礼儀は一対一の関係と考える

「ありがとう」は嬉しい言葉

目上の人に礼をいわれると、わたしたちはくすぐったいような、晴れがましいような、とてもいい気分になります。

たとえば上司に頼まれていた資料を届けて、はっきりとひとこと、「ありがとう」といわれたようなときです。

依頼された資料を提出するのは、仕事の一部分ですから、黙って頷かれても文句はいえません。

「そこに置いてくれ」とデスクのスペースを示されても、指示に従うしかありません。

けれども「ありがとう」といわれると、その上司の誠実さが伝わってきます。

自分の立場にふんぞり返らないで、部下にきちんと応対してくれるのがわかるからです。

それは、こちらをちゃんと認めてくれたということです。

「仕事だから当然だ」ではなく、部下と一対一で向き合っている姿勢が伝わってくるのです。

礼儀の基本は一対一の関係にあります。

相手が上司や目上の人間なら、だれでも礼儀を守ることを心がけます。

失礼のないようにふるまって当然です。

けれどもしばしば、部下や目下の人間に対しては、礼儀を忘れます。

自分の優位性を押しつけてしまいます。

そしてどちらの場合も、忘れているのは一対一の関係です。

社会や組織の上下関係をそのまま当てはめてしまって、相手も自分も一人の人間でしかないという気持ちをどこかに忘れてしまうのです。

こういう場合はどう振る舞うかなど迷わずに済む

礼儀の基本は一対一の関係だと気がつけば、むずかしいことは何もありません。

よく「礼儀といってもケースバイケースだから、どうふるまえばいいのか迷うことがある」という人がいますが、ケースバイケースを考えるから迷うのでしょう。

たとえば「目上の人と向き合うときと、目下の人と向き合うとき」とか、「親しい人と、初対面の人」とか、「改まった席と気楽な席」といったように、状況で礼儀を使い分けようとしても混乱するだけです。

それよりも、自分がいままでに接したなかで、「この人は気持ちがいいな」と感じた人を思い出してみてください。

そういう人たちの態度やふるまいのなかにきっと共通点があります。

それが、一対一の関係を大事にしてくれるということです。

たとえばこちらが上司も含めて複数の人がいて、相手が一人の場合です。

そういう席でも、あなたと話すときにはあなたと向き合ってくれ、ほかのだれかと話すときにはその人と向き合ってくれたはずです。

少なくとも、あなたのことばを無視して上司とだけ向き合うような態度は取らなかったはずです。

じつに明快な態度です。

そして、一対一の関係を大事にするだけでいいとわかれば、態度もふるまいも迷うことはありません。

いま向き合っている人と、ていねいに接するだけでいいのです。

礼儀を守るのは相手を不快にさせないためですから、それ以上むずかしく考える必要はありません。

「こんな奴に」と思ったとき礼儀を忘れる

争う気持ちは「負けるわけにはいかない」とか「なめられてたまるか」といった、相手への対抗心から生まれてきます。

とくに、ふだんから気の合わない人とか、自分のほうが立場や能力が上だと思っている人に対して、この対抗心が生まれてきます。

たとえば部下にこちらのミスや勘違いを指摘されたときです。

自分の立場や面子にこだわる人ほどつい感情的になってしまうことがありますから、「恥をかかされた」とか偉そうだ」と腹を立てたりするのです。

こういった感情はおそらく、争いの嫌いな人にも生まれてくるでしょう。

腹を立てるまでいかなくても、「いちいちうるさいやつだな」と感じるはずです。

けれども、そういうときに礼儀を軽んじない気持ちを取り戻せるかどうか、そこが大事な問題になってきます。

もし、こちらのミスや勘違いを指摘した部下に腹を立てて、そのことばを無視したり、にらみつけるような態度を取ってしまうと、これは一対一の関係を踏みにじったことになります。

向こうは気がついたことをこちらに伝えてきたのですから、せめてそのことばを受け止めるのが礼儀になるからです。

すると、「あ、そうか」とか「うん、わかった」という返事ぐらいはできます。

その返事ができれば、十分でしょう。

一対一の関係を踏みにじらなかったことになるからです。

少なくとも相手は、自分のことばをちゃんと受け止めてもらったことでホッとするはずです。

もし、腹立ちまぎれに「話の途中だ」とか「いちいちうるさい」といったことばを返してしまうと、上下関係が露骨になってしまいます。

相手は一瞬で立場の弱い部下に戻ってしまうのです。

つき合いづらい相手には「この人も大変だな」と思って向き合う

もう一つ、「争うのが嫌いな人」でもここまでに説明した礼儀を忘れてしまうときがあります。

これもよくあることなのですが、相手がやたら高圧的な態度を取るときです。

部下に対して最初から威圧的な態度を取る上司とか、人の話を聞かないですぐに自分の自慢を始めるような同僚です。

そういった、ことあるごとに自分の優位性を示そうとする人というのも、争いの嫌いな人にとっては苦手なはずです。

もちろん、だれにとってもつき合いにくい相手には違いないのですが、そういう相手につい口答えしたり、張り合ってみたところで、強く出られない性格の人は最後はやり込められてしまいます。

