人なかにいることにストレスを感じる人は、無意識のうちに自分を守ることをしています。
弱みを見せまい、すきを見せまい、失敗すまい、完璧にやろう―これにより、自分を守ることをしているのです。
自分を守ることをしているため人なかにいるあいだ中、終始緊張して、その緊張が肩こり、偏頭痛、下痢、便秘などを引き起こしていることもあります。
こうした自分を守ることをしている人は、外界をおそろしい敵としてとらえてしまっているのです。
自分を守ることをしている人は、外界に対する信頼が形成されていないのです。
自分を守ることをしている人は、外界への信頼がないから、自分に対する不安が生じてしまうのです。
ホーナイ流にいえば、自分を守ることをしている人は、脅威に満ちた世界に頼るものもなく、無力な状態でたった一人でいる子どもの不安にとらわれてしまっているのです。
こうした自分を守ることをしている人は、自分が無力で卑小であると実感しています。
しかし、その意識とは逆に、自分を守ることをしている人は、実は世界が自分を中心に回っているという尊大感にとらわれてしまっているのです。
自分を守ることをしている人は、外界の目がすべて自分に注がれ、自分の一つ一つの行動がみんなに注目されていると思い込んでいることです。
じっさいには人は利害関係のない他の人のことなど、どうでもいいのです。
孫子の兵法にもいうように「至る所守らんとすれば、至る所弱し」です。
自分を守ることをしている人は、守りきれるものではありません。
楽になるコツは、自分を守ることをやめ、本来の課題の達成だけに意識を集中することです。
自分を守ることをしないある大学の哲学の先生は、「言い訳しない」をモットーにしているとのことでした。
授業や講演などをするときに、このモットーで心を落ち着かせるということでした。「言い訳しない」ということは、自分を守ることから意識を離脱させ、意識を課題そのものへ向けていく作用を果たしているのだと思われます。
無意識のうちに自分を守る私たちは、いろいろな言い訳に頼りがちです。
「頭が痛いので」「病気なので」「生い立ちが」「調子が悪くて」「相手がちゃんとやってくれないので」等々、いずれも自分を守ることをする敗者の理論です。
ある大学のS先生は、肩に力を入れることもなく、付属校の校長や学部長、県の各種の委員など、なんのストレスも感じないかのように、じつに手際よくひょうひょうとこなす、まさに人生の達人ともいうべき人でした。
自分を守ることをしていないS先生からうかがった、ストレスを避けるものごとへの対処法は、「即断、即決、即実行」だそうです。
関連する情報を収集し、一定時間熟考し、決断したらもうあれこれ迷わない、実行あるのみ、というのです。
ある程度考えれば、あとは時間に比例した効果は期待できません。
自分を守ることをする姿勢があるから時間がかかるだけなのです。
自分を守る姿勢を捨てたとき、即断、即決、即実行が可能になります。
そして、過ぎ去ったことに、うじうじとこだわっていることもなくなります。
私達は多かれ少なかれ、身につける物に対して、自分を守ることをしてくれる物という意識を持っています。
たとえば、つぎのような実験結果が得られています(M・アージル著 辻正三/中村陽吉訳『対人行動の心理』誠信書房 1972)。
聴衆に対して話をするときに、サングラスをかけた場合とかけない場合とを比較すると、かけた場合の方が話し手の緊張が低くなり、自分を守る効果があります。
さらに、聴衆のうしろから話すと、いっそう緊張せずに話せます。
逆にふだんメガネをかけている人がそれをはずすと、自分を守る壁を失ったようなたよりなさを感じることがあります。
腕時計にも自分を守る機能があります。
腕時計を忘れて外出すると、なんとなく落ち着きません。
時間が分からなくて困るということもあるでしょうが、皮膚がむき出しで心もとない感じがします。
服飾品も、積極的に自我をアピールする機能だけではなく、自我を守る機能があります。
ネックレスやペンダントは身体の前面を守ってくれるように感じられます。
腕輪や指輪は両腕を守ってくれるように感じられます。
また女性では、化粧していることが自分の守る力を強めてくれます。
むろん服装も、自分を守る機能を果たします。
自分の身体が非常に傷つきやすく、攻撃に対して無防備であろうと感じる傾向が強い若い女性は、最新流行の人目を引く流行の服を着る傾向が強いという外国での研究結果もあります(S・フィッシャー著 村山久美子/小松啓訳『からだの意識』誠信書房 1979)。
装身具を自分を守る意識で選ぶのではなく、自分を飾り、自分を楽しませるという意識で選ぶように心を変えてみるのも一つの良い方法です。