたの心が「何か」に反応しているということ。
その「何か」を見極め、体質改善することが大事なのです。
人間関係の悩みの種はあなたの中にある
人間関係の悩みの根幹は同じ
人間関係がしんどいと感じている人には、実は二種類のパターンしかないのです。
1.自分の言動に困っている人
2.他人の言動に困っている人
この二つです。
つまり、「自分の性格が嫌だ!」「自分の行動を変えたい!」と「自分」に問題があると思う人、「ムカつく人がいる」「私を悩ませるアイツの性格を変えたい」など、「他人」に問題があると思う人、の二種類です。
ところが、この二種類、違うように見えて、同じなのです。
どちらも、自分の中に問題がある。
「1は、『自分の言動』に困っているのだから、『自分の問題』なのはわかるけど、2の『他人の言動』に困っているのも『自分の問題』なの?」と思われるかもしれません。
ですが、「他人の問題」も「自分の中の問題」なのです。
たとえば、職場に「ものの言い方がきついQさん」がいるとします。
その場合、「何か私が気に食わないことをしてしまったのかな」と自分の中に問題を探す人。
「なんであの人はあんな言い方しかできないんだろう」とQさんの中に問題を探す人。
どちらもいます。
けれど「Qさんのきつい言い方が気になっている」という点では同じなのです。
「Qさんのものの言い方」に反応しているのです。
つまり「Qさんのものの言い方」が前項でいうところの『花粉』になってしまっているのです。
そもそも「Qさんのものの言い方」が「気にならない人」もいるのですから。
「あなた」が、「他人の言動に問題を感じる」ということは「あなたの中」に反応している「何か」があるのです。
だから、
「あいつの無神経な行動が許せない」
「上司のあの指導方法はありえない」と、他人の言動に問題を感じるときも、結局は自分の言動に問題を感じるときと根っこは同じです。
どちらも根っこは自分の中にある。
根っこは同じ花粉症なのです。
自分が変われば、嫌な人も変わる
正しいときに問題が起こってしまう鏡の法則
多くの悩んでいる人で、「同僚に性格に問題のある人がいて悩んでいるんです」
「周りに嫌な人がいっぱいいて、迷惑しているんです」
という相談です。
そう「他人の問題」で困っている人たちです。
その「他人の問題」に対して、「嫌な人に、心の傷に手を突っ込んでかき回すような行為をやめさせる方法はありませんか」ときかれます。
そういう場合、「相手は、あなたが変えようと思っても変わりません。
でも、ご自分が変わることで困らなくなるのです」
すると、「どうして相手が悪いのに自分が変わらないといけないの!?」と思われる方がほとんどです。
「だって私は問題ないもの」
「私は悪くないわよ」
このように主張されます。
実は「自分が正しい」「自分は間違っていない」と思ったときから問題は始まります。
他人の価値観を受け入れない体勢の始まりだからです。
そして、相手の生き様や価値観を完全に否定します。
「自分が正しい」「自分が素晴らしい」ことを証明したくて「間違っている人」探しを続けます。
そして、「他人が悪い」となります。
予定通り。
「私はあんなことしない」と、自分が「しないと決めている行動」「するべきではないと思っている行動」「間違っていると思う行動」を目の前の人がするから「反応」するのです。
その自分の中の問題を解決しないまま、その人の文句をいったり、攻撃したり、変えようとしたり、排除しようとしたりする。
だから、いつまでたっても変わらない相手が、いつもいつも目について問題を感じるのです。
「自分」がその問題を「持ち歩いている」からです。
だから、どこに行っても、時代が変わっても、そういう人がいつも自分の周りにいる。
なので、「嫌な人に、私の足を引っ張ったり、心の傷に手を突っ込んでかき回すような行為をやめさせる方法」とは、「自分の中の『反応する原因』を見つけて解消する方法」ということになります。
つまり自分の心の体質改善です。
嫌な人を無理やり力でねじ伏せたとしても「本当の問題」は解決していませんから、再発します。
