たった一言で疲れた心は満たされる

「たった一言でもその人の悩みや性格を変えることができる」

これはウソでも大袈裟な話でもなく、「たった一言」でも言葉には力があるということです。

ここでは、そうした「たった一言」を中心に集めてみました。

疲れた心を癒やすための言葉として、頭の隅にでも置いといていただけるとうれしいです。

「そうなんだ」で受け止め、許す

「大事な会議に部下が遅刻してきて許せない」

「無理難題ばかり言ったり、仕事を押し付ける上司が許せない」

嫌いな人、苦手な人にかぎらなくても、上司や部下、同僚、取引先の人間、家族など、その人の「ある部分」が許せないってこと、よくあることだと思います。

人には、いいところも悪いところもあって、悪いところがあるのはしようがない。

そうわかっていても、許せない。

「許す」って、けっこう難しいですよね。

しかし、多くの人が救われる一言があります。

その一言とは、「そうだよね、わかるよ」っていう言葉です。

「そうだよね、わかるよ」とは、「あなたの言ってることがわかったよ」ということではありません。

賛同してるわけじゃないんです。

「しようがない」「無理もない」というような意味合いです。

たとえば犯罪者が、刑事さんに「なんでこんなことやったんだ!」「いいかげん白状しろ!」って言われた場合、なかなか白状しません。

犯罪を犯すような人は、親にも怒られていたし、先生にも怒られてきたんです。

ずっと怒られてきたから、慣れてるんです。

おまわりさんに怒られたくらいでは、びくともしません。

でも、そういうような犯罪者に対しても、「そうだな、わかるよ、お前の言うこと。お前のような人生歩んで来たら、そう言うのも仕方ないよな」

「そうだな、わかるよ。お前、根っから悪いヤツじゃないもんな。俺も犯罪者をずっと見てきた人間だ。根っから悪いヤツかどうかぐらいわかるよ」

と、しみじみ話を聞くそうです。

すると、犯罪者のほうも、「どうせ白状するなら、この人のほうがいいかな」と、なります。

犯罪者ですら、そうなんです。

ましてや犯罪を犯してない人間なんて、悪いなんて全然思っていません。

というより、人は多かれ少なかれ「自分は正しい」と思いたい。

そして、それをわかってほしくてがんばっています。

だから、こういうとき、自分流にアレンジして「そうなんだ」「そう思うんだ」と一言言うのも効果的です。

「しようがないよね」「無理もないよね」という意味です。

大事な会議に部下が遅刻してきても、「そうなんだ。前日、飲み過ぎちゃうこともあるよな。働いていたら、いろいろあるもんな」という意味で、「そうなんだ」と一言言ってみる。

無理難題を言ったり、仕事を押し付けてくる上司にも、「そうですか。忙しいし、プレッシャーもあるし、つい、そうしちゃいますよね」という意味で、「そうですか」と一言言ってみる。

我々は、つい自分の価値観で、目の前の人や出来事を「よい」「悪い」でジャッジしてしまいます。

でも、あの人も「そう」するには、「そう」する「事情」があるのです。

みんな「よかれ」と思ってやってる。

だから、それらを全部ひっくるめて「そうなんだ」と受け止めるのです。

あなたも、会社や家庭で、誰かの「許せない」と思う出来事にぶつかったとき、この「そうなんだ」を一言言ってみてください。

きっと、何かが変わるはずです。

自分を許せないときは、自分にも「そうなんだ」をあたえる

前項で、「そうなんだ」が大事だとお話ししました。

それを、今度は自分にやってほしいのです。

自分で自分が許せないときってありますよね。

同じようなミスを繰り返してしまったとき、大事なことなのにもたもたして先送りしていたら仕事が遅れ気味になってしまったとき、イライラして、それをつい相手にぶつけてしまったとき、「あー!ダメだ!」というとき、などなど。

こういうときは、自分にも「そうなんだ」と言ってみてください。

自分も完璧じゃないから、ついつい余分なことをしたり、よけいなことを考えて「俺はなんであんなことしちゃったのかなぁ」って頭を抱えてしまったときにでも、「そうなんだ。自分はそういうやつだもんね」と自分に言うんです。

「そうなんだ」「やっちゃったね」とよい悪いで裁かないで、まずは受け止めてみる。

「部下を怒らないようにしよう」と誓ったばかりなのに、つい怒ってしまったとき、「そうなんだ。どうしても許せなかったんだよな」って言うだけで、心がやわらかくなっていきます。

