他人を欺くとは
「自分がどこか偽者である、”いかさま師”である」という感じ方になやまされている人の心理がある。
「偽名現象」とでもいうべき現象の説明である。
本当の私を見失っている状態である。
いかさま師の心理とは、要するに他人を欺く心理である。
自分はある程度、社会的に成功しているのだが、なぜか自分はインチキをして成功しているという気持ちから逃れられない。
そのような人のことを「偽名現象」と述べている。
つまり、まるで偽名で生きているような気持ちになやまされている人の心理である。
この心理に悩まされる人は、実際には素晴らしい業績をあげているにもかかわらず、自分は他他人を欺くのだと、内心で激しい苦しみを感じている。
実際に本当の自分は実力で成功しているのだけれども、自分はこんなに成功する資格がないと感じている。
努力すればするほど、自信がなくなっていく!?他人を欺く人の心理
この「偽名現象」の心理に陥るのは、「自己否定他者肯定」の他人を欺く人である。
「自己否定他者肯定」の、他人を欺く人は、自慢話を聞かされて落ち込む。
嘘八百の自慢話を信じ込んで、最後まで聞いている人である。
逆に「自己肯定他者否定」の人は、実際には自分の実力ではなく達成された仕事でも、自分の実力で達成されたと思い込んでいる。
「自己肯定他者否定」の人の心理は複雑である。
自己肯定他者否定のタイプの人は、自分の失敗を認めることを拒否する。
そこで心の底からの自己肯定ではない。
「反動形成的自己肯定」である。
反動形成的自己肯定というのはどういうことか。
本当は自信がない。
しかし自分に自信がないことを認められない。
自信のなさを無意識に追いやる。
そこで自信のないことを意識しないように、極端に自信を誇示することである。
それだけに自己肯定の姿勢は極端で激しい。
他人を欺く人、大裁をつくる人、世間体を気にする人は、「本当の自分、実際の自分の姿が人前に明らかになったら、自分は今までの信用をいっぺんに失う」と思っている。
だからこそ、「本当の自分」が人前に明らかになることを恐れている。
しかし、本当の自分が人前に明らかになっても、世間の目はたいてい、それ以前とさして違わないものである。
つまり、その、他人を欺く人は「自分がいかさま師だ」と思っているが、実際にはいかさま師ではない。
他人を欺く人の心理にとらわれる人は、自分の能力を実際以上のものに人に思わせていると思っているが、実はそうではない。
いかさま師であると自分のことを思っている、他人を欺く人は、一方で自己卑下していながら、実は他方で自惚れているのである。
どちらがもっと深い感情であるかということは難しいが、自己卑下のほうが浅い感情であるかもしれない。
他人を欺く人は自己卑下のほうが表面的感情で、自惚れのほうが無意識の領域にある深い感じ方かもしれない。
「自分はいかさま師だ」という他人を欺く人
いずれにしろ、「自己卑下」と「自惚れ」という矛盾する感情がその人の心の中にある。
だからこそ他人を欺くという不安に悩む人は、三つの心理的特徴を持つのである。
他人を欺く人が「自分の能力を実際以上のものに他人に見せている」という意識があるということは、自己卑下でもあり自惚れでもある。
他人を欺くという不安に悩む人は、「自分は他人から買いかぶられている」と信じ込んでいるという。
他人を欺く人はそのこと自体が自惚れなのである。
他人はその人を買いかぶっていないかもしれない。
他人を欺くという不安に悩んでいる人は、自意識過剰なのである。
人は、その人のことをいちいちそんなに気にしてはいない。
他人を欺く人は「自分はそのように他人に見られている」と、自分が一人で勝手に思い込んでいるだけである。
他人を欺くという不安に悩んでいる人は、「自分は頭のよい有能な人間ではなく、ちょっとした才能と運の良さのおかげで成功した」と固く信じているという。
その成功の評価が問題なのである。
その人が思っているほど人は、その、他人を欺く人を「成功した」とは思っていないのである。
他人にとってその人の成功や失敗は、それほど問題ではない。
どうでもいいことなのである。
