自己犠牲のいい人は、いいたいことがあっても、角が立つからといわずに我慢してしまう。
自己犠牲のいい人は本当は合わないママ友だけど、子どものためにグッとこらえる。
嫌いな上司にも笑顔で接する・・・等々、あなたはこんな経験はありませんか。
嫌われたくないからと自分の気持ちに無理をして、なぜこのように「いい人になって」頑張ってしまうのか。
嫌われることは、世の中がひっくり返り大変なことだという、「強迫観念」があります。
はじめに一つ質問があります。
”「いい人」でいるのをやめる”-。
この言葉を聞いて、あなたはどんな言葉を思い浮かべますか?
そこには、ある秘密が隠されています。
そして、共通した特徴があります。
ここでは、その理由について明かしていきます。
この点を押さえるだけでも、いままで感じていた息苦しさが、スーッと消えていくはずです。
いい人を演じてしまう理由
いい人になってしまう環境と遺伝
我慢せずに思うがままに行動しているように見える人がいます。
一方でついつい自分の気持ちにフタをしてムリをしてしまういい人をやめられない人もいます。
その違いはどこにあるのでしょう。
普通にいうと、そうなってしまう原因は「氏か育ちか」ということになります。
いい人をやめられないのはようするに遺伝なのか、それとも環境が原因なのかということになります。
母親から子どもの悩みで多いのが「姉妹でわけへだてなく育ててきたつもりなのに、上の子と下の子とでは、なぜこんなに性格が違うのでしょう?」というもの。
こうして性格はつくられる
たとえば、上のお姉ちゃんは引っ込み思案であることが多く、下の妹は勝ち気で外向的というパターンです。
二人くらいですと、「最初の子は試作品みたいなもので、両親ともおっかなびっくりで育てているので神経質になりやすい。
下の子はお姉ちゃんをみてきているので、タカをくくっているところがある」。
このような「環境が原因」だという、もっともらしい説明ができます。
一方で、これが子だくさんの家で5人も子どもがいたとすると、たとえば2番目と3番目を比べてみて、お母さんのほうもそれほど育て方に差をつけるような細かい芸当は難しいと思われます。
それなのに性格がガラッと違うということになると、これは遺伝子の混ざり合い方が違うということになります。
つまりは環境と遺伝は両方が関係しているということ。
こう聞くと、「結局両方、なんだ」と思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、もう少しお付き合いください。
さて、がんばり屋さんになってしまう原因は、遺伝と環境の両方が効いていることはたしかなのですが、2つの原因は微妙に絡まり合っています。
たとえば、あなたがほかの兄弟姉妹に比べて少しだけ神経質という遺伝子をもっているとしてみましょう。
そうすると、親はほかの子に比べてあなたのことを「この子は神経質だね」と評価します。
繰り返されると不思議なもので、あなたは自分のことを神経質だと思うようになり行動にも神経質さがあらわれてきます。
たとえばちょっとした服の汚れが気になったり、友達の何気ない言葉に傷つきやすかったり。
すると周囲の人たちからはよけいに神経質だと評価され、自分でもそう思うようになる。
最初は、ほんの小さな差だったのが、どんどん誇張されて大きな差になってきます。
つまり、小さな遺伝的な傾向が、環境で誇張されて大きな性格や特徴になってくるのです。
いい人仮面をつけ続けるのはやめる
ある日、本当の姿がわからなくなってしまう
人付き合いに無理をして頑張ってしまう人は、いろいろなことによく気がついてしまうという面もあります。
そして、彼らは「よく気が付くいい人」といった仮面、「いい人仮面」をかぶっている傾向があります。
もしあなたがそうであるならば、あなたは、きっとはじめに少しだけ人の顔色をみるのが上手という遺伝子を、お父さんかお母さんからもらったのでしょうね。
小さいときはこの傾向のおかげで得をしていたかもしれません。
なぜなら、ほかの子よりも素早く相手の感情が見抜けるのですから・・・。
相手が怒っているのを素早く察知したら、早めになだめることも可能です。
相手が悲しんでいたら、素早く気づいて慰めてあげられるのですから、周囲からのあなたの評価が悪いはずがありません。