これは、ある意味、「開き直り」ともいえます。

でもって、人生はこの「開き直り」が大事なんです。

「そうなんだ」って言って「開き直る」。閉じていた心を開くのです。

苦しいとき、つらいとき、どうしようもなく落ち込んだ時、自分に「そうなんだ」って言って、心をパッと開く。

ダメな自分を隠さないで、ちゃんとさらけだす。

「そうなんだ」

人にも自分にも、この一言をかけてみてください。

「そうなんだ、ダメだね」「次はがんばろう」と。

批判や非難には、「ほう、そうか」ですり抜ける

仕事をしていると、「否定された!」「バカにされた!」「批判された!」、そう感じることもあると思います。

たとえば、読んだ本がおもしろかったとき、

「〇〇〇という本、読んだけど、あれは名著だね。本当に勉強になる」

とべた褒めして同僚に話したのに、

「そうかな。よくよく考えると普通のことしか言ってないよね」

と返される。

よかれと思って、部下にアドバイスしたところ、

「私は、そのやり方では難しいと思ったので、ちょっと別の方法を考えます」

と言われたり。

「部長は、大雑把で人の気持ちがわかってないよな」と愚痴ったところ、

「いやぁ、ああみえて繊細だし、見えてるところは見えてる人がからなぁ」

なんて同調してもらえなかったり。

すると、「否定された!」「バカにされた!」「批判された!」と思いがちです。

そして、怒ったり、落ち込んだり、悲しんだりします。

しかしそれは、「あなたが勝手に否定された、と思っているだけ」です。

その人は、「自分の意見・自分の感想を言っただけ」なのです。

その人は、「自分の正当性を主張しただけ」なのです。

それに対して、あなたが、悪いほうに「勝手に反応しただけ」なのです。

そんなことしたって、それは「自己正当化」「自己弁護」になるだけです。

だから、自分も普通に「意見」を言えばいいだけです。

「私はこう思うよ」と、普通に。

では、どうして他人の「意見」や「主張」を「非難」や「批判」と思って、勝手に怒ったり、傷つくのか、ということです。

それは、自分がその部分に劣等感をもっているからです。

触れられたくない傷があるから、自信がないから、です。

そう、自分の意見や主張に劣等感がある。

自分に自信のある人は、誰かに批判されても、それこそ「ほう、そうか」と、笑って聞き流します。

だから、「否定された!」「バカにされた!」「批判された!」と思ったとき、まずは、「ほう、そうか」とつぶやいてみてください。

怒る前に、傷つく前に、「ほう、そうか」。

「やってもいい」で「してはいけない」を解消する

ゴルフをとっての一例ですが、ゴルフのコースには、いろんな障害物があります。

林があったり、草むらがあったり、砂場があったり、池があったり。

キャディさんが言います。

「右のほうだけは打たないでくださいね。ボールが見つからない林ですから」

「はい」と、右に打たないように左に向いて構えます。

「右に打たないように。右に打たないように。」

と心の中でつぶやきながら打ちます。

するとなぜか右に行きます。

あれだけ左向いたのに。

この論理と同じで、人は、「〇〇してはいけない」と思うほど、「〇〇してしまう」という傾向があるようです。

一方で、我々は、いろんな「〇〇してはいけない」をつくって生きています。

「頼りなくてはいけない」「怒ってはいけない」「あの親のようになってはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」「会社を倒産させてはいけない」「失敗してはいけない」・・・などなど。

こういうことを心の中でも言っていると、なぜか行ってはいけないほうに行きます。

してはいけないほうに行きます。

決してしてはいけないほうに行きます。

してはいけないほうに行きます。

決してしてはいけないほうに行きます。

あまのじゃくか。

だから、「行ってもいい」「やってもいい」と自分に言ってみてください。

「私は頼りなくてもいい」「私は怒ってもいい」「私は親のように生きてもいい」「私は迷惑かけてもいい」「私は会社を倒産させてもいい」「私は幸せにならなくてもいい」というように。

「いけない」は、何かを恐れている。

それをやってしまうと、それを許してしまうと、何か怖いことが起こる、と思っている。

大丈夫、それは嘘です。

それは、思い込みです。

何か怖いことが起こる、と教えられてきたから。

それだけです。

そう教えられてきたから、たまたまそんな場面ばかり見てきてしまった。

だって、それをやって楽しく生きてる人もいるのですから。

だから「私は〇〇してもいい」とつぶやくのです。

「ま、いっか」で執着を解消する

人はどうしても許せないもの、どうしてもこだわってしまうものがあります。

また、自分の失敗や環境を呪ってしまったりしながらなかなか思うようにいかず、いろんなことを悲観してしまったり、被害者のように感じてしまいます。

でも、そんな悩みを一瞬で吹き飛ばす、魔法の言葉が存在するのです。

あるベテランのカウンセラーはカウンセリングをしていて、「あぁこの人はもう大丈夫だな」と思える瞬間があります。

それは、過去にこだわらなくなった、それは、思い込みがはずれた、それは、悩みが悩みでなくなった、それは、悩みが解決してしまった、そのときに、共通の言葉があることに気づいたのです。

