”感じ方の違いは育ちの歴史の違い”
あなたは朝起きて顔を洗う。
しかし、あなたは固有の存在として顔を洗っていることに気が付いていない。
幼い頃に、朝起きると顔をきちんと洗わされていた人がいる。
大人になればそういう習慣を身に着けている。
そういう人が顔を洗うのと、そういう習慣を身に着けることなく育ってしまったあなたが顔を洗うのとでは、同じ顔を洗っていても違うのである。
ある人は、顔を洗うのに「気持ちいいなー」と思うし、別の人は「めんどくさいなー」と思う。「気持ちいいなー」と思う人は顔を洗いたいし、「めんどくさいなー」と思う人は顔を洗いたくない。
同じ顔を洗うのでも、洗いたくないのに洗っている人と、洗いたくて洗っている人とがいる。
そしてその違いは、その人の育ちの歴史の違いなのである。
愛されて育った子は、顔を洗うのに「気持ちいいなー」と思う。
五感を教えられているからである。
しかし、見捨てられる恐怖で育った子は、顔を洗うのは億劫である。
「面倒くさいなー」と思う。
「気持ちいいなー」という五感を教えられていないからだ。
朝起きて顔を洗うということのなかに、すでに「固有のあなた」がいるのである。
努力して生きてきたのに自分に自信のない人は、誰でも同じに顔を洗っていると思っている。
それが違うのだと気が付けば、自信ができる。
夜寝る時も同じである。
寝る前にお風呂に入りたいと思う人と、入るのが面倒くさいと思う人とがいる。
お風呂に入りたいと思う人は、親が幼い頃から気持ちよさを味わわせている。
そして、そういうことをする習慣が身についている。
そういう習慣が身についていない神経症的傾向の強い人は、どうしてもお風呂に入るのを億劫がる。
外側はお風呂に入るという同じ行動をしていても、心の世界では全く違ったことをしているのである。
そして、寝る時も同じである。
実存分析で名高いフランクルのいう「過剰なる意図」を持って、必死に寝ようとしている人もいる。
ベッドにはいったらすぐに寝付こうというのは、睡眠への執着である。
また、ベッドの上で何も考えないでボーっとしている人もいる。
そして、気がついたら寝ている。
寝ている間も睡眠の内容は人によって違う。
ある人は怖い夢ばかり見て、眠りは浅い。
ある人は朝まで熟睡してしまう。
夢ばかり見ている多夢状態はストレスがあるのだろう。
朝起きてから夜寝つくまで、そして睡眠中も、実はすべての言動の後ろに「あなた」がいる。
心の世界を視野に入れて考えれば、すべての言動があなた固有の言動なのである。
対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、あなた固有の言動を大切にすることである。