この前お世話になった方に、お礼状と簡単な品を送ったけれども、その後何も連絡がない。
もしかしたら、お礼状の書き方に問題があったのだろうか。
選んだ品が気に入らなかったのだろうか。
送ったタイミングが遅すぎたのだろうか。
そもそも、お世話になったときの私の振る舞いがよくなかったのだろうか。
私はどう思われているのだろう。
これからどのように関わったらよいのだろうか。
このまま連絡しないでいると「無礼」と思われるかもしれない。
でも、もしも私に腹を立てているのなら、連絡して「謝罪もしないでしゃあしゃあと」と思われるのも困る。
どうしたらよいのだろう・・・。
疲れる気遣いのエネルギーは不安
なぜ気遣いをするのですか、と聞かれたら、何と答えるでしょうか。
「相手に気持ちよくなってもらうため」「相手に嫌な思いをしないでもらうため」などというのが、最初に出てくる答えかもしれません。
でも、そこでもう少し考えてみてください。
なぜ相手に気持ちよくなってもらいたい、相手に嫌な思いをしないでもらいたい、と思うのでしょうか。
疲れる気遣いは自分がどう思われるかを気にする心
疲れる気遣いをしている人は、実は、「自分が相手からどう思われるか」を気にしています。
相手からよく思われたい、相手から嫌われたくない、相手を怒らせたくない、などという思いがそこにあるのです。
ですから、疲れる気遣いをしているとき、実はそこで気にしているのは「相手」ではなく「自分」のことだと言えます。
なぜ疲れるのか、という理由の一つがここにあります。
気遣いで消費するエネルギーは、単に相手のために使われるのではなく、「自分はどう思われているのだろうか」と相手の顔色を読むことにも使われるからです。
また、「自分が相手からどう思われるか」というタイプの気遣いでは、相手の反応によって大きな影響を受けます。
相手が喜んでくれればほっとしますが、そういう様子が見えなければ、「はずしてしまった」と自分を責めたり、「怒らせてしまったのだろうか」と不安にとらわれたり、あるいは「感謝の気持ちがない」と相手を責めたりすることにもなります。
相手の顔色によってこんなに気分が乱高下してしまうようでは、疲れてしまいますね。
不安をエネルギーにすると疲れてしまう
自分がどう思われるかということを気にする心は、基本的に「不安」です。
「こんなことをしたらどう思われるだろうか」「これで大丈夫だったのだろうか」「相手はどう思ったのだろうか」「次に会ったときはどうしたらよいのだろうか」というのは、いずれも「不安」の思いです。
不安をエネルギーにして気遣いをすると、間違いなく疲れてしまいます。
不安にとりつかれているときの私たちは、心配な点にばかり目がいくものです。
これは、不安がどういう感情であるかを考えれば当たり前のことだと言えます。
人間の感情にはそれぞれ意味があるのですから、不安というのは「安全が確保されていないこと」を知らせる感情です。
ですから、不安にとりつかれてしまうと、「安全」ということが確認できるまで、「安全でなさそうなところ」を次々チェックしていくことになります。
「あれでよかったのだろうか」「どう思われただろうか」「もしかしたら、はずしてしまったのではないだろうか」など次々と不安な思いが湧き上がってくるのは、そのためです。
そんなふうにチェックばかりして不安に思い続けていたら疲れてしまいますね。
また、単に不安を抱えるだけでなく、不安な点を埋めようとして、さらなる「気遣い」をしなければ、と思う人もいると思います。
それもまた、疲れにつながっていきます。
疲れる気遣いをすると相手が疲れたり苛立ったりしてしまうこともあります。
そんな様子が見えると、「気遣いが足りないのではないか」とますます不安になり、さらにそれを埋めるための疲れる気遣いに走ってしまう、ということにもなりかねません。
不安は相手を見る目を歪める
不安をエネルギーにした気遣いのもう一つの問題は、相手を見る目が歪んでしまうということです。
「不安のメガネ」で相手を見ると、やはり「安全でなさそうなところばかりが目につくのです。
例えば、緊張したときに、怒っているような顔になる人は案外いるものです。
相手の顔色を「自分はどう思われているだろうか」という「不安のメガネ」だけを通して見てしまうと、そのような顔は単に「私のことを怒っている顔」に見えるでしょう。
怒られていると思うと、人間はどうしても緊張してしまいますので、その場の雰囲気がますます固くなってしまいます。
本当は、相手はただ緊張しているにすぎず、必要とされる気遣いは全く逆方向の和むことなのですから、これは完全な「はずれ」ということになってしまいます。
疲れる気遣いが相手を疲れさせてしまうわけ
疲れる気遣いのエネルギーが不安であることを知れば、それが相手を疲れさせてしまう理由もわかります。
「疲れる気遣い」をするときには、「ちゃんと『気遣い』できなくて相手を怒らせたらどうしよう」「嫌われたらどうしよう」というような不安を持っています。
