いい人とは
いい人というのは、いつも人の役に立とうとしながらも見返りを求めない。
人の目を気にするため、人の気持ちを傷つけたり、かっとしたりしないように気を付けている。
相手に非があっても、理性的に落ち着いて対処する。
役立つアドバイスもできる。
友達が酔っ払ってからんできても、仕返しに困らせてやろうなどと思わない。
祖母の前では、亡くなったばかりの祖父の話はぜったいにしない。
まさに「いい人」なのだ。
いい人の勘違い
人生のささやかないたずらとでもいうべきか、人のよさが裏目に出て逆効果になる。
誰だって、人生を有意義に過ごし、大切な人のそばにいて、人の役に立つ満足感を味わいたいと心から願っている。
だが、いくら世間から教えられたとおりに行動して、他人に認められても、自分自身はいつも疲れ果て、不安や不満が残る。
ここではこのような行動を勘違いと呼ぶことにする。
ただ、いい人がよかれと思ってする善意の行動が、裏目に出て人生を寂しいものにしていると話しているだけだ。
毎日、勘違いのおかげでばかげた行動をとり、もっとがんばるべきことがあるのに、貴重な時間とエネルギーを別のものに費やしてしまう。
結局のところ、ちょっと考えて努力すれば直せる。
勘違いには性差はない。
男と女では人付き合いに対する姿勢も見方も異なるのは認めるが、女性のほうが社会的なプレッシャーに悩まされているとか、男性は女性ほどいい人でいようとはしない、といったことはない。
おそらく誰もが人間関係において勘違いを繰り返している。
親が子どもに刻み込む教え
両親は子どもを、兄弟仲よくし、友達をたくさんつくり、そして社会に受け入れられる大人になるように育てる。
おもしろみのない人や甘ったれではなく、思いやりがあって礼儀正しく、困っている人を助けるようにしつけをしてきた。
つまり、いい人になれ、ということだ。
言われた通りにし、図々しくなるよりは控えめに、人助けを生きがいにするようにと、両親は教師や聖職者とともに子どもに教えてきた。
親の教えと、自然に大人のマネをするようになった行動は、心の奥にどうふるまうべきかという指示、自分を批判する声、つまり無意識のうちにいい人であれ、という教えをしっかり刻み込んできた。
今でも人に接する瞬間に、こんな声が頭のどこかで聞こえるはずだ。
- 上手くやり遂げよう。
- いつも友達には「イエス」と答えよう。
- 利己的になってはいけない。
- つねに冷静でいよう。
- 道筋立てよう。
- 人の気持ちを傷つけるようなことをけっして言ってはいけない。
- 困っている人を助けよう。
- 苦しんでいる人をいたわってあげよう。
- いつもいい人でいよう。
「いい人」という勘違いが自分を傷つける
いい人でいることがすべて悪いのではない。
たとえば、いい人はいつも気をつかうが、心理学者によると、他人を思いやれる人は利己的な人と比べて健康で幸せだという。
また、人がよければ、批判されたり恥ずかしい思いをしたり、拒絶されることもないし、すばらしい人だろうと思ってもらえる。
さらに、思いやりや礼儀正しさは、人間味あふれる社会へつながり、秩序があるもっと暮らしやすい世界をつくる。
滅多にないが、ここぞという重要な場面では、人に勇気を与え、大胆にさえする。
つまり、いい人でいることは何かと役に立つ。
こういったプラス面はほめるべきだ。
問題なのはマイナス面で、予想以上に犠牲を払うことだ。
ここでの二つの勘違いは、完璧主義とがんばりすぎについてだが、どちらも自分をへとへとに疲労させる。
重荷となってのしかかり、まるで荷物を積み込みすぎた船が傾き、沈んでいくような気持ちにさせられる。
この二つの勘違いは、とくに避けにくいし、ほかの七つの勘違いの原因になりやすい。
だからこの二つをやめられれば、そのぶんのエネルギーを残りの勘違いの対処にまわせる。
自分が何をしたいかを言わない、怒りを抑え込む、理不尽な言いがかりを真に受ける、人を傷つけまいとうそをつくなどの勘違いは、自分の感情に正直でないためであり、本物の誠実さを失ってしまうことになる。
いい人は、人間関係には感情表現が大切だと思っていても、欲望を抱いたり、怒りを感じたり、自制できないのではないかと不安になる。
一見、いい人にふさわしくない感情が生まれると、押し殺す-いや、じつは感じないようにしている!
ときには心の奥深くに感情をしまいこみ、それがあることさえ気づかずにいる。
仮に感情が噴き出しても、その激しさと大きさがとても手に負えないと思うだけだ。
自分の感情に気づかない、否定する、隠す、とらわれる、悩みといった気持ちの根っこには、たいていは不安がある。
その結果、自分に正直になれず、大切な人とも心から結びつくことができなくなる。
おせっかいなアドバイス、人を救おうとする、悲しみから守ろうとするなどは、相手のためになるどころか、問題をさらに悪化させる。
人の役に立とうとする場合のいい人の勘違いは、自分をよく見せ、いい気持ちにさせる一方、人を無意識のうちに操ろうとするからだ。
いい人はそもそも、人の目を気にしている。
社会に受け入れられ、傷つくことを避け、そして困っている人を助けるためにそのように振る舞うのだ。
やがて癖になった勘違いを何度も繰り返すが、一見ごく普通のことなので、とんでもない結果になるとは予想しない。
実際困ったことになっても、自分に責任があるとは気づかないのだ。
気付いても、じっくり考えるほど時間がない。
さらに、意識の底には、この振る舞いを止めたら、いい人でなくなってしまうという不安があるのだ。
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自分を変える必要性
善意によるものにせよ、いい人になるように間違った教育をされてきたと気づかなければいけない。
「いい人の勘違い」という行動を引き起こす意識に管理されてきたのだ。
また、いつまでも自分をみじめだと思ったり、親のせいにする必要はないと気づくことも重要だ。
「いい人」とは、遺伝や育った家庭環境の哀れな犠牲者ではない。
親や教師によるこういう誤ったしつけはよくあることだと理解しよう。
自滅する必要はないし、勘違いを直す具体的な方法もある。
いい人の勘違いのことは忘れ、新しい自分になって行動すれば、現在も未来も変えることができる。
少しの意識と努力で、今までよりもずっとすばらしい人間になれる。
だからといって、いい人になるなといっているのではない。
自分を変えるにはまず、善意や社会のルールの大切さを信じなくてはいけない。
なくしたものを求め、これまでと違う行動をするには、いい人でいることと正直であることのバランスを上手にとろう。
自分を変えるには、人にどう思われるか気にするのを止め、新しい視点から自分を見つめ直そう。
自分の感情に正直になり、干渉せずに人を助け、必要なことだけを手伝おう。
まずは、自分の心に刻まれた教えを変えなくてはいけない。
そう、世間や親の命令に従わない勇気をもつのだ。
まとめ
いい人とは、人の目をきにして何か役立てることがないかと気を配っている。
両親は社会的にいい人になるように育ててきた。
いい人は自分がいい人に見えるように操作しようとする。
自分の感情に正直になり、いい人のことは忘れ、自分のできることだけをやっていく。