だから、他人を変える方法が存在するとしたら、「”自分が正しい”の間違い」に気づいて、自分を変えていく方法なのです。
「その人」という「自分以外をどうするか」ではなく、「自分をどうするか」。
それがすべてだと思います。
苦手な人から自分が理解できる
他人は自分を映す鏡「大入道の法則」
あの人の言動が嫌。
あの人の言動がめについてしかたない。
そういう方に、「目の前の人は、あなたを映していますよ」
「目の前の人を見て、いやだと感じる部分を、あなたも持っているんですよ」
とアドバイスする。
でも、みんななかなか納得できません。
当たり前です。
そんなときは「大入道の法則」が役立ちます。
ある霧の多い日に旅人があるいていたところ、目の前に巨大な化け物が現れました。
その巨大な化け物に「大入道が出た!」と驚くあまり、旅人は逃げ出してしまいました。
ところが、その化け物とは、たまたま旅人の後ろから日がさしたときにできた旅人自身の影だったのです。
こうやって冷静に説明すると、なんでもないことですが、そんな知識もないままに、目の前にそんな化け物が現れると、あなたもさすがに驚きませんか。
要するに、その「大入道」は旅人自身の影だったということですが、これが人間関係にも当てはまります。
自分の中に、たとえば「人のことを馬鹿にする」という要素があったとします。
でも、自分は過去に何かイヤな思いをして「自分は人をバカにしない」と決めていたとします。
つまり「人をバカにすることはだめだ」と強く思っている状態です。
こんな人は「バカにする気持ち」が湧いてきても、決して口には出しません。
ところが、その人の後ろから光が照らされました。
すると、その人が、隠し、抑え込んでいた「人のことを馬鹿にする要素」が、目の前の人に「大きく映し出される」のです。
自分が無意識の中で隠していたものが目の前に移し出されたのですから、すごく驚き、すごく嫌悪します。
自分の家の片付いていない押入れの中が、掲示板に公開されていたらイヤですよね。
これが「大入道」です。
もしも、この人が自分の中にある「人をバカにする要素」があることを認めていたら、目の前に映し出されても、あまり反応しません。
「あぁ、わかるわ」程度かもしれません。
つまり目の前に現れる「イヤな人」「苦手な人」というのは、あなたが抑え込んでいる要素が大入道となって現れたものかもしれないと考えてみてください。
すると、たいていの人がいいます。
「同じかもしれないけど・・・私は、あの人みたいにひどくありません」
程度や大きさの問題ではなく、あるかどうか、認めているか、否定しているか、なのです。
人間関係での欠点を拾い直す
嫌な人々を引き寄せてしまう、結婚相手に天敵を選ぶ法則
嫌な人、苦手な人がいっぱいいる。
これでは、さぞかし人間関係がしんどいことでしょう。
どうして、嫌な人、苦手な人が自分のまわりにこんなにも現れるのでしょう。
まずは、自分の体が、ジグソーパズルでできているところをイメージしてみてください。
自分の性格は一つだと思っている人も多いのですが、私たちは、実はさまざまな性格が寄り集まってできています。
パズルのピース(性格)が集まって、一枚の絵(自分)になるのと同じようなものです。
その証拠に、たとえば怒りっぽい人でも、ある人には優しかったり、内向的な人でも、一部の人にはとても開放的だったりします。
場面ごとに、現れる性格が違うのです。
ところが、我々は、生まれてから今までの間に両親をはじめ、先生や友人、テレビや本などから、さまざまな「こうしなさい」「これはしてはいけません」「こうあるべき」というものを教えられます。
「男とは」「女とは」「大人とは」などの「常識」「礼儀」「倫理」「役割」というものです。
それらの考えを受けると、「ああ、こういうのはだめなんだ」と、自分の中にあるピース(性格)の一つを「ダメなピース」「弱いピース」「劣っているピース」として、隠したり、認められずに嫌って外に捨てようとします。
そして、自分は、自分が嫌うピースを捨てて「きれいな人」「いい人」「弱くない人」「できる人」として生きていこうとします。
