我慢と忘れる対処が感情を悪化させる

我慢と忘れる対処

我慢は苦しい。

すると人は、今度はそのことを「忘れてしまう」という手段をとる。

というのも、我慢では、どうしても先行する感情のつらさと、我慢のつらさの二つが意識されてしまうが、そもそもの感情を、いや出来事そのものをなかったことにしてしまえば、我慢の必要もなくなり、かなり穏やかに過ごせるようになるからだ。

つらいことがあっても、それを引きずらずに日常生活を送れることは、社会人には必要なスキルだ。

だから、我慢と並んで(併せて)「忘れてしまう」対処も、子どもの頃から多くの人が鍛えてきたものだ。

忘れる対処には、いくつかのバリエーションがある。

力ずくで思い出さないようにする方法。

楽しいことに集中して、その間は忘れてしまう方法。

さらには、わざと忙しくて思い出す余裕を消す方法・・・。

あなたにも、得意なパターンがあるはずだ。

「忘れてしまう対処」は、問題に伴う苦しさや過度のエネルギー消費を、根本的に低減してくれるかなり優れものの対人スキルである。

このスキルが最もその威力を発揮するのは、期間限定のトラブルの時だ。

忘れているうちに、原因となった問題が解決したり、終了したり、風化してしまう。

すると、結果的にずっと穏やかに過ごせてしまう。

例えば、ある試験を受験しようか悩んでいたとする。

しかし日常の忙しさにかまけて、忘れているうちに、その試験の申し込みが終わっていた。

結果的に受験に対する葛藤を感じずに済んだ。

あるいは、失恋したが旅に出ているうちに忘れることもあるし、健康診断で指摘された体の不調についても、忘れてしまっているうちは、余計な不安を感じなくて済む。

そのうち次の年の検診がやってくる。

対人関係で悩む現代人は、人間関係トラブルについても、この忘れる対処を多用するようだ。

ただ、我慢と忘れる対処だけに頼ると、逆にトラブルが大きくなったり、いつまでも引きずったりしてしまうことがある。

忘れる対処はどこがダメなのか

我慢と同じように、「忘れる対処」の問題も、複雑に絡み合っている。

一つ目は、忘れてしまっていると、現実的な問題にまったく対処しなくなってしまうことだ。

例えば、先の検診の例。

体の不調を示すデータが指摘されたのに、不安だからといって忘れてしまうと、確かに当面は穏やかに過ごせる。

運良く次の年まで何もなければいい。

しかし、もしそれで病気が悪化したらどうなるだろう。

あるいは、どうしても受けなければならない試験のことを、直前まで忘れてしまうこともできる。

でも、やはり試験は受けなければならない。

このように問題そのものが残っている場合、忘れているうちは実感がないが、心の奥底で、「このままでいいのだろうか」という不安が立ち上がっている。

忘れるという対処は、確かに一つの方法だが、原始人システムは、最終的に命を守ろうとするので、意識されない危険性にも、警戒をしてくれているのだ。

人間関係トラブルも、時間が解決する場合より、危険性が継続する場合が多い。

だから、忘れる対処を取っていても、バックヤードで常に警戒の感情は消えていないのだ。

例えば、B君が同僚のC君と仕事のやり方をめぐって、口論をしてしまったとしよう。

ささいなことがきっかけだったが、売り言葉に買い言葉、かなり大声を出して言い争ってしまった。

上司に諭されて、なんとかその場は収まったが、その日は腹が立って仕方なかった。

仕事の後、他の仲間たちを誘って飲みに行き、サッカーの話で盛り上がっているうち、彼のことは忘れることができた。

ところが家に帰ったら、昼間のケンカのシーンが思い出される。

やはりどう考えても、C君のやり方、言い方は気に入らない。

ここで、感情の強さを3段階に区分して考えている。

1.「危機対処」段階(3倍反応モード)
2.「警戒」段階(2倍反応モード)
3.「予防」段階(通常反応モード)

