つい敵であると思い込んでしまう
危険な関係になぜか発展
人に対して肯定的な気持ちの分量が多ければ、それに比例して、人の好意的な面に気がつきます。
自分の心が否定的な気持ちで占められていれば、どんなに相手が好意的な人であっても、その人の中から、否定的な点を探そうとするでしょう。
他者に対して敵意を抱いている人、他者に対して怯えている人が、同じように敵意を抱いている人に近づいてしまうのは、こんな心のメカニズムが働いているからです。
怖がりながらでも近づいていく
人を敵だと思っている人が、先手必勝という言葉があるように先制攻撃を仕掛けたりして、「自ら、戦いの中に入っていく」というのは理解できると思います。
ところが、他者に対して”怖い”という気持ちに囚われて怯えている人は、自分自身が否定的な気持ちに囚われているために、怖い人や怖い場面に無意識に近づいてしまうという自分の心のメカニズムに気づいていません。
そのために、自分に敵意を向けられると、
「私は何も悪いことはしていない。人に疑われるようなことも、非難されるようなこともしていない」
と言いたくなるでしょう。
もちろん大半の人がそうだと思います。
「真っ当に生きているのに、どうして自分だけがこんな目に遭わなければならないのか」
そう思うでしょう。
けれども、実際に自分が攻撃されたり責められたり暴力的な言動の被害に遭うような経験があったとしたら、あるいは、まさに今そんな状況にあるとしたら、その事実に目を塞ぐことはできません。
もちろん、怯えるにはそれなりの理由があります。
過去において、つらいことを体験していれば、怯えるのは当たり前です。
そんな環境であったことを悪いと言っているわけではありませんし、怯えることが悪いと言っているわけでも、ましてや「あなたが悪い」と言っているわけではありません。
そんなつもりはないけれども、相手を刺激
問題は、自分の行いが正しいかどうかということではありません。
「敵」という意識が強ければ、善悪や正・不正よりも、勝つことが最大の目標となります。
相手に優ること、勝つことを目指し、勝利を得るためには”手段を選びません”。
「あなたが、正しいので、私は攻撃をしません」などと言うわけがありません。
「戦って勝つ」というのはそういうことです。
自分が、攻撃的な人、暴力的な人が気になって関心を抱けば、当の本人も”気にされている”と気づきます。
そのとき自分が怯えていれば、相手は”気に障り”ます。
これが「関係性」なのです。
「関係性」の前にあっては、「正しい、正しくない」や「良い悪い」といった判断の基準は大きな意味を持ちません。
「敵と戦って勝つ」という意識を持っている相手に、「正・不正」「善悪」で対抗することは難しいのです。
怯えていれば、攻撃されやすくなります。
攻撃的な人、暴力的な人に対して戦いを挑めば争うことになるのと同様に、”敵”に怯えている姿は、相手に不快感を催させ、排除したくなるというのが「関係性」なのです。
「いつも、自分がつらい立場に立たされてしまう」
「我慢して頑張っているのに、なぜか貧乏くじを引いてしまう」
「いつの間にか、私の方が悪いというふうになってしまう」
「悪いことはしていないのに、イジメの対象になってしまう」
といった経験があるとしたら、自分を守るために、まずこんな「関係性」の視点に立つことが大事です。
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敵がどんどん増えてしまう理由
いつも警戒態勢の心の中
どうしても気になるのは、やっぱり「敵」です。
そうやって、自分の敵に関心を向けていると、
「あいつは、あの生意気な態度が気に入らない」
「なんだよ、お前、自分を何様だと思っているんだよ」
「なによ、どうして変な顔で私を見るのよ」
「なに、その態度は。私になんか文句でもあるの?」
などと意識で喧嘩を売っています。
自分に見えるのは敵ばかりで、好意的な人は視界に入ってこないのです。