他人を欺く人の心理にとらわれる人は、独りよがりで、自分の成功を大変なことに思っているが、他人はそれほどその成功を問題にしてはいないし、すごい成功とは思っていない。
要するに、ここでも同じことで、他人を欺く人の心理にとらわれる人は現実にコミットしていない。
独りよがりの想像の世界に住んでいるのである。
たとえば弁護士になった、課長になった、そのことを本人が考えるほど、他人はすごいことだとは思っていない。
つまり、ここでも「他人を欺く」という不安に悩んでいる人は、自己卑下と自惚れという両方の感情で混乱している。
要するに「他人を欺く」という不安に悩んでいる人は、「現在の自分の立場は自分の能力にふさわしくない」と思っているのである。
だからこそ、他人を欺く人は人前で堂々としていられない。
実際には、その人の立場はその人の能力で勝ち得たものである。
その他人を欺く人はそれを信じられない。
「他人を欺く」という不安に悩んでいる人は、「自分がその立場を得たのは自分の能力のせいではない」と思っている。
しかし同時に、その他人を欺く人が考えているほどその立場は大した立場ではないということである。
自己卑下と自惚れとで心理的に混乱しているから、自意識過剰になるのである。
「他人を欺く」という不安に悩んでいる人は、いつも人に迎合している。
人に迎合しているのを見るのは、それほど気持ちのいいものではない。
また他人を欺く人は、人に迎合することで、それほど成功するものでもない。
逆に、他人を欺く人はあいつは人に迎合していると悪い評価にもなる。
他人を欺くという「心の混乱」のほどき方
他人を欺くという不安に悩んでいる人の心理的特徴を見ると、どれも混乱している。
他人を欺く人はまず自分の成功を自分の能力のせいにしないで、自分の努力とか、世渡りの才能とか魅力とか、勘の良さ、口のうまさ、あるいは風貌のおかげでうまくやれたと思っている。
他人を欺く人は、つまり自分は風貌がいい、口が上手いと思っているということである。
その点で他人を欺く人は自惚れている。
他人を欺く人はまたそのことを過大評価している。
他人を欺く人は風貌で成功できるほど、風貌には価値があると思っているのである。
他人を欺くという不安に悩んでいる人の心理的特徴を書いた、多くの著者が見落としている決定的なところは、この心理に悩む人の「自惚れの心理」である。
愛想がいいということで人は成功するものでもなければ、愛想のいいことをそれほど人は評価するものでもない。
世の中には「そんなに愛想よくしなくてもいい」と思っている人だっている。
他人を欺くという不安に悩んでいる人は、実際には他人を欺いてなどいないかもしれない。
他人を欺くという不安に悩んでいる人が、実際に他人が自分を見ている見方を知ったら、ものすごく傷ついてしまうに違いない。
他人を欺く人は「皆が自分のことをすごい人と見ている」と思っているわけである。
しかし他人はその人のことを、「何だか陰気くさくて魅力がない」と思っているかもしれない。
あるいは他人を欺く人は「皆が自分をまぶしく見ている」と思っているが、実際には他人は、「あの人、歳の割に元気がないわね」と思っているかもしれない。
他人を欺く人が他人を信じきることで見えてくる世界
他人を欺くという不安に悩んでいる人の心理的特徴は、皆、自意識過剰という言葉でまとめられる性質のものである。
他人を欺く人はあるいは自意識過剰をベースにして成り立つといってもいいかもしれない。
他人を欺く人は自分が人前で堂々としていようがビクビク隠れていようが、その人が考えるほどの問題ではない。
他人を欺くという不安に悩んでいる人は、失敗を取り返しのつかないことのように考えている。
しかしそんなことは決してない。
もともと他人を欺くと思っているだけで、実際には他人を欺いてはいないのだから。
だから他人を欺く人は失敗にそれほど神経質になることはない。
他人を欺くという不安に悩んでいる人は、要するに他人の好意を求めながら、他人の好意を信じられないのである。
他人を欺く人は「他人の好意を信じられないから、他人の好意を求めている」といったほうがいいかもしれない。
