自分を解放する

自分を解放することとは、自分の感覚、感情、欲求を信頼し、自分だと実感できる率直な行動をすることです。

自己開放には、二つの面があります。

一つは、自分自身に対して自分を解放するという面です。

すなわち、自己抑制を解くことです。

もう一つは、外界に対して自分を解放することです。

すなわち、他者を信頼して他者と結び合うことです。

自己抑制の解除

自分がやりたいのに抑えてきたことを思い切ってやることです。

今、やって楽しいことをもっと堪能することです。

ばかばかしい、子どもじみている、恥ずかしい、意味がない、役に立たない、忙しいなど、いろいろな理由で、私たちは多くのやりたいことをやらないで生きています。

そうしたことを思い切ってやってみることです。

他愛のないことでも、意外に自分を束縛するものから自由になったという感覚が得られるものです。

1.やってみたいこと、楽しいことをニ十個列挙します。

白紙に、思いつくままにやってみたいことを書いていきます。

今までのやり残したこと、気になっていること、子どもの頃やって楽しかったこと、挑戦してみたいこと、やって楽しいこと、やると気持ちの良いこと、なんでもよいのでどんどん列挙していきます。

たとえば、気になっているレストランで食事する、〇〇のケーキを食べる、一週間休暇を取って旅行にいく、三日間何もしないでボーッと過ごす、乗馬、つり、ゴルフ、ヨガなど、やってみたいことをなんでもあげます。