「よく気が付くいい子」という仮面は居心地がよかったかもしれません。
しかし、大きくなるにつれて人間関係はどんどん複雑になっていきます。
次第に、いい人のあなたは相手の顔色を読むのが難しくなり、いまでは過剰にサービスすることで相手を怒らせないようになっているのかもしれません。
それがさらに過剰になってくると、「いい人仮面」それ自体がだんだんはずれにくくなって、自分の本当の素顔がどんなものだったのかもわからなくなってしまいます。
でも自己犠牲のいい人は意識の深いところで無理しているので、決して楽しくはないし、ときにはとめどなく涙が出たりもしますが、なぜ涙が出ているのか、自分ではわかりません。
頑張っても無理なこともある
この場合、相当傷ついているのに、いい人仮面がはずせない状況になっています。
人付き合いで困っている人の中でも、努力しても、どうにもならない人間関係を頑張って修復しようとしている自己犠牲のいい人がいます。
そんなとき、自分のこころを大切にしながらも、人付き合いが楽になる方法を紹介していきます。
人の目が気になる自己犠牲のいい人と気にならない人
違う場合生きていけない
上から嫌われないために、いつも頑張って「いい人」でいる人は、人の目が必要以上に気になっている傾向があります。
「気にしなくていいよ」「嫌われたっていいんだよ」といっても届くはずもありません。
また、自己犠牲のいい人はいつも我が身を省みて「常識から外れてないか」「人と違ってみえるのではないかしら」と、日々ハラハラドキドキの人に直すようにいったところで、「そりゃ、あなたはできるかもしれないけど、私とあなたでは違うのよ。あなたは変わってるもの」と答えられたら、「はい、そうですね」と黙るしかありません。
でも、そもそも、なぜそんなに人と同じでないといけないのでしょう?
もし、人と同じでないと、どんな恐ろしいことが起こるのでしょうか?
仲間はずれにされたら恐ろしい?
昔でしたら村八分にされて、自分の田んぼに水を流してくれないようなことがあって死活問題ですけど、いまの時代にノタレ死にするような事態はそう簡単には起こりません。
一つのグループから閉め出されたって死にはしません。
ですから、自己犠牲のいい人は一人になったらどうしよう?とウロたえることはありません。
一人になるだけなんです。
お日様はいつものように昇るし、月も星もその運行を変えることはありません。
とはいうものの、それではまだ乱暴だと思われる方もいるかもしれませんので、ここで一つのエピソードをご紹介しましょう。
いつもとは違う視点で物事をみてみると
エジプトへ行った時のことです。
そこは行けども行けども砂漠、また砂漠で地面の温度は摂氏70度だそうです。
気温だって半端じゃありません。
40度はゆうに超えています。
こんな所をバスで延々走るのですが、人家どころかサボテンも生えていません。
主役は生き物ではなくて砂や岩、つまり鉱物です。
バスで延々と走るうちに、あまりにも熱いので頭がボンヤリしてきて、いつもの妄想がはじまりました。
砂漠に突き出したゴツゴツとした岩々が魚にみえてきました。
そのうち一滴の水もない荒涼とした砂漠が大海原のようにうねりはじめました。
岩にみえたのは大きな魚ストーンフィッシュの背びれでした。
鮫のように背びれで砂の海を切って元気よく泳ぎ回っています。
大音響がしてそちらに目をやると、遠い所でストーンフィッシュが力強く砂の海から飛び出し大ジャンプです。
水しぶきではなくすなしぶきが派手に舞い上がります。
よくみるとあちらこちらにストーンフィッシュの大群が泳ぎ回っています。
その光景は100年をひとコマ撮りして2億年分ほどを早送りでみた映像です。
岩は微動だにしませんが、地質学的時間のなかでは岩も砂漠も生き物のように流動しています。
百年を一コマでコマ撮りすれば、我々の一生は一コマにも満たない一瞬にすぎません。
そんな瞬く間にあくせく、悩んだり、苦しんだりするのが人間ということになります。
視点を遠くにしてみるとたいていのことは、たいしたことではありません。
そこで、ときにはストーンフィッシュの視点で物事をみるのはいかがでしょうか?
それとも、ちょっと妄想がすぎましたか?
でも、少し楽になりましたか?
