何をやってもうまくいかないとき、そんなときは、誰のどんな人生にもあるものです。
時々、折れそうになるし、無性に誰かにすがりたくなる。
思い通りにいかない、心を許せる人が1人もいない。
自分では、ただ、がんばっているだけだった。
けれど、がんばっているうちに、いつの間にやら疲れ果ててしまっている・・・。
そんな「何をやってもうまくいかない」と感じている、すりへった心が折れそうになっている人へ向けて述べてみました。
自分を粗末にすると、まわりも自分を粗末にする
「ブロークンウインドウズ理論」というお話を知っていますか。
ニューヨークの地下鉄の治安がよくなったときに活用された理論として有名です。
「ブロークンウインドウ」とは、直訳すれば、「割れた窓」です。
ある町に、窓の割れた車を置いておくと、「粗末に扱ってもいい」とみなされ、その車はだんだんと破壊され、そして、その周辺の治安も悪くなる、という理論です。
ニューヨークの地下鉄は、この理論をもとにして、これと逆のことをしました。
つまり、徹底的に落書きやゴミをなくしてきれいにし、「ここは大切に利用しないといけない」という意識を促すことで治安がよくなっていったといいます。
さて、この「ブロークンウインドウ」ですが、僕たちの「心」も同じようなことがいえます。
何をやってもうまくいかないなんて感じるとき、人は自分が「欠けている」「足りない」だから「劣っている」なんて考えがちです。
つまり、自分が「ブロークンウインドウ」になってしまっているのです。
すると、「どうせ割れているんだし」と、自分のことを、粗末に扱い始めます。
自分の気持ちにウソをついたり、自分の持ち物を粗末にしたり、自分の家族を粗末にしたり、パートナーや友人を粗末にする。
すると、まわりの人も、自分のことを粗末に扱ってきます。
自分のことをバカにしたり、乱暴にしたり、無視したり、認めなかったり、粗末に扱ってきます。
だって、自分が自分のことを粗末にしてるんですから、まわりの人がそうしてもいいですよね。
そうやってどんどん心の治安が悪くなる。
すると、心の中の警察が登場します。
権力と正しさで、自分の心の治安を守ろうとします。
「正しい」という武器と法律を振りかざし、力ずくで、心の治安を守ろうとします。
けれど、そんなもの、いたちごっこです。
だから、いつまでも「理不尽なこと」「腹の立つこと」「満たされないこと」、そんなことばかりが起こり続ける。
また、認められようとがんばって実績をあげても、認めてもらえない。
誰も褒めてくれない。
実は、あたりまえのことなんですよね。
自分が自分を粗末にしているんだから、まわりの人も自分を粗末に扱っていいと思ってしまうのって。
では、心の治安を取り戻すには、どうしたらいいでしょうか。
まずは、ブロークンウインドウ、つまり、割れた自分の心を治していくこと。
つまり、「どうせ私なんて」と自分で自分のことを悪く言ったり粗末に扱わないこと。
まわりを責めるのではなく、自分の言葉をきれいにして、自分のいいところを探してみること。
自分の好きな音楽を聴き、自分の好きな家具を置いて、自分の好きな本を読んで、心豊かに過ごすこと。
心豊かになれる環境にすることに、お金と時間を使ってみる。
そういうふうにして自分の機嫌をとってあげるのです。
何をやってもうまくいかないときは、まずは、自分の心をきれいにしてあげることが大切なんです。
心が悪酔いしたら、さすってもらって吐き出す
何をやってもうまくいかない人の中には、人の話を聞くのは上手だけど、人に自分の話をできない。
でも、実はじっと聞いてるのも嫌だと感じてる人も多くいます。
それは、自分が他人を信用できなくて、それは、自分が自分の話を信用できなくて、固く固く自分を守って、歯を食いしばって生きてたからなんですよね。
自分に自信がないから、ガードを作って守るしかなかった。
そして、それは、結局はすねてたってことなんです。
「誰もかまってくれない」「誰も助けてくれない」「誰もわかってくれない」って。
でも、そんなこと口が裂けても言えない。
言えないから、態度で示すしかない。
自分で自分を悲惨な状況に追い込んで「かまってもらおう」とする作戦に出たのです。
そして、作戦どおりかまってもらっても、もうすねてるからその優しさを「受け取らない」。