その不安を解消できるのは、相手だけ。
それは、言ってみれば、「こんなに気を遣うので、気に入ったと言って私を安心させてくださいね」というような思いを相手に向けている、ということになります。
これは、相手からみれば、「不安を押しつけられた」という現象だと言うこともできます。
気遣いをしてもらうどころか、「うまく気遣いできているから大丈夫ですよ」と不安を解消してあげなければならないのですから、気遣いを強要されているようなもの。
疲れるのも当然です。
また、相手に自分の顔色をずっとうかがわれるのも疲れるものです。
やはり私たちは自由に反応したほうがずっと楽なのです。
媚びられると不愉快ですが、それは、自分の反応を監視され、喜ぶようにと束縛されている感じがするからです。
のびのびと自由に振る舞えなければ、疲れてしまいます。
疲れる気遣いは、「自分はどう思われるだろうか」ということを気にする心からなされるものですが、こんなふうに「よく思われない」という結果を招いてしまうのですから、逆効果だとも言えます。
また、疲れる気遣いは周りを疲れさせます。
これも同様に、自分の不安の面倒を周りに見させている、というふうに考えれば当然のことと言えます。
特にその不安が自分よりも立場の弱い人に押し付けられてしまうのでは、DV(ドメスティック・バイオレンス)と同じです。
実際に職場のパワハラなどで、そういう構造を見つけることもあります。
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打算的な気遣いも疲れる気遣い
中には、仕事で成功するための手段として気遣いを利用している人もいます。
「気が利く人」「できる人」と思われれば、それだけ仕事においても重用されて有利になるからです。
これも相手ではなく自分のことを気にしているという意味では「疲れる気遣い」なのですが、開き直って打算をしている人の場合、不安で自分が疲れていくというよりも、自分を粗末にすることによって消耗していきます。
そうやって消耗してしまうと、人生がむなしくなることも多いもので、たとえ仕事で成功しても満たされない思いを抱え続ける、などということになります。
人望を失う
そもそも、そこまで抜かりなく気遣いしきれる人は、そう多くありません。
何しろ無理のあることなので、ムラが出てきます。
気遣いをすることで得になると思う人に対しては徹底的に気遣いするけれども、どうでもよいと思う人に対しては雑な態度をとってしまったりします。
すると全体としてあまり人望がないということにもなってしまいますし、人によって態度が変わってしまうところを見抜かれてしまえば、気遣いによって得たものが一気に失われてしまうでしょう。
そんな正体を見抜いた上でも重用してくれる人がいるとしたら、その人自身も打算的な人なのでしょう。
気づいてみれば、自分の周りにはそんな打算的な人ばかりが残っていて、人生の質がぐっと下がっている、ということにもなりまねません。
本当に成功している人を見ると、やはり元気になる気遣いをしている人が多いものです。
やる気とエネルギーが持続し、人からも信頼され、という条件がそろわなければ、なかなか本当の成功は手に入らないからでしょう。
打算の裏にも「不安」がある
実は、このタイプの疲れる気遣いも、よくよく考えてみるとそのエネルギーは「不安」だということがわかります。
なぜそうまでして成功したがるのか、ということを考えてみましょう。
「成功しなければ自分に価値があるとは思えないから」「成功しなければ人から敬意を持たれないから」「成功しなければ将来が不安だから」「成功しなければ人から敬意を持たれないから」「成功しなければ将来が不安だから」「成功しなければ『負け組』になるから」など、「不安」に関連したテーマが見つかってくると思います。
本来はどんな人も存在しているだけで価値がありますし、それを感じさせてくれるのが元気になる気遣いなのですが、「成功」を獲得しないと価値が低いように感じてしまうのは、自分という存在に何かしらの不安があるからだと言うことができます。
そんなふうに、深いところでは、これもまた「不安」をエネルギーとした話なのです。
自分を粗末にすることは全般に「不安」と関連しています。
アルコール依存は自分を粗末にする典型例ですが、これも、不安を満たそうとしてアルコールに依存する、という性質のものです。
打算的な気遣いで成功しようとしているときには、不安を満たそうとして「成功」に依存している、とも言えるのです。
まとめ
- 疲れる気遣いでは「相手」ではなく「自分がどう思われるか」に目が向いている
- 「不安」をエネルギーにすると、相手を見る目が歪み、自分も消耗する
- 打算的な気遣いをしていると、人生の質がぐっと下がる
相手の顔色を気にすることによる疲れに気づこう
自分の成功のために気遣いすることのむなしさを知ろう