自己犠牲のいい人は本当の自分じゃない
いい人にはこのような特徴がある
嫌われたくないばかりに、いい人になろうとして疲れてしまう人は、どうしたら楽になれるのか―。
それにはまず、「いい人仮面」をかぶっていることを認めることが大切です。
いい人仮面をかぶっている人は、小説や事件に出てくるサイコパスの人格とは逆です。
そこでまずはサイコパスの特徴から勉強してみましょう。
- 他人を操る力に優れている
- 衝動性が高い
- スリルを追い求める
- 感情に乏しい
- 誇大妄想がある
- 病的な嘘つき
サイコパスというのは犯罪者の研究から生まれた概念ですが、犯罪者のすべてがサイコパスというわけではありません。
連続殺人犯や詐欺師のなかに多いといわれています。
ようするに他人の痛みや苦しみをまったく共感できない、あるいはしない人格障害の一群で人口の2%ほどいます。
意外に多いかと思います。
そして、サイコパスのすべてが刑務所にいるわけではなくて、実はあなたの周辺にもいます。
この連中は口が達者で他人を操る無力にたけています。
それも自己中心的で、自分は無条件に他人より優れた存在、価値のある人間だと思っていて、自分のために他人が犠牲になるのは当然と考えています。
だから嘘をついて人をだますことは、なんとも思っていません。
平凡であることを嫌い、いつもスリルを求めています。
だから犯罪に手を染めるのかもしれません。
しかし、知能指数の高いサイコパスは犯罪という割に合わない行為に手は出さず、仕事のうえではかなりの高い能力を発揮することも多いようです。
弁護士や検事になって相手をこてんぱんにやっつけたり、外科医となって人の身体にメスを入れるのですが、どんな状況であっても冷静なので有能さを評価されます。
しかし、結婚生活や人間関係が円満というサイコパスはまずありえません。
先ほどの特徴ですが、一つでも当てはまる項目がありましたか?
おそらくこのサイトの読者の方はまず皆無ではないでしょうか?
仮面をかぶったいい人にすぎない
今度は次の項目が、あなたにどれくらいあてはまるか調べてみてください。
- 他人を操ることは悪いことと考えている
- 慎重すぎて、石橋を叩いても渡らない
- 基本的に怖がりで、対人関係では相手が怒らないように心掛けていて、いつも笑顔で相手の攻撃性を引き出さないよう細心の注意を払っている
- 感情は過敏で繊細、傷つきやすい。だからいつも人の目をみてします
- いつも「自分なんて駄目」と思ってしまう
- 生真面目で嘘がつけない
さて、今度はいかがでしょうか?
意外に当てはまっている項目が多くありませんか。
それは当然のことで、これらはサイコパスの特徴のひっくり返しだからです。
いい人仮面というのはサイコパスの逆なので、当然といえば当然だといえます。
いつもニコニコというところだけはサイコパスと共通ですが、意味はまったく違います。
いい人仮面をかぶっている人の笑顔は、相手から攻撃性を引き出さないためのお愛想笑いですが、サイコパスの笑顔は相手に自分の魅力を見せつけようという力の誇示です。
いい人仮面をかぶっている人はいつも内心ビクビクしていますから、慎重の上にも慎重です。
「石橋を叩いて渡る」という諺がありますが、彼らは石橋を叩き過ぎて、石橋を割っちゃうくらいの人です。
自己犠牲のいい人はちょっと卑屈なくらい相手にへりくだるし、嘘をつくなんてとんでもない。
正直、自己犠牲のいい人は一途の人です。
窮屈そうですよね。
そのとおり、自己犠牲のいい人、本人もとても窮屈な思いをしているのですが、それではほかにどうしたらいいのか見当もつきません。
それで仕方なく我慢しています。
ただ、ここからが大事なのですが、もしあなたが自分を「いい人」だとおもっていたとしたら、それは「仮面」にすぎないというのがぼくの意見です。
だからこそ、そんな仮面は脱いでしまったほうがいいのです。
ただこの仮面は、長い間つけすぎているので、まるで自己犠牲のいい人のあなたの一部のようになってきます。
慎重にはずさないと素顔を傷つけてしまうことになりかねないし、無理矢理はずすのは危険なので、「心の手術」が必要になるかもしれません。
でも心配には及びません。「心の手術」といっても難しいことはありません。
いい人から嫌われてもいい人へ
知らないうちに無理がかかっている
なぜ、いい人仮面を脱いだほうがいいのか、もう少し考えていきましょう。
嫌われまいとするあまり、ありのままの自分を出すことができずに、「いい人仮面」をかぶっている状態は実はとても無理がかかっています。
だから精神衛生によくありません。
クリニックでは「いい人仮面」をかぶっているために、人付き合いが怖いにまで至ってしまった人もよくみかけます。
また、不安が強くなって慢性の不安状態になってしまい、不安障害やうつ状態と診断されるまでになってしまった方もいます。
うつ状態というのはやっかいな病気です。
エネルギーが枯れた状態になる病気で、なにもする気が起こらず、ひたすら辛いのです。
ひどくなると、自分なんていなくなったほうが皆のためだ、などと思うようになります。
不安・焦りが自分を苦しめ、憂うつ感で世界中が灰色になって色を失います。
なにをするのもおっくうで、自分がひどく怠け者になってしまったように感じます。
「憂うつ」くらいですと友達に愚痴ったり、もう少し重症だとカウンセラーに心理療法を受けるという方法もいいのですが、本格的なうつ病にまでなってしまうと、神経の病気のレベルなので、やはり薬を使う必要が出てきます。
ちなみに抗うつ剤といわれる薬ですが、少量は必要だと考えられます。
薬でなんでもコントロールしてしまうのは反対ですが、必要なときに躊躇してはいけません。
「脳に効く薬なんて恐ろしくて」といわれますが、こんなふうに考えてはいかがでしょう?
