人の心の痛みが分からない人

人の心の痛みがわからない人の原因

人の心の痛みがわからない人の最大の原因はうぬぼれである。

われわれは、無責任な態度を身に着けたノイローゼ患者を温かいとイメージすることはない。

それなのに、”甘え”というものには温かいイメージがある。

しかし、子供が甘えるからいいのであって、大人が甘えるのはうぬぼれているのである。

子供はオシメをつけてもいいが、二十歳を過ぎてもそれでは格好が悪い。

もともと甘えの性格的特徴というのは、口唇期の幼児の性格と同じなのである。

周囲の評価によって自己の評価が揺れ動く。周囲の言動の中に自分の満足を見つけ出す。

今、オシメのとれていない二十歳と書いたが、二十歳どころか、五十歳になっても七十歳になっても甘えている人間がいる。

五十歳になって、三歳や四歳の子どもと同じように指をしゃぶっている人間を想像してみたらいい。

これこそが甘えている人の痛みが分からない大人の姿である。

人の痛みが分からない人は親に支配されて育ったから

人の痛みがわからない人は親の過保護過干渉の元、支配されて育ち、豊かな人生経験が無いまま生きてきてしまった結果である。

豊かな人生経験とは、喜びや悲しみ、怒りや楽しみなどを感じることである。

例えば、イライラしているのに、訳も聞かれず「親に向かって怒るな!」など親に躾けられたりしてしまうことである。

または、逆にテストで悪い点数をとっても何も言われず、おやつの時間には決まっておやつが出てくるという甘やかされた躾をされることも人の痛みが分からない原因にもなる。

つまり、人の痛みが分からない人とは、今まで痛みを経験してこなかったのである。

お風呂掃除をしたから、ありがとうとお小遣いをもらうなど、社会の縮図的な経験は人の痛みが分かるようになる貴重な経験である。

甘えた人は、他人を傷つけても、自分が傷つけたということに気が付かない

人の痛みが分からない人は指をしゃぶっている四歳の子どもが分からないのと同じである。

他人の心の痛みがわかったら、もはやその人は甘えているとは言えない。

幼児は、無力であるがゆえに自分の言動で大人を傷つけることはない。

子供が他人を傷つける言動をしても、大人は「子供は正直でいいですね」と言ってすませる。

大人は幼児に対して、それだけ精神的にゆとりがあるからである。

何度もいうように、甘えは無力と結びついてこそ許されるのである。

幼児が他人の気持ちを理解できないのと同じように、甘えた大人は他人の気持ちを理解できない。

幼児は、母親を中心とした周囲の自分に対する反応を気にする。無力である以上当然である。

幼児は自分だけが大切である。

無力で生き延びていかねばならない以上、この二つのことは当然であろう。

ところが、この二つは、甘えた大人の特徴でもあるのだ。

人の心の痛みがわからない人の心理

人の心の痛みがわからない人の心理
人の心の痛みが分からない心理は、人の気持ちが分からないということである。

そして人の気持ちが分からない人というのはナルシストという自分を中心に世界は回っていると思い込んでいる人である。

それは甘えた人である。

アメリカの著名な心理学者、デヴィッド・シーベリーは、身近なものに対してより他人に礼儀正しい人は、自分だけが可愛く、また他人が自分をどう見ているかを気にする人であると述べているが、これが甘えた人なのである。

内面が悪く外面がいいという人である

自分だけが可愛いというのも、無力と結びついてこそ自然なのである。

三歳の幼児は一歳の幼児を泣かしても平気である。

これが許されるのも三歳の子どもが無力だからである。

三歳の幼児に二十歳の情緒を要求しても無理である。

こどもは、自分の衝動にしか関心がないのである。

他に関心を持つとすれば、母親が自分をどう扱うか、
また、その一歳の子をどう扱うかについてだけである。

母親に誉められれば自分は良い子だと思い、母親に誉められた行動はやってもよい行動なんだと理解する。母親を鏡として自分を見るのである。

甘えた大人は、弱い者いじめを平気でできる。

これらのことも、幼児のことを考えればわかるだろう。

三歳の子供のおもちゃを二歳の妹がとれば、三歳の子どもは、妹を泣かしてでも取り返す。

また、妹は自分が欲しいと思えば、兄のおもちゃでも欲しがる。

三歳の兄と二歳の妹に「他人の心の痛みを分からなければいけません」と説教する母親がいるであろうか、いないにちがいない。

ところが、甘えた大人にこのように言う人はいる。

しかしそれは、その人が甘えている以上、無益な努力であろう。

甘えた人間に、人間の心の痛みなど説教しても、とんと理解できない。

■関連記事
幼児的願望の心理

人の心の痛みがわかるようになるには

人の心の痛みが分かるようになるには
人の心の痛みがわからない人は、今まで自分自身、辛いことを経験していないから他人の心の痛みがわからないのである。

自分自身が辛い、苦しい経験をしてはじめて他人の心の痛みが分かるのである。

相手がとても伝えるのが嫌な案件を緊張しながら、自分に伝えてきた。

自分にとっては残念でならない。

しかし、人の心の痛みが分かる人は、「あぁ、この人は今このことを伝えるのにとても苦しい思いをしているんだな」と理解することが出来る。

つまり、人の心の痛みが分かる人というのは、優しい人なのである。

人の心の痛みが分かるようになるには、近道はない。

苦しい思いを積み重ねていくしかない。

ただ、単純に風邪を引いて高熱を出したら苦しい。だから他人も風邪を引いていると苦しんでいるんだなと思うことが人の痛みが分かるというものである。

また、他人と二人でご飯を食べに行ったシチュエーションがあったとする。

そのお店はどれも定食の料理の量が多かった。

そこで、「無理して全部食べなくていいよ。」と一言、相手に声掛けできるか。

それは、そのことに関して、苦しい体験を積んできた賜物なのである。

人の心が理解できるからゆえに自己主張ができるようになる

誰しもが、相手が嫌な思いをすることを伝えるのは嫌である。

しかし、人の心の痛みが分かる人は、他人も自分のことを今、嫌な思いをしているんだなと思うことができる。

つまり、まとめると、嫌なことでも相手もOK、自分もOKということになる。

すると、嫌なことでも自己主張することができるようになる。

そして、その自己主張したことに関して「ありがとう」という感謝が生まれる。

人の心の痛みが分かる人には感謝が生まれるのである。