傷つかない人などいません。
問題は上手に対処できるか、できないかです。
上手な対処とは、傷ついた心を抑えることではありません。
傷ついた心を長引かせてしまわないことであり、傷口を不必要に広げてしまわないことです。
ここでは傷ついたときのそうした対処法を紹介します。
感情を吐き出す
心傷ついてつらいときには、自然な感情に任せることです。
泣きたかったら、泣くことです。
しゃべりたかったら、しゃべりまくることです。
甘えたければ、甘えることです。
自分の現在の心の状態を知ってもらって、とにかく今は、感情を受け止めてくれるように信頼できる人に求めることです。
今の自分のつらい気持ちを伝え、「とにかく今は甘えさせて」とはっきりと依頼することです。
お酒を飲んで自分を忘れたい心境ならば、飲むのもいいでしょう。
心が傷つき感情的になっている時期には、当の本人は他の人に優しくできません。
そもそも他の人に目がいきません。
おだやかな雰囲気を与えてあげることができません。
ですから、「ごめん、今は自分のことで手一杯」と、周囲の人に率直に自分の状態を伝えることです。
むろん一人になりたければ、一人になることです。
いつもはつらつとして、とても魅力的な女性教師がいました。
その人は、年上の男性教師とチームを組んで仕事をしなければならないのですが、その男性教師は若いときから人を傷つけがちの人でした。
彼女の苦労が偲ばれ、ある時「大変でしょう」と上役が聞いたら、「そんな時は、研究所に鍵をかけて思い切り泣くの」と、明るく笑っていました。
実際に、涙とともに悲しみの物質が体内から排出される、ということを実証したとする研究もあります。
泣きたければ、思い切り泣くことです。
人によっては、書くことで感情を吐き出すのも有効です。
ノートでも、白紙でも、何でも良いから書きたいことを書きなぐるのです。
うらみ、つらみ、憎しみ、悲しみ。
口には出せない言葉でも、書くことならできることも少なくありません。
繰り返し書いていると、乱れているのがばかばかしく感じられてくることがあります。
というのは、頭の中では複雑な感情が激しく渦を巻いているように感じられるのですが、実際にはごく単純な感情であることが少なくないからです。
書いてみると、それが分かるのです。
私たちは成長する過程で、「ねばならない」という意識で、露わな感情を抑えつけることを求められてきました。
とりわけ傷つきやすい人は、そうした傾向が強いのです。
感情を開放しないために、溜め込みやすく、いつまでも尾を引きがちなのです。
したがって、思い切って素直な感情に従ってみると、自然な感情を発露する心地よさが実感できます。
カウンセリングにおいても、ずっと泣き続け、それだけでスッキリして帰る人も珍しくありません。
傷つきの程度に応じて、元に戻るにはある程度の時間が必要だと割り切り、素直な感情に身を浸すことです。
「これではいけない」「しっかりしなければ」「情けない自分」。そんな風に思わずに、元に戻るために必要な一時の状態なのだと割り切ることです。
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憎しみへの対処
傷ついたときに、とりわけコントロールが難しいのは、憎しみの感情です。
憎しみの感情が開放されないと、怨念や復讐心となって持続します。
あからさまな喧嘩をする夫婦は、けんかしながらもけっこうやっていきます。
逆に、相手に対する不満をぶつけられなくて、陰にこもる夫婦の方が、突然、決定的な破綻にいたることが少なくありません。
憎しみや恨みなどマイナスの感情も、喜びや嬉しさと同様、人間の生の衝動です。
憎しみや敵意も、適切な形で外に出せることが、心の健康にとって必要なことなのです。
攻撃的になれるかどうかは、子ども時代に作られた自我によります。
「良い子」として育てられた人ほど、憎しみの感情を表出することが困難です。
そして、本来相手を憎むべき場面で、自責の念を感じてしまいます。
許しなさい。
ある宗教はそう教えます。
そのように助言する人もいます。
しかし、「許しなさい」とは言えません。
許せないものも確かにあるからです。
しかし、復讐を誓って生きることは、自分の心を憎むべき相手によって支配されてしまっていることです。
相手に自分の人生を握られてしまっていることです。
ですから、憎しみの感情を秘めていても、相手にどう仕返しをするかに心を向けるのではなく、自分の夢に心を向けることです。
夢の実現にエネルギーを集中して日々を過ごすことです。
そのなかで、どうしても憎しみの感情のはけ口が必要なら、次のようなことをしてみてはどうでしょうか。
