私たちは、誕生するとこの世界に適応することで生きていきます。
幼い子どもが最初に適応すべき対象は母親であり、次に父親であります。
幼いうちは、外界からの適応を迫るあらゆる要請が、親を介して与えられます。
このために、子どもは親に適応する自分をつくることで、社会への適応が準備されるのです。
子どもが親に適応するメカニズムには、「順応」「取り入れ」「対抗」があります。
順応
心理学では、順応とは刺激に対して感覚器官などが慣れていくことを意味します。
たとえば、明るい場所から突然暗い場所に入った瞬間には何も見えませんが、次第に目が慣れてきて見えるようになるなどです。
この順応概念を拡大して、ここでは、子どもが親と生活することで親との同質化や親との供応行動が自然に発達していくことを意味することとします。
順応によって、子どもに生理的同調、心理的同調、行動的同調が引き起こされます。
生理的同調とは、生理的なリズムや、基本的な情操が似てくるなど、生理的な面で親と同質化することです。
たとえば、母親と一緒に過ごす赤ん坊は、新生児室で過ごす赤ん坊よりも、はるかに早く母親と類似した睡眠のリズムになります。
親に抱かれた赤ん坊の呼吸は、親の呼吸に供応したリズムになることも指摘されています。
生理的同調は幼い時期に限定されません。
たとえば、ハーバード大学のマクリントックという人が命名した寄宿舎効果は、母親が思春期の娘に生理的同調という影響を与える可能性を示唆しています。
寄宿舎効果とは、同居している女子学生の生理周期が、次第に一致していくという現象のことです。
また、生理中の女性の脇の下の分泌物を採取し、他の女性の鼻の下にこすりつけた実験では、三、四ヵ月足らずでこれらの女性は、分泌物を採取した女性の生理周期と一致するようになる、という結果が報告されています。
心理的同調では、一般的な情操が類似するという現象があります。
たとえば、抑うつ傾向の強い親に育てられた子どもは抑うつ的になりやすいし、親が開放的で率直な性格であると、子どもも開放的で社交的になりやすいことが示されています。
また、子どもが親と同じような思考パターンになったり、同一の価値観を持つ傾向があります。
たとえば、保守的な家庭の子どもは保守的になり、革新的な家庭で育てられた子どもは革新的な思想を持ちやすいことが示されています。
行動的同調とは、生得的な模倣能力が存在しており、子どもが親をまねることで親と同様な行動をするようになることです。
たとえば、赤ん坊の目の前で、大人が舌を出したり、唇を突き出したり、口を大きくあけたり、指を順番に折り曲げるなどのしぐさをすると、赤ん坊はそれを真似るかのような動きをします。
また、赤ん坊の泣き声を音声分析すると、母親のイントネーションやアクセントと類似しているし、子どもの声の高さは、母親の声の高さに類似するという報告もあります。
こうした順応の働きにより、親の感覚や感情、情操、思考、行動様式などが無意識のうちに子どもに注入されていくのです。
取り入れ
取り入れによる親への適応とは、親の意識的・無意識的な要求や期待、願望、価値観などを、子どもが受け入れ、自分の中に現実化することです。
すなわち、子どもが親を愛着の対象として、親から快適な庇護を引き出すための心理的・行動的特性を形成することです。
親の要求や期待は、「こうしなさい」「こうするといいのよ」などと明確に言葉で伝えられることがあります。
あるいは、表情を曇らせたり、感情を害した様子を見せたりするなど、非言語的メッセージで伝えられることもあります。
さらに、子どもが取り入れるのは、親の意図的な要請に限りません。
子どもは、親の微妙な表情や非言語的行動に含まれる無意識の欲求・期待をも読みとります。
幼い子どもが親の表情を読むことを明らかにした実験を一つ紹介しておきましょう。
それは、透明なガラスが張ってあるので実際には安全なのですが、見たところ危険な崖のようになっている視覚的断崖装置を用いた実験です。
崖になっている視覚的断崖装置を用いた実験です。
崖になっているように見える側で、母親がうれしい表情をして子どもを呼んでいる時には、一歳の幼児はヨチヨチとガラス板の上をはって行きました。
ところが、母親が不安の表情をしている場合には、いくら呼んでも、断崖のように見える所で止まってしまったというのです。
このように子どもは幼いうちから、親の表情を見て無意識の心理を読み取り、それに対応する行動をとろうとするのです。
私たちには、他の人の苦痛や悲しみ、恐れを読み取り、取り去ってあげようとする生得的なメカニズムがあるのです。
このメカニズムにより、子どもは、親自身さえ明確に意識していない親の心を取り入れるのです。
子どもはこうした行動で、親から快適な反応を得ることができます。
親も子どものこうした行動により心地良さを感じます。
このために、取り入れのプロセスは強化されていきます。
誤った取り入れ
ところが、子どもの思考能力はまだ十分発達していません。
このために、子どもは親の願望や期待を読み誤ったり、勝手に先取りしたりしてしまうことも少なくありません。
カウンセリングで親子面接をしてみると、同じ出来事について親の側が考えていたことと、子どもが受け止めていたこととが、まったく食い違っていることが珍しくありません。
親がまったく考えもしなかった「親の期待」を実現しようと、子どもが過酷な努力をしてきたような例も稀ではありません。
たとえば、夫との関係に苦労する母親を見て育った子どもが、母親の役割は夫の面倒を見ることであり、弟や妹の面倒を見ることは自分の責任だと思い込んでいた事例があります。
家族全体の感情的な平穏を保つために、感情を害しがちな母親を支えるのが自分の席務だと思い込んでいた例もあります。