C君との口論で熱くなっている時は、1.「危機対処」段階。

原始人的には身近にある危険に、素早く対処しなければならない状況。

理性的に考えている暇はない、瞬発力勝負のモード。

小さな刺激にも、大きく反応してしまう。

はじめは小さなことだったのに、口論しているうちに、「危機対処」段階に上がってしまった。

こうなると、「ひとこと」が通常の3倍危険に感じ、3倍の激しさで反応してしまう。

結局売り言葉に買い言葉。

余計な一言を言ってしまったのだ。

さて、悶々としながらも、何とか一晩寝て少し落ち着いたB君。

出社しても、いつものように周囲と接していた。

ところが、C君に「おい」と呼ばれた。

その瞬間に、ムカッとする。

「おい、とはなんだ。失礼だな」

実は、B君はまだ2の「警戒」段階にあるのだ。

このレベルではいつもより2倍大きく反応してしまう。

原始人的に考えると、何らかの危機に遭遇し、いったん1.「危機対処」段階に達したなら、しばらくの間は、例えば猛獣や自然の驚異、命を担う他部族などが近くにいる前提で、警戒を続けなければならない。

それが2の「警戒」段階だ。

この状態で、身の周りをしっかり観察し、しばらく何も起こらず、危機は過ぎ去ったと感じる過程で、警戒レベルは少しずつ下がり、3の「予防」段階に落ち着いていく。これが自然な感情の収まり方のプロセスである。