・スポーツをする
・サンドバッグを殴る
・バッティングセンターに行く
・ゲームセンターで、もぐらたたきなどを心ゆくまでたたく
・壊してもいいものを思いきり壊す
・カラオケで存分に歌う
・新聞紙を気の済むまで破る
・新聞紙を丸めて、そこらじゅうたたく
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傷口を広げない
傷つくと、私達は、その傷口を広げてしまうような行動をしてしまいがちです。
傷ついてイライラし、周りの人に当たってしまう。
抑うつ的になり、他の人まで不機嫌にさせてしまう。
一時の感情に我を忘れ、悪態をついてしまう。
ところが、あとで冷静になってみると、むしろ自分に非があることに気づき、ひどい自己嫌悪に陥る。
恋人と喧嘩した直後、出会い系サイトにアクセスし、会った人とセックスしてしまい、よけい惨めな気持ちに陥る。
会社で傷つくことがあったために次の日欠勤してしまい、いっそう立場をまずくしてしまう。
几帳面で、がんばり屋の人のなかにも、傷つきをきっかけにがんばりの糸が切れてしまい、傷口を広げてしまう例が見られます。
そして、こうした人は、傷つきの感情のなかで、自分の全面否定に傾きがちでもあります。
したがって、心が傷ついたとき、その影響が広がってしまうことを避けることが大事です。
そのためには、日常生活の必要なことを実行することを目標にすることです。
とりあえず最低必要なことを行なうことです。
朝起きること。
食べること。
職場に行くこと。
夕食を食べること。
就寝時間を守ること。
こうしたことを行うことで、仕事仲間など、迷惑をかけてしまいそうな人に対しては、自分の心の状態を伝えておきます。
仲間に弱みを見せると後でまずいことがあるのでは、と心配する人がいますが、伝える内容は、現在の心の状態でいいのです。
「いまとても落ち込んでいて、迷惑をかけるかもしれない。その時は、ご免」「今は、とても気持ちが混乱していて考えられないので・・・」等々。
筆者の経験でも、こうしたことを伝えると、相手の人は「なんで?」などとは、聞かないものです。
そのまますんなりと、「分かった」と、受け入れてくれるものです。
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支えを求める
傷口を広げないためには、一人で抱え込もうとしないことです。
一人で抱えていると、マイナス思考の泥沼にはまり、いつまでもそこから抜け出せなくなります。
傷ついてつらいときこそ、親友や愛する人に支えを求めることです。
カウンセリングでは、少し長い時間をとって訴えを聞いてあげるだけで、気持ちが落ち着き、スッキリして、笑顔を見せることが珍しくありません。
ある学生は、カウンセリングの最中に、「『聞いてくれ方』で、ずいぶん気持ちが楽になるんだということが分かりました」という主旨のことを述べていました。
彼女は、何人かの友達に相談したのですが、「考えすぎた」とか「気にしなければ」などと言われるだけで、かえって気持ちが落ち込んでしまったというのです。
相手の気持ちがすっきりするように聞いてあげる態度があるのです。
カウンセラーはこの態度を大事にします。
それは、共感的理解といって、自分の価値観の枠組みではなく、相手の心の枠組みに沿って相手の心情を理解しようとするのです。
相手の行為や感情の価値判断をすることなく、このような気持ちなのだろうな、と、できるだけ相手の心の動きを自分の中で追体験しようとしながら聞いてあげることです。
これによって、相談者は、自分が大事にされているという実感や、自分を理解してくれている(あるいは、少なくとも理解しようとしてくれている)という実感を持つことができます。
そのために、安心して素直に感情や感じたことを表現できるようになります。
傷ついたときには自己否定的な心情が強くなっていますので、こうした実感によって自己価値感を取り戻すことができるのです。
傷ついてつらいときには、こうした聞き方をしてくれるよう相手にお願いすることです。
「今は反論しないで、私の言うことを聞いて欲しい」
「私の方も悪いところがあるかもしれない。でも、今はそのことを言われてもとても受け入れられない。だから、そのことは今は触れないで!」と。
むろん、一方的な要求では、相手も承知しないでしょう。
なにしろ、あなたのつらさの一部を引き受けることになるのですから。
したがって、常日頃から、友達のつらさには、自分が支えになってあげようとすることです。
