完璧主義者でないほうが好かれる

完璧主義者の過去にこだわるのをやめる

いろんな悩みを紹介しても、「私の状況は、もっとひどいのよ」「私のつらさは、そんなもんじゃないのよ」「自分は、もっとずっと大変な目に遭ったのよ」という声があがります。

「私のせいじゃないのに」「自分はこんなに頑張っているのに」「あのときは、仕方がなかったのに」という反応も返ってきます。

全部、とてもよくわかります。

そうなんですよね。

本当にそうだったんですよね。

それなら、もう「そうだった、それしかなかったんだ」で終わらせてしまって、いいじゃないですか。

そして、そろそろ次に進もうよ、ということです。

過去のひどさを語るのは、もういいじゃないか。

過去にされたことを語るのも、もういいじゃないか。

もういいじゃないか。前に進もうよ。

過去にしがみついてないで、前に進みましょう。

王様のイスの座り心地

過去にしがみついている間は、「被害者のイス」に座っています。

このイスは「王様のイス」です。

人を責める権利があって、人によくしてもらう権利があって、そこから一歩も進まなくてもいい、そんな便利なイス。

ずっと座っていると、歩き方も立ち方も忘れてしまって、筋力も落ちてしまって、本当に歩けなくなる。

被害者のイス。王様のイス。

いつまでも、そこから動きたがらずにいるのは、あなたなのです。

あなたが、今日まで「被害者」でいることを選んできたのです。

あなただけが、自分をいつまでも「被害者」にできるのです。

ひどい目に遭ってもいいから、「ひどい目に遭う人」にならないで。

できなくてもいいから、「できない人」にならないで。

失敗してもいいから、「失敗する人」にならないで。

許せなくてもいいから、「許せない人」にならないで。

今は結婚できなくてもいいから、「結婚できない人」にならないで。

一つのことを持ち出して、全部のことにしないで。

いつまでも、そこにこだわるのをやめませんか。

そんな”呪い”に自分からかかったままになるのは、もうやめませんか。

自分で自分の可能性をつぶすことも、自分で環境を悪くすることも、しなくていいんです。

完璧主義者をやめれば解けない悩みはない

心の悩み、人生の悩みというものは、実は非常にシンプルです。

「こうすればいい」というのが一目瞭然のこと。

でも、それなのにわざわざ、別のところから「悩み続ける理由」を持ってくる、ということがよくあります。

誰かから「それは仕方がなかったね」と言ってもらえそうな理由-一番多いのが「お金」「体調」「誰かの反対」などの問題を持ってくるのです。

本当は、自分のトラウマや考え方の問題なのだけれど、そこに向かい合いたくないから、別の「大問題に見える問題」を持ってくる。

  • 夫の問題
  • 妻の問題
  • パートナーの問題
  • 親の問題
  • 体調の問題
  • お金の問題
  • 上司の問題
  • 会社の待遇の問題
  • 自分の能力の問題

