自分の好きなことを行いなさいと助言すると、「好きなものがない」とか「好きなことが分からない」と言う人がいます。
「得意なことがない」と言う社会的価値を考えてしまう人がいます。
そんなはずはありません。
赤ん坊やごく幼い子どもは無心に熱中して遊びます。
次から次へと遊びを発明します。
好きなことがなかった人などいないのです。
なにごとにも向けられていたみずみずしい興味を、成長の過程で社会的価値を考え、おさえつけられてしまっただけなのです。
成長の過程で社会的価値を考え、抑圧されてしまったものですから、この抑圧を解放してやればよいのです。
抑圧には、次のような暗黙の考えが働いているので、これから自由になることです。
社会的価値の観点で見てしまう
馬鹿馬鹿しいとか意味がないとか、無価値だなどという社会的価値の観点から判断することをやめることです。
だいたい遊びなどというものは、改めて考えてみれば「無価値」にしか見えないものです。
しかし、実際には無価値とも思えるもので飯を食っている社会的価値から解放された人も少なからずいるのです。
社会的価値など考えなくてよいのです。
社会的価値を考えず、ただ、自分がやってみたい、楽しそうだ、面白そうだ―それでやってみればよいのです。
社会的価値を考えず、好きなことをするのは、他の人から評価されるためにするのではないのですから。
実現可能性で見てしまう社会的価値
成長過程で「無理だ」とか「能力がない」などの抑圧的な社会的価値の思考が身についてしまうと、やる前から実現不可能だと考えて、挑戦をあきらめてしまいがちです。
たしかに、つらいことは実現困難です。
社会的価値がついてまわる受験など競争で勝つことも相手がいるので困難です。
しかし、これは競争ではありません。
それに、社会的価値を考えず自分の好きなことをコツコツと時間をかけて行えば、自分が考える以上の力がついてくるものなのです。
一旦始めたら最後までやり遂げなければならない、と考えてしまう
そんなことはないのです。
社会的価値を考えず、いろいろなことに自由に挑戦すればよいのです。
面白くないことでも最後までやり遂げることに価値を求めるのは、日本独自の価値観です。
日本の音楽教育にも詳しい米国人の音楽家は、日本では特定の楽器についてある水準まで達することを求めるが、米国ではとりあえずいろいろな楽器を体験することを重視していると語っていました。
こうした束縛を取り去ってみれば、やってみたいなと思うことや、つい腰が重くていままで挑戦してみなかったことなど、一つや二つは誰にでもあるはずです。
社会的価値を考えず、それをともかく始めてみることです。
つまらなかったら、また別なものに挑戦すればよいのです。
どうしてもやりたいことが見つからない人は、社会的価値を考えずに子どもの頃熱中した遊びを思い出してみることです。
社会的価値を考えず馬鹿馬鹿しいと思わずに、やり直してみることです。
どろんこ遊び、積み木、粘土細工、絵画、人形作り、切手やコインの収集、工作、ペットとの遊び、ピアノ、その他の楽器、リズム体操、作曲、詩作、ストーリー作り、釣り。
社会的価値を考えなければ、こうしたことから、これは楽しいというものが見つかります。
それにつながるものが見つかります。
社会的価値を考えず、これを育てていくことです。
社会的価値を考えず、Sさんは占いが好きだったので、占いの本を買ってきて勉強しました。
社会的価値を考えず、Sさんは最初はトランプ占いから入って、星座占いへ。
しかし、物足りなくて手相へと移っていきました。
社会的価値を考えず、Sさんは手相の勉強を始めると、気になってつい友達の手を見てしまいます。
そのうちにSさんが手相を見てくれるというので、話したこともない友達も寄ってくるようになりました。
休み時間など彼女の周りに輪ができて、ちょっとしたスター気分です。
いまでは中国の占いの奥深さに魅せられ、占いの輪ができてちょっとしたスター気分です。
いまでは中国の占いの奥深さに魅せられ、社会的価値を考えず、占いの学校へ通って本格的に勉強しようかと思っています。
社会的価値を考えず、紙飛行機を飛ばす楽しさを再発見し、滞空時間一分を目標に、カタパルト(飛行時間を競う種目)で優勝することを目指している人もいます。
ある小学校の女の先生は社会的価値を考えず、アルゼンチンタンゴを踊り始め、長期の休みごとに現地に旅行するなど、自分が変わるのを実感しています。
自分を束縛している枠を破って、社会的価値を考えず、自由に子どもじみたものでよいから、そこからやり直してみることです。
社会的価値を考えなければ、きっとなにかがみつかります。
それを馬鹿げたことと思わず、挑戦してみることです。
大人になった今では、社会的価値を考えず、子どもの時とは違った物事の奥深さを感知することができ、興味を持てることがあります。
そして、それを続けていくうちに、その面白さも増してくるものです。