その言葉とは何でしょうか。

その言葉とは、「ま、いっか」です。

たった、これだけ、です。

「ま、いっか」は、あなたの執着を手放す、魔法の言葉です。

今現在、いろんなことで悩んでる人が、先にこの言葉「ま、いっか」を口ぐせにしたらどうなると思いますか。

腹が立ったとき、あきらめきれないとき、失敗してしまったとき、悪いことが起こった時、うつむいて、吐き出すように言ってもいいし、天を仰いで、大きく言い放ってもいい。

思ってなくてもいいから、とりあえず言ってみる。

「ま、いっか」と、口に出してみてください。

大きな失敗にも、許されないミスにも、そうです。

取り返しのつかないミスにも、はらわたが煮えくり返るような出来事にも、この世の終わりと思えるような絶望にも、いつもうまくいかない自分にも、「ま、いっか」。

100の出来事すべてに「ま、いっか」を言ってみる。

1回で「ま、いっか」と思えないときは、2回、3回と口に出して言ってみる。

さあ、もう1回言ってみてください。

「ま、いっか」

とんでもない出来事がきたとき、目の前で起こったとき、小さく「ま、いっか」と言ってみてください。

それでも消えないとき、もう少し大きく「ま、いっか」。

それでも消えないとき、両膝に手を置いて、「まーいっかあ!」と、全部吐き出してください。

とりあえず今は今で幸せと思ってみよう

「成長したい」「性格を変えたい」「学びたい」ということで、学びの行動に出るとき、「今がダメだから、変わりたいのか」「今は今でいい。そしてさらに、成長したいのか」

その「考え方」によって、成果はまったく変わります。

たとえば、今いる場所、今の環境、職場、人間関係など現状に不満があるから、別の場所に行きたい、という人がいるとします。

その人は「ここはダメだ」と考えているわけです。

つまり、「現状を否定している」わけです。

現状を否定して、別の環境に身をおいても、もしくは別の仕事を始めたとしても、すぐに不満が噴出します。

それは「現状を否定する考えグセ」があるからです。

この「現状を否定する考えグセ」を持ち歩くと、どんなに素晴らしい職場や環境を与えられても、たちまちアラ探しを始めてしまうからです。

逆に、同じ職場でも、同じ環境でも機嫌よく暮らしている人はいるわけです。

その人は、「現状を肯定する考えグセ」があるのでしょう。

どんな状況でも、どんな条件でも、現状を肯定する。すると、今の場所でも幸せだし、次の場所でも幸せ。ずっと幸せでいられます。

だから、「現状を否定する考えグセ」をもっていると、いつも「悪口を言われている」「嫌われている」「笑われている」「バカにされている」「責められている」「ひどいことをされる」「価値がない」「役に立たない」と、自分が不幸であることの証拠集めをしてしまいます。

一方、「現状を肯定する考えグセ」があって、自分が幸せだ、恵まれていると思っている人は、「優しくされる」「好かれている」「応援されている」「助けられている」という証拠がいっぱい「目に入ります」。

そう、「何を思っているか」によって「目に見えるものが違う」ということです。

自分が嫌われてると思っている人は、まわりにいる100人のうち、98人が応援してくれていても、そこには気づきません。

応援してくれない人が2人いるという現実をにらみ続けています。

自分が幸せだと思っている人は、98人に感謝しています。

ということは・・・自分が「今も幸せ」と「思ってみればいい」ということです。

「私って幸せ」「今は今で幸せ」。

そう「思ってみる」。

これは、ノーリスクです。

とりあえずでいいから、「現状を肯定する考えグセ」をつけるのです。

すると、不思議なことに「あれ、私って案外幸せかも」っていう証拠が集まり始めます。

だまされたと思って、試してみて下さいね。

「現状を考えると、とてもそうは思えないです・・・」という人は、考え方が逆なんです。

今思えないのは、幸せとは思えない経験をしてきたからだと思うんですが、実は、幸せとは思えない経験をしてきたのは「幸せでない」と考えるクセをもっていたから、ともいえるのです。

つまり「私は幸せでない」と考えていると、その「幸せでない」と思える証拠ばかりを集めるんです。

最初に「私は幸せではない」という「考え方ありき」だったりするんです。

「思考が先で現実が後」なのです。

だから、今、無理やりにでも「私って幸せ」「今は今で幸せ」って「思ってみて」くださいね。

そこが「始まり」です。

すると、「幸せ」「恵まれてる」の証拠(現実)集めをするようになります。

「思ってみる」って、実はとっても大事なのです。

ただ、人によっては、「私は幸せ」となかなか思えないときもあるでしょう。

そんなときは「かも」を使ってみてください。

「私って幸せ、かも」「今は今で幸せ、かも」「実は恵まれてる、かも」

つまり「今が不幸なんだ」ということを「疑ってみる」。

そして、「自分は幸せかも」って思ってみる。

まとめ

  • 相手の言葉を、まずは「そうなんだ」で受け止める。「しようがない」「無理もない」という意味で。自分を許せないときは自分にも「そうなんだ」と言う。
  • 批判されたり、非難されたときは、怒ったり、傷つく前に、「ほう、そうか」とつぶやいてみる。
  • 大きな失敗、悩み、腹の立つこと、どうしても許せないこと、この世の終わりのような絶望にも「ま、いっか」と言ってみる。
  • 「やってもいい」と自分で自分に許可してあげる。
  • 「今は今で幸せ」とつぶやくことで、現状をまずは肯定する。すると幸せを探す習慣がつく。