少なくとも、自分が元気を取り戻したら、今度は自分が友達を支える番だと、密かに決意しておくことです。
こうした甘えること、依存することが、できない人がいます。
相手に対して負い目を負うことだという意識が強いからです。
必要なときには、甘えられること、依存できることは、健康なことなのです。
自立することとは、甘えたり依存しなくなることではありません。
適切に甘え、適切に依存できるようになることなのです。
友情にせよ、恋愛にせよ、愛することとは、必要な甘えと依存を分かち合うことなのです。
恋人であれば、その腕の中にいるだけで、あるいは胸を借りるだけで癒されるでしょう。
傷つくということは、傷つき体験そのものよりも、傷ついているという心の状態を話せないことの方が悪影響を与えることが多いのです。
弱みを素直に相手に見せられる人は、弱みを見せられない強い人よりも、強くいられる人なのです。
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身体を動かす
傷ついて感情が高ぶっている時、アドレナリンが分泌され、悪寒や発汗など身体的変調を引き起こすことがあります。
こうしたとき、適度な運動は、脳内快感物質であるドーパミンの分泌を促して、多少なりとも気持ちを変えてくれます。
傷ついたときには、気持ちも行動も内に向いてしまい、だらだらと過ごしてしまいがちです。
そして、そのために、いっそう気持ちが鬱屈してしまいます。
したがって、意識して身体を動かそうとすることが大事です。
一番やりやすいのは、歩くことです。
歩きやすい靴を履いて、しっかりと前を見て、さっさっと歩きます。
指先や足先まで生気が満ちるようにと、手を振って、やや歩幅を大きくして。
気持ちが沈んでいるときは下を見て歩きがちなので、意識的に顔を上げて前方を見るようにします。
スポーツジムに行って、汗を流すのも効果的です。
社会的促進といって、周囲に同じことをしている人がいるだけで、知らず知らずのうちに活動量があがるものです。
あるいは、好きなスポーツがある人は、それをやるのが有効です。
身体が疲れるぐらいの運動をすれば、夜眠ることができるという利点もあります。
食欲を刺激するという利点もあります。
傷つくと、そのことだけに意識が向いてしまいます。
このために、自分の意識をほかに向けるか、自分についての意識を失う忘我の状態を作り出すことが救いになります。
運動はその一つの方法ですが、セックスにも同様の機能があります。
セックスは心と身体の融合であり、自分と愛する人との融合でもあります。
そして、その頂点に忘我という状態がもたらされます。
このために、愛に包まれた自分をよろこびのなかで実感することができ、傷ついた心を修復してくれます。
さらに、自分の力への自信を回復できるという効果もあります。
ひどく傷つき、セックスへの要求に至らない場合でも、親が幼子にするかのようなやさしい愛撫は、大きな癒やしを与えてくれます。
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ストレス対処法を実践する
簡単なリラクゼーション法
ストレス対処法としての自律訓練法やリラクゼーション法ができる人は、このときこそ出番です。
これらについては、傷つきやすい人や、ひどい傷つきを引きずっている人は、習得すると良いと思います。
訓練をしていない人でも、リラクゼーション法を簡便化した次のような方法をやってみると、感情の高ぶりにより緊張している身体と心とが、リラックスしてくるのが感じられます。
1.ゆったりできるように、背もたれのあるイスに座るか、横になります。
2.思い切り全身に力を入れます。
相手への憎しみが強ければ、「コンチクショウ」と、言いながらでもけっこう。
とにかく思いっきり全身を緊張させます。
この状態を数秒続けます。
3.「リラックス」と頭の中で唱えて、思い切り全身の力を抜きます。
4.全身脱力した状態で、20秒ほどゆったりします。
5.このときに、心持ち呼吸をゆっくりするような気持ちで呼吸します。
そして、「心が落ち着いている」と、頭のなかでゆっくりと唱えます。
6.「だいぶ心が落ち着いてきた」と感じられるようになるまで、2~5を繰り返します。
セルフ・ステートメント
私たちは、日常生活の中で、自分を奮い立たせるために、「がんばるぞ」とか、「よし、やるぞ」などと言います。
じっさいこれによって、自分を刺激する効果があります。
これを意識的に行うのがストレス対処法の一つであるセルフ・ステートメント(自己陳述)法です。