そして、それは、さかのぼって小さな頃に親や先生、友達から「許してもらえなかった」「遊んでもらえなかった」「愛してもらえなかった」という思いが発端です。
実は困ったことに、これは勝手にそう思っていただけなのです。
なのに、その思いが消化されなくて、自分のことを認めてくれないまわりの人をすぐに敵とみなして切り捨てたり、距離を置いて対処するクセがなかなか抜けなくて。
その後で切り捨てる理由や正当性を必死になって訴えて、必死になって自分を守るしか戦略がない状態になってしまっていました。
そう「正しい」や「べき」で自分を完全武装していました。
誰も攻めてこないのに、責められてると思い込んで、「正しい」「べき」の剣を振り回して、まわりを傷つけて、戦って、競争して、見栄を張って、ケチをつけて・・・。
こういう状態のときっていうのは、ちょうどそう、今、飲み過ぎて、気分が悪い酔っ払い状態みたいになってるんです。
酔いが回って、気持ち悪くて、何を言われても腹が立つし、足はフラフラで真っ直ぐ歩けないし。
本音や、普段隠してる本性が出てきて暴れるしで、もう大変。
だから、そういうときは、便器を抱え込んで、背中を誰かにさすってもらい(癒してもらう、痛みをとめてもらう)、時には指を口に突っ込んででもいいから、勇気を出して吐いてもいい(本音を吐き)のです。
そして、一度すっきりしたら、最後に笑う(前に進む)。
癒やしてもらう。
本音を吐く。
そして笑う。緩む。
こういうことが大事なのだろうと思います。
大丈夫で心の壁をつくらない
あなたは、「大丈夫」という言葉をどういうときに使っていますか。
たとえば、何か不安はあるけど、強がって、自分でなんとかしようとするときです。
もしくは、何かいじられたくない項目があるとき、そっとしておいてほしいときだったりします。
そんな感じのときによく「大丈夫」「問題ない」「困ってないから」と言っていた気がします。
具体的にいうと、「親から1人暮らしを心配されたとき」「体調が悪くて弱っているとき」「仕事がうまく進まなくて、あたふたしてるとき」でした。
もしくは、「いや、ちょっと不安があって」とか「助けてほしいだけ」などという言葉を言えないときでした。
「大丈夫」という言葉は「強がり」という「壁言葉」なのです。
「それ以上入ってこないで、聞かないで、関わらないで」という心に「壁」をつくっているときに使う「壁言葉」です。
「いじられたくない」「知られたくない」「弱みを見せられない」、つまり、自分の恥ずかしい部分や、弱い部分を隠したいときに、「大丈夫」という言葉を使っている気がするのです。
特に「大丈夫、大丈夫」って、2回繰り返す時などは顕著です。
ところで、成長するとき、脱皮するときに必要なのは「過去」です。
だから、自分が成長するためには前だけをむいていてはいけないと思うのです。
自分の過去の「できなかったこと」「苦しんだこと」「恥ずかしかったこと」「なかったことにしたいこと」「忘れ去りたいこと」。
これらにきちんと「向かい合う」こと、そしてそれらを受け入れることが必要です。
自分の過去を否定しない。
まぎれもなく、過去も自分の一部なんです。
それらにきちんと向かい合って初めて、きちんと前を向いて歩くことができるのではないでしょうか。
それなのにピンチのとき、苦しいとき、不安なとき、「大丈夫」という言葉を使うとどうなるか。
「大丈夫」と言って壁をつくると、その過去の苦しみや恥ずかしさや痛みにフタをしてしまうことになります。
それらにフタをしてしまうと、過去と向き合って成長することができません。
カウンセリングを受けて、大きく変わっていく人は、過去の自分を見つめ直すことのできる人です。
過去の自分を見つめ直すことで自分自身に大きな変化、つまり成長が起こります。
だから、「大丈夫」って言って過去にフタをするのはよしましょう。
「大丈夫」ばかり言って、自分の過去にフタをする「大丈夫病」にかかっている人は、多いです。
「大丈夫」って言うのをやめて、自分の過去の嫌な思いや恥ずかしい体験に向き合ってみませんか。
そうすると、過去を見つめて、未来のために変わっていくことができます。
知ってる病に気を付ける
前項であげた「大丈夫病」がさらに厄介なのは、「知ってる病」という病も併発するということです。
「あ、それ知ってます」「あ、やったことあります」「あ、それって要は〇〇でしょ」と、いう「知ってる」を繰り返します。
そして、知ってるけど、やってない。
