何かとつながるありのままの自分

何かとつながるありのままの自分とは

何かとつながるありのままの自分でいると生きるのが楽になる

「ありのままの自分」が「つながっている」と感じるとき、人は孤独から解放され、「ひとり」が怖くなくなります。

ここでは「ありのままの自分」に注目してみたいと思います。

ありのままの自分でいるためには、前提として、自分自身がありのままの自分を受け入れているということが必要です。

では「ありのままの自分」とは、いったいどんなものなのでしょうか?

簡単に言えば「さまざまな事情を含む、今現在の自分」のことです。

ありのままの自分の感覚を自分の感覚として受け入れられれば、何かや誰かとのつながりを感じることができます。

ありのままの自分の感覚を「こんなふうに感じるべきではない」「こんな感じ方はおかしい」と思ってしまうと、ありのままの自分を否定することになってしまいます。

そして自分はなぜこんなにダメなのだろうと自分にばかり意識が向いたり、望ましい自分を作ろうとしたりしてしまいますから、ほかの何かや誰かと「つながっている感覚」など持てなくなってしまうでしょう。

ひとりが楽になるための前提として、「ありのままの自分」を受け入れることは必要なのです。

反対に、「目に見えるつながり」を作りたくて「いい人」を演じてしまう、というとき、私たちは「ありのままの自分」を否定していることになります。

自分を作って(ありのままの自分を隠して)人と一緒にいる場合、「目に見えるつながり」は確かにあるのですが、寂しさが解消されることなどありません。

「作った」自分は好かれるとしても、好かれているのはあくまでも作った自分。

作った自分には、ものを感じる力がないからです。

そして、感じることができる本当の自分は、隠され、つながりの外に置かれたままなので、「つながっている感覚を覚える土俵にすら乗ることができないのです。

また、相手から好まれそうな姿を作らなければならないので、相手の顔色をずっとうかがってしまいます。

「もしかして、今の一言、浮いてた?」「私って実は溶け込んでいない?」などと考えてしまうと、ますます孤独感は募るでしょう。

そしてその孤独感を満たしたくて、さらに自分を作る・・・という悪循環に陥ってしまいます。

ひとりでいることに抵抗がない人は、「ひとり」の状況でもそうでない状況でもありのままの自分を受け入れることができます。

状況によっては自分を「作る」ということはあっても、「ありのままの自分」を受け入れた上で、何らかの目的(例えば仕事)のために作るのであって、単に「ひとり」になりたくないからと自分を作るようなことはしなくてすむのです。

なぜかと言うと、ありのままの自分でいられないような相手とは一緒にいないという選択肢があるからです。

ポイント:作った自分には、ものを感じる力がない

自分自身のさまざまな事情を受け入れる

ありのままの自分を受け入れよう、と言われても、「そんなことが簡単にできるわけがない」と感じる人が多いと思います。

そして、自分にいて、受け入れがたい点(自分でダメだとおもっているところ)をいろいろと思いつくことでしょう。

もちろん完璧な人間などいませんから、自分には満足のいかないところも多々あることと思います。

しかし、そうなったのにはさまざまな事情があるはずです。

持って生まれたもの、生育環境、周りにいた人たちの性格や価値観、これまでに体験してきたこと、今置かれている状況など、いろいろな事情があって、結果としての現状があるのです。

そもそも、人は、どんなときにも、できるだけのことはやっているものです。

できていないことは、何らかの事情によるのです。

「単にやる気がないだけ」という場合でも、やる気をなくさせるような何かがあったか、気力が十分にないか(その場合は気力を低下させるような事情があります)、何かしらの理由があるのです。

ですから、満足いかないところも、事情を考えれば、すべて必然だと言えます。

「もっとよかったはずの」別の選択肢は、その時点では、なかったのです。

「あのときああしていれば・・・」と後になって思うことは簡単なのですが、当時の自分にはそれ以外にできなかった、あるいは、そちらのほうがよいと思った、というのはどんな場合にも事実です。

そんな事情も含めて、ありのままの自分を受け入れてみましょう。

「まあ、いろいろあったからこんなものだな」「それにしてもよく頑張ってきたな」というように、自分の現状を否定することなく受け入れるのです。

ありのままの自分を受け入れるということは、これ以上の進歩の必要性を認めない、という意味ではありません。

「現在の自分はこれでよい」と、単に現実を受け入れるだけの話です。

進歩が必要なら、それはこれからやっていけばよいこと。

現在の自分を否定する必要など全くありません。

逆に、現在の自分を否定してしまうと、過去にばかり目が向いてしまい、「これからの進歩」が難しくなってしまいます。

なお、ありのままの自分を受け入れるためには、敢えて「自分のよいところ」「自分の中で好きな部分」を見つける必要もありません。

ただ、自分を否定しないで「まあいろいろ事情があったから」と受け入れればよいだけです。

すると、今まで逆境の中、頑張ってきた自分が見えてきたり、いろいろなコンプレックスを抱えながらも日々頑張っている自分が見えてきたりして、「自分はダメだ」と思っていたときとはまた違った感じ方になってきます。