仮に入ったとしても、目の前をさっと矢のように通り過ぎていきます。
相手を「敵」だと認識すれば、やられる前に「先制攻撃」をかけて相手を屈服させなければなりません。
自分より強そうな相手や手強い相手だと、やられてはたまらないので、「ひとまずは、友好関係を築いていたほうが得策だ」とばかりに、怖い相手にも、近づいていくのです。
■参考記事
喧嘩できない人が本音を言うチャンス
怯えるから引き寄せてしまう
では「敵に怯えている人」はどうでしょうか。
怯える人は、自分に危害を加えられるのを恐れているので、自分が怖いと感じる人を探して見つけます。
100人の中に、怖い人と優しい人とが混ざっているとしたら、最も怖いと感じる人が真っ先に目に入るに違いありません。
一般的には、怖い人にわざわざ近づいたりしないものだと思うでしょう。
ところが怯えている人は、そうでもないのです。
最も怖いと感じてしまう人に、「怖い」という視線を送って震えれば、相手もそれに気付きます。
「関係性」で言えば、恐れられている人にとっては、自分に怯えられることほど不快に感じることはありません。
と同時に、恐れられている人は、怯える人間をいたぶる快感も知っています。
脳幹の機能としても、怯える相手を目の前にすると、「いたぶりたい」という欲求が刺激されるのです。
”敵”意識の強い人ほど、そんな快感を求める欲求がむくむくと頭をもたげてきます。
そのために、怯える人にとっては、最も怖いと感じる人を引き寄せることになってしまうのです。
それだけではありません。
怯えている人も、わざわざ自ら、最も怖いと感じる人に近づいていきます。
なぜ近づいてしまうのか。
それは、一つには、怖い人が一人でもいると、その人が気になって気になって仕方がないからです。
いつ攻撃されるかと片時も忘れずに怯えているために、安全な人たちと付き合う余裕さえありません。
そんなふうに怯えているくらいなら、「危害を加えられる前に、懐柔しておいたほうがいいのではないか。親しくしていれば、私をいじめないでいてくれるかもしれない」
などといった思いから、近づいていくのです。
こんな関係性の点からも、「脅す人と脅される人」とは引き合うのです。
敵対関係へ気がつかないうちに
自分では自分の顔が見えません。
鏡の顔を自分で見るときは、その前に人がいるわけではありません。
つまり、自分が相手を前にしているとき、あるいは集団の一人としてその中にいるとき、自分がどんな態度や表情をとってそこにいるかは、実際には、わからないのです。
人との関係は、「自分と相手との関係性」で起こっています。
これは、何度語っても語り尽くせないほどに重要なことです。
自分の言動だけでなく、態度や表情、振る舞い、ふとした仕草、立ち方、歩き方、喋り方、その人の内面から醸し出される雰囲気すべてが、相手に情報として伝わっています。
もちろん、相手からもその情報を受け取ります。
仮に自分では気づかなくても、無意識のところでは気づいています。
自分が気付こうが気づくまいが、お互いに、こんな情報を交換しながら人間関係は成り立っているのです。
豊かな人間関係を築くにはより相手を知ること
他者の目を気にする人が陥る罠
他者に意識を向けて、相手の顔色を窺ったり、相手の心を知ることに熱心だったり、相手の動向を探って、自分の言動を決めようとする生き方は他人の目を気にすることです。
「そうすると、あなたは、そんなふうに実行していて、実際に、うまくいっているんですね」と念を押すと、彼女は即座に「いいえ」と答えました。
そして、「私は職場でも家庭でも、円満にいけばいいとおもってやっているのに、なぜか、最後には、私が悪いというふうになってしまうんです」
彼女の視点から言うと「だから、もっと、相手のことを知る必要がある」ということだったのです。
「相手の心を知れば、うまくいくと思うんですか?」
「ええ、思います」
「他人の目を気にする人」は、こんなふうに考えがちです。
思い通りに相手を動かすことをしたい
