“運命に逆らえば、さらに過酷になる”
シーベリーは、「機会が故障し修理が必要な場合、技術者の全神経は、どうやって機械を正常に戻し、具合よく動くようにするかに集中します」と述べている。
「健康づくり」という雑誌の241号の6貢に、「水と遊ぼう」という特集がある。
元オリンピック選手の千葉すずさんも、またかつてのオリンピックゴールドメダリストであるオーストラリアのドン・フレーザーさんも、水泳を始めたきっかけは喘息の克服だったという。
ぜんそくは辛いが、それを受け容れたのであろう。
「何で私だけが喘息にならなければならないのだ」と嘆いていては人生は拓けない。
人生なるようにしかならない。
じたばたしても仕方がない。
人間、寿命があるのだからいつかは死ぬ。
そう覚悟できれば、心に余裕が生まれる。
運命に逆らえば逆らうほど運命は過酷になる。
人間が運命に勝てるわけがない。
いつまでも自分は喘息だと嘆いていても、事態は悪くなるばかりである。
いつまでも自分の運命を嘆いている人は、圧倒的に強い軍隊にさからっている弱い軍隊の兵士みたいなものである。
戦闘が長引けば長引くほど兵士は辛い。
「農業の分野において、優秀な農民は、栽培する方法や風土に合った品種を常に探し続けます。」
自分の運命にあった生き方を探すことである。
シーベリーが言うように、「行動が私たちの中に別の感情を呼び覚ますのです」。
対人恐怖症、社交不安障害を克服するには自分の運命を受け容れて行動することである。
そこに新しい自分を発見するかもしれない。