ありのままの自分を自分自身で受け入れることが、つながりを感じる土台となります。

ありのままの自分を否定する先に「ひとり」が楽になる生き方はない、ということは頭に入れておいてください。

今現在の「ひとりが嫌だ」と感じる自分のことも、否定することなくそのまま受け入れればよいのです。

ここまでの自分には「ひとり」をネガティブにとらえることになった何らかの事情がある、ということだからです。

ポイント:自分も他人も、人は、どんなときにも、できるだけのことはやっている

自己に対する信頼を取り戻す

ありのままの自分を受け入れるということが「つながり」を感じる土台となり、「ひとり」が楽になる生き方の第一歩ですが、実はありのままの自分を受け入れられるようになるということは、自分に対する信頼を取り戻すということでもあります。

「自分はこのままでよい」と思えることは、強い自己信頼なのです。

つまり、ひとりがつらく感じない生き方の基本にあるのは自分に対する信頼感だとも言えます。

その自分が完璧である必要は全くありません。

それぞれの人が事情を抱えているわけであり、その事情を考えれば、まあ自分はよくやっている、と思えることが自己信頼なのです。

一時的に「孤独な人」に見えたからといって、その人が永遠に孤独なわけではありません。

ポイント:自己信頼とは「事情を考えれば、まあ自分はよくやっている」と思えること

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ありのままの自分とは何かに依存しない

ありのままの自分とは開いた心のこと

「ありのままの自分」が「つながっている」という感覚を持つことが、ひとりを楽にします。

何となく理屈はわかったけれども、いったいどうやったらそれができるのだろうか、と思われている方も多いと思います。

「つながっている」という感覚を持つことができるのは、「ありのままの自分」なのですが、言い換えると開いた心です。

閉じた心では「つながっている」と感じることはできません。

そうは言っても、
どうやって心を開くことができるのでしょうか。

ここで、その簡単なコツをご紹介します。

心を開くコツ1.自分は何を与えられるかに目を向ける

何かと「つながっている」という感覚を持つ時、その人の心は開いた状態で、「ありのままの自分」になっていると言えます。

人は、心が開いた、ありのままの自分の状態でしか、つながりを感じられません。

つながりを感じられないと「ひとり」が怖いという心理が生まれます。

つまり、孤独を感じているとき、私たちの心は閉じているのです。

特に「自分はどう見られているだろうか」と思う時、心は警戒感を持って閉じています。

心を開き、つながりを得るためのコツは、何かをする時に、「自分はここから何を得られるか」に目を向けるのではなく、「自分は何を与えることができるか」に目を向けることです。

与える姿勢は、「今」に意識を集中させるための強力な方法です。

見返りを求めずにただ「与える」というときだけ、心は完全に「今」にいることができるのです。

反対に、何かを得ようとするときには、常に「足りない自分」「満たされていない自分」を意識してしまい、それがつながりを邪魔します。

また、「得るため」という目的がついた時点で、「今」の行いではなく、そこから生じる「未来の結果」に目が向いていることになります。

「自分は何を与えられるか」に目を向ける一例として、買い物の場面を考えてみましょう。

買い物をするときには、お店の人に「このお店、素敵なものが多いですよね」「お忙しそうで大変ですね」などと一言かけてみます。

この瞬間、お店の人との間に「つながっている感じ」が生じ、自分の心がぽかぽかと温かくなりますし、「ひとりで買い物をしていると寂しい人に見えるのではないか」という懸念など、どこかに吹き飛んでしまうことがわかると思います。

口下手な人は、ただにっこりと微笑むだけでも同じような効果が得られると思います。

このときは相手に「ほほえみ」、つまり、温かい肯定的な心を与えているのです。

あるいは、そのお店が提供しているポイントカードについて質問してみることも、「与える」姿勢なのです。

相手が努力して作ったサービスについて、関心を持っているということだからです。(その場でポイントカードを作る必要はなく、「なるほど。お得ですね。考えてみます」で十分だと思います)