ニ十個あげるのはちょっと大変かも知れません。

ニ十個と数を指定したのは、たくさんあげないと、心のどこかでやりたいと思っているのに想起されずに終わってしまうものがあるからです。

ですから、できるだけこの数に近づけることを目指して下さい。

むろん、ニ十個以上ある人は、ニ十個に限定せずにたくさん列挙して下さい。

2.やってみたい順位つけをします。

上記であげたそれぞれについて、やってみたい程度で順位をつけます。

「ぜったい、やりたい」「ぜひ、やりたい」「できればやりたい」といった三段階程度でよいでしょう。

3.やりやすい順位つけをします。

それぞれについて、やりやすい程度を判断します。

これも「すぐできる」「少し準備がいる」「今は無理」など、三段階程度に分ければよいでしょう。

4.やりやすい順番に一覧表にします

一枚の紙に、やりやすい順番で書いていきます。

5.実行計画を立てる

すぐにできることをいつやるか、スケジュールに組み込みます。

すぐにはできないけれども、やってみたいことについては、見通しを立てたり、準備したりする計画を立てます。

また、今は実行する計画まで立てられないけれども、やり残したままでは後悔すると思われることは、しっかりと確認しておきます。

そして、これらについては、長期的展望で取り組むこととします。

6.できることからやっていきます。

やってみたいランクが上で、しかもやりやすいことから、順次実行していきます。

簡単にできることで、楽しいことをいくつか連続して行うと、「自分でやりたいようにやれるんだ」という自信めいたものが得られ、次々と挑戦しようとする意欲が湧きます。

いかに不必要な制限を勝手に背負っていたかを実感させてくれ、自由で解放された自分を感じることができます。

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人とつながる

他の人への好き嫌い、他の人に共感すること、信頼できそうとか、怪しそうなど他の人に抱く印象。

こうしたことは、もともと感じることによるものであって、考えることによるものではないということが、脳神経科学的に明らかにされています。

すなわち、こうしたことは、大脳皮質を介することなく、視覚から扁桃核(感情を司る脳神経部位)へ直接つながる神経回路があり、それによって生じているのです。

また、人と接しているときには、心のみでなく、無意識のうちに身体でも感応しあっています。

たとえば、母親が赤ん坊を抱こうとすると、赤ん坊は抱きやすい姿勢をとります。

スムーズな会話をしているときには、考えることではなく、自然に感じることに心を置くようにすることです。

そのためには以下のような姿勢が役立ちます。

自分を守ろうとしない

期待された役割を生きる自分は、自分が「なにか気の利いたことを言わなければ」などと、無意識のうちに相手に与える印象を良くしようと身構えてしまいます。

ですから、意識的に、ゆったりとあるがままの自分で接するように努めることです。

そのためには、「あるがまま」「自分でいいのだ」など、自分にぴったりくる言葉を頭の中で繰り返すという方法が役に立ちます。

また、「背伸びしない」「見栄を張らない」「その場しのぎの行動をしない」ということを心がけることです。

人間関係で重荷をもたらすのは、だいたいがこれらに原因があるからです。

自分を素直に表現する

上記のような気持ちで接していると、自分に関心が向くのではなく、相手の話に関心が向きます。

それで、いろいろなことが感じられます。

その感じを「なるほど」「あー、そうなんだ」「わあ、すごい」「えー!」などと素直に表現します。

また、いろんな疑問や、さらに聞いてみたいことなども湧いてきます。

それを「どうして?」「それからどうしたの?」などと率直に質問することです。

すべての人から学ぼうとする

どんな人からも、学ぶことは多いものです。

人から学ぼうという姿勢で人に接すると、その人の人間味が身近に感じられます。

また、優れた人を嫉妬ではなく、素直な憧れとしてみることができます。

人から学ぼうとする姿勢は、相手に誠実に接するということです。

そのために、相手の人は自分が尊重されているという実感を持ち、あなたへの信頼感を持ちます。

愛情を深める

愛に現実的であること

愛情を深めるには自分であろうとすることが必要であり、深められた愛情関係は自分であることを促進するという循環作用があります。

期待された役割を生きる人は、現実の愛に向き合わずに、愛の幻想に心を寄せてしまいがちです。

愛についての幻想を捨て、現実的な愛の姿をこそ期待することが大事です。

ドラマや映画のようなロマンスは、現実には存在できません。

人間の心は複雑ですから、相手のすべてを信頼し、身も心もなげうって愛に没入できる。

そんな愛など現実にはありえません。

この人でよいのかと、多かれ少なかれ逡巡しながら愛は進むものなのです。

心が通じ合わないとか、相手の誠意への疑惑とか、性格が合わないなど、一時たりとも悩んだことのない愛などありません。

さらにいえば、アメリカの男女の70%はセックスの最中にファンタジーを膨らませているという調査結果があり、そのなかには現に交わっている相手ではない相手をイメージしている人も当然含まれるのです。

現実の愛の生活とは、毎日毎日のうんざりするような雑事の積み重ねであり、「私はこの人を一生愛していこう」とする実存的な決断があるのみなのです。

自分にぴったり合う人などいません。

理解しようとしても自分の心の枠組では理解しきれない部分が残ります。

でも、その人をそのままに受け入れ、敬愛する。

そして、その人がいま、自分の人生をともに歩いてくれている、このことに感謝することです。

自分を知る

愛とは心の深い感情で結び合うことなので、幼い時期に親との関係のなかで受けた傷がよみがえってしまうことが少なくありません。

このために、ささいなことや、わけの分からないことで、感情が大きく揺り動かされてしまったりするのです。

たとえば、ある男性は、彼女から会社や仕事のことを聞かれると、なぜか怒りの感情が湧いてしまいます。

それは、子どものころ、学校から帰ると、必ず母親が学校での出来事を根掘り葉掘り聞いていたからなのです。

このとき、干渉的な母親によって自分だけの世界までも踏みにじられているような嫌な感じがしていたのです。

その子どものときの気持ちが、よみがえってしまうのです。

ある女性は、恋人と意見がちょっと違ったり、恋人の不機嫌な様子を見るだけで、ひどく不安になり、感情が混乱してしまいます。

親が不仲で喧嘩が多く、けんかをしている最中、幼い姉弟でただじっと耐えていた、そのつらい感情がよみがえってしまうためなのです。

私たちは親との関係の中で、愛し、愛されるとはどのようにすることなのか、愛を得るためにどのようにすべきなのかといったことを、知らず知らずのうちに身に着けて成長します。

