●コペルニクス的転回であなたの探している人生を見つける
”本当に自分の眼で見、自分の頭で考えているか”
あなたは本当に自分の眼で見、自分の頭で考えているだろうか。
自分が心理的に依存している人間の眼で見、自分の頭で考えているだろうか。
自分が心理的に依存している人間の眼で見、その人の考えるとおりに考えているのではないか。
あなたはある人間を卑怯だと思っている。
しかし、本当にあなたがそう考えているのだろうか。
あなたの恐れている人間が「あいつは卑怯だ」と言ったのを聞いて、自分もそうだと思っているだけではないか。
そして、そう解釈しているほうが、自分がその人に気に入られる人間でいられるというだけではないだろうか。
あなたが恐れている人間が、「あんな職業はくだらない」と言ったのを聞いて、「あんな職業はくだらない」と思っているだけではないだろうか。
そして「あんな職業はくだらない」と思っている方が、自分のプライドを維持するのに都合がいいから、そう思っているだけの話ではないだろうか。
あなたがある集団に属しているとする。
その集団で劣等感を共有している。その集団は、家族の場合も仲間の場合もあろう。
あなたはその集団の価値観に従って生きている。
「〇〇さんはやきもちやだ」とその集団の人が言う。そして、その言葉を聞いてあなたもそう思う。
しかし、実は、やきもちやきなのはその集団から非難されているその人ではなくて、その集団の人達自身なのかもしれない。
自分が嫉妬深い人ほど、他人を嫉妬深いと非難する。
嫉妬深い人間にとって、他人の言動を解釈する時、あれは嫉妬だと解釈することほどわかりやすいことはない。
他人の愛情ある言動を嫉妬と解釈するほうが、その人にとっては理解しやすいのである。
結局、あなたは何も自分の眼で見てはいないし、何も自分の頭で考えてはいないかもしれない。
劣等感を共有しているグループにいると、いつまでたっても心理的安定を得ることはできない。
あなたは愛他的なつもりでいるかもしれない。
「あいつのことを考えてこうした」「あの人を思いやればこそ、かくかくしかじかの行動をとった」「あいつのことを考えるとかわいそうでたまらなくて、こういった」・・・
全て他人への愛情から出たと、あなたは自分の言動を説明するかもしれない。
しかし実は、徹頭徹尾利己主義だから、そのような言動をしたというのが本当ではなかろうか。
自分に嘘をつく時、ある種のコンプレックスを共有しているグループほどの都合のいいものはない。
そのグループはみんな利己主義者だから、外の人間への利己的行動を愛他的行動と解釈してくれる。
それが母親コンプレックスであれ、劣等コンプレックスであれ、コンプレックスを共有しているグループほど、現実を正しく解釈するのに障害になるものはない。
コンプレックスに直面することなく自分にウソをつきつづければ「どうしていいかわからなくなる」のは当然である。
対人恐怖症、社交不安障害を克服するには人を本当に自分の眼で見、自分の頭で考えているか確認してみることである。