性質を抱えて生きる

内気さの基礎は素質

人と会うと緊張してしまい、心理的負担を感じてしまう自分の心は、養育に原因があると考えていませんか。

たしかに一昔前は、性格は全面的に養育によってつくられると考えられていました。

しかし、現在の科学的結論は、むしろ生まれつきの素質が基礎にあるという考えが優勢なのです。

このことは、養育環境が性格を作ると考えられていた1970年代に、著名な発達心理学者のジェローム・ケーガンによってすでに指摘されていたことでした。

たとえば、生後四ヵ月の赤ん坊に見たことのないおもちゃなどを見せると、大喜びする赤ん坊がいる一方、恐がり、泣き出す赤ん坊もいます。

そうした恐がりな赤ん坊は20%ほどですが、彼らは一歳になっても、二歳になっても恐がりのままだということがわかりました。

また、二歳頃に内気と判定された幼児は、四年後も三分の二は内気なままであり、20代になっても三分の一は内気なままにとどまっていました。

こうした内気な子どもは、内気でない子どもと比較すると、ふだんでもコルチゾール濃度が高く、脳内にノンエピネフリンの分泌量が多いなど、神経が高ぶって緊張していることが分かりました。

見知らない場面に置かれると、瞳孔が素早く膨張し、声帯が緊張して声が高くなり、もともと早い心拍数が平常に戻るのに時間がかかるということも明らかになりました。

こうしたことから、内気さは身体的な素質が基礎になっていると考えられるのです。

このことは、行動遺伝学によっても裏付けられており、たとえば、一万組の双生児のデータを分析した英国のティム・スペクター教授は、内気な性格は50%が遺伝の影響であり、家庭での育てられ方の影響は25%ほどであると結論しています。

そして、残り25%ほどが個人的体験の影響だということです。

以上のように、内気な性格は基本的には素質によって規定されており、内気な人が外向的になろうとしても、そう簡単ではないのです。

先の研究でも、幼い時期に内気と判定された子どもの中で、その後典型的な外向性と判定された例はなかったということです。

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素質イコール運命ではない

とはいえ、遺伝子は可能性の設計図であって、運命を決めるものではありません。

遺伝子を持っていることと、その遺伝子の設計図が実際のものになることとは別なのです。

自分の持っている遺伝子が発現するかどうかは、やはり環境に依存するのです。

そして、そのメカニズムの一端も解明されています。

たとえば、環境によりメチル化やアセチル化などの現象が生じて、遺伝子が働かなくなるということがわかってきました。

先に述べた研究でも、二十代になると内気な幼児だった人のうちの三分の二は、もはや典型的な内気とは判定されませんでした。

そこで、これら内気と判定されなくなった子どもを調べてみると、とくに母親の接し方が関係していることが分かりました。

子どもが内気で怖がりだと、母親は子どもを過度に保護しがちです。

ところが、これら内気を克服した子どもの母親は、少しずつ外界に慣れるようにと子どもを導いていたのでした。

ところで、こうした内気を克服した人の脳をMRIで調べてみると、扁桃体が過敏に反応するという内気な人の特徴はなお残っていました。

このことから、身体的には内気な特質のままなのですが、大脳皮質の働きによって内気さを克服したのだと考えられるのです。

つまり、外界への適切な対処の仕方を身につけることによって、内気さを乗り越えたということです。

人間関係に敏感な人は、その性質を抱えながら生きていかざるをえないのであり、自分で自分を外界に導き出してあげなければなりません。

そのなかで適切な対処の仕方を身につけて、外界になじんでしまうことです。

そのためには、今の自分を受け入れて、その自分を素直に表現していくことが、最短かつもっとも平坦な道なのです。