人付き合いに苦手意識を感じる場面とは、殴られたり、刃物で傷つけられたりするわけではありません。
それなのに、不安になったり、恐れてしまうのは、いったい何を恐れているのでしょうか?
見られる苦痛・見る苦痛
人の視線を意識すると緊張する
人付き合いに苦手意識を感じやすい人は、他の人が不安を感じない場面でも苦手になってしまいます。
なかには、視線を向けられるだけでも苦痛だという人がいます。
たとえば、病院の待合室で名前を呼ばれて、返事をして受付まで行くときなど、全員の視線が集中するので苦痛です。
ある女性は、他の人からちょっと長めに見られると、化粧とか服装のどこかに落ち度があるのではと、苦手意識を感じてしまうと言います。
この傾向がひどくなると、人の視線がある場面で緊張してしまい、自然な行動がとれません。
歩いているときに、他の人から見られていると意識すると、脚が硬直してしまって、ロボットのような不自然な歩きになってしまう人がいます。
雲の上を歩いているかのように、ふわふわした感じになってしまう人もいます。
人が見ていると、頭も手も緊張してしまい、うまく字が書けないという人も少なくありません。
ある大学教授は、板書のときに、ゆっくりと字を書くと書けなくなってしまいます。
漢字や英語のつづりが間違っているような気がしてしまうのです。
今はパワーポイントを用いることができるので楽だということです。
見られていなくても、ただ、他の人がいると緊張してしまって、普通の行動ができない人もいます。
たとえば、若い人では、他の人がいる食堂では食事ができないという人がいます。
トイレで隣に誰か来るとおしっこが出ない、という男子もいます。
人の視線そのものが恐ろしい
視線が怖い人では、人の視線そのものが恐ろしく感じられます。
このために、親しい人と会話するときでも、目を伏せています。
電車に乗ると、向かいの席に座っている人と目が合うのが嫌で、ずっと携帯をいじっています。
なかには、交差点で青になって渡るとき、反対側から来る人たちの視線が怖いので、目を伏せる人もいます。
エスカレーターでは、上り下りが交差するとき、目を伏せてしまいますし、エレベーターの中では目の置き場に戸惑います。
反対に、自分の視線を恐れる人がいます。
たとえば、自分の目がきつい印象を与えるので、他の人と視線を合わせると睨んでいるように思われるのではないか、と心配してしまいのです。
隣に座った人の顔が視野の端に入ると、自分が隣の人を見ていると隣の人が思うのではないか、と気になってしまう人もいます。
それで、ほおづえをつくふりをして、手で視野をさえぎるなどの行為をします。
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状況にうまく対処できない苦手意識
新しい環境、不慣れな場面に苦手意識を感じる
対処法がわからない場面では、うまく対処できないのではないかという苦手意識にかられます。
その代表的な場面は、新しい状況に置かれた場合です。
小学校や中学、高校、大学などに入学したときや、転校した学校での最初の日、あるいは、初出勤や転勤した当初などは、誰でも苦手意識を感じます。
初対面の人に会うときや、知らないレストランに入るときなども、いささか気後れします。
初めての体験でなくとも、慣れることができない状況もあります。
慣れるほど頻繁には遭遇しない状況などです。
たとえば、子どもの授業参観のとき、父親も母親も緊張します。
うまく対応できなくて、子どもの前で恥をかくのではないかと心配になります。
人付き合いに苦手意識の強い人は、なかなか場面に慣れることができないのが一つの特徴です。
異性と自然に接することができない
若い人の場合、うまく対処できないのではないかという苦手意識を感じるのは、異性と接するときです。
この場合には、自分が相手に良い印象を与えることができるだろうか、という不安が中心になります。
とりわけ魅力的な異性の前では緊張してしまい、素直なありのままの自分になれません。
つい、気を遣いすぎて、ちぐはぐな行動をとってしまうとか、おどけることで緊張を解消しようとしたりします。
反対に、相手に気のないそぶりをすることで、緊張や苦手意識から逃れようとする人もいます。
このために、後で親しい関係になると、「最初は嫌な奴と思った」という場合がすくなくありません。
女子大学に進学する女子や女子の少ない学部を選ぶ男子の中には、こうしたことに対する自信のない人が含まれています。
責任を持つことへの苦手意識
うまく対処できないのではないかという苦手意識を感じる第三の状況は、責任を伴う場面です。
