嫌な人との接し方

嫌な人とは

意地悪されているような気分になる

嫌な人との掛け合いは職場でよく見かける光景です。

こんな小さな嫌な人との場面でも”心理戦”が起こっています。

電話が鳴っています。

今日のあなたは、知らぬ顔の半兵衛を決め込んでいます。

嫌な同僚は、いつも電話が鳴っても出ないので、それを不快に思っているのです。

責任感の強いあなたは、ついに根負けしてでてしまいました。

その瞬間、あなたは嫌な相手に意地悪をされているように感じるでしょう。

ところがある日、その嫌な同僚が、ベルが鳴ると間髪を容れず、電話を取りました。

翌日もまた翌日も、嫌な同僚は、電話が鳴ると飛んで行きます。

電話が鳴ると、すぐに駆け寄ってきて、あなたの傍にある電話も奪うようにして対応します。

あなたはほとんど、電話に出る必要がなくなりました。

もしあなたが他人の目を意識し、その同僚と心の中で争っていれば、どちらに転んでも、「意地悪されている」ような気分になるに違いありません。

では、嫌な同僚の目から見ると、あなたがどういうふうに映っているでしょうか。

もしその嫌な同僚も他人を意識して、あなたの顔色を窺ったり、あなたの反応を気にしながら行動しているとしたら、絶えずあなたに監視されているような気がして、息苦しさを覚えているかもしれません。

あなたが先輩だったりすれば、尚更そう感じるでしょう。

嫌な同僚は、あなたの顔を横目で盗み見て、電話に出ないと責められているように感じて恐れを抱きます。

けれども恐れを抱くから、いっそう心が凍てつきます。

あなたの目には、それが生意気な態度に映ります。

嫌な同僚が、思い切って電話に出るようになると、また、あなたの監視の目が同僚を突き刺します。

嫌な同僚は、「まだ足りないのか」とばかりに、あなたへの恐れからすべての電話に出るようになりました。

両者とも、「相手に勝った」という気分にはならない

皆、それぞれの立場によって、”見え方・感じ方”が異なります。

どちらが事実かはわかりません。

嫌な同僚が意地悪なのかもしれません。

もしかしたら、あなたが相手に否定的に関わることで、あなたが嫌な同僚の意地悪さを引き出しているのかもしれません。

あるいは、あなたは気づかなくても、あなたのほうが無意識に嫌な相手を監視していて、息苦しさを与えているのかもしれません。

いずれにしても、こんな関係でいる限り、両者とも、「嫌な相手に勝った」という気分にはならないでしょう。

ある場面ではあなたが勝っているかもしれないし、ある場面では負けているかもしれません。

明らかに勝っている場合であっても、被害者意識が強ければ”負けて悔しい”と感じてしまうでしょう。

あなただけではありません。

あなたと同じ、そんな思いが、相手の心の中でも起こっているのです。

では次の文章を読んでください。

あなたの感情を刺激するために、声に出して読むことが肝心です。

「相手が意地悪であっても、それは私とは関係ないことだ。私は私の気持ちを大事にしよう。私が電話を取りたいときは、取ろう。自分のペースで取ろう。私はひたすら、自分のことだけ見ていこう。相手がどうであっても、電話を取るかどうかは、私が決める。私の自由だ」