他の人がいるときは頭の中で唱えざるを得ませんが、声に出した方がいっそう効果的です。
たとえば、傷つきそうなときとか、傷つけられたときには、
「冷静に、冷静に」
「人は人、自分は自分」
「リラックス、リラックス」など。
傷つきを引きずっているときには、「負けるもんか!」
「がんばっていこう!」
「もう、済んだこと」
「過去のこと、大事なのは今と未来」
などはどうでしょうか。
自分が傷つきやすいことを自覚している人なら、
「傷つきさんがまた来たな。どうぞどうぞ」
などという観照的な言葉も、効果があります。
かっとしやすい人なら、
「勝ち負けじゃない。あとでゆっくり考えよう。今はすべきことに集中、集中」など。
自分が好きなステートメントを用います。
たくさんは必要ありません。
自分の好きな言葉なら、いろいろな場面で使えます。
座右の銘と重ねる形で、好きな言葉をストックしておくとよいでしょう。
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好きなことに熱中する
心が傷ついて鬱々としている状態は、自分に注意が向いてしまう状況であり、そのことだけに意識がとらわれてしまっている状況です。
したがって、意識を他に向けることと、自分を忘れる忘我の状態を作り出すことが、この状態から抜け出る重要な方策ということになります。
そのためには、自分が熱中できることをすることです。
思い切って好きな趣味に打ち込むのもよいでしょう。
好きな音楽を聴く。
好きなものを食べる。
好きなビデオを見る。
カラオケに行って、思い切り歌う。
不安な時代には、念仏を唱えるだけではなく、念仏を唱えながら踊る「念仏おどり」が流行したそうです。
身体全体の動きで忘我の状態をつくり、これによって浮き世の憂いさを忘れようとしたのです。
忘我の状態を作り出すには、動きを伴うものがいっそう有効です。
眠るために
気分を害すると寝てしまう人がいます。
寝たければ、寝るのも一つの方法です。
一晩寝れば気分が変わっている、ということも少なからずありますから。
しかし、傷つきが大きい場合には、気持ちが高ぶって、眠ろうとしても、眠れません。
眠っても悪夢を見ることが少なくありません。
心が乱れると、生活のリズムも乱れがちになります。
眠れないので、起床が遅れ、食事の時間が不規則になります。
そうすると、気持ちにも悪影響を与えます。
したがって、できる限り平常のスケジュールで生活するよう努力することが大事です。
この基本が夜の睡眠です。
傷つくと、心ばかりが疲れている状態になるので、日中は身体が疲れるぐらい動くことを心がけます。
夜はゆっくりと入浴して、就寝前には、コーヒー、紅茶、アルコール等の刺激物を摂らないようにします。
自律訓練法やリラックス法を試してみるのも効果があります。
生物の身体には、ホメオステイシスというバランスをとる機能があり、身体が必要としたら自然に眠るものです。
だから、眠れないなら、今は体が眠りを必要としていないのだと割り切ることです。
無理に眠ろうとせず、本を読んだり、新聞を読んだり、テレビをみたり、ラジオを聞いたりしてみます。
久しぶりに深夜のラジオを聞いてみると、新たな発見があったりします。
ただし、どんなに眠くとも、朝はきちんとした時間に起きることです。
これを何日か繰り返せば、体が自然に眠りを要求するようになります。
元気を出すために
傷つき、心疲れたときには、意欲がわかず、元気がでません。
元気を出すための、いくつかの方法をあげてみます。
光に当たる
光は気分と大いに関係します。
光量の多い南国の人は陽気で楽天的です。
うつ病の治療にも光線を用いる方法があります。
また、女性は光に当たるとセロトニンの分泌が増え、イライラ感が減少します。
私達の親の世代は、朝日に手を合わせました。
その心地良い効果を体感していたのだと思われます。
寝室を東側の部屋にしてみる、日中はカーテンを開けて部屋に光を入れる。
あるいは、光を受けながら散歩する。
このように光を意識的に受ける生活をするよう心がけます。
生活を規則正しくする
だらだらといつまでも寝ていない。
いつまでもパジャマのままでいない。
夜遅くまで起きていない。
食欲がなくとも、朝、昼、晩ときちんと食べる。
生物本来のリズムにあった生活は、それだけで内面からのエネルギーをもたらしてくれます。
行動を優先する
落ち込んでいるときは、悲観的、消極的、防衛的になってしまいます。
その結果、落ち込む材料がどんどん増えていきます。
ですから、ともかく行動を開始することです。
しなければならない行動のリストを作成し、ひとつひとつこなしていくことです。
