共同体感覚

課題の分離は対人関係の出発点ということでした。

では、対人関係の「ゴール」はどこにあるか。

結論だけを答えよと言うのなら「共同体感覚」です。

これはアドラー心理学の鍵概念であり、その評価について最も議論の分かれるところでもあります。
事実、アドラーが共同体感覚の概念を提唱したとき、多くの人々が彼のもとを去っていきました。

他者のことを「敵」とみなすか、あるいは「仲間」とみなすか、ということでした。

ここでもう一歩踏み込んだところを考えてください。
もしも他者が仲間だとしたら、仲間に囲まれて生きているとしたら、われわれはそこにみずからの「居場所」を見出すことができるでしょう。
さらには、仲間たち―つまり共同体―のために貢献しようと思えるようになるでしょう。
このように、他者を仲間だと見なし、そこに「自分の居場所がある」と感じられることを、共同体感覚といいます。

問題は「共同体」の中身です。
あなたは共同体という言葉を聞いて、どのような姿をイメージしますか?

アドラーは自ら述べる共同体について、家庭や学校、職場、地域社会だけでなく、たとえば国家や人類などを包括した全てであり、時間軸においては過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれる、としています。

つまり、われわれが「共同体」という言葉に接したときに想像するような概念の枠組みではなく、過去から未来までも含まれるし、さらには動植物や無生物までも含まれると、しています。

つまり、我々が「共同体」という言葉に接したときに想像するような既存の枠組みではなく、過去から未来、そして宇宙全体までも含んだ、文字通りの「すべて」が共同体なのだと提唱しているのです。

即座に理解するのは難しいでしょう。アドラー自身、自らの語る共同体について「到達できない理想」だと認めているくらいです。

アドラー心理学では「すべての悩みは、対人関係の悩みである」と考えます。
不幸の源泉は対人関係にある。
逆にいうとそれは、幸福の源泉もまた対人関係にある、という話でもあります。

そして共同体感覚とは、幸福なる対人関係の在り方を考える、もっとも重要な指標なのです。

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共同体感覚のことを英語では「social interest」といいます。
つまり、「社会への関心」ですね。
そこで質問ですが、社会学が語るところの社会の最小単位はなんだかご存知ですか?

「わたしとあなた」です。

二人の人間がいたら、そこに社会が生まれ、共同体が生まれる。
アドラーの語る共同体感覚を理解するには、まずは「わたしとあなた」を起点にするといいでしょう。

そこを起点にして、自己への執着(self interest)を、他者への関心(social interest)に切り替えていくのです。

対人恐怖症、社交不安障害を克服するにはまずは共同体感覚を理解しましょう。