自分が何かに失敗しても、他人はそれほど自分を責めはしない。
他人を欺く彼らは、「実際の自分がわかると今までの人々の好意がすべて失われる」と思っている。
「自分を社会的に維持できているのは、自分の体裁が整っているからだ」と、他人を欺く彼らは解釈しているのである。
そのようなことはない。
「『他人を欺く』という不安に悩んでいる人の世間体が整っているから、相手にしている」という人も、もちろんいるに違いない。
しかし、体裁が整っていようが、体裁が整っていまいが、その人を固有の存在として、認めている人だっているに違いない。
あなたは「誰に」好かれようとしているのか、他人を欺いている心理
他人を欺くという不安に悩んでいる人は、自分のこともわかっていないが、他人のこともわかっていない。
つまり自分の出会う人の中には、意地悪な人もいればやさしく温かい人もいる。
失敗してもその人をやさしく見て、育ててあげようとする人もいるし、失敗を嘲笑してその人を責める人もいる。
他人を欺く人は自分がある人から責められていると、すべての人から責められていると勘違いしがちであるが、そんなことはない。
その他人を欺く人は、自分を責めている人を冷静に見るゆとりがないから、すべての人から責められていると錯覚するのである。
要するにここでも、他人を欺く人は現実の他人とコミットしていない。
他人を欺く人は「他人はこう思っている」と一人で思い込んで、想像の世界にいる。
他人を欺く人は現実の他人と接していない。
自分を責めている人の意地悪そうな顔を見れば、だれがどのような動機で自分を責めているかがわかる。
そうなれば、他人を欺く人は責められたからといってひどく気落ちすることもない。
確かに世の中には、意地の悪い人がいる。
「自己肯定他者否定」で、ヒステリックに他人を責めて、自分の欠点には驚くほど気がついていない、そういう人もいる。
見るからに意地悪そうな目をしている人がいる。
他人を欺く人はそんな、見るからに意地悪そうな人からせめられたからといって、自分の側に本質的な落ち度があるわけではない。
他人を欺く人は相手を見ることが大切である。
またそれだけのゆとりがあれば、他人を欺く人は好意を持って自分を批判している人の批判には、素直に耳を傾けられる。
そうなれば、他人を欺く人は人の批判にむきになって反抗することもない。
ありがたいと思って批判を聞くこともできる。
「自分のことを思ってくれているからこそ、自分のことを批判してくれているのだ」ということも理解できる。
「他人を欺く」という不安に悩んでいる人が、自分がいかさま師であることがばれるのを恐れているというのは、自分自身も他人もわかっていないということなのである。
「他人を欺く」という不安に悩んでいる人の、”防衛の心理”である。
「他人を欺く」という不安に悩んでいる人は、実際の自分がばれることを恐れている。
他人を欺く人はそれに対する防衛が、「笑われないようにする」ということである。
「他人を欺く」という不安に悩んでいる人は、自意識過剰に悩んでいると表現したほうが正しい。
「人がどんな生活をしているかなんかはどうでもいい」とは、自意識過剰の人とは思えない。
他人を欺く人は人がどのような生活をしているかが、気になって仕方ない。
「他人を欺く」という不安になやんでいるからこそ、他人がどのような生活をしているかが気になって仕方ないのである。
ある他人を欺く人は、自分の仕事をほめられると、一種の恐怖心を感じるという。
他人を欺く人は自分はうわべを取り繕って、実のところはつまらない人間だということをかくしているのだという。
他人を欺く人は表面は外交的、社交的に見えるが、本当は内向的な性格だという。
要するに、他人を欺く人の偽名現象の人は、”人見知りの心理”に悩まされているのであろう。
そして次のように言う。
「いかさま師的な生き方は実に好都合です。
なかなか効果的なので、こういう生き方はなかなかやめることができません。
しかし心理的には都合がよいどころではありません。
こんな思いを今後十数年するとしたらとても耐えられません。
六十歳を過ぎてもまだ世間を騙し続けているように感じるなんて、とても耐えられません」