心の底に抑圧された「みたされない欲求」

思い込みで不満になる心理メカニズム

悩んでいる人には二つのタイプがある。

努力をしているが、報われない努力をしているタイプと、いいも悪いも努力そのものをしないタイプである。

報われない努力をする欲張り達。

「なぜ自分は生きるのが下手なのか?」と思う人が多い。
ことに最近メンヘラという言葉が使われだしているが、その人たちである。

単純に欲張りだから不満なだけで、本人が生きるのが下手と思っているだけで、事実は違う。

春先に、どうして「私はクローバーばかりしか採れないの?」と不満になるような人と同じである。

でも今は春先。
春先はクローバーである。

「私はバラが欲しい」

バラがいいという。
普通の人はバラが欲しいなら五月を考える。

時間が来れば、欲しいものが来るのに、それができない。

冬にブルーベリーが食べたいと言う。
ブルーベリーは夏が美味しい。

秋にサクラを見たい。

お金があれば、冬にもスイカを食べられる。
一万円もかけてそんなもの食べる必要はない。
秋には、大金をはたけば甘くないまずいブルーベリーは食べられる。

報われないのが当たり前なのに、報われない努力をして、「私はどうして生き方が下手なのか?」と悩む。

基本が間違っている。

ホームレスに、「どうしたらお金を儲けられるか?」と聞くようなものである。
あっちの公園、こっちの公園と聞いて歩いて、報われない努力をしている。

本来自分はこれこれのものを得てもいいと勝手に思い込んでいる。

その思い込みが間違っている。

他人を見ていない。
もちろん自分を見ていない。
他人のしている苦労を見ていない。

アメリカの偉大な精神医学者デヴィッド・シーベリーの言う「不幸を受け入れる」ということができない人たち。
「不幸を受け入れる」と、することが見えるとシーベリーは言う。

