“自分を否定すれば、生きることに疲れる”
アンデルセン童話の「人魚姫」は、自分は「人間になりたい」と思った。
その結果、不幸になった。
人魚姫はしっぽがあったから自分なのである。
しっぽがあったから人魚姫は人魚姫なのである。
「親指姫」も小さいことを受け容れたから成長できた。
「コウノトリの足を短くすることはできないし、カモの足を長くすることもできない。
なぜくよくよ思い悩むのか」
これは中国の哲学者の言葉だと、オートンというアメリカの心理学者の書いた”Why Worry!という本に出ていた。
イソップ物語風に書けば次のような物語になる。
皆から認めてもらいたいと思っているゴリラがいた。
しかし、ゴリラは皆から、「毛むくじゃら」「見て怖い」と言われている。
ところが、ウサギは皆から「かわいい」「静か」と言われている。
皆がウサギを見ながら「かわいい」と言っているのを聞いて、ゴリラは、「かわいい」と言われることがよいことかと思ってしまった。
そして、自分はゴリラなのに「かわいい」と言われようと努力した。長年にわたる無理がたたってゴリラは次第に生きることに疲れてきた。
ゴリラは「毛むくじゃら」「見て怖い」と言われてもいい、ゴリラなのだから。
それなのに、「毛むくじゃら」「見て怖い」といわれることがけなされることだと思ってします。
これは自信のない人達がよく犯す間違いである。
ゴリラがウサギとして認められようと長年にわたって努力をすれば、最後は無気力になるであろう。
自分を否定する努力を長年にわたって続ければ、生きることに疲れるのは当たり前である。
ゴリラがゴリラとして認められようと頑張っても、ゴリラは生きることには疲れないだろう。
対人恐怖症、社交不安障害を克服するには、ゴリラはゴリラ、ウサギはウサギ、BさんはBさん、自分は自分と心得ることである。