正社員になるよりもバイトや非正規のほうを選ぶ場合、責任を持つことへの不安を強く感じていることがあります。
経験や年代も関係します。
新人や若い時期には失敗しても許されますが、ある年代になると失敗は許されません。
そのために、経験を積んだり、ある程度の年代になってからのほうが苦手意識を強く感じるようになるのです。
このために、部下を持ったり、管理的立場になって人付き合いに苦手意識を強く感じるようになった、という人がいます。
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能力が評価される苦手意識
人付き合いの苦手意識の多くは、能力評価について
能力が評価される苦手意識とは、能力がないと思われるのではないかとか、能力がないことが暴露されてしまうのではないかという苦手意識のことです。
人付き合いに苦手意識を感じる多くは、この能力評価についての苦手意識といえます。
他の人付き合いの苦手意識にしても、能力評価への苦手意識が多少なりとも含まれています。
この苦手意識は、人から高く評価されたい、賞賛されたいという欲求があるのですが、その自信が持てないために生じるものです。
根底には、人から低く評価されることで自我が傷つくことへの恐れがあります。
能力評価への苦手意識の典型は、口頭試問や就職試験での面接、業績査定の面接などの場面です。
また、人前でスピーチやプレゼンテーションをする、演奏や演技、演舞などをする場合の苦手意識です。
評価される場面ではないのに、評価されると思ってしまう
人付き合いで苦手意識が高い人は、評価される場面でなくとも、能力評価場面と受け止めてしまいます。
たとえば、会議は考えを出し合ってよい結論を得るのが目的なのに、もっぱら自分の能力が問われる場だと受け止めてしまいます。
そのために気軽に発言できません。
発言してもしなくてもあれこれと考えて、後々までマイナスの気分を引きずってしまいがちです。
単なる雑談や飲み会、カラオケまでも、能力評価の場面ととらえてしまい、素直に楽しめません。
とりわけ、上位の人や優れている人と同席するときは、自分が劣っていることが知られてしまうのではないかと苦手になり、何か気の利いたことを言わなければ、と身構えます。
人付き合いが苦手気味の若い人は、同性の同年齢の人といるときが一番圧迫感を感じます。
同性の同年齢だと、どうしても比べてしまうからです。
年齢が異なれば、あるいは、異性であれば、比べられることが少ないので安心できます。
男友達の中にいると劣等感や圧迫感を感じるので、もっぱら女子と接しようとする男子がいます。
そうした男子は、健全な男性性が育っていないので、女性に甘えるか、逆に自分の優位を誇示するなど、不自然な関係になることが多いものです。
さまざまな行動の裏に「評価への恐れ」が隠されている
実際には自分の能力が評価されることを恐れているために生じる行動を、本人が明確に意識していないことがあります。
たとえば、ある人は、初対面の人と接することは平気で、むしろ気軽に自分のほうから話しかけます。
ところが、知り合いには気軽に話せず、距離を置いて接しようとします。
こうした行動の背後には、ある程度自分を知られると、つまらない人だということがわかってしまうのではないかという恐れがあります。
また、レポートや作品の提出が遅れる人や、仕事をずるずると延ばしてしまう人にも、評価を恐れる心理が働いていることがあります。
さらに、手紙が書けないとか、メールをすぐに送れないなどという場合もそうです。
飲み会に出席するのが苦痛とか、電車で知人と一緒になることを恐れるのも、本人は人付き合いが嫌いと思っているのですが、実際には評価を恐れていることが多いのです。
このように、人付き合いの苦手意識が高い人は評価されることに敏感なので、他の人に対しても能力評価的に見る傾向があります。
そして、他の人も自分と同じように評価的に見ているのだろうと思い込んでいます。
また、自分がいつまでも自分の失敗や恥ずかしいことを覚えているので、他の人もそれを覚えているものと思い込んでいます。
そのために、その相手と一緒だと苦痛になってしまいます。
しかし、人はそれぞれ自分のことで忙しく、他の人のことなど気にしませんし、覚えていません。
たとえ覚えていたとしても、さほどの重みはありません。
嫌われることへの恐れ
嫌われたくないから「ノー」と言えない
人付き合いに苦手意識を感じている人の中には、人から嫌われることを恐れる、人に好かれていないと不安、という心理も含まれます。
このために人付き合いの苦手意識が強い人は、人から気に入られたいという思いが強く、他の人の感情を害することをとても恐れます。
