自己評価の低さ

政治的タイプの人間は、激しい、満たされざる尊敬への渇望によって特徴づけられると政治学者のラスウェルは言う。

確かに権力は、その渇望を満たしてくれるところがあろう。

しかしこれは、のどが渇いたときに塩水を飲むようなのもではなかろうか。

それに、なぜそんなにまで尊敬、敬意を渇望するのかということを考えると、やはり、心の底の低い自己評価に行きつかざるを得ないであろう。

ラスウェルによると、暗殺を誘発するほど権力に執着する権力者もいれば、官職を退いて自殺する権力者もいるという。

そして、再任や再選に失敗して、対人恐怖症、社交不安障害やうつ病になるかんしもいるという。

権力を失って対人恐怖症、社交不安障害やうつ病になるという点を考えると、低い自己評価は権力獲得への動機となりえることは理解できる。

もちろん、これが権力獲得へのすべての動機でもあるまい。

対人恐怖症、社交不安障害やうつ病の特徴は、何より低い自己評価ということである。

権力を握って傲慢になる人も、対人恐怖症、社交不安障害やうつ病になる人も、ともに低い自己評価に苦しんでいるのであろう。

その差は、低い自己評価が無意識の部分にあるか、意識にまでのぼっているかの違いだけである。

心の底で低い自己評価に苦しむ人は、権力者や社会的に地位の高い人や富める人に、アンビバレントな感情を抱いている。

自己評価の低い人は、社会的地位の高い人とつきあうことを喜ぶ。

劣等感の強い人は、社会的地位の高い人が好きである。

しかし、彼らは本当に喜んでいるだろうか。その人たちを本当に好きなのであろうか。

決してそうではあるまい。そのような人と付き合うことを一方では確かに喜んでいるが、同時に他方ではそのような人を拒否している。

一方では好きなのに他方では反感を持っているのである。

本当に好きと言うことは、好きなだけで、あとは何もないということである。

本当にそのような人を好きになるためには、自分のイメージが高くなければならないであろう。

自分に自信が持てたとき、初めて本当に好きになれるのである。

本当に好きな人の前では、自分を素直にさらけだすことができるはずである。

劣等感から人と付き合うと自分を傷つけるばかりである。

それにしても、自分で自分を傷つけている人がこの世にはなんと多いことか。

対人恐怖症、社交不安障害を克服したい人は自分が本当に好きな人は誰なのかを分析してみることが一歩である。