否認というのは防衛のメカニズムで、心の痛みから自分を守るための自然な反応です。
衝撃に耐えられないと感じたり、起こったことが恥ずかしくてたまらないとき、人はしばしば否認という手段に頼ります。
否認が存在するとき、人はそのことへの感情を大したものでないかのように扱ったり、切り捨てたり、理屈をつけたりします。
否認のもとで育つということは、「話すな」「感じるな」「信頼するな」というルールを教えこまれることです。
私たちは子ども時代に、本当のことを口にするのはまずいと学び、実際とは違うふりをすることを身につけたのです。
自分が見たり聞いたりしたことを否定され、無視されたかもしれないし、思ったままを口にしたら罰を受ける怖れがあったかもしれません。
話したってどうせいいことはないと絶望していたかもしれません。
あるいは、真実を口に出したら大事な人を裏切る結果になると信じていたかもしれません。
こうしたルールのもとで育てられた子どもは、話せば聞いてもらえるという信頼感を培うことができません。
第一、私たちアダルトチルドレンの多くは、そもそも何を言えばいいのかさえわからなかったのです。
周囲の人達がなぜそんな振る舞いをするのか理解できなかったし、本当は何が起こっているのか知ることもできなかったし、それを表す言葉も持っていませんでした。
かろうじてわかっていたものと言えば自分の感情ですが、その感情が告げていたのは、自分はどうも話してはいけないらしい、ということなのです。
否認のもとで育ったということは、今も否認におちいりやすいということ―それも無意識のうちに。
私たちアダルトチルドレンは自分が感じたことや受け取った物事を、大したことではないと考えてしまいます。
自分で自分を傷つけるような行動に、何かの理屈をつけます。
今も私たちアダルトチルドレンは、自分は怒っていないし、がっかりしてなんていないし、傷ついてもいないと言い張って、本当の気持ちを隠しているかもしれません。
実は大事なことなのに、こんなことぐらい、と自分に言い聞かせてしまうのです。
実際にはしょっちゅう起こっているのに、たまにつらい思いをするぐらい我慢しなければ、と自分を諭してしまうのです。
私たちアダルトチルドレンは真実を語っていません。
何年もの間、感情を切り捨てたり、大したことはないふりをしたり、理屈をつけたりすることばかり学んできたので、おとなになってもそれがふつうのことになってしまっているのです。
●あなたが育った家庭のことをじっくり振り返って、どんなことなら抵抗なく口にできたか、リストをつくってみてください。
オープンに話すのがためらわれたことのリストもつくってみましょう。