ですから、路上でのキャッチセールスにさえ「ノー」と言うのが苦痛です。
そうした人に声をかけられないようにと、目を合わせず、後ろ側を通るようにしている、という人もいます。
嫌われることへの不安が強いと、誰にでもよい顔をする八方美人になります。
誰にでもよい人として印象づけようとして、相手に合わせて自分を変えます。
そうなると、演技しているという意識が強くなり、確たる自分があるという意識を持てません。
他の人から見捨てられることをひどく恐れるケースもあります。
ある女子学生が、親友から見捨てられたと泣いて訴えてきたことがあります。
苦手な実習の時間に親友に聞きながらやっていたところ、「自分でできるところは自分でやって」と、教えるのを拒否されました。
しかし、その親友は他の人には教えていたというのです。
また、別な女子学生は、「自分は他の人のように、おべんちゃらが言えない。
だから、友達が慣れてきたら、自分を嫌いになって離れていくのではないかと心配です」と語っていました。
嫌われることを恐れる人の中には、皮肉を言うとか、わざと嫌われるようなことをするなど、前もって防衛行動をとる人がいます。
自分が相手を受け入れなければ、相手が自分を受け入れてくれなくても傷つかないで済むからです。
非難されることへの恐れ
嫌われるのを恐れるという心理には、非難されることへの恐れが含まれる場合があります。
この場合には、自分を主張したり、自分の意思を表明しようとすると苦手意識が強くなります。
中学時代に、ある意見の対立をきっかけにクラス内で浮いた存在になってしまった体験を持つ女子学生は、それ以来、自分が非難されないようにと、他の人の顔色をうかがいながら行動するようになった、と言います。
相手が間違っていて、自分のほうが正しいと思っても言い返すことができません。
断定的に言えず、いつでも腕曲に言います。
「他の人のことなど考えずに済むようになったら、どんなに楽だろう」と思っています。
自分が他の人に不快感を与えてしまう怖さ
自分が他の人に不快感を与えてしまうのではないか、という心配が負担になっている人もいます。
この典型は、醜形恐怖や体臭恐怖などです。
これは自分の容貌や体型、体臭などを恐れているのですが、同時に、他の人の感情を害することを恐れてもいるのです。
また、自分はつまらない人間なので、自分がいることで場を盛り下げてしまうのではないか、と恐れる人は少なくありません。
こうした人は、気を遣って場を盛り上げようとして、それがかえって雰囲気を壊してしまうことがあります。
そうした体験が、ますます自分はつまらない人間だという信念を強化することになります。
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生身の自分が知られてしまう苦手意識
秘めた内面を知られたくない
人付き合いの苦手意識が強い人の中には、生身の自分がしられてしまうことを恐れる心理が含まれていることがあります。
こうした傾向の人は、知り合いになってもほどほどの距離を保つとか、お店など馴染みにならないように気を遣います。
あるいは、自分についての固定観念を持たれないように努める人もいます。
自分のイメージが固まりそうになると、行動パターンを変えたり、髪型を変えたり、服装を変えたりするなどして、別な自分を印象づけようとします。
自分が知られることを恐れるのは、自分の内面を見透かされてしまうのではないか、という苦手意識が主になっています。
これは幼い子どもの心の名残のように思われます。
子どもの頃、何かいけないことをして親に隠しているとき親の目が怖かった、という体験を持っている人は少なくありません。
あるいは、クラスの友達に嘘をついてしまい、それがばれないかと、その後ハラハラのし通しだったという体験がある方も少なくないでしょう。
思春期以降には、急速に心理的能力が発達して、表に出す行動と秘めた内面とのギャップが大きくなります。
その秘めた内面を知られることを、恐れるようになるのです。
知られることを恐れる代表的なものは、劣等感に関わることです。
人と接することで劣っていることが明らかになったり、劣等感が刺激されてしまうことを恐れます。
たとえば、人付き合いの苦手意識が強い人は、声がうわずったり、顔が赤くなったり、手が震えたりすることで、自分が社交恐怖であることを知られるのをひどく恐れます。
仕事など公的な場は平気なのですが、プライベートな場が苦手だという人がいます。
仕事ではバリバリ鍛えてきたので、仕事には自信があります。
仕事のことなら誰としゃべってもほとんど平気です。
ところが、仕事を離れた会話をしなければならなくなると、とたんに不安になります。