さて、B君は、C君の言葉に過剰反応したものの、職場の雰囲気も考慮し、ぐっと言葉を飲み込み、平静を装った。

それで何とかその場をしのぎ、あとは仕事に集中した。

たまに思い出しても、「小さいことは気にしない」と自分に言い聞かせた。

「我慢」と「忘れる」対処で、その後数日はうまくいった。

しかし一週間後、またC君が「おい」と声をかけてきたのだ。

今回は、それが妙に引っかかった。

これまで我慢していた分も手伝って、「お前に、『おい』呼ばわりされる筋合いはないんだけど」と、すごんでしまった。

相手もすぐに応酬し、結局、前回より大事になってしまったのだ。

実は、「忘れる対処」をしてしまうと、2の「警戒」段階が続いてしまう。

というのも、先に紹介したように「現実問題への対処の保留」により、無意識がなんとなくの警戒を続けてしまうからだ。

また、忘れるということは、現実的な情報収集をしないということであり、用心深い原始人はよく観察していない段階で、警戒レベルを下げるわけにはいかないのだ。

B君は、忘れる対処で、1の「危機対処」段階にはうまく対処できた。

ところが、結局2の「警戒」段階をずっと続けてしまっていた。

当然、刺激へも2倍で反応してしまう。

だから結果的に、小さなことで爆発してしまったのだ。

忘れる対処も疲れる

B君が爆発してしまったのは、刺激が2倍に感じられたことだけが原因ではない。

それまでの我慢で負担感が大きくなっていた、つまり、「疲れて」きていた。

我慢すると疲れ、疲れると我慢できなくなるという例のサイクルに陥っていたのだ。

「忘れる」という作業も、かなりエネルギーを消耗する行為だ。

まずその前の「我慢」の時点で、通常の労働の3倍のエネルギーを消費している。

それに加え、2段階で刺激を感じるたびに、それを力ずくで意識から外さなければならない。

さらに、飲み会やおしゃべりなど、楽しいことで気を紛らわせたとしても、その楽しいこと自体に、エネルギーを使っていることには変わりがない。

「B君は忘れる対処をしていたとはいえ、本当に、完全に忘れたわけではない。

ちらちらと思い出していたし、だからこそ意識的にそれを追い出す必要があった。

だから疲れたのだ。

完全に忘れていれば、疲れないのでは・・・」という意見もあるだろう。

ところが本当に上手に忘れても、周囲の危険性に対し、無意識はひそかに、かなりのエネルギーを使いながら警戒している。

最近の脳科学データによると、人の脳は、体重の2%の重さしかないのに、体が消費する全エネルギーの20%を使用しているそうだ。

そのうち、60~80%は、「デフォルト・モード・ネットワーク」という脳回路に使われている。

この回路は、脳が意識的な活動をしていない時に働くベースライン活動のことで、コンピュータでいえばOSやウイルス対策ソフトの様なものである。

アプリを何も起動していなくても、コンピュータの中で動いているのだ。

コンピュータの活動を見てみると、そのような基本ソフトがかなり大きな容量を使用していることに驚く。

2の「警戒」段階でひそかに続く不安などの感情は、このデフォルト・モードの中で、大きなエネルギーを消費しているのだ。

忘れてしまって意識から消えても、原始人の脳は働き続け、私たちは、得体の知れない疲労感に覆われていく。

さらに、人間関係などでちょっとした「刺激」を受けるたびに、心だけでなく、体も反応し、緊張してしまう。

防衛記憶(恨み)が育っていく

C君との不仲が周囲にも明らかになってしまったB君。

C君と2人で上司に呼ばれ、かなり厳しい指導を受ける。

今後さらに職場の雰囲気を壊すようなら、異動も考えざるを得ないとまで言われてしまう。

B君も反省し、「忘れる対処」を強化し、その後はC君と表面的にはうまくやれている。

ところが内面では違うのだ。

潜在的な警戒心はまだなくならず、2の「警戒」段階のままだ。

B君の中では、C君の行動がいちいち気にかかり、気に障る。

それだけではない。

その状態は、B君の「記憶」にも大きな影響を与えているのだ。

C君のことが気になるたびに、以前のトラブルが思い出され、将来のもっと大きな衝突がイメージされてしまう。

それが夢に出てくることもある。

こうなると、「回数と時間」の原始人メカニズムの影響で、「C君は危険な人、つまり敵」として強く認識されていってしまう。

嫌なイメージだけが反復学習され記憶として強化されていく。

私はこれを、原始人的には自分を防衛するための記憶なので、「防衛記憶」と呼んでいる。

しかし実感としては、「恨みの記憶」だ。

本当に、命を脅かすような敵なら、その敵をしっかり記憶にとどめるのは意味のあることだ。

しかし、現実はどうだろう。

C君とのトラブルは2回あっただけ。

その後直接的な攻撃はない。

現実に相手は何もしていないのに、自分の中だけでどんどん相手を嫌悪し、敵としての記憶を鮮明にしていくのだ。

忘れてしまう対処は、自分の中で恨みを勝手に大きく育ててしまう傾向にある。

その結果、再び爆発した時には、これまで育てた「恨み」を載せての爆発になってしまうのだ。

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自信の低下の悪循環が続く

上司の指導を受け、一見、平静に仕事をしているB君。

実は会社を辞めようかと考え始めている。

一番の原因は、もちろんC君のことだ。

現実では、ケンカの後、C君は普通に過ごしている。

しかし、B君にとってC君は「ケンカをしてしまった理性的ではない自分」や「いつまでもモヤモヤしている自分」、つまり「ダメな自分」を思い出させる対象となっている。

C君が平気で談笑している姿などを見るたび、「期待と比較」で、さらに自分を責めることになる。

「自信の低下→警戒心の増加」のサイクルは、次第に周囲の人に対する評価も変えてくる。

まずは上司。「Cが悪いのに、上司は喧嘩両成敗だという。本当は上司はCの味方で、自分のことを嫌っているのではないか」と考えてしまう。

そうすると、仕事を一生懸命やる意味も薄らいできた。

他の同僚もそうだ。

もしB君が誰かに今回の件を気軽に相談できれば、「少なくともこの人は理解してくれている」という実感を持つことができる。

自分のことをわかってくれる味方が1人でもいると、周囲に対する警戒心はかなり緩むものだ。

ところがB君は、同僚と飲んでもサッカーの話しかしない。

「嫌なことを相談したら気分が悪くなるだけ、今は楽しく過ごしたい」と思っている。

典型的な忘れる対処しか対応ツールを持っていないのだ。

実際、これまで嫌なことがあっても、他人に相談したことなどない。

弱みを見せたくないという思いもあるし、相談しても、状況が変わるわけではないしと考えている。

警戒心が高まって、B君の勝手なイメージはどんどん増殖していく。

例えば、友人たちがC君と談笑している姿を見て、「あいつらもサッカーの時だけは仲間のふりをしているが、本当は何を考えているのか分からない。

結局裏でCとつるんでいるのではないか」と勘ぐってしまう。

気づいたら、職場は敵だらけになっていた。

こうして、結果的に敏感な状態が続くと、当然何もない時に比べ非常に大きなエネルギーを使いながら日々を過ごすことになり、疲労の第三段階に陥ってくる。

いわゆる「うつっぽい」状態だ。

そうなると、対人トラブルだけでなく、集中力や意欲の低下が起こり、ミスが多発する。

体調も崩れがちで、一気に世の中が「暗い」イメージになる。

すると、「自分はこの会社でやっかいものになっている」などと考え始めてしまうのだ。

元気な時や若い時には、もともと持っているエネルギー量が大きいから、まだ持ちこたえられる。

しかし、体調が悪かったり、年齢を重ねたりしてエネルギーの基本量が減っている場合、ここで紹介したサイクルは、ほんの数ヵ月で顕著になる。

更年期で、基本的なエネルギーが減っている場合も、症状としてのイライラが、うつっぽく発展しやすい。

また、昨今、怒りっぽくキレてしまう「暴走老人」が話題になるが、これも、歳を取りエネルギーが低下しているところに、社会から離れていることで自信低下が重なり、イライラが抑えられなくなっているのだ。

