自分の感情がわかるようになると、ニーズに気づくこともできるようになります。
問題を抱えた家族では、おとなは子どものニーズに注目しません。
子どもも、まだ小さくて自分のニーズがわからなかったり、おとなの十分な支えが得られないため自分のニーズに目を向けられなかったりします。
それに、他の人の面倒をみることで忙し過ぎる子どももいます。
私達の多くにとって、他人に注目することは自分を守ることであり、自分の存在意義のひとつでもありました。
それはおとなになった今も続いています。
その報酬は「もし自分に注目しなければ、無力感をさほど感じないですむ」ということです。
けれど自分のニーズに気付かなければ、ニーズは満たされることがありません。
だから落ち込んだり、怒りを感じたり、混乱するのも無理はないのです。
「私?ああ、別にいいんです。いいえ、何も必要じゃありません」と言い続けているのですから。
私達は、ニーズという言葉を口に出す時、まるで別世界のものか、下品なものであるかのように感じるのです。
「ニーズ」という言葉の定義に引っかかる人もよくいます。
小学校では、私達には基本的なニーズが5つだけあると教えられます。
空気、食べ物、着る物、住むところ、水です。
それ以外のものはすべて「欲求」だとされているのです。
これは身体的に生き延びることに限った話です。
あなたが今建て直そうとしている人生は、肉体としての存在だけを意味するものではありません―それ以上のものです。
心理的、情緒的、社会的、そして魂の深い部分でのニーズは、人生に意味を与えるものです。
子どもが自分のニーズに関心を持ってもらえると、情緒的・心理的に成長していくことができ、おとなになって所属感を得たり、自分の価値と力量を感じることができます。
けれどどうやって育てられたにせよ、今となってはあなたのニーズを満たすのは母親や父親ではないのです。
子ども時代はニーズが満たされていなかったけれど、今は自分の責任で、自分のニーズを満たすチャンスがあります。
私達の多くは、自分のニーズを切り捨て、見ないようにする習慣がとても強いため、「私のニーズは大切だと思ってもいいのだろうか?
この場合、私にとって、他人より自分のニーズを優先して考えてもいいのだろうか?」
と何度でも問いかけることが必要になるでしょう。
両親ともアルコール依存症だったアダルトチルドレンを抱えたエレンは、三人目の夫がやはり依存症で、カウンセリングに通っていました。
アダルトチルドレンの彼女は、「あなたのニーズは何ですか?」と聞かれて、混乱した様子でカウンセラーのほうを見ました。
それから、いかにもその答えはすんだというように目をそらして、次の話題に移りたそうにしました。
そこでセラピストは言いました。
「エレン、あなたは今までずっと他の人の面倒をみてきたわ。
ご両親の面倒をみて、三人の夫の面倒をみて、二人の子どもの面倒をみてきた。
今度は自分の面倒をみる番よ。
あなたのニーズは何?」。
アダルトチルドレンを抱えたエレンは明らかに動揺し、出口のほうをチラリと見ました。
もう一度、セラピストは聞きました。
「エレン、あなたのニーズは何?他の誰かじゃなくて、あなたは何が必要なの?」。
今度は、彼女は目を大きく見開き、身体を震わせました。
まるでけいれんを起こそうとしているかのようでした。
セラピストはアダルトチルドレンを抱えたエレンに近づいて膝と肩の震えを抑えるように手を置きました。
そのまま、静かでキッパリした声で語りかけました。
「エレン、もう終わったの。すべて終わったのよ。他の人の面倒をみなくてもいいの。自分のことだけ面倒をみればいいのよ。」
震えはおさまっていきました。
セラピストはあえて、負担が大きいことが明白な問題に再び踏み込んで聞きました。「エレン、あなたのニーズは何?」。
小さな声で、エレンは答えました。
「ニーズ?私のニーズ?四十四歳になるまで、いったいいつ、そんなことを自分に聞く暇があったかしら?」。
アダルトチルドレンを抱えたエレンにとって、自分のニーズについて考えることは決して安全ではなかったのです。
彼女がずっと優先してきたのは、自分の責任をとろうとしない人達の面倒をみなければという責任感でした。
今、彼女がニーズを満たすためには、一人のおとなとして自分が何を必要としているかに気づくことが大切です。
それにはまず、「ニーズを感じる」ということがこれまで自分の人生にとってどんな意味を持っていたのか、子ども時代から振り返る必要があるでしょう。
多くの人がアダルトチルドレンを抱えたエレンと同様に自分にニーズがあるということをやっています。
「あなたなんて必要ない。あの人達もいなくてかまわない。私は自分だけでちゃんとやっていけるかしら」というわけです。
こうした厳格なまでの自己充足の態度は、他の人から傷つけられたり拒絶されまいとする決意にもとづいているのです。
アダルトチルドレンを抱えた三十五歳のコリーンは、目を見張るほど有能な女性です。
結婚はしたものの、夫婦でお互いに頼り合うということを彼女はよしとしませんでした。
「自分のニーズには全部自分で責任を持ったわ。
いつもそうやってきたんです。
聞いてもらえるなんて信じていなかったから、自分の望みも、やってほしいことも言わなかった。
でもゲーリーがそばにいてくれなかったわけじゃないんです―私が彼にチャンスをあげなかっただけ。
結局のところ、自分の面倒をみるのは自分だけだと思い込んでいたんです」
残念なことにこれが、コリーンの結婚生活に不和をもたらす大きな原因になりました。
二人は、ゲーリーが望んでいた親密さを育てることができず、彼はとうとう離婚を選びました。
アダルトチルドレンを抱えたコリーンはそれから十二年間、特定の人との関係をつくることはありませんでした。
信頼にまつわる課題や、拒絶への怖れ、誰かに向かって自分のためにそばにいてほしいと頼むことへの怖れは、今の彼女にとって回復の焦点となっています。