そして、その身に着けた心と行動で無意識のうちにパートナーに対応しているのです。

パートナーに対する対応を典型に分類すると、献身型、要求型、閉じこもり型に分けることができます。

それぞれの型の特徴と留意すべき点を簡単に紹介します。

献身型

このタイプは、「愛とは尽くすこと」であり、「愛されるためには自己犠牲を払うことだ」という姿勢が身についた人です。

この人にとって愛は献身ですから、愛が新鮮なうちは、世話をしてあげられる相手ができたことに大きな喜びと満足を感じます。

相手もまた、そうした献身をうけることで愛を感じ、パートナーへの満足を感じます。

ところが、もともとこのタイプは、親の愛を得たり、親から誉められたり、親の機嫌を損ねないために、親の感情に気を配り、親が喜ぶような行動をすることが必要だった子ども時代を送った人であります。

そのために、献身に対する愛の見返りを求める心が同時に働いています。

つまり、「私が尽くせば尽くすほど、相手は私を愛してくれるはず」という思い込みがあるのです。

ですから、十分な見返りが得られないと、パートナーについて不信感が生まれ、自分だけが一方的に犠牲になっているという不満感を強めていくことになります。

また、献身型の人は、パートナーのために尽くしたいから尽くしているのではありません。

自分の意識的な決断ではなく、そうせざるを得ない心理構造によるのです。

いわば心のうちの強迫的な衝動によるものです。

このために、本人は相手に尽くしていると思っているのですが、相手にとっては押し付けがましく、干渉や支配と受け止められる可能性があります。

こうなると献身はありがたいものではなく、むしろうっとうしいものとなり、相手は「愛されている」という感覚が得られなくなります。

こうして献身型の人は、自分はこんなに愛し尽くしているのに相手が応えてくれないと、心通じ合えないことを嘆くことになります。

しかし、愛に献身は欠かせません。

献身型の人は、その点で幸福な愛への大きな武器を持っています。

この特性を生かすようにすることです。

つまり、自分が相手に尽くすのは相手に何かを求めてのことではなく、「献身すること自体が、自分にとっての幸福なのだ」ということをしっかりと自覚することです。

要求型

このタイプの人にとって、愛とは「愛し、愛されること」ではありません。

一方的に「愛されること」です。

相手に献身や配慮、賞賛を求め、それらが与えられても当たり前のこととしか感じられません。

自分は気まぐれにしか相手に尽くさないのに、相手にはいつでも献身を期待するのです。

要求型には、末っ子や一人っ子など大事にされて育った人が含まれます。

この人たちは、悪意を持たず、未熟でも可愛らしさとしてパートナーから受け止められます。

献身型の人にとっては、むしろ好ましいパートナー特性といえます。

ところが、要求型のなかには、親の愛を得るために自分を主張しなければならなかった人も含まれます。

こうした人は、親に対する不信感が形成されているために、攻撃的傾向が伴います。

そのために、パートナーに献身を要求するだけでなく、いつでも「・・・してくれない」と相手に対し不満を感じ、責めることが多くなります。

二人とも要求型であるカップルでは、とうぜんぶつかり合いが多くなります。

パートナーが献身型の場合には、パートナーが尽くして尽くして疲れきってしまうという状態に至ります。

ですから、要求型の人は、パートナーが何かをしてくれるごとに「ありがとう」と言葉を返す努力を意識的にすることです。

その努力をすることでパートナーの愛情を感じることができ、愛を受け取るたけの自分を変えることにもつながります。

閉じこもり型

閉じこもり型とは、感情抑制的で、自分のことは自分でするという自己完結的傾向が強い人です。

このタイプの人にとっての愛とは、自律的な二人が、お互いの領域に踏み込まず、過度な距離を保ちあう関係ということになります。

閉じこもり型の人は、じつは愛情を拒絶されて育った人であることが多いのです。

そのために、根底に愛そのものへの不信感が存在します。