「与える」姿勢になれば、自分の心は開き、「つながっている感じ」が生じる、ということになります。

そもそも、「自分はどう見られているのだろうか」という思いそのものが、「自分は何を得られるか」(=どんな評価を得られるか)ですね。

それよりも、発想を逆転して、「自分は何を与えることができるか」を考えてみると、「ひとり」でいる寂しさや不安から、意識が解放されるのです。

ポイント:「自分はどう見られているのだろうか」から、発想を逆転し「与えること」を考えてみる

心を開くコツ2.何かに依存していく心と距離をとる

私たちは、何かを得られない寂しさから、代わりとなる「何か」を求めようとします。

しかし、何かで孤独を満たそうとすると、余計に寂しさが増すことが多いものです。

物理的には人と一緒にいても、ありのままの自分が「つながっている」という感覚を持てないと余計に孤独になります。

人から認められたり愛されたりすれば孤独でなくなるはず、と多くの人が考えますが、そのために自分を作ってしまうと、結局は満たされないのです。

それよりも、「本当の自分を知られたら嫌われてしまう」という怖れが芽生えてしまい、常に緊張するようなことにもなってしまいます。

人以外にも、孤独を紛らわすため、私たちはさまざまな「何か」を求めるものです。

例えばアルコール。

ひとりでいることの「不安」を解消するために必要なのは「安心」です。

しかし、「不安」を解消するためにアルコールに手を伸ばす人もいます。

アルコールは、一時的に寂しさを麻痺させてくれるものの、決して安心を提供してくれることなどありません。

そして、本当にほしいものと、依存対象がずれているために、どれほど求めていっても満たされることは決してないのです。

最悪の場合、酔ったときに人に送ったメールなどがきっかけで、さらに相手との関係性が悪くなったりもしますよね。

アルコールは身体にも決してよくありませんが、そんな「コントロールの悪さ」があります。

アルコールはひどくなると依存症になりますが、買い物に依存する人もいます。

特に高級ブランドなどであれば、お店の人からとても丁重に扱ってもらえます。

自分が特別な重要人物であるかのような感覚が寂しさや不安を解消してくれるような気がして買い物依存症になってしまう人もいるのです。

しかし、もちろんそれは商売上の話ですし、ごく一時的なものです。

「ひとり」でいる不安や寂しさの、本質的な解決などにはならないのです。

実際、買ったものを、包装を開けることもなく放置している人はたくさんいますし、とても粗末な扱いをしている人も少なくありません。

高級ブランドでなくても、買い物はよく依存対象になるものです。

そのほか、「寂しくなると、とにかく食べてしまう」、という人もいますし、「仕事に依存してしまう(ワーカホリック)」という人も多いものです。

ところが、そういう何かで孤独が満たされるのかと言うと、そんなことはないでしょう。

せいぜいが、「一時的に自分の孤独感を麻痺させる」というくらい。

なぜなら、何かに依存していく心は、罪悪感や「自分が嫌い」を膨らませるだけだからです。

何かに依存しているとき、人は何かさえ手に入れば、という気持ちになっており、ありのままの自分のことなど感じてみることもしません。

何かばかりに注目してしまうのです。

ですから「つながっている」という感覚も得られません。

本質的な解決にはならないのです。

ポイント:依存の対象はさまざまだが、いずれも本質的解決には至らない

心を開くコツ3.「もっと、もっと」をやめる

依存は依存を生み、依存の悪循環が出来上がります。

孤独は、ありのままの自分が「つながっている感覚」を持たない限り解消されません。

何かに依存している場合には、「さらにお金を使ってしまった」「太ってしまった」「また飲み過ぎてしまった」、と罪悪感を抱え込むことにもなりますし、仕事依存症の場合には燃え尽きがちでいつもピリピリしている、などということにもなります。

アルコールの飲み過ぎは、うつにもつながっていくことが知られています。

そしてそれらの結果、「ありのままの自分」をより否定する(自分を嫌いになる)ことになってしまい、孤独感はかえって募って感じられる、ということも多いものです。

ところが、それは孤独を解消しようとしている方向性が間違っているからなのだということに気づかない限り、「もっと、もっと」と「何か」を求めていくことになってしまいます。

例えば、「一人暮らしの寂しさからペットを飼った」という方は多いかと思いますが、「外出しても家にいる犬たちのことが頭から離れず、一緒にいないと不安。

一匹では寂しそうだからと、2匹、3匹と増やしてしまい、最近はそれが原因で家から出られず、友達との付き合いや仕事に支障が・・・」となると、依存気味といえるでしょう(犬は自分の習慣に基づいて寝たり起きたり、結構自立しています。会えば大喜びですが、次の瞬間注意を別のところに向けることができる天才です)。

これは、孤独を「何か」で満たそうとして、「もっと、もっと」となっている典型です。

確かに動物には癒やし効果がありますし、一緒にいる間は「ひとり」を感じないでいられるかもしれません。

しかし、犬だけに依存して暮らすようになってしまうと、「犬がいるときは安心」「犬がいないときは不安」という単純な図式にはまりこんでしまい、根本的な解決にはなりません。

そして安心を得たい心は、「もっと、もっと」の傾向を強めていくばかりです。

アルコール依存や買い物依存なども、次第に「もっと、もっと」となり、日常生活を破綻させ得るものとして知られています。

ポイント:依存は悪循環を生む

まとめ

ありのままの自分でいることは生きることが楽になります。

そして、ひとりが楽になるのもありのままの自分自身を受け入れることです。

人に依存している状態はありのままの自分ではありません。

ダメな部分を含め、まあ自分はよくやっていると受け入れることが自己信頼です。

その自己信頼で心を開くと、つながりを感じることができます。

心を開くには見返りを求めず、与える姿勢からです。

ありのままの自分で生きるにはもっと、もっとをやめること。