カウンセラーは彼女の問いに、こう答えました。
「じゃあ、私が今、”相手の心を知っても、うまくいかないと思いますよ”と言ったらどうしますか」
「どうしてですか?どうしてうまくいかないと言えるんですか」
いくつかのやりとりをすると、彼女は次第に険しい表情になっていきました。
「こんなふうになっていくと予測できるからなんですね」
「こうなっていくって?どんなふうになっていくんですか」
「今、このまま話を続けても、納得していただけないと思うんです」
「そんなことはありませんよ。言ってみないとわからないじゃないですか」
こんな調子で、彼女はいっそう感情的になっていきました。
これが他人の目を気にするようになって相手の心を知ろうとしたり、相手の心を読もうとする人たちの限界です。
この会話で、何が起こっているのでしょうか。
彼女は「相手の心を知れば、うまくいく」と考えています。
けれども実際には、そうではありません。
相手の心を知りたがっている彼女に、「このまま話を続けても、納得してもらえないだろう」とカウンセラーは伝えています。
彼女は「相手の心を知った」ことになります。
相手の心を知ればうまくいくと思い込んでいる彼女は、もちろん、「相手の心を知っても、自分は納得しない」ということに気づいていません。
「どんな会話になっていくか予測がつく」とカウンセラーが言ったように、彼女は、自分が”満足する”答えが返ってこないと納得しないし、納得しないで終わらせることができません。
こんな状態になってしまうと、「争って勝つ」ことが目標になっていきます。
もし彼女が、「自分が望む通りの答えが返ってこないと満足しない」とすれば、カウンセラーは延々と話をし続けなければなりません。
争い合うような会話は不毛であるゆえに、その労力と疲労感を思うと、想像しただけで、気が重くなってしまいます。
もし延々と話しても彼女が満足せずに、カウンセラーが途中で話をやめてしまおうとすれば、すでに感情的になっている彼女は、怒り心頭に発するでしょう。
いずれにしても、敵意識の強い人と「勝ち負けを争う」ような会話を続けていけば、否定的な感情だけしか残りません。
むしろ、そんな会話を続ければ続けるほど、お互いに否定的な感情が増産されるので、いっそう、相手とこじれた関係を築いていくことになるでしょう。
無理に押すから嫌われる
お互いの気持ちを尊重するというのは、「豊かな人間関係を築く」基本です。
もしこのとき、彼女がお互いの気持ちを尊重する人であれば、相手が自分と話すことを苦痛に感じているという、相手の心を”感じとる”ことができたでしょう。
それは、彼女が望んでいると言った「相手の心を知る」ことにもつながります。
自分を知ることにもつながります。
しかし、他人の目を気にする彼女の本当の望みは、相手の心を知ることでも相手を尊重することでもなく、「自分の意見を押し通す」ことだったのです。
職場でも家庭でも、最後に「彼女が悪い」というふうになってしまうのは、彼女がこの「関係性」にまったく気づかず、自分がいいと思うことを、相手に無理に押しつけていたからです。
彼女が相手に絶えずそうすれば、やがて相手は彼女から去っていくでしょう。
相手が彼女に仕方なく従ったものの、それが悪い結果に終わり、「彼女が悪い」と責められるとしても、それは、彼女自身が招いた結果だと言わざるを得ません。
多くの人が相手の心を知れば、さまざまな問題が解決する。
あるいは、自分の望んだ通りに事が運ぶと思いがちですが、そもそもこれが勘違いなのです。
「相手の心を知った」ところで、自分が相手の思いや気持ちを認めることができなければ、相手の心を知っても知らなくても、自分の考えややり方を強制したり強要したりして、「敵」という意識を互いに増大させていくだけなのです。
ちなみに、この彼女との会話は、カウンセラーが「話を続けるのがつらいという私の気持ちを、尊重していただけませんか」と、自分の気持ちを大事にした言い方をして、決着がつきました。