を持ってきて、ずっとそこに取り組む。

これを「解けないルービックキューブ」と呼びます。

そして、この「解けないルービックキューブ」を散々いじくり回してから、自分のまわりの人に「相談」「愚痴」という形でポイッと渡すわけです。

すると、まわりの優しい人たちは、あれこれ一緒に解決の方法を考えてくれたり、優しく話を聞いてくれたりします。

でも、そもそも「解けない」ものだから、決して解けることはない。

逆に言えば、その問題が解けてしまうと、本人は困ってしまうのです。

それが誰かに解かれてしまったら、本当の「自分の問題」に取り組まないといけなくなってしまうから。

だから、解決方法やアドバイスをもらっても「でも」「だって」「どうせ」と抵抗し、自分の問題がどれだけ難しいのかを力説するのです。

ややこしそうな問題ほど、根っこは単純

ややこしそうな問題、どうすればいいのかまったくわからない問題であればあるほど、根っこは単純であることが多いのです。

問題って、もっとシンプルです。

ただ勇気を出せば終わる。それだけのレベルです。

ただ、意地を張るのをやめると終わる。

ただ、我慢をやめる。

ただ、頑張るのをやめる。

それだけのレベルで解決できると言って問題ないでしょう。

だから、もう解けない問題をいじくり回すのはやめよう。

負けよう、損しよう。勇気を出して、自分のすばらしさを認めよう。

それだけで人生は変わるのです。

その勇気が出せないから、心の傷が癒えるのを待ってから、時期が来てから、痛くないように、苦しまないように・・・なんていつまでもやっているから、痛みや苦しみが続くのです。

それが「すねる」なのです。

やるときには、一気にやる。

一気に通過して、終わらせてしまおう。

幸せは完璧なことではない

ずっと「幸せになりたい」と思って頑張ってました。

「認められたい」って頑張ってました。

「愛されたい」って、「嫌われたくない」って頑張ってました。

そのためには、自分の人生の中から、「不幸」「認められないこと」「嫌われること」「できないこと」「問題」を、全部完璧に消し去ることが大事だと思っていたようです。

そして、「問題がないこと」「不安がないこと」「病気にもならない」「すべてうまくいく」「いつも褒められて」「みんなに認められて」「二十四時間、いいことが起こる」

それが「幸せ」だと、ずっと思ってきました。

雲一つないピーカン、みたいな心になりたいと思っていました。

だから、いいことがいっぱいあるのに、いっぱい認めてもらっているのに、基本的には健康なのに”消しきれない”不安や問題が一つでもあると、「全然ダメだ」と思っていました。

「黒」が少しでもあるとダメだと。

「まだまだ」、と。

「幸せが足りない」「白く塗りつぶせ」と、頑張っていました。

でも、違っていたんです。

白も、黒も、灰色も、赤も、黄色も。

問題も、悲しみも、アクシデントも、別れも。

戦いも、嫌悪も、後悔も、嫉妬も。

苦しみも、迷いも、裏切りも、違和感も。

全部あることが、幸せなんだ、と。

あ、「これでいいんだ」「この今が、幸せなんだ」と。

ああ、なんだ。「幸せになる」んじゃなく、「すでに幸せなんだ」。

ずっと前から、ずーっと自分は幸せ「だったんだ」と気づいたのです。

「幸せ」になっても、嫌なことは、起きるんだ。

幸せになっても、嫌われるんだ。

幸せになっても、腹が立つんだ。

幸せになっても、悲しいことはあるんだ。

幸せになっても、怒られることがあるんだ。

と、気づいたのです。

そしたら急に「幸せ」が増えました。

急に「嫌なこと」が減りました。

幸せを感じる

だから今、不幸でいっぱい、悲しみでいっぱい、憎しみでいっぱい、痛みでいっぱい、苦しさでいっぱい、何かができないふがいなさでいっぱいの人へ。

「子どもがあんなことになっちゃった」

「親がこんなことになっている」

「夫が、奥さんが、あんなことばかりする」

「自分はこんなこともできない・・・」

「結婚もできない」

「子どもも産めない」

「働けない」

「家を出られない」

「嫌われてばかり」

「不倫ばかり繰り返してしまう」

そんな人へ。

あのね、残念なお知らせだけど・・・それを「幸せ」って言うんだよ。

知らなかったでしょ。ましてや「病気」なんかじゃないんだよ。

試しに、声に出して言ってみませんか。

「へぇ、これでも幸せなんだ」
「へぇ、これが幸せって言うんだ」

「なぁんだ」って、笑ってみましょう。

それだけで世界が変わるんですよ。

完璧主義者の答えは問題にあった

  • セクハラにあった人
  • パワハラにあった人
  • 重病の人
  • 子どもが不登校の人
  • 彼氏にふられた人
  • 借金を抱えた人
  • 経営がうまくいかない人
  • パソコンがフリーズして困っている人
  • 過食嘔吐の人
  • うつの人
  • なんとなく人付き合いがうまくいかなくて悩んでいる人

