自己中心的で周囲を惑わすような人は、自信があり、自尊心が高く、いかにも自己価値感があるように受け取られます。
しかし、実際はその反対で、自己中心的行動も無価値感を補うための虚勢にすぎないことが多いのです。
その証拠に、こうした人は、自分が他の人からどう思われているかをひどく気にします。
価値ある人間と思われているか、重要な人物と思われているか、有能な人間と思われているか、そのことをつねに意識していて、そうでないとわかると、いちじるしく感情を害してしまいます。
次に述べるA子の一見自信ありげな行動は、揺らぎがちな自己価値感を必死に維持しようとする姿として理解されます。
自己中心的な人【A子の事例】-自慢と誇張に満ちた言動
A子は二十代後半のOLです。
入社時から積極的で目立つ存在でした。
配属された課でも、ただ指示をうけて働くのではなく、率先して仕事をこなし、上司の評判も悪くありませんでした。
ところが、大きな失敗をしたわけでもないのに、一年もたたないうちに、課のなかで煙たがられるようになり、いまでは、社内でほとんど孤立状態です。
本人は、まわりの人間が自分に意地悪をしていると思っています。
しかし、実際は周囲の人は腫れ物に触るようにA子に気を遣って接しているのです。
A子には学生時代からこうした傾向がありました。
学園祭の実行委員やクラス委員に立候補し、本人は一所懸命やるのですが、しばらくすると人間関係でつまずいてしまうのです。
その原因は、リーダーとして全体を配慮する十分な力がないのにリーダーシップをとりたがり、自分の意見を押し通そうとするためです。
自分に無条件に従うよう求めるので、他のメンバーが離れていってしまうのです。
そうした自分の側の非を認めず、「他の人が強力してくれない」「他の人が指示通りに動いてくれない」などと、愚痴を言ってまわります。
これがメンバーの耳に入って、いっそう関係が悪化してしまいます。
A子の話は自慢と誇張に満ちています。
子どもの頃、絵画展で金賞をとったこと、ダンスのコンクールで優勝したこと、テレビにも大きく取り上げられたこと、母親の実家が有名な資産家であることなどです。
周囲の人は、最初はおもしろがって聞くのですが、繰り返し聞かされるので、いやになってしまいます。
いまでは新入社員や新規のアルバイトの人たちが、彼女の標的になっています。
彼らは当初は面倒見のいい先輩としてA子を歓迎します。
しかし、ある程度その性格を知ると、適当に距離を置くようになります。
こうしたパターンが毎年のように繰り返されます。
会社の人を「だれだれさんは私の味方、だれだれさんは私を嫌っている人」と、まわりの人を敵と味方に分けてとらえます。
また、「〇〇さんにみんなちやほやしすぎる」とか、「〇〇さんは上司に取り入るのがうまい」などと、他の人を批判し、嫉妬をあらわにします。
A子はそのうちに会社を辞めてデザイナーになると言います。
あるコンテストで最終選考まで残ったとか、佳作になったとか自慢するのですが、会社の人でその作品を見た人はいません。
自己中心的【分析】-敗北感を埋めようとした母親
A子の父親は企業の役員を務め、現在は嘱託として勤務しています。
夫を受け入れない妻に心を閉ざし、家庭内別居のような状態です。
娘であるA子に対しても拒否的で、酔って暴言を吐くようなこともあります。
母親は一流企業に就職し、華やかなOL生活をしたのち、結婚して家庭に入りました。
兄弟や従兄弟が彼女の夫よりも高い地位についているので、自分の結婚が間違いであったと、後悔していて、いざとなれば裕福な親の援助を期待できるので、離婚を夢見ています。
その母親は、一人っ子のA子を自分の分身のように可愛がり、ピアノやバレエ、絵画や習字、英語など、いろいろな稽古事に通わせました。
小さい頃は、各種の大会で賞をもらって、勉強もできたので、母親の自慢の子でした。
しかし、小学校高学年頃から、A子の潜在能力のなさがしだいにはっきりしてくると、「あんたの成績ではお母さん恥ずかしくて」など、しだいに拒否的な言動を示すようになりました。
