反抗期が生じる条件
自我の分裂は、成長するにつれ、外界に出せる自分と、外界に出せない自分としていっそう大きくなっていきます。
そして、思春期以降になると、外界に出せる自分は「見せかけの自分」であり「偽りの自分」と感じられるようになり、外に出せない自分こそ「本当の自分」だ、という思いを強くします。
反抗期とは、このような自我の分裂を押しとどめようとする子どもの対抗が顕著な時期のことです。
分裂をさらに推し進めようとする親に対して、これ以上の分裂を許すまいとする子どもの側からの戦いの時期なのです。
親の力に抗して、子どもが自分の意志と自分の力で歩こうとする試みなのです。
しかし、親の側からみれば「反抗」なのであり、それゆえに反抗期と呼ばれてきたのです。
親子の関係は、長く、深く、全人格的な関係であり、断ちようがない関係です。
このために、親に適応することは必ずしも容易なことではありません。
親との関係が人間関係のなかでもっともストレスだ、と語る人もいます。
子どもがさして困難を感じないのは、疑いのない愛情で結ばれるからであり、親が共感性を持って対応してくれるからであり、子どもの心がもともと親に適応するために形成されるからです。
しかし、期待された役割を生きる自分の形成を迫る親に対して、子どもが自己を主張することで対抗せざるをえない時期が反抗期なのです。
明確な反抗期が生じるためには、いくつかの条件があります。
1.自分が存在すること
三歳ごろの第一反抗期は「自我の芽生え」によるものといわれ、「自分」が形成され始めたことを示すものです。
思春期の第二反抗期は、「自我の目覚め」によるものといわれ、「本当の自分」を主張しようとするものです。
このように、いずれの反抗期も、自分が形成され、自分が存在することで生じるのです。
自分があることが反抗期が生じる前提です。
2.自分の力への一定の確信があること
第一反抗期は、言葉や運動能力の急速な発達が対抗の裏付けとなります。
この時期、結構動きが速くなり、口も達者になります。
第二反抗期は、親に負けないほどの知力・体力の発達が裏づけとなります。
知力の発達により親が自分よりバカに思えるし、身体の発達により男子は母親よりもおおきくなり、父親ととっくみあいをしても負けない、と感じられます。
この急速に増大した自分の力への自信によって、強大な親に立ち向かえるようになるのです。
3.親が対抗すべき存在であること
親が子どもの自我欲求を抑えつけたり、干渉するために子どもは反抗するのであり、こうした養育が顕著なほど、子どもは対抗する必要に迫られます。
子どもが自然に抵抗なく親からの要請を受け入れるような形で養育がなされる場合には、明確な反抗期が見られないことがあります。
4.反抗しても大丈夫という親への絶対的な信頼感があること
反抗期の子どもの対抗は、親への依存を断ち切ろうとするものではありません。
親への依存という甘えのなかで行われます。
つまり、反抗しても親に見捨てられないという親への絶対的な信頼感が反抗の基礎にあるのです。
また、反抗に親が耐えられるという意味での親への信頼感も前提になります。
たとえば、親がひどく感情を害しやすいとか、心身の不具合がある、あるいは夫婦が破綻の危機にあるなどの場合、子どもは内心では対抗しても、行動的な反抗は控えることがあります。
反抗期の発達的意味
こうした子どもの親への対抗の体験は、子どもと親に以下のような発達促進的作用をもたらします。
1.自分の能力への自信が得られる
子ども時代には親は絶対で強大に感じられました。
その親に対抗し、自分を主張したという体験は、自分が親に対抗できるほどの力を持っているという実感をもたらし、自分の力への確信が強まります。
2.子どもの親離れと、親の子離れが促進される
こうした自信が子どもの親離れを後押しします。
同時に、親の方は、子どもを独立した人格と見なすようになり、過度の介入を差し控えるようになります。
3.自分を生きられるようになる
このことにより、子どもは「本当の自分」を表現し、内面と外面とのギャップの拡大の進行を止めることができます。
親への依存から期待された役割を生きる自分を育ててきた人も、反抗期を契機に、より自分を生きるという方向に舵を切ることができるようになるのです。
青年期のアイデンティティ確立の課題とは、多かれ少なかれ期待された役割を生きてきた子ども時代を卒業し、自分を生き始めることでもあるのです。
反抗期がないことと期待された役割を生きる自分
先に見たことから、反抗期が見られないということは、以下のような理由が考えられ、期待された役割を生きる自分を生き続けることにつながってしまう可能性が高いのです。
1.自我欲求が希薄であること
反抗がないことは、親の強圧に抗して守るべき自分が存在しないという可能性があります。
徹底的に親に取り込まれてしまった子どもは、主張すべき自分そのものが希薄になってしまうのです。
2.自分の力への確信の欠如
これまでに無力化されてしまい、依存性が高まってしまっていると、親に対抗することができません。
こうした人は、たとえ反抗しても自分の力への自信に結びつかないで終わってしまいます。
なぜなら、こうした人の反抗は、甘えという面が優位となり、親と対等にぶつかり合うということにならないからです。
こうした反抗では、親は「ぐずり」とか「未熟さ」の現れとしか受けとめることができません。
そのために、親のいっそうの介入を引き起こすことがあります。
「第二反抗期にはことごとく盾突いて、まるで幼い子どもが駄々をこねるような行動でした。
それで、いつまでも子どもでは困ると思って、大人になる力がつくようにと、しっかりと育ててきたつもりです。」(五十代 女性)
3.親は子離れができない
子どもからの対抗がなければ、親は幼い子どもに対応するように介入を続けることになります。
子どもはそうした親の介入によりいっそう無力化され、自立への力を育てることができません。
このために、たとえ心理的に親を拒否していても、親に取り込まれた関係を継続することことになります。
4.親離れができない
人は誰でも親を理想化します。
全く無力な時からそばにいて自分を守ってくれて、自分のために犠牲を払ってくれる存在だからです。
期待された役割を生きる人のなかでは、親をとくべつに理想化する人がいます。
それは、自分を抑えて自分を親に適合させるためには、自分を納得させることが必要だからです。
自我を踏みにじられるような介入をされても、「私のためにそうするのだ」「私を思ってしてくれるのだ」と、親を美化して受けとめるのです。
このために、親を心理的に拒否することも、行動で拒否することも罪悪感にとらわれてできないのです。
なかには幼い頃の子どもと親との関係にとどまっている人もいます。
親の前では無力な子どもに戻ってしまい、親が恐くて親の機嫌をとることにもっぱら気を使ってしまいます。
このような状態で、期待された役割を生き続けてしまうことになるのです。