それは欲を捨てるということ。
「不幸を受け入れない」から報われない努力をする。

一口で言えば、傲慢である。

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悩みの根っこにある愛情飢餓感

自分が川に溺れている。
その自覚があれば、人とかかわるときに「この人は私の命を助けてくれるか?と考える。
聞く。

ところが悩んでいる人は、自分が川に溺れていることに気がついていない。

悩みは欲の権化である。
愛情飢餓感で周囲の世界が見えなくなっている。
自分自身のこともわからなくなっている。

悩み欲張りだから、失ったものとか、落ちたものに固執する。
悩んでいる人は、現実のものを受け入れられない。

愛されることで愛する能力が生まれる。

「欲張り」と「求める」は違う。
求めるは一つ捨てて、一つ取る。
欲張りは取ることしか知らない。

欲張りの人は、今を癒してくれる人を好きになる。
命を守ってくれる人を求めない。
自分の命の本質を知らない。

報われない努力をして、悩んでいる人は、心が傷ついているというのではなく、心が壊れている。

悩んでいる人は「私は傷ついている」と言っているが、意味は「私は心が壊れちゃった」ということである。

悩んでいる人は、自分の心が壊れているということに気がついていない。
そこに気がつくことが先決である。

今目の前にある美しい銀杏を見ていない。
今を生きていない。
この時間、このときを楽しめない。

今を生きていないで過去を引きずっている。

お茶碗が壊れていれば、水は漏れる。
悩んでいる人は、その漏れた水に執着する。
漏れた水を悔やむ。
失ったものに執着する。

なくなるのは当然だと思えば、報われない努力が報わるれる努力に変わる。

その人の心が壊れているのだから、欲しいものが洩れるのは当然である。

報われない努力をする人は、魔法の杖を求めている。
でも人生に魔法の杖はない。

トマトは野菜なのに「私は果物の王様になれませんか?」と聞いている。

メロンが「私は野菜の仲間に入りたい」と言っている。

何かをするということは、ある何かを捨てることなのに、捨てることができない。

捨てられないところで、トップで頑張ろうとしている。

無気力になるのは、無意味に頑張りすぎるからである。
報われない努力を続けすぎた。

自分の努力を適正なレベルにする。

今の歩き方で必ず頂上に行くのに、もっと早く行こうとする。
そしていつも焦っている。
「もっと早く頂上に行く方法はないですか?」
と聞いて回る。

悩んでいる人は無駄な努力が多すぎる。

赤ちゃんが、自分の歩き方をしているのに、大人の歩き方をしたら、少しの時間歩けるが、すぐに歩けなくなる。

抑圧された不満は心のエネルギーを消耗させる

悩んでいる人は様々な不満が心の底にある。
その心の底の不満に日常生活が支配されている。
もう心はほとんど壊れている。

だから意識の上で「こうしよう」と思ってもなかなか「こう」できない。

心の底に不満があるから、「そう」しまいと意識しても「そうしないではいられない」という気持ちになる。
心の底の不満がその人の意識的な意図に反して満足を求めている。
その不満の影響で人は強迫性に苦しむ。

しかも自分の悩みの原因に気がついていない。

「そうしまいとしてもそうせざるをえない」し「気にすまいと思っても気になる」。

受験生が遊びたいのに勉強している。
遊びたい気持ちを抑え込んでいるから消耗して無気力になる。

たとえば、高校時代に勉強したいと思うことのほうがおかしい。
でも遊ぶ人間と思われたくない。

受験勉強しなければならないから勉強するというのが社会的適応である。

社会的適応としてよい高校生を演じてきたが、心の底では遊びたかった。

遊びたいという気持ちを素直に認めれば、不必要な消耗は避けられる。
それを認めないから焦る。

まず自分に「疲れていませんか?」「したいことはありませんか?」と聞いてみることである。

自分がよい高校に行っていることで、よくない高校生を軽く思っていませんでしたか?

受験勉強に疲れている人は、よい高校生を演じることで疲れている。

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無理して好かれようとしても利用されるだけ

小学校のときに、友達を選ぶ。
勉強以上にこちらのほうが大切である。

愛されなかったのだから友達に気をつけなければならない。
小さい頃は人間関係に気をつけなさい。

しかし悩んでいる人は、気をつけない。
悩んでいない人のほうが気を付けている

老いも若きも、悩んでいる人は友達関係が悪い。
「変な顔になったなー」
と思ったときには友達が悪い。

そうなったときには、すでに報われない努力に消耗し始めている。
周囲のずるい人から優しさを利用される。
使い走りとして、無理してもずるい人に仕える。
しかしそれを愛されていると錯覚する。

相手は得しているから「うまくいっている」と言う。
ずるい人は得している。
利害関係を、「うまくいっている人間関係」と合理化している。

ずるい人は操作がうまい。

風が銀杏の葉を木の根の所に持っていっている。
はかなくても、自然に任せる。
肥料になる。

ここまで頑張ったのだから、後は自然に任せると覚悟を決めるときがきているのだけれども、その覚悟ができない。

頭が焦っている。
嫌われると思っている。

休め。
体が嫌だと言っている。
自分のプライドが許さない。

欲張りだから。

エネルギーがない。
欲張りはエネルギーがない。

受験生のときからすでにスチューデント・アパシーみたいなものである。

悩んでいる人から手紙やメールをもらう。
文章が汚い。
文章に区切りがない。
一つの文章がすまないうちに、また次のテーマが始まる。心臓病になりやすいタイプAと同じである。

一つ一つのことをきちんとすましていない。
あの人を見ても、あの人に気に入られたい、この人を見れば、この人にも、気に入られたい。

そしてどの人にもきちんと向き合っていない。

やることを絞れ。

報われない努力をする人は、絞れない。

魔法の杖を求めているから。

全て半端に終わっている。

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悩みが尽きないのは、自分が自分に失望しているから

半世紀以上、悩んでいる人から手紙をもらい続けた人がいる。

千のオーダーではない。
万のオーダーである。
しかしその大部分は恨み辛みの手紙だけである。
手紙からメールに変わっても同じである。

いかに自分の周りにいる人達がひどいか、ということを延々と書いてくる。

同僚が悪い、先生が悪い、上司が悪い、親が悪い、恋人が悪い、部下が悪い、「悪い、悪い」とこれでもかこれでもかと書いてくる。

そしてつくづく「これなら悩むだろうなー」と思う。

それはとにかく要求がものすごい。
周囲の人はかなわないから逃げ出すだろうと思う。

赤ん坊が母親にむちゃくちゃなことを要求する。
悩んでいる人は大人になっても周囲の人にも、自分にもこの幼児の態度なのである。
そしてこのむちゃくちゃなことが通らないと言っては傷つき、怒り、悩む。

