人生はセルフイメージで決まる
エネルギッシュでない人は、心の中の自我像がいじけている。
あるエネルギッシュな起業家がトラブルを起こした。
そのときにそのエネルギッシュな人は「自分の心のすさみがこのトラブルを起こした。このトラブルは今までの生き方のツケだ」と割り切った。
そう割り切っても「でもなんでこのツケなのか?」と思えてきた。
そこで今度は「でも身体が丈夫じゃないか」と体が健康であることに感謝をした。
「このトラブルと、心臓病になるのとどっちがよいか?」と考えた。
そうして「なんとか、橋の下でも事業ができる。命があればいい」と自分に言い聞かせて、元気になった。
「お金のある三年前の時の自分と今の自分とどちらが好き?」と彼女に聞いた。
今の方が好きと答えた。
あるエネルギッシュな作家である。
それまでは本は売れなかった。
そこで税金の恐ろしさはあまり実感としてなかった。
ところがある本が売れた。
本が売れたのだが税金を取られた。
かなり売れたのでかなり取られた。
普通は「えー?こんなに取られるの?」と驚く。
しかしそのエネルギーのある作家は「でも印税が入った。私ってついている」と思った。
エネルギーのない人は、なんでこんなに取られるのだと悔しがる。
エネルギーのない人は、幸運が来ても幸せを感じる能力がない。
金持ちは1千万を銀行に預けるだけで、実際に使うのは普通の人と同じ。
そこであるエネルギッシュな人は一千万と書いた紙を、机にしまった。
それで「私はお金持ち」と自己イメージを作った。
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ホームラン王は三振王
見方を変えれば成功者は失敗者であり、失敗者は成功者であるという。
その例でよくベーブルースが出される。
ベーブルースは714本のホームランを打った。
それは39年間やぶられなかった。
そのベーブルースは1330回三振をした。
ベーブルースは三振王でもあった。
デールカーネギーの本には「アメリカ野球史上並ぶもの無き三振王」と書いてある。
しかし三振王は失敗者ではない。
三振王をホームラン王の反対と考えるのがおかしい。
三振王は、それだけ試合に出場したということである。
それはすごいことである。
それだけ三振できたということのすごさを著者は書かなければいけない。
カーネギーはそこを書いていない。
健康と監督や仲間からの信頼と、それがあって初めて三振王になれた。
三振王になれる回数だけ試合に出場させてもらえなければ、三振王にはなれない。
ナポレオンが戦った重要な会戦で三分の一は負け戦だったという。
それにもかかわらず人々はナポレオンといえば戦いの英雄なのである。
カーネギーは負けに注意がいかないだけのことだという。
しかし負け戦というが、これだけ戦い続けたのだから「この人いつも元気があったんだな」とも解釈できる。
解釈できるというよりも事実そうであろう。
年がら年中戦いをしているのだからものすごいことである。
それができるということは、すごいエネルギーがあるということである。
このすごいエネルギーを評価するのが楽観主義である。
「戦いに負けた」という形にとらわれるのではなく、そこでの心のあり方に注目する。
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こぼれたミルクは戻らないという。
これは後悔をしても始まらないという意味であろう。
しかし「こぼれるミルクがあるからいいじゃないか」という解釈が楽観主義である。
人は時に、空を飛んでいるのに、地上を歩いていると思っている。
それがうつ病になるような人である。
自分がすごいことをしているのに、それに気がつかない。
「空、飛んでいるんだよ」と言っても、今度は「あー、落っこちる」となってしまう。
あるいは自分はたかが鶏と思って空を飛ばない。
自己蔑視している人は戦うエネルギーがない。
ナメクジになって塩をかけられて消える。
本当にその可能性がある。
人の悩みは、小さなことに思える。
しかし同じことを自分が体験すればそれは大きな悩みになる。