あるいは、やってるけど、やれる部分だけやる。
自己流に変えてしまう。
やれる部分しかやらないから、何も変わらない、というサイクルを回ります。
くるくるくる回る。
お金と時間と知り合いだけ増えていく。
何も変わらない。
「知ってる」という本人は、それだけ知識も技術もあって、でもまだ、そこにいる、という病。
これが「知ってる病」です。
そして、うまくいかないときは自分の考え方が正しくて、本などのほうを否定します。
その人がうまくいかないのはその「知ってる病」にかかっているからなのに。
結果を変えたければ「つまらない」とか「あたりまえ」とか「それはおかしい」と感じたとしても自分の考え方のほうを否定してみることが必要なのです。
だって「その」考え方でうまくいかないから、いろんなところを回っているのに。
いくら新しいことを学んでも「その」考え方、「知ってる病」を変えないかぎり何も変わらないのです。
だから、本を読んだりする場合は、「よし、自分の価値観を変えてやろう」「よし、自分の正しいを疑ってやろう」と思いながら読むのが一番のモトを取る方法です。
「大丈夫病」「知ってる病」から抜け出して、大丈夫じゃない自分、何も知らない自分、そこに気づけたときに、人はグングン前に進むのでしょう。
「知ったこっちゃない」と開き直る
「あ、あの人ったら、またお客さんを怒らせちゃった」
「あ、あの人たち、またもめている」
「あ、彼がまた変なことを言って、上司を困らせている」
「あ、また彼女が空気を読まない態度で行動している」
このように、他人を気にする人がいます。
「私がなんとかしなくては」「僕のせいだ」と”他人”の問題に悩み、”他人”の機嫌を必死に取ろうとする人です。
まわりを気にしてしまう人は、他人の問題でいつも自分をすりへらしてしまっています。
こういう人は、一度「知ったこっちゃない」を試してみてください。
誰かが困ってても、「知ったこっちゃない」。
誰かに何か言われても、「知ったこっちゃない」。
冷たいと思われても、「知ったこっちゃない」。
わざわざ他人の問題を拾いにいかない。
「その問題は、私の問題ではありません」ということです。
ドキドキしますね(笑)。
それは、周囲の評価が気になるからです。
でも、助けてあげたいな、と思ったら助けてあげてください。
優しくしてあげたいな、と思ったら、そうしてあげてください。
誰に、なんと言われようと。
「私がそうしたいと思ったから、そうした」
息を大切にすることは、自分の心を大切にすること
武道や、瞑想、座禅、スポーツなど集中力を要するものは、「呼吸」「息」というものをとても大事にします。
メンタルの調節においても「呼吸」「息」というものにとても注意を払います。
「息」というのは「自らの心」と書きます。
「息」を大切にするということは「自分の心」を大切にすることでもあるからです。
ためしに、一瞬でいいから、今、呼吸に意識を向けてみてください。
それだけで、すーっと心が落ち着いてきたりします。
緊張したり、あせったり、悩んでいるときは呼吸がとても浅く、速くなっています。
そんなときは、呼吸に意識を向けるだけで、心が落ち着くことがあります。
「タバコを吸うと、リラックスする」と喫煙者は言います。
それは、言い訳ではなくて、この呼吸に関連があります。
我々は、日常生活では「深呼吸」は意識しないとしません。
でも、喫煙者は、1日何回も、タバコを吸うたびに深呼吸します。
もちろん、ニコチンの効果などもあるのでしょうが、タバコのリラックス効果っていうのは、この「深呼吸効果」じゃないかと思うのです。
自分の身に、「自分の心」に意識を向けてみてください。
それだけで、何かが変わるかもしれませんね。
一番簡単な自己セラピーです。
まとめ
- 自分の心を粗末に扱うと、まわりも自分の心を粗末に扱うようになってしまう。だから、まずは、自分が自分の心を丁寧に扱う。
- 本当につらいとき、苦しい時は、背中をさすってもらって、本音を吐いて、最後に笑う。
- 「大丈夫」と言って心に壁をつくらない。自分の過去にフタをしない。「知ってる」で他人の教えを遮断しない。成長を止めてしまう。
- 時には、誰に何を言われても「知ったこっちゃない」で開き直ってみる。
- 「息」に目を向けるのは、「自らの心」に目を向けること。つらいとき、苦しい時は、「息」に意識を向けるだけでも落ち着く。