このタイプの人は、自分のことは自分できちんと処理するのですが、パートナーに対する関心や配慮に欠けることがあります。

一緒にいても、「パートナーとともにいる」のではなく、「パートナーの観察者としている」ことが少なくありません。

また、機能性や合理性を優先する傾向があり、仕事のことや問題などは話し合えるのですが、世間話など他愛ないことを語り合うことが苦手です。

さらに、生身の感情をぶつけ合うことを恐れ、共感を交流するということを避けがちです。

こうしたことのために、閉じこもり型の人が主観的には相手を愛していたとしても、パートナーにとっては愛されているという生身の実感が得にくいのです。

通じ合えないもどかしさがあり、やり場のない孤独感に苦しめられることになりがちです。

閉じこもり型の人はとりわけ、自分を語り、自分の内面を表出する努力をすること、そして、相手に関心を向ける努力をすることが求められます。

自分がどのタイプに当てはまり、どの傾向が優勢であるかを振り返ってみることは、自分を知り、よりよい愛情関係を築くために有益です。

いずれの型も永い過去の生育体験により形成されたものです。

したがって、自分の努力だけで簡単に変えられるというものではありません。

しかし、愛には心の傷に対する大きな癒やし効果があります。

それ故にこうした傾向を変える力をも持っているのです。

愛する人とは永い時間をともにすることになるのです。

愛の癒し効果と努力によって、相当大きく変わることができます。

愛することとは成長することです。

自分を知り、自分を成長させる努力を惜しまないことが、相手をしっかりと愛することにつながるのです。

相手を信じ、自分を開示する

真実を知ると愛してもらえないという無意識の恐れが、私たちの深層心理に存在します。

童話や昔話はこのことを繰り返し描いています。

たとえば、「雪女」「蛇女房」「竜の小太郎」「鶴の恩返し」。

いずれも、自分の正体を見られると愛する人の元を去っていきます。

たとえ真実の姿が雪女や蛇や鶴であっても、お互いに愛し合っているならば、そのままの生活を続ければ良いものを。

自分を信じ、相手を信じ、恐れずに自分を素直に表現することです。

できるだけたくさん語り合うことです。

言葉を交流することは、心を交流することにほかなりません。

心になにも作用しない言葉などありえないからです。

以下の姿勢を心がけると、いっそう心通じ合う体験が得られるはずです。

相手の話をよく聞く

人が話しをするとき、自分と自分の話に関心を向けて欲しい、共感して欲しい、同意して欲しい、感情的に支えて欲しいなどのことを期待しながら話をするのです。

相手の話をよく聞こうとすることは、こうした諸要求を満たしてあげることなのです。

そのために、相手は自分が大切にされ、受け入れられ、愛されているという実感を得ることができるのです。

語り合う時間を愛の時間として楽しむことです。

自分を開示する

愛の関係を維持し、深めるためには、ときにぶつかり合うのは避けられません。

不必要なぶつかり合いを避ける賢明さとともに、必要なぶつかり合いを賢明に処理する仕方を学ぶことが求められます。

その一つがすでに述べた「I(私)を主語に内面を語る」ことです。

これは自分を開示し、相手に勝とうとしない姿勢です。

私を主語にすると、相手を責めるニュアンスがなくなります。

むしろ、拒絶されて自分が傷つく可能性があるのに内面を語ってくれたということで、相手は誠実さを感じます。

このために、相手も冷静に自分を反省し、有効なコミュニケーションが成立する可能性が高くなるのです。

心を閉ざすのではなく、勇気を持って主語を私にして語りかけることです。

けんかして、なお気持ちが落ち着かず、直接話すことができない場合には、メールでもかまいません。

その場合も、私を主語にして自分の内面を伝えることです。

どちらかが行動しなければ事態は動きません。

傷つくかもしれない。

でも相手を信じて内面を吐露する勇気こそ、愛情を深める道なのです。

身体での語り合い