こんなふうに、声に出して言ってみるとどんな気持ちがしますか。

相手から少し解放された気分になって、心が軽くなりませんか。

あなたが考えている通りに嫌な相手が意地悪であっても、それは、あなたの人生とはまったく関係のないことです。

嫌いだったら嫌いでいい

自分を大切にすることは、自分が相手に対してどんな気持ちを抱いていようが、それも「自由」という捉え方をします。

”私”が同僚を毛嫌いしていても、”私”が心の中で、相手を不快に感じていても、憎んでいても恨んでいても、それは「私の自由」です。

自分が抱く、どんなマイナス感情も否定することはありません。

「そうか、そんな気持ちになってるんだね。なぜだか理由はわからないけれども、私はあの同僚が嫌いなんだ。嫌いだったら嫌いでいいんだ」

こんなふうに自分の感情を受け入れると、どうでしょうか。少し、同僚の存在が気にならなくなりませんか。

嫌な相手を見るから怖くなるのです。

嫌な相手を見るから、相手の心を詮索したくなるのです。

嫌な相手を見るから、勝手に傷ついて、争うために近づいてしまうのです。

そして、戦おうとするから怖くなるのです。

だったら最初から、自分を見て、「(誰とも関係がなく)私の都合で電話に出よう

そう決断するだけで、あなたは、「自分の気持ち」のほうに焦点が当たるようになるでしょう。

あなたにとって重要なのは、「電話に出るかどうか」です。

電話とあなたの間に、同僚は存在しません。

そんな見方ができれば、だんだん、他の場面でも、同僚を目で追いかけたり”監視したり”する時間が減っていくはずです。

嫌な人と接するときの心理

二極化思考

自分の日常が情報や知識で埋め尽くされていると、物事に取り組むときに、知らず知らずのうちに「白」さもなくば「黒」というふうな極論に走りがちです。

例えば、「みんなが一生懸命働いているときに、怠けてはならない」

「引き受けた仕事は、最後までやり通さなければならない」

一見、正論に見えます。

思考に囚われていると、何の疑問も感じずに、「当たり前じゃないか」と思ってしまう人もいるでしょう。

思考に囚われていると、「する・しない」「勝つ・負ける」「正しい・間違っている」「よい・悪い」「成功する・失敗する」というような「0か100」の”二極化思考”になりがちです。

こう言うと、「でも、そんなふうに、いつも極端に考えているわけではありません」と切り返すように答える人がいます。

こんな答え方に、ちょっと違和感を覚えませんか?

そう答えてしまうのは、「二極化思考をしてしまうのは、悪いことだ」と相手に言われているように感じているからです。

あるいは、それを「嫌な相手に責められている」というふうに聞いてしまうからでしょう。

だから、その恐れから「私は違う」と否定したくなってしまうのです。

例えば、「負けてはいけない。間違ってはいけない。悪いことをしてはいけない。失敗してはいけない」

などと自分に要求すると、行動するのが怖くなってきませんか。

こんなふうに物事を二極化思考で捉えると、どんどん恐れの数が増えていくでしょう。

二極化思考から卒業する

二極化思考に関するレッスンで「できることから始めて、その達成感を味わいましょう」という課題が出たとき、こんなコメントがありました。

「仕事のない日はゆっくり寝ていましたが、休日も7時に起きてしっかりと朝食をとる。これを、三カ月間やってみて、達成感を味わってみます」

「思考」を基準にすると、自分の感情を無視して、こんな厳しいレッスンを自分に突きつけがちです。

これは、3カ月と限定しているので可能かもしれません。

終えたときの達成感を味わうこともできるでしょう。

けれども、このように自分の感情に相談することもなく、厳しい課題を自分に押し付ければ、仮に達成できたとしても、さらに自分を精神的に追い詰める二極化思考を強化するトレーニングをつんでいるようなものです。