一流大学の入試に失敗し、不本意入学した大学で自殺未遂をした学生は、「親の期待に応えられない自分がふがいない」と言うのに対し、親の方は「一流大学入学なんて期待していなかった。
自分がその大学に行きたいから、がんばっているのだとばかり思っていた。
子どもの夢を応援してあげようと思っていただけなのに」というような例も少なくありません。
対抗
「対抗」とは、親の意識的・無意識的要請に対し子どもが抵抗して、親の要請を変容させることで親への適応をはかることです。
幼い子どもを見ていれば、しょっちゅう対抗行動をしていることが分かります。
嫌いな食べ物を食べさせようとすると、そっぽを向いて拒否します。
何度「ダメ!」と言っても、欲しい物に手を伸ばします。
興味ある対象に近づこうとする幼児を「危ないから」と抑えつけると、その母親の手を振りほどこうとします。
湯上がりに服を着せようとすると、逃げ回ります。
自分の欲求が通らないと、泣きわめきます。
買ってくれるまで、路上に寝ころんでだだをこねる子どももいます。
少し口が達者になってくれば、生意気に口答えします。
親はこうした子どもの対抗に対して、対応を調整しながら対処します。
これが対抗による適応です。
対抗行動は、子どもが年長になるほど複雑になります。
たとえば、あからさまな対抗ではなく、内面的拒否という形で対抗することも生じます。
たとえば、反抗期の子どもが、親に直接反抗していなくとも、友達のなかでは母親を「うちのおばさん」と呼んだり、父親を「くそじじい」などと言ったりします。
また、これまでの親に対する行動を変えるという形で対抗することもあります。
たとえば、以前は食後の家族団らんに加わっていたのに、食べ終わるとさっさと自室に行ってしまうようになるとか、親との接触を避けるようになるなどです。
子どもが秘密を持つことも、対抗という意味合いがあります。
幼いうちは、「親の目の前では、自分のすべてがあからさまになってしまう」と信じ込んでいるために、秘密をもてません。
平気でウソをつけません。
ところが、児童期も後期になると、親の目を盗んで「いけないこと」をいろいろとするようになります。
出会い系サイトをのぞく、エッチな本やビデオを見る、万引きをする、タバコを吸うなど。
このことで、それまでの素直で隠し立てのない自分から、親が知らない秘密を持つ自分になったということで、密かに対抗心を満足させ、自分の陰の部分を知らない親への勝利感を持ったりします。
多くの子どもにとって、これがもっともはっきりと体験されるのは、セックスに関わることです。
セックス体験は、もう子どもではない、大人になったといういささかの自信をもたらしますし、親からもっとも禁止されている行為を行ったということで、親への対抗心を大いに満足させる行為だからです。
対抗は自我境界をつくる
赤ん坊は自他未分化といって、母親と一心同体の存在ですが、次第に母親と自分との分離がなされ、「自分でやる」「自分の物」「自分で決める」など、自分と母親との境界(自我境界)が形成されていきます。
成長するにつれ、自我境界はさらに、自分の部屋、自分の時間、自分の心などと広がっていきます。
自我境界が十分形成されていないと、自分の心が見透かされてしまうというという恐れを持ち、親に嘘をついたり、親の教えに反したり、親を憎む心を感じたりすると、不安になってしまいます。
その結果、期待される役割を生きる自分を強固に発達させることになります。
発達段階に相応した自我境界が形成されることは、健康な自我発達の条件です。
対抗はこの自我境界を明確化し、形成を促進する作用があります。
対抗行動に直面して親が過度の介入を控えるなど適切な対応ができれば、子どもは自分の感情や欲求を信頼し、自分の力にいっそうの自信を持ち、自我境界のなかで自分の世界を広げていきます。
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取り入れと対抗のバランス
以上述べてきたように、順応、取り入れ、対抗によって子どもは親に適応し、社会に適応する基礎的な自我が作られていきます。
一般的にいえば、ごく幼い時期には順応と取り入れが優勢であり、成長するにつれ対抗の比重が高まります。
健全な自我を形成していくためには、取り入れと対抗のバランスが必要です。
もっぱら取り入れによる適応に終わってしまうと、自分が感じているものや自分の欲求と離れて、期待された役割を生きる自分を育てることになります。
なぜなら、親への対抗は、親からの要請に子どもが一方的に折れることに耐えられないから生じるのであり、また、子ども自身の欲求が、ある程度明確で強固でなければ生じないからです。
また、絶対的な優位にある親に対して対抗できるためには、子どもが自分の力に対して一定の信頼を持っていなければなりません。
無力感の方が強い場合には、対抗行動ができません。
さらにいえば、子どもが親に対して絶対的な信頼感を持っていることが条件です。
これが形成されていないと、対抗したら親から見捨てられるとか、罰を受けるなどひどい状況を引き起こすという恐れで、恐くて対抗できません。
こうしたことのために、取り入れのみでやってきた人は、表面上適応が良くても、内面は不安に満ち、自信がないのです。
逆に、親への適応において、対抗が大きな比重を占める人がいます。
おそらく、個人的素質として強い衝動性を持ち、対抗しなければ介入的な親によって自我を翻弄されてしまうという環境に育ったためと思われます。
こうした人のなかには、対抗が主要な性格特性として定着していくことがあります。
すると、普段の口調も攻撃的である、要請されることは何でも拒否する、自分がいささかでも不利益をこうむりそうな場面では徹底して自己主張する、人の意見には必ず反対意見を言う、協調性に欠ける、いつも神経が張り詰めていて人を寄せ付けないといったことになります。