不幸になる人の要求にはまさに見境がない。
それが完全主義である。
世の中には小さな幸せで満足している人も多い。
しかし不幸な人は満たされるだけ満たされてもまだ不幸なのである。

それは実存的欲求不満だから。
自分が自分に失望しているから。
その自分に失望していることに気がついていない。

どんなに財産があってもまだ足りない。
もっと欲しい。
いやもっと欲しいではなく、もっと要求する。
彼にしてみれば自分の人生にはもっと財産がある「べき」なのである。

自分が要求するだけの財産がないから彼は苛立つ。
自分の要求がかなわないから不満である。
そしてその要求が切実であるからその苛立ちが不満も激しい。

「あなたは実はこんなことがしたいということはありませんか?」。
自分にそう問いただすことが大切である。

欲張りなのは、自分が自分に失望しているからである。
そしてそのことに気がついていないからである。

だからそうしまいとしてもそうせざるをえない。

自分は、本当は違った生き方をしたかった。
そこに気がつかなければ、報われない努力をしながら最後まで人生に不満である。

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「誰かが~してくれない」と悩むきずな喪失症候群

半世紀以上悩んでいる人の話を聞いてきて、分かったことは、とにかく悩んでいる人は欲張りだということである。

そして悩んでいる人達の手紙には、もう一つ別のタイプの共通性がある。
それは恨み辛みの原因である。

要するに悩んでいる人には二つのタイプがある。

悩んでいる人の手紙を読んでいると、誰かに尽くして裏切られたというタイプと、誰が自分に何をしてくれなかったという恨みのタイプである。

悩んでいる人の、恨みのタイプは自分が人に尽くしていない。
人のために働いていない。
とにかく怠け者である。
小さい頃から甘やかされすぎている。
このタイプの悩んでいる人の手紙を読んでいてつくづく思うのは、努力していない。

人が自分に尽くしてくれないといって周囲の人を恨んでいる。
人から何かをしてもらうのが当たり前に思っている。
人が自分に奉仕するのが当たり前に思っている。
周囲の人は皆自分の召使いである。
もちろん給料は払っていない。

これなら周囲の人を恨むのは当然だろうと思う。

幼児的願望を満たされないで育った人は悩むものだとつくづく思う。
そして最後は憂鬱になる。
自分でも自分が重苦しくなる。
周囲の人もやりきれないが、本人もやりきれない。

いつも腹を立てている人、それは要求の多い人である。

相手に何を要求しているかによって私達の気持ちは違ってくる。

多くの悩みの手紙を読んでいると、努力という視点から見ると、悩んでいる人には二つのタイプがあることが分かる。

悩んでいる人の二種類の声と表情。

なぜこのようなことを考え出したか?

手紙に表われる病的表現。
心の歪みは外に現れる。

このタイプをきずな喪失症候群と呼んでいる。

自分の弱点を隠すのがうまい人であり、人との心の絆がない。

きずな喪失症候群は弱点を認めない人。

きずな喪失症候群とは心が誰ともつながっていない人達である。

きずな喪失症候群の特徴は次のようなものである。

1.きずな喪失症候群は「辛い、辛い」と騒いでいる。

きずな喪失症候群は生活態度がルーズ。
全て周りが自分のことをする「べき」と思っている。
それにふさわしい努力をしないで、それを求める。
「私はこんなに辛い」と強調するのは、その人が愛情を求めているから。

カレン・ホルナイは惨めさを訴えることのなかには多かれ少なかれ敵意が含まれていると述べている。

2.この辛い私を分かってくれ。
3.辛い、辛いというが、具体的なことが書いていない。
4.この私の苦しみの責任は全て他人。
5.相手と自分の関係が分かっていない。もともと深い関係があるわけではない。それなのに、相手は自分に尽くすべきだと決め込んでいる。
6.自分は悲劇の主人公。
7,ほんの小さなことでも、それをするすごさを認めていない。理解していない。