自分の意見を通すために闘う

”自分の意見を通すために闘う”

今までは、人の期待に応えるためのストレスであった。
人の期待に沿うようなことをするために必死だった、無理をしていた。
それはたいへんなストレスである。

今までは、人の好意を得て、その好意で自分を守ろうとしていた。
つまり、守ってもらおうとしていた。
その為のストレスである。

しかし、自立性を獲得し始めた時には、それは自分の意見を述べるストレスであり、自分の意見を通すストレスである。
不本意ながら屈服してしまわないところから生じてくるストレスである。

今までは、人に迎合することで、好意を得て生き延びようとした。
その為の闘いである。

しかし、自立性を獲得するということは、人の好意を得るために闘うのではなく、自分の意見を通すために闘うのである。

したがって、結果がどうであれ誰も恨まない。
今までは、「これだけ協力したのに、これはひどい」とか「これだけあの人の為に頑張ったのに、あの人は冷たい」などという恨みの気持ちになった。

言ってみれば、依存性の時期には、することは全て「賄賂」であった。
これだけのことをあなたにしたのだから、「あなたはこれだけのことを私にしてくれるでしょうね」というものであった。
そして、期待するものが得られないときには相手を恨んだ。

しかし、自立性の心理状態になると、することはすべて自分のためである。
だから何事も、「自分がしたいからしたのだ」となる。
誰に何をしてあげようと、恩に着せる筋合いのものではない。

自立性を獲得すると、まず恩着せがましくなくなる。次に人を以前に比べて恨まなくなる。
結果として人間関係はうまくいくようになる。

自立性は生きる土台である。

相手に合わせて生きていけば、一見その時その時は人間関係は上手くいっているように見える。
しかし、それは土台のない生き方であるから、いつかノイローゼというかたちで崩壊する。