「自分は幅が狭いつまらない人間だ」という劣等意識があり、そのような自分を知られてしまうことを恐れているのです。
知られたくない内面のもう一つの代表は、性に関わることです。
ある学生は、自分の特殊な性的嗜好に苦しんでおり、心理学の先生の目が「なんでもわかっているよ」とでも言っているようで怖い。
それで、心理学の授業では寝たふりをするとか、視線を上げないでノートをとっていると言います。
変な人、みんなと違うと思われることが嫌い
自分を知られる苦手意識の中には、変な人、変わった人などと見られることを嫌がる心理も含まれます。
女性が一人でいることに不安を感じるのも、この心理が含まれていることがあります。
一人でいるのは仲間に馴染めない異質なところがあるためだ、と他の人から見られるのではないかという恐れです。
この苦手意識のある人は、みんなと同じように見られたいという意識が強いので、自分と他の人の行動をいつも見比べています。
そのために、自分を異質性を持った人ととらえる傾向があり、それをひどく気にしていることが少なくありません。
たとえば、会話のとき、相手と目を合わせる時間が長すぎないかとか、頻繁に視線を合わせすぎないかと気になります。
笑うとき、口をあけすぎて歯ぐきが見えてしまわないか、しゃべるとき唾液が口の中にたまりすぎないか、まばたきが頻繁すぎないか等々、思いもよらないことを気にしていることが珍しくありません。
このように自分の細かい部分に注意を向けると、自分の異質性を証拠だてるようなことばかりに目がいってしまいます。
その結果、自分は異質であるという確信を強めることになります。
それを否定したくて、「私って、変じゃないですよね」と何度もカウンセラーに確認を求める人もいます。
身体の変調を知られるのが恥ずかしい
人付き合いに苦手意識を強く感じている人の中でも、身体的な変調を知られることを恐れている人は意外に多いものです。
たとえば、お腹がグルグル鳴る音を聞かれるのではないかと、静かな場所や静かな時間を恐れます。
コンサートなどは最悪です。
あるいは、人中で吐いてしまうのではないかと恐怖する人もいます。
「吐くかもしれない」「吐きそう」と思っていると、本当にお腹から込み上げてくるものがあります。
頻尿のために何度もトイレに行くのを変に思われないかときにする例も見られます。
こうした症状は、気にすれば気にするほど高じてきて苦痛が増します。
実際にはお漏らしすることはありません。
しかし、心因性のものであり、大丈夫だとわかっていても、容易に治まるものでもありません。
中学や高校でこの症状が始まると、長い時間を静かな教室で過ごすのでとくにつらいものです。
しかし、大学に入ったり、就職すると、空間と時間がより自由になるので自然に治るか、軽減することが多いものです。
その他の心理傾向
以上の他に、人付き合いに苦手意識を強く持ってしまうことに関連する心理傾向をいくつか付け加えておきます。
その一つは、心理的負債を負うことへの苦手意識です。
この不安が強い人は、人の好意を受けるのが苦痛です。
人に何か頼むのが苦痛で、素直に人に依存できません。
とりわけ仕事のことで他の人に依頼するのが苦痛なので、一人で抱え込んで、四苦八苦するという羽目になります。
最悪の場合、仕事を滞らせてしまい、結局他の人の援助を受けざるを得なくなります。
そうした好意を受けた場合は、慇懃すぎるほど礼を言わないと気が済みません。
そのような場面で、自分は望まなかったのに、相手が勝手に手伝ったのだという形になるように策を弄する人もいます。
好意を受けたり、頼んだり、依存したりすると、自分を劣位に置くように感じてしまい、耐えられないためです。
こうしたことのために、むしろ他の人のために尽くすほうが楽であると感じます。
他の人の失敗を補ってあげたり、他の人のために謝罪してあげたりします。
これによって、人の役に立つ喜びが感じられるし、無意識にせよ、その人より優位に立てたような気持ちになるからです。
次に付け加えておきたいことは、相手を自分の思い通りに動かしたい欲求が強いために、不必要にストレス場面としてしまう人がいることです。
たとえば、ある女子学生は、授業のとき友達のために席を取っておいたのに、その友達が別な席に座ったことを「裏切られた」と言って、訴えてきました。
友人のために席を取っておいてあげたのだから、当然その席に座るべきだ、と言うのですが、席を取っておくことを友人に前もって伝えてあるわけではないのです。
このように、本人には相手をコントロールしようという意識はないのですが、無意識の統制欲求が強いと、しばしば他の人の行動に感情を乱されてしまうことになるのです。