嫌われるのが怖い原因
嫌われるのが怖い窮屈な毎日は我慢によってつくり出される
まずはじめに、どうして「嫌われるのが怖い」、と思ってしまうのか、そこから考えていくことにしましょう。
職場関係や家族、または知り合いなど、特定の人に嫌われるのが怖いのか。
それとも誰に対してもなのか。
嫌われることで実害があるのか精神的被害だけなのか、本当に嫌われないだけでいいのか、あるいは「好かれたい」の裏返しなのか。
嫌われるのが怖いといってもさまざまな状況があります。
なかでも、「特定の人に嫌われるのが怖い」という状況が多いのではないでしょうか。
たとえば職場で上司に嫌われるのが怖い・・・この場合は、嫌われると職場にいづらくなってしまうと思ったり、首になると生活に困るなど先々のことまで考えて、妙に愛想をよくしたり、従順にしています。
しかし内面は徐々に鬱憤が蓄積していて、しまいには大爆発をおこしかねません。
萎縮して人付き合いが怖くなってしまうこともあります。
また、ほかにも、ママ友に嫌われると子どもにも影響してしまうので、嫌われずに好かれるようにふるまったり、嫌われると一人になってしまうのが怖いから我慢して友人関係をつづけていたり。
一方で、特定の人ではなくて、なんとなく「周囲に嫌われたくない」ということもあります。
少しでも人と違っていると、バッシングを受けるという土壌が、この国にはびこっているように感じがします。
それでもめげずに人と違っていると、今度は集団的なイジメに発展することもあります。
それも陰湿な陰口という形をとったりします。
こうなると、とても生きづらくなります。
だから、なるべく人に嫌われないように、気が進まなくても顔には引きつった笑顔をはりつけて、ルールからはみ出さないような服装や話し方、付き合い方を模索しながらの生活を強いられています。
このように、嫌われないように、嫌われないようにと生活していると、万事が消極的になってしまいます。
また、個性を発揮したくてもみえないルールの枠内でないと落ち着かなくなってしまいます。
一言でいうと、「いつも疲れていて窮屈な毎日と我慢の人生」を送ることになります。
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意外とシンプルな人に嫌われるのが怖い心理
では、なぜこのような状況になってしまうのか。
これは心理のカラクリですが、意外とシンプルです。
精神医学では「予期不安」という言葉があります。
パニック障害の患者さんに多いのですが、パニック発作そのものよりも、パニック発作が起こるのではないかという予想、予期が不安をかき立てます。
嫌われるのが怖いもよく似たメカニズムで起こります。
つまり嫌われているわけでもないのに、嫌われたらどうしようという不安が四六時中、頭をもたげてくるのです。
パニック障害の患者さんは、あの発作を避けるためならどんなことでもするといいます。
電車のなかで最初のパニック発作が起こったら、電車は避けることはおろかバスにもタクシーにも乗らず、もっと悪化すると外出することも避けるようになります。
「嫌われるのが怖い」も同様で極端に自分を抑え相手に同調し、その結果、自分の本音がわからなくなって、一体自分が相手をすきなんだかも、はっきりしなくなってしまいます。
相手に同調する、つまり相手に従順になるということは、「いい人」を演じることになりかねません。
そして、それを自覚していればまだしも、いい人をやることで、自分は本当はどうしたらよいのかまでわからなくなってしまう。
「いい人仮面」の危険性はここにあります。
なぜそんなに嫌われないように、「いい人」になろうと努めているのかというと、嫌われるということが世の中がひっくり返るほど大変なことだという、強迫観念があるからのようです。
嫌われてみればたいしたことではないのに、なぜそれほど怖がるのかというと、ようするに本当に嫌われた経験がないからなのかもしれません。
たとえば死ぬことが怖いのは、誰も死んだ経験がないからです。
一度死んで生き返ったなんて、戯言をいう人がいますけどあれは死んでないわけで、死ぬということは行ったきりで戻って来ないということなんです。
嫌われることに対する恐怖もよく似ているのかもしれません。
人によっては嫌われることは死ぬほど怖いことなのかもしれません。
だからこそこのような考えは消していかないといけないのです。
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あなたも嫌われてもいいと思えるようになる
では、そういった状態を解消することができるのか―それには、「嫌われてもいい」と開き直ることしかありません。
しかしそういってしまっては元も子もありませんよね。
そもそも開き直ることができないから、「いい人」になってしまうのです。
「嫌われてもいい」と思えるようになるには、「いい人」を演じてる自分を知り、それをやめる決意をすること、そしてこころがやわらかく元気であることが必要です。