そのセミナーで意図していたのは、

  • 「自分の感情」を基準にして
  • 「したいこと」を楽にできる範囲でする
  • その都度、「達成感を味わう
  • 満足できるので、それが継続性につながる

ということを実践し、”実感する”レッスンでした。

つまり、この課題の最大目標は「したいことを楽に」ということだったのです。

ですから、むしろ自分の感情を基準にするとしたら、

「毎朝”起きるのがつらい”ので、休日は心ゆくまで寝ているレッスンをする」を課題にしたほうが、まだ好ましいでしょう。

休日に寝過ごして、つい、「ああ、また、こんな時間まで寝てしまった・・・」

などと、後悔したり、自分を責めたりする人はいませんか。

自分がしていることを二極化思考で捉える人ほど、罪悪感を覚えるでしょう。

では、これはどうでしょうか。

「お、こんな時間か。よっぽど疲れていたんだなあ。よく寝たなあ。ああ、よかった・・・。満足、満足」

罪悪感が強い人は、まず、自分をこんなふうに”いたわる”ことができません。

そんな人ほど、心行くまで眠って”その満足感を味わう”レッスンをしましょう。

こんなシンプルな方法を実践するだけで、二極化思考から卒業できるのです。

もちろんこれも、「しなければならない」ではなく、”したいかどうか”の感情を基準にしてほしいものです。

嫌な人との接し方は、私はを主語で発想する

親切があだになることもある

他人の目を意識する人は、無自覚に嫌な人を傷つけてしまうような言語を使ってしまいます。

例えば、あなたが部下に言いました。

「そんなの、手短に済ませておけばいいよ」

あなたは善意でアドバイスしたつもりです。

ところが部下には、「グズグズするんじゃない」と、自分の処理能力を否定されたように聞こえているかもしれません。

他人の目を気にする部下であればあるほど、あなたに否定されたと受け止めるでしょう。

けれども部下は我慢します。

あなたは善意のつもりでいるので、それに気付きません。

それが繰り返されると、部下の心にマイナス感情が蓄積していきます。

けれども部下は、あなたが嫌いで怖くて何も言えません。

もっとも部下のそんな思いは、あなたへの態度となって表れます。

そのために、あなたの目には、部下が、「なんなのよ、ろくに返事もしないでふてくされて。生意気な子ね」というふうに映るでしょう。

誰にでも苦手な人、嫌いな人はいます。

どこに行っても、そんな相手が現れるものです。

けれども、それぞれの立場によって、見え方、捉え方が異なります。

実際のところ、このケースのように、どちらが先に「苦手、嫌い」のきっかけを作ったかは、正確にはわからないのです。

それでも自分には、「相手が悪い」とみえているでしょう。

得てして、そんな関係になりやすいのが他人の目を意識することです。

「あなたは」「あの人は」から始まる思考は注意

他人の目を気にする人は、自分の意識が嫌な相手に向かいます。

そのために、頭の中は、嫌な相手のことでいっぱいです。

それを言葉にするとしたら、二人称の「あなた」や三人称の「あの人」になっていきます。

そして、頭の中にあるその思考をそのまま言語化すると、「どうして、いつも”あなた”はスケジュール通りにやれないの」「前もあれほど注意したのに、どうして(君は)同じミスを繰り返すんだよ」

心の中で相手を不快に感じていれば、「それは、こうするんじゃなくて、こうするんだよ(君は間違っているよ)」と、つい嫌な相手を責めるような口調になってしまうでしょう。

他方、「私」に意識を向けて”やり方”だけに焦点を絞れば、「それは、こうするよりも、こうしたほうが速いよ」こんな言い方になるでしょう。

相手に意識を向けていくか、「合計金額が合わないので、もう一度、計算し直してほしい」などと、具体的なやり方のほうに意識が絞られるかで、言い方も異なってくるのです。

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心で戦っている人

頭の中が嫌な相手のことばかりでいっぱいになっていると、勢い、相手を責める言葉を乱発してしまいます。

もしその言葉をそのまま言語化すれば、嫌いな相手に争いを仕掛けることになります。

争いになれば、自分が恐れていた通りの展開になっていくでしょう。

頭の中にある「どうしてあなたは」という言い方を、いきなり「私は」という言い方に変換しようとしても、正直、かなり困難です。

こんなふうに、他人の目を気にすれば気にするほど、争いになると予測がつくから、言葉にするのが怖くなります。

それよりも、頭の中で相手を悪者にしておいたほうが、自分の恐れと直面しないで済みます。

自分が行動するより、相手に変わるように要求してしまうのも、自分の中にそんな恐れを抱えているからなのです。

とりわけ他者と「心で戦っている人」は、すでにけんか腰の口調になっています。

言葉だけでなく、態度や表情で争いを仕掛けていきます。

意識の中で、他者に敵意を抱いているだけで、それは嫌な相手に伝わります。

自分が恐れた通りに、嫌な敵が現れます。

言葉を交わせば、争いになります。

我慢すると、敵意が増大していくでしょう。

絶えず心の中で相手と戦っている人は、相手を責めることで”自分を傷つけ”ながら、争うことで傷つき、さらにまた、傷つくことへの”恐怖”を抱くことになるのです。

こんなふうに、嫌な他者と心の中で戦っている人は、常に自分を傷つけるかもしれない小爆弾を抱きしめながら暮らしているようなものなのです。

自分を大切にして自分と向き合おうとしない限り、無数の恐怖へと自分を誘っていくのです。

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強そうにしている人ほど怖がっている

支配的な態度で相手を黙らせて満足する自分を、「有能で頭の回転が速く、弁が立つ」と勘違いしている人がいます。

「そんなくだらない質問なんて、するんじゃないよ。人に原因を聞くんだったら、その前に、もっと検証してきたらどうなんだ!」

などと一方的に怒鳴る嫌いな人がいます。

かと思えば、相手に話す隙を与えずに、「どこからそんな話を仕入れてきたんだ。実に下らん。何を根拠にそんなことを言うんだ。俺が納得いくような説明をしてみろ。
ほら、できないじゃないか!できないくせにほざくんじゃないよ」

あるいは、

「ほら、その答え方で、すでにあなたがまったく理解していないということが、はっきりとわかるのよ。自分で言っていることが、矛盾しているって、気づかないの。それがわからないとしたら、もう、救いようがないわよね」

