「イラッとする」というのは、衝撃への反応とも言えるものです。
急いでいるときに「電車が止まる」というニュースを聞くことは、衝撃的でしょう。
「今日は台風だから電車が止まる可能性がある」と聞かされているときに電車がとまっても、「やっぱり」と思いますから、その衝撃度は低いでしょうが、一般に、人身事故で電車が止まるなどというのは、全く予期していなかったときに起こること。
「本来あるべき状態」からの逸脱が、無防備なときに起こるわけですから、もちろん衝撃をもたらします。
そんなふうに、「イラッとする」ときには、多かれ少なかれ、そこに何らかの衝撃的要素があるものです。
マナー関連のイライラが多いのは、それが衝撃と共に始まることが多いから、というのも一因です。
一般に、マナー関連のイライラは、「え?」と思うような相手の言動がきっかけとなるものです。
そして、「え?」と思うことは、一種の衝撃です。
マナー通りのことを完璧にできるかどうかは別として、皆が「できるだけ守るべき」という感覚を共有している、ということがマナーの暗黙の前提になっています。
ですから、仮にマナー通りにできない人がいたとしても、それを恥じている様子が見られれば、それほど衝撃は受けないものです。
しかし、「できるだけ守るべき」ことを平気で破る人を見ると、「なんて非常識なの!」「社会人としてあり得ない!」と衝撃を受けてしまうのです。
イライラは衝撃を受けたときの「症状」
衝撃は、ボディブローのようなもの。
人間の心身は、衝撃を受けると、「もう二度と衝撃を受けたくない」モードにシフトします。
これは生き物としての人間に備わった当然の防御反応であるとも言えます。
衝撃ばかり受けていたら、心身が持たないからです。
「もう二度と衝撃を受けたくない」モードの基本は、警戒態勢。
警戒していないと、いつまた衝撃を受けるかわからないからです。
そして、何であれ、自分の安全を脅かすものを排除したい、という思いは、ピリピリした状態を作ります。
普段だったら気にしないレベルの些細なことにも、警戒心が働きます。
つまり、イラッとしやすくなるのです。
「衝撃モード」は、相手を見る目を歪める
これは、いろいろな人やものを「自分に衝撃を与えるのではないか」というメガネで見るようになる、という現象だとも言えます。
「レッテル貼り」も、そんな現象の一つです。
「え?」と思うような言動をとる人を見て衝撃を受けると、「どうせこの人のことだから、またひどいことをするのだろう」「どうせこの人のことがから、心の中では違うことを考えているのだろう」というような思いを抱えるようになることが少なくありません。
「ひどい人」というレッテルを貼るようになるのです。
つまり、自分に衝撃を与えた人を「要警戒人物」として分類する、ということです。
これは、さらなる衝撃を避けるためにはある程度有効です。
常に警戒的な目で見ていれば、何かがあったときにも備えていられるからです。
しかし、そのような目を維持するのは、かなりのストレスにつながるものです。
ずっと警戒しているのも疲れますし、そんな目で相手を見ていると、実際には相手がそんなつもりで行動していなくても、ひどいことを企んでいるように見えるからです。
相手が善意でしてくれたことであっても「また自分を陥れようとした」「また事態を混乱させようとした」というふうに見てしまうのです。
もちろんそのたびにイラッとするでしょうし、「どうせこの人のことだから」という思いは、イライラという基本姿勢を作ります。
その人が何をしたわけでなくても存在自体がイライラする、などというのは、そんなケースです。
こんなときには、本来感じなくてよいはずのストレスを自分で生み出していると言えます。
ポイント:衝撃を受けたくないからといって警戒し過ぎるとイライラしやすくなる。