あなたが深い落とし穴にはまってしまったと考えてみてください。
あなたは一生懸命努力して這い上がろうとするのですが、自力では少し無理そうです。
こんなとき足踏み台を使って脱出するのは自力でないからズルイでしょうか?
もちろん、長い時間をかけて渾身の力で登りきる人もいるでしょう。
ですが、自分が這い上がったから誰でも這い上がりなさいというのは酷なんです。
ちょうどいいくらいの足踏み台なら、プレゼントしてあげていいのではないでしょうか。
エレベーターをプレゼントするのは明らかに過剰ではありますが・・・。
心だけではなく身体も緊張している
もう一つ、いい人仮面をかぶり続けていると、身体にさまざまな症状がでてきます。
緊張が身体に出ている心身症や自律神経失調症などで悩む人が多くいます。
そのなかでも一番多いのは肩こりと頭痛です。
便秘や下痢、腹痛、多汗、身体のあちこちの痛み、冷え性、のぼせ、めまい、息苦しさもよくある症状です。
顎関節症や舌痛症もよくみられます。
時代を反映してか慢性疲労症候群や線維筋痛症の患者さんもいます。
共通しているのは皆さん、こころの緊張だけでなくて身体の緊張も高いようです。
この種の患者さんたちに共通しているのが、ほとんどの人がいい人仮面をかぶっているということ。
軽症の人は身体の緊張を緩める体操や、ヨガや太極拳などをすすめて元気になってさようならができますが、頑固な症状には漢方薬やそれでも効かないときは症状を和らげるための新薬も使います。
でも新薬は少量がいいです。
なぜなら新薬というのはかなり強力で、効くには効きますが、それ以外にも作用が及んで結局、最初よりひどい症状になってしまうこともあるからです。
たとえていうならば、ウサギ狩りに山に出掛けて、罠をしかけてもウサギはかからないこともあります。
でも絶対にウサギを捕まえねばならない、としたらどうでしょう。
一番確実なのは山を絨毯爆撃することです。
必ずウサギの一匹や二匹捕まえられるでしょう。
当然ウサギはバラバラになっているかもしれないし、山は爆撃でひどい状態になっているかもしれません。
でも患者さんの側で「新薬はあまり使わないでください」と主治医に頼むのはかなり勇気がいるかもしれません。
しかし、そういう意見は大歓迎です。
慢性の病気の場合、ずっと自分の病気とつきあってきた患者さんには、患者さんなりの自分の病気の観察をとおして、自分の病気に対する考えがあります。
それをきちんと主治医に伝えることができれば、主治医と二人三脚で治療に向かえるのですから理想的な状態になるわけです。
いい人仮面の正体は幼いときから嫌われたくない、もっといえば嫌われるのが怖いという気持ちが成長するにつれて硬化してしまった結果です。
その結果、生きづらくなります。
この仮面は脱着が自由だと、うまく機能することもありますが、大抵の場合はずしにくくなります。
だからこそ、そんな仮面は捨ててしまって、もっと自由になりたいと思いませんか?
そうできることによって、自然と「嫌われてもいい」と思えるようになっていきます。