みんな、同じ扱いです。

悩みに、重いも軽いもないのです。

「その悩みを、重いと見る人と、軽いと見る人がいる」だけだから。

そして、すべての問題は必ず解決する、と考えます。

それは「その人」が、自分らしく、幸せに、自由に、豊かに生きるための「答え」がまず先にあって、そこに「本人が気づくため」に「問題」があるからです。

「答え」に気づくために、「問題」を自分が起こしているだけだから。

「問題」を自分が引きずっているだけだから。

その「答え」に気づいたとき、内容に関係なく、問題は「消える」のです。

こう言うと必ず、「じゃあ、私が虐待されたのは、私が悪いって言うんですか!?」

「私は何も悪くないのに、一方的に被害にあってるんです!」

「過去にされたことは、消えないんです!」という「被害者」の方が、感情的になります。

でも、実はそれさえも、意に介しません。

誰もその人のことを悪いと言ってないし、間違っているとも言ってません。

では、その人が、そんなにつらい目をしてでも、そんなにひどい目に遭ってでも、解きたかった「答え」って何だと思いますか?

では、その人がそんなに苦しい思いをしてでも、うつになるぐらい頑張ってでも、知りたくなかった、怖かった、拒否してきた「答え」って何だとおもいますか?

それを「知った」だけで、そこを「認めた」だけで、どんな苦しみも消えるのです。

そして苦しんだ分だけ、涙と笑顔が止まらなくなるんです。

その「答え」とは、どうしても知りたかった「答え」とは、「どうせ私は、すばらしい」「どうせ私は、愛されている」ということです。

それは、「自分は、自分のすばらしさをホントはまわりにも知ってほしいけど、自分からは言えなくて、気づいてもらえないから悲しくて、被害者のふりをしてすねている、めんどくさいやつ」ということですね。

「すばらしい自分」を大事にしてもらってなかったから、いまだに怒っている、それだけなのです。

そう、「自分はすばらしい」と思っているからこそ、ひどいことをされると悲しくて腹が立っているのです。

つまり、それに気付いて「自分はダメだ」という大前提から「自分はすばらしい」という大前提に変える。

ただ、それだけ。

それだけで、「今」が幸せになる。

「過去」も、「未来」も、幸せになるのです。

「今」のこの状態が「最悪なんだ」「不幸なんだ」「かわいそうなんだ」「ダメなんだ」という「大前提」から、これ「でも」幸せなんだ、これ「が」幸せなんだと「知る」だけで、「気づく」だけで、幸せになるんです。

「今」の自分には、愛も、自由も、健康も、お金も、豊かさも、才能も、魅力も「ない」という大前提から、「あるんだ」「あったんだ」「気づいてなかっただけなんだ」「これでも、愛されていたんだ」「これでも、認められていたんだ」「ダメでも、ここにいていいんだ」に変える。

つまり「ある」という大前提に変わるだけで、「問題」は消えるのです。

そう、自分で作った問題は、自分が答えを見つけたら消えるのです。

人・出来事・環境を、自分の存在を、「勝手に」問題としていただけだから、「勝手に」幸せになっていいのです。

そして、「幸せ」の証拠が、その直後から集まってくるのです。

全ての問題は最初からなかったのです。

あなたが「いる」だけで、問題は消えるのです。

そのぐらい、あなたはすばらしくて、影響力があるのです。

ただ、そこに「いる」だけで、人を喜ばせ、幸せにしてしまう”魅力”を放っているのです。

まとめ

過去にこだわるのをやめて、今、解決方法を考える。

完璧をやめれば解けない問題はない。

完璧であれば幸せというのは違う。

完璧主義者をやめればささやかな幸せを感じることができる。

悩みの答えは問題にあり。