単純な行動から始めること。
完璧を期さず、とにかくやることだ、という軽い気持ちで実行することです。
事実を見直す
傷つくことはつらいけれども、そこには自分の成長に役立つ貴重な材料が含まれていることが少なくありません。
ある程度落ち着いてきたら、事実を振り返ってみることは、非常に有益です。
自分で認めたくない自分の弱点や劣等感、ずるさ、至らなさ、自分を合理化しようとする心、そうしたものを教えてくれます。
多くの人は、いつでも忠告を受け入れることができるほど、広い心を持っていません。
傷つけられた言葉は、自分に対する忠告や助言であった可能性があります。
少なくとも、悪意半分の中に、善意の半分が含まれていたかもしれません。
このためにも、もう一度事実を見つめ直してみることです。
しかし、傷をえぐり出すことなので、とてもつらいことです。
無意識のうちに自分を守り、正当化するために、拒否や、歪曲、否認などが生じます。
私自身、最も大きな傷つきに関してその出来事の事実をいまだにきちんととらえきれないでいます。
自分のなかに反省すべき何かが引っかかっているのですが、それを明らかにするつらさから逃げてしまっている感じがします。
傷ついた出来事を事実として見直せるか否かは、人間としての大きさにつながることなのだと思われます。
事実を見直すとは、具体的には、次のような作業をしてみることです。
1.事実を解釈や感情と分けてみる
「みんなの前で、上司が私に意地悪した」
これは事実ではありません。
この人の解釈です。
それも、感情的な解釈です。
この場合、次のように分けることが必要です。
事実・・・「みんながいるところで、上司が私のミスを指摘した」
感情・・・私は自分が意地悪されたように感じた。
事実は、上司がミスを訂正することだけを求めたのです。
それを勝手に意地悪されたと受け取って傷ついているのです。
このように、事実を解釈や感情と分けてみると、事実そのものが自分を傷つけたのではないことが分かります。
事実に対する自分の受け取り方が、傷つくもとになるのです。
2.相手の側から事実を見直してみる
物事は、視点や立場の違いで、まったく異なった様相を呈することが少なくありません。
なぜ、そうしたのかなど、事実を相手の立場で見直してみると、新たな意味に気づきます。
先の例で言えば、上司の行動は、次のようなことなのかもしれません。
・この程度のミスは、誰でもすることなので、ごく気軽にミスを指摘しただけ。
・他はしっかりできている。
このミスを訂正すれば完璧。
むしろそうした好意的な全体評価のなかでミスを指摘した。
・実際に、意地悪でミスを指摘した。
最初の二つの場合には、加害者として思い込んでいた相手が、実際は加害者ではなく、自分が勝手に被害者と感じているだけです。
不幸にして三番目の場合には、自分が感じたとおりですが、このような理不尽な仕打ちには、心ある人は同情してくれます。
感情を分かち合ってくれますし、あなたを支持してくれます。
傷ついている必要はありません。
3.自分のなかの暗黙のこだわりや、弱点、コンプレックスなどを明らかにします
自分で勝手に傷ついているのではないでしょうか。
もし、そうだとしたら、自分の何が弱点なのかを明らかにすることです。
たとえば、相手に期待できる以上のことを期待してしまうとか、友人関係において許される以上に依存してしまうとか、暗黙のうちに、自分の願望で相手の行動を評価してしまうとか、自分のコンプレックスのために、関係のないことまでコンプレックスと関係づけて受け取ってしまうなどです。
3.反省すべきは反省する
このように、加害者像と自己像を修正して、自分の行動で反省すべき点があれば、反省するようにします。
これにより、同じような間違いにより、傷つくことを避けるように心がけます。
ただし、この際に、あくまでも、過度の罪悪感を引き受けるというワナにはまらない注意が必要です。
以上のことができるためには、「絶対に・・・だ」というかたくなな姿勢を崩す努力が求められます。
通常、傷ついた自分を守るために、「絶対あれは意図的だ!」「絶対に許さない!」とか「絶対に復讐してやる!」などと、自ら思いを固めていることがおおいものです。
これでは、一つの感情に固定されて、その狭い視野からしか物事を見ることができません。
また、頭のなかで右のような作業をしようとしても、必ず妨害が生じます。
客観化できません。
より大きな勇気とエネルギーを必要としますが、メモでよいので、紙に書いてみることが有効です。
一流のスポーツ選手が、スランプの時に自分のフォームをビデオを見てチェックするのと同じように、文字によって自分の心を対象化してみるのです。