言葉での語らいではなく、時には身体での通じ合いが二人の心を癒し、心の結び合いを強めてくれる場合があります。

身体接触による語り合いは、心の深いところで通じ合う体験をもたらします。

言葉はなくとも、言葉以上の語り合いになることも多いものです。

また、ひどく落ち込んだときや、避けられない深い悲しみなどに出会ったときには、言葉では心に到達できない場合があります。

そうしたときに、身体での語り合いが有効です。

幼子が親の胸に抱かれたような安らぎが与えられます。

身体での語り合いには、ベッドの上で抱き合う形でも良いでしょうし、ソファでパートナーを胸に密着させて抱くのも良いでしょう。

あるいは、後ろから抱いてもらうことや、子どものように相手の胸にほほをつけて抱いてもらうことが好みの人もいるでしょう。

こうしてお互いの身体のぬくもりを、鼓動を、そして呼吸を感じながら、しばらくの間そのままじっとしているのです。

やさしく身体をさすってあげたり、髪をなでてあげたりしてもよいでしょう。

ただし、身体での語り合いのときには、性的な刺激は慎んだほうが賢明です。

セックス抜きの接触によって、安心して受け入れられているという感覚が得られ、癒されるからです。

テレビを消して、できれば静かな音楽と落ち着いた照明のなかで、この時間をいとおしむことです。

セックスとは異なる素敵な心の通じ合いを体験できるはずです。

プラス・ゲームを楽しむ

愛情関係は、なにかを達成するための関係ではありません。

ただ感情を交流することが求められていることです。

そうした意味で、愛するということは、二人だけのゲームを楽しむことでもあります。

ここでいうゲームとは、交流分析の概念で、最初から特定の感情がもたらされることが暗黙のうちに分かっていながら行うやりとりのことです。

ゲームには、快い感情で終わるプラス・ゲームと、不快な感情で終わるマイナス・ゲームとがあります。

たとえば、次のようなものがマイナス・ゲームです。

ある男性は、彼女に優しくしようと思っているのですが、会うとついからかってしまい、そのからかいがどんどんエスカレートして、彼女を泣かせてしまうことがよくあります。

ある女性は、相手がいろいろと気を使ってくれているのが分かっていながらなぜか素直になれず、気まずいままにデートが終わってしまうことがあります。

こうしたマイナス・ゲームはきっぱりと拒否することです。

ゲームは一人ではできません。

どちらかがマイナス・ゲームの端緒に気づいたとき、それに乗らないようにすれば、ゲームにならずに終わります。

自分や相手が行いやすいマイナス・ゲームを知って、それに乗らないように注意すると、愛情関係が快適なものになります。

プラスの感情をもたらすゲームとは、次のようなものです。

休日に遊園地に行く約束の二人でしたが、急に他に出費があって、彼にお金がないことが分かった彼女が「ずばらしい天気だから、今日のデートはお弁当作って公園に行って食べよう」と誘います。

その誘いに、「そりゃ、素敵だね。せっかくの天気だものね」と男性が答えます。

これは、お金のない二人ですが、そのことは忘れて、今日をすばらしい日にしようとするゲームを演じる姿なのです。

ただ甘えたいだけとか、自己価値の確認を求めるプラスのゲームは、愛する者同士日々行っています。

彼女「愛してる?」

彼「愛しているよ」

彼女「この洋服ちょっと派手過ぎない?」

彼「そんなことないさ、明るい色がとても素敵だよ」

彼「部長がわざわざ僕のところに仕事を頼みに来たよ」

彼女「すごいじゃない、信頼されているんだ」

とりわけパートナーが精神的なストレスを抱えているときや落ち込んでいるときに、プラス・ゲームが有効ですし、必要な時です。

彼女「ごめん、私、仕事のことが気になってセックスする気分になれないの」

彼「大丈夫さ、君と一緒にいるだけで僕は大満足さ」

彼「会社でもっとがんばらないといけないのかな~?」

彼女「がんばっているじゃない、今のままで十分よ」

プラス・ゲームには大いに乗っかって、子どものように心地よい感情をたっぷり楽しむことです。