いまでは、「もっといい大学を出て、もっといい会社に入っていれば、いい結婚話もあったのでしょうけどね」などと口癖のように言うのです。
両親の結婚は比較的遅く、勝気な妻に対して七歳年上の夫が包容力を示していたので、結婚当初は安定した家庭生活でした。
夫には将来の昇進の可能性も見込まれていたし、何よりも美人で率直な感情表現をする母親の若やいだ雰囲気と行動が明るい家庭生活を作り出していたのです。
このために、A子の誕生した当時は暖かで豊かな家庭生活であり、彼女はこの家庭で歓迎されました。
多少病弱な傾向も、深い両親の愛と関心を得る作用を果たしました。
色白で、おしゃまな子どもであったので、
近所の人たちからも可愛がられました。
こうしたことのためにA子に基底的な自己価値感情がある程度は獲得されたものと推測されます。
しかし、両親の関係が十年もすると、しだいに悪化し、また、もともと母親の競争的性格のために、自分の夫が兄弟や従兄弟、友だちの主人に遅れをとってしまったことで、不満感や敗北感を募らせることになりました。
この敗北感を埋めるために、母親はA子に過度の期待をかけます。
A子が何度も泣きながらがんばったという稽古事。
しかし、それでもしだいに母親の要求に応えきれなくなり、母親の自慢の子どもから、失望の子どもへと転落してしまいます。
A子の内発的成長はしだいに歪められ、とにかく母親の意に添い、母親の機嫌を損ねず、母親を喜ばせようとする代償的な自我を発達させざるを得なかったのです。
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両親からの無条件の受容が奪われた子ども
「自己中心的性格は、幼い頃過度に甘えさせたためである」と主張する人がいますが、それは逆なのです。
十分な注目と賛辞のもとで育てられれば、過度にそれらを求めるようなことはありません。
十分な自己価値感があれば、他者による注目と賞賛によって自己を支える必要はありません。
この点で、たとえば、精神分析学者のコフートは、自己愛的性格は親からの安定性と一貫した応答の欠如によると述べています。
スイスの心理学者ミラーも、「ある人が憑かれたように愛を求めたり、『むやみに欲しがったり』するとしたら、それはいつでも、その人がかつて一度も手に入れたことのない何かを探し求めている証拠なので、子どもの頃あまりたくさん与えられていたためにその味を忘れられないでいるわけではないのである」(山下公子訳『魂の殺人』新曜社・1983年)と書いています。
成長の途中から両親の無条件の受容が奪われてしまうこと。
これは、幼い子どもにとって厳しい出来事で、とりわけA子のように、自我の強い母親の自慢の子どもから失望の子どもへの転落は、大きな精神的ショックを与えたものと思われます。
自己価値感を保持しようとしてA子は、母親に取り入るあらゆる努力を試みます。
それが母親の期待通りの「良い子」であり、また、過度のがんばりです。
しかし、母親からはその反応が得られず、そのために、他者に強迫的に注目と賛辞を求めることで心のバランスをとろうとするのです。
自分の能力とエネルギーを越えると思われるほど発揮される積極性は、自己の内発的な欲求ではなく、母親、そして周囲の人に注目と賞賛を求める強迫的な欲求の表現です。
自分を責める傾向の希薄さに見られるように、A子には罪責感よりも悲劇感が強く表われています。
おそらく早期に獲得された一定の基底的自己価値感のために、自己の存在そのものを否定的にとらえることよりも、親の賞賛の地位から滑り落ちたヒロインとしての悲劇的感覚になりやすいのだと思われます。
むろんこの自己価値感はすでに大きく揺り動かされています。
だからこそ、自慢により自己価値感を支えなければならないのであり、デザイナーになるなど空想のなかで自己価値感を補う試みもせざるを得ないのです。