対処する
以上の作業から、なんらかの対処が必要なら、勇気を持って実行します。
対処には以下のようなものがあります。
伝える
再び同じような事態が生じることが予測されるなら、自分が傷ついたことを相手に伝えることです。
相手を非難する敵対的行動ではなく、自分の内面を伝える主張的行動で。
また、先の作業の結果、忠告として受けとめられたならば、感謝とともにそのことを伝えれば、相手との関係はより深いものになります。
謝る
事実をありのままに見て、自分が悪ければ率直に謝る勇気を持つことです。
夫婦のなかも、葛藤とその解決を経て関係が深まっていくように、むしろ率直に謝ることで、相手との関係がいっそう深まっていくことが少なくありません。
対峙する
冷静に事実を見直して、なお相手に非難されるべき非があると思うとき、そして、そのまま過去のものとして済ますことができない場合には、傷つけた相手と対峙する決意をすることが求められます。
職場が同じなど、今後も同様のことが起きる可能性がある場合、断固とした態度で、きっぱりと相手にそのことを伝えることです。
このときに、トリガーポイント(引き金点)という考え方を知っておくと有効です。
つまり、ここまでは許せるが、ここからは許せない、というその分岐点です。
この分岐点をしっかりと相手に伝えることです。
しかし、その時にかたくなな姿勢ではいけません。
柔軟な姿勢を持ちながら、要求すべきはきっぱりと要求することです。
基本的に、次のような姿勢を守ることです。
・相手をやっつけようとしたり、復讐しようとするのではなく、問題を解決しようとする姿勢を保つ。
・自分と異なった考え方や感じ方があることを受け入れる。
・今回の問題に絞り、これまでのいろんな問題点を持ち出すようなことをしない。
感情的になってしまう恐れがあるとか、一人で対処するのが難しい場合は、精神的な盾になってもらえる人に同席を頼むことです。
また、面と向かって言う事が困難ならば、手紙や電話、メール、あるいは第三者を介して伝える方法も考えます。
対峙することは、今後の繰り返しを避けるためであり、また、自分の力を取り戻すためでもあります。
したがって、相手が変わる可能性がない場合、また、逆に返り討ちにあうようなら、むしろ関わりあわない方が賢明です。
そして、次に述べるように「過去のことと割り切る」工夫をすることです。
過去のことと割り切る
取り返しのつかないことであれば、それは済んだこととして、処理するしかありません。
そのことでいつまでもくよくよしていても無駄なだけです。
さっさと、今現在の行動に移ることです。
今現在必要なことに、心を向けるだけです。
心理療法では、「過去と他人は変えられない。変えられるのは、自分と未来だ」と、よくいいます。
過去に束縛されて生きるのか、それとも、現在と未来を満足できるように努力して生きるのか。
後者しかありえません。
先にも述べたように、過去のことは「許しなさい」と教える宗教があります。
また、そう助言する人がいます。
ひどいことをされても、「許せる」人がいるのかもしれません。
それができる人は、その教えや助言に従うのがいいでしょう。
しかし、心の狭い人にはとてもできません。
ひどいことをされたら、相手に対して憎しみが残るのは当たり前としか思えません。
「許さなければ」と考えるのではなく、「許せないのは当たり前」。そう思うほうが楽で、自然なことのように思います。
しかし、憎しみを持続し、復讐を誓っていきていることは、相手に自分の心と人生を握られていることです。
こんな状態は、早く切り捨てた方が賢明です。
とは言っても、そう簡単に切り捨てられるものではありません。
こうしたとき、二つの方法があります。
一つの方法は、儀式によって心の区切りをつけようとすることです。
これは、いわば傷つきの卒業式をすることです。
たとえば、思い切って羽目を外したり、ちょっとしたリフレッシュ行動をしたりして、「もう、これで終わりにする」「これでもう考えない」と決意することです。
しかし、決意しても簡単に切り捨てられないのが外傷体験です。
時にふと思い出して憎しみが湧くことがあります。
そのときは、とにかく割り切るしかありません。
「もう、済んだこと」
「過去のこと」
「大事なのは今」
こうしたセルフ・ステートメントで割り切ります。
大事なのは、今の自分の人生を楽しく、充実した、豊かなものにすることです。
そのためには、多少の心のわだかまりはそれとして割り切って、むしろいっそうの自己実現へと心と行動を向けることです。