などと相手をやりこめて満足しようとする人もいるでしょう。

強引でいわゆる”押しが強い”そんな人たちに、「自分もあんなに弁が立って、相手を言葉で打ち負かしてやれたら、さぞや気分がいいだろうなあ
などと、憧れる人達も少なくないでしょう。

でも、どうでしょうか。

彼らは、あなたが憧れるに足る満足を、本当に得ているのでしょうか。

ここで改めて、あなたの周囲にそんな人がいたら、思い出してみてください。

舅・姑、父親・母親、会社の社長、上司、先輩、友人・知人、恋人、妻・夫。

あなたの目には、そんな人たちがどういうふうに映っていますか。

尊敬できますか。

心から信頼できますか?

心の通い合う会話ができて、「この人と一緒にいて、本当によかった。ありがとう」と感謝したくなったり、「幸せだ」という気持ちになりますか?

それとも、あなたはその人の前で緊張したり、怯えたり震えたりしていないでしょうか。

相手の話を聞くことを恐れている

では、どうして嫌な彼らは、そんなふうに一気にまくしたてたり、居丈高な態度で一方的に言ってくるのでしょうか。

それは、相手の話を聞くことを恐れているからです。

心の中で相手と戦っているので、「勝たなければならない」と信じています。

もし負けたら、嫌いな相手に屈服するしかないと、そう思い込んでいます。

うっかり相手の話を聞いてしまった時、相手の言い分が正しかったら、自分は負けてしまいます。

それが怖くてたまらないのです。

そんな人たちの目標は、「勝つ」ことです。

だから、自分の言い分が間違っていようが、自分の主張が矛盾していようが、そんなことは眼中にありません。

とにかく、「勝つ」ためには手段を選びません。

だから勝つ手段として、「一方的にまくし立てたり、威嚇したり、感情的になって怒鳴る」という方法で、自分の主張を押し通そうとするのです。

黙って従うべきか

では、そんな嫌な相手に対して、どう対処すればいいのでしょうか。

ひと言でいえば、難しいでしょう。

「じゃあ、黙って従うしかないんですか?」

いいえ、違います。

まず、そんな人ほど、恐怖を抱いているのだということがわかっただけでも”よし”としましょう。

では次に、そんな相手と戦っても、傷つくだけであなたが損します。

「じゃあ、やっぱり、黙って従うしかないということでしょう?」

そうですね。嫌な相手がそう主張するのなら、いったんは逆らわず「相手の願いを叶えてあげる」というのも、自分を傷つけないための方法です。

ただし、相手の指示通りに動くとしても、そうすることでどんな問題が起こり得るか。

起こり得る”その結果”までを、あなたが論理的に話をしておくことができるかどうか。

これは、自分を守るために重要です。

例えば、職場で、「わかりました。そうします」と一歩下がれば、上司は恵比須顔に戻るでしょう。

その後で、「ただ、これを合意なしにやってしまうと、D社は納得しないでしょうし、社内でもEとFの部署で、軋轢が生じるかもしれません。それでもいいんですね」と明確な言葉で念を押しておくことです。

そのとき嫌な上司は、激高してこう言うかもしれません。

「うるさい、ごちゃごちゃ言うな。お前は言われた通りにやればいいんだよ」

そのときは素直に、「はい、では、わかりました」と引き下がったほうが安全でしょう。それでいいのです。

責任の所在を明確にする

なぜならあなたの言葉は、嫌な上司と戦うためではありません。

「責任の所在」を明らかにするために明言しておく、というのが”目標”だからです。

あなたとしては不本意であっても、仕事上、従わざるを得ないこともあるでしょう。

だからこそ、「自分の責任」と「相手の責任」を明確にして、問題が生じたときに、責任転嫁されないように、事前に対策を講じて、自分の責任ではないことに対しては、「自分の安全を確保する」ことが重要なのです。

一見、強そうに見える支配的な人達に憧れるより、そんな人にも動じない自分になりたいと思いませんか。

しかも、「嫌いな相手」と戦うこともなく―。

例えばあなたが、嫌な上司の命令に従ってやったことで、問題が生じたとします。

その責任があなたに振りかかって来そうな雲行きです。

そんなときでも、あなたが自分を守るための言葉を残しておくと、「あのとき私は、D社は納得しないと申し上げました」と答えることができます。

職場では特に、「責任の所在を明確にする」ということが、自分を守るためであり、支配的な人達にも動じない自分になる為の方法の一つなのです。