■参考記事
喧嘩できない人が本音を言うチャンス

人間関係の疲れはどのように改善できるか

さて、ここまで現代の人間関係がなぜ疲労を深めているのか、そのメカニズムを説明してきた。

しかし、いくら現代に特有の疲れだからといって、便利な生活もインターネットもやめるわけにはいかない。

また、これまで鍛えてきた「我慢」や「忘れる対処」をすべて放棄して、アドラーの主張のように、自己責任で自分の欲求に素直になることも、理屈では理解できても、現実にはかなり難しい、いやできそうもない。

少しでも私たちが人間関係の疲れを軽減するために、できることは何だろうか。

現実的に「変えられること」を挙げてみよう。

関連記事

疲労そのものをケア

B君は、C君の件がきっかけで、人間関係に疲れ果ててしまった。

本人の意識では、すべての原因が、C君にあると考えているだろう。

C君とのトラブルがなければ、上司とも気まずくならないし、会社を辞めようとも思わなかったはずだ。

この思考では、C君を何とかしない限り、今の苦しさから逃れるすべはない。

カウンセリングで人間関係の問題を打ち明ける人のほとんどが、B君のような思考に陥っている。

そんな時、まずは一通りしっかりクライアントの話を聞く。

C君や上司や同僚や会社への不満にも「その通りだ」とうなずきながら、肯定する。

そうすると「わかってくれる人」の存在により、クライアントの原始人てき警戒心が少し落ち着くのだ。

そこで初めて、理性的な会話ができるようになる。

多少落ち着いたB君に私は、「確かにC君の事件が発端だよね。ただ、C君を変えられると思いますか」と質問してみる。

「難しいと思います」というB君。

「そうですよね。仮にC君が変わるとしても、あなたの毎日の気分や人生の大きな選択が彼にかかっているとすれば、それは彼に主導権を握られているということですよね。

それは、彼に振り回されていることになりませんか」

「振り回されていますよ、実際。

でも、どうしたらいいんですか」と少しキレ気味のB君。

「大丈夫です。彼に振り回されず、あなたが自分の人生に主体的にかかわる方法があるんです。

それは、自分の疲れをケアすることです」。

人は、疲れていると許容範囲が小さくなり、他人との少しの差を受け入れられなくなること。

いったん対人トラブルが生じると、大きなエネルギーを消耗すること。

それ以上の消耗や現実的トラブルを避けるため、「我慢」と「忘れる」対処で過ごすが、結局、2の「警戒」階段が維持され、小さなことで暴発してしまう。

そんな体験で少しずつ「自信」がなくなると、さらに外界を警戒してしまい、疲れが増加するという悪循環に陥ること。

「さて、このサイクルの中で、君がコントロールできるのは?」と聞くと、「そうですね、疲れをとることです」とB君。でも不服そうだ。

怒りは、相手を攻撃する感情。

この感情がオンになっている時は、相手を攻撃することだけを考えている。

また比較のプログラムも敏感になっているので、このトラブルのために、自分だけが何かの努力をする(つまりエネルギーを使う)ことへの強い抵抗感を持つのが普通だ。

さらに、疲労と言われても、自分が疲労している実感がない人が多い。

だが、積み重なるほどに、自覚しにくくなっていくのが疲労だ。

肩こりを放置していると、いつのまにか肩こりを感じなくなるのと同じで、継続的なつらさを感じなくする、つまりマヒさせてしまうシステムが、人には備わっている。

また、単純な労働による肉体の疲れだけではなく、頭脳や感情といった「心の疲れ」は、現代人にとっては根深いものがある。

本当は疲れているのに、自覚できずに、蓄積疲労が段階的に進行、ある日うつ状態に陥ってしまうケースがとても増えている。

疲れ果てて、感情が波立っている人に、完全な理解を求めるのはむずかしいが、現実の対人トラブルを拡大させないためにも、まずは疲労そのものをケアすることが重要だ。