すると、「なんであんなやつとまともにぶつかってしまったんだろう」と後悔することになります。

「マイペースな人」にとって、自分が腹を立てなくてもいいところでつい怒ってしまったというのは、ペースを乱された気がして悔いが残るのです。

そこで、高圧的な相手と向かい合ったときには、「この人は一対一の関係が苦手なのだ」と思ってください。
肩書きや経験や実績といった後ろ盾をなくしてしまうと、不安になる人なのだと考えてください。

それによって、高圧的になる態度もわかってきます。

「なるほど、この人も大変なんだなあ」と思えるようになります。

それが性格的なものなのか、あるいは自信のなさの裏返しなのかわかりませんが、他人と一対一で向き合うのが苦手な人間なのは事実です。

だから、基本的な礼儀を忘れてしまうのです。

出会いにパフォーマンスはいらない

人間関係というのは、職場のように複雑な上下関係や利害関係が絡み合えばむずかしくなりますが、一対一になってしまえばかんたんです。

たとえばほかの人間がいるときには取り繕う上司でも、一対一になれば気さくに接してくれるというのなら、あなたとその上司の間にはなんのわだかまりも生まれないはずです。

そういった、一対一ならおたがいに相手を尊重して付き合える人間関係さえあれば、何も問題はありません。

その意味では、「自分は自分、人は人」という人のほうが周囲にリラックスした関係を築けます。

なぜなら本来、一対一の関係を大事にできる人だからです。

立場や上下関係にこだわらず、そのとき目の前にいる人間ときちんと向き合う人なのです。

そのかわり、人を押しのけてまでだれかの前に立とうとはしませんから、あくまで受け身の人間関係になります。

その受け身の人間関係を実らせるのが、「自分は自分、人は人」という人ではないでしょうか。

偶然の出会いや、仕事上の顔合わせであっても、きちんと相手に向き合えるからです。

出会いの数が少なくても、その都度、相手の印象に残る人なら幸せです。

礼儀を守る人は印象として地味であったとしても、心地よさを残してくれるから素敵なのです。

争い好きな人はここでも勘違いを犯します。

他人を押しのけても印象に残る人間であろうとしますから、自己主張をしたり、必死で自分を売り込んだりします。

それによってたしかにその場の印象は強くなるかもしれませんが、自分を売り込むってどういうことでしょうか?

自分の能力やセンスを見せびらかしたり、受け狙いのパフォーマンスを演じることですね。

自分が主役になろうとすることです。これが礼儀を忘れた態度です。

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聞き上手な人は、礼儀正しい

どういう仕事、どういう立場であっても、わたしたちはまず相手の話をきちんと聞くことを求められます。

一番偉い人、たとえば企業のトップを務めるような人であっても、重要な会議や新しい事業に乗り出すときには、役員や部下、あるいは技術者の意見を余さず聞き届けようとします。

現パナソニックの創業者、松下幸之助も聞き役として徹底していたといいます。

たとえば新製品の開発に踏み切るときには担当技術者にそのメリットや将来性を納得がいくまで説明させ、それでも不満なときには直接、大学や研究所にいる第一線の研究者からレクチャーを受けて、そこで得た知識をこんどは自社の技術者にぶつけたそうです。

つまり、自分の意見や判断をもち出す前に、まず聞く作業に専念したのです。

この聞く作業に時間を割けば割くほど、トップが下した判断は部下を納得させることができます。

ろくに話も聞かないで自分の判断を押しつければ部下は不満を持ちますが、十分に自分たちの話を聞いてもらえれば、たとえ望む結論が出なくても自分たちの意見がわかってもらえたことで満足できるからです。

「マイペースの人」は、この聞く作業をそれほど苦にしません。

礼儀正しく相手と向き合うときには、自分の意見を押しつけるよりまず聞く態度を取るからです。

したがって周りの人には聞き上手の印象を与えます。

すると、この人の判断や行動も理解されやすいのです。

たとえ相手の意見に同調しなくても、「この人にはひとまずわかってもらえた」と思ってもらえるからです。

自分を強く主張しなくても、他人に理解してもらえるという不思議な技術が聞き上手なのです。