ところが、自分の中からピースを外に捨てると、家の中からゴミを捨てたように、自分の周りが、捨てたピースだらけになって嫌な感じになってしまうのです。
それが「嫌な人」「苦手な人」です。
そして、自分の周りはひどい人だらけだ、と文句をいいます。
自分だけが「いい人」「ちゃんとしている人」でいようとしていると、こうなるのです。
たとえば、自分が怒鳴られて嫌な思いをして育つと、自分の中の「怒鳴る」というピースを捨てようと決めます。
たとえば、ある女性が弱々しい父親を見ていて「弱いのはだめだ」と、「弱さのピース」を自分の中から捨てます。
すると、誰か(男性)が弱さのピースを拾って、家の中に入ってきたりするのです。
それが結婚相手だったりすることも。
これが「結婚相手に天敵を選ぶ法則」です。
このように、自分の生い立ちの中で僕たちは、自分の中で「いらない」「だめだ」と思ったものを、人生の道にポイ捨てしてきました。
そして、ピースを捨てすぎて、自分がどんな絵のジグソーパズルだったのかわからなくなっていることすらあります。
自分が認めたくない、ゴミのように嫌ってポイ捨てしてしまった自分のピースを拾って、自分の中に戻すことで初めて、「自分(絵)」がわかってくるのです。
天敵と思っていた結婚相手を受け入れることが、本当の自分に戻る方法なのかもしれません。
「嫌な人」「苦手な人」がいるとき。
ぜひ、イメージの中で、目の前の「嫌な人」「苦手な人」を、自分の中のピースの空いた場所に戻してみてください。
何かが変わるかもしれません。
人生の宿題は早めに終わらせる
やり終えるまでなくならない「夏休みの宿題の法則」
小学校の夏休みを思い出してみてください。
苦手な教科は何でしたか?
その苦手な算数の、真っ白なままのドリルを目の前にして、8月31日、夏休み最後の日です。
お母さんが言います。
「あんた、算数のドリルやってないの、どうすんのよ!」
この状態が、今、あなたの目の前にある人間関係の「問題」です。
で、その宿題(人間関係の問題)が嫌で悩んでいる人がいます。
「母が宿題しろってうるさいんです」←ひどいことをする人がいる、と。
「宿題をやらなくてすむ方法はないでしょうか」←なんとか避けたい、と。
「宿題のことを考えると、眠れないんです」←苦しい、と。
「宿題が山ほど溜まってるんです」←避けてきたので、解く力がないんです。
「イヤイヤやったので、もう算数はしたくないんです」←自分の思いをいえなかった。
という悩みになるんです。
そう、みなさん、夏休みの宿題が終わってないんです。
さらに「でも、どうしてそんな『宿題』があるんだろう、そんなめんどくさいこと、やりたくない」などと思っている。
そうですね。
でも、人間社会に生きている以上、もしかしたら一番めんどくさいのは「人間関係」かもしれません。
「人間関係の問題」は、「あなたは算数のドリルがまだ残ってるわよ」と教えてくれている、「夏休み最終日のお母さん」なんです。
でも、悲しいかな、人生の宿題は「しかたないなぁ、じゃ、やらなくていいよ」とは言ってくれません。
お母さんが許してくれても、次はお父さんが出てくるかもしれないし、先生がくるかもしれないし。
宿題やるまで、きます。
会社だったら、上司や部下、主婦の人だったら、夫や子ども、姑小姑、学生は親や先生、経営者の人は、部下やクレーム、経営の悩みなど・・・そのようなものを通じて、自分の「やっていない宿題」に気づかされます。
苦手な人、嫌な人や出来事に対したときに「思うように対処できない自分」を見ること、「本当はどうしたいのにできないのか」を知ることで、「どういうことがいえないのか」「何が嫌なのか、どうしてそんなに嫌なのか」
そこに、自分のやり残した「宿題」が見えてくるのです。
この機会に、じっくり宿題をやってみませんか。
まとめ
人は皆、嫌なことに反応してしまう受容体を持っている。
他人は嫌な自分の部分を映す鏡のようなもの。
よって、自分を変えることで相手も変わる。
人間関係の悩みは解決させるまで終わらない。