若者の受け身とは
若者の受け身の心理
最近の若者を見ていていくつか気になることがある。
一つは「受け身」になってしまっていることだ。
少子化で丁寧に育てられているので、就職しても「与えられる」「教えられる」のが当たり前になっていて、それがないと、職場に不満を持つのだ。
また、指示がないと動けないという特性があるという。
怠惰で動かないのではなく、頑張りたいのだが、指示がないと、どう頑張っていいかわからない。
その結果、年配者からは、人をバカにしているのか、と思われるような態度をとっていても、それは実は、他の人に大変気を遣ってのことであったりもする。
もう一つは、行き過ぎた「万能感」だ。
今の学校教育には、挫折をあまり経験させない配慮がある。
またSNSなどで、誰でも発言、批評でき、それが多くの人の支持を得ることがある。
無名の人でも動画サイトへの投稿によって、有名タレント並みの収入を得ることもできる。
正しいことを発言すれば、多くの人から支持される。
社会に出ても、自分には可能性があり、自分の信じる通りにやれば、世の中を動かすこともできる。
そんな感覚をもっているように思う。
もちろん、悪いことではない。
しかし、現実の社会には、まだインターネットのようなフランクさはない。
若者を取り巻く環境は、ほんの数名の人、会社であれば部長や課長、あるいは先輩によって決められていて、彼にとっての正論が通用しないことのほうが多い。
自分が正しいと思うことを職場で否定された時、その相手に怒りを持つ。
そんな時若者は、我慢が専門の年配者に比べ、自分の権利を主張することもできるので、組織に要望を出せる人も多くなった。
しかし、それを上手に伝える能力を鍛えているわけではない。
結果としてそれがマイナスに作用し、余計に働きにくくなることもある。
しかし、就職活動の大変さも経験している場合、簡単に退職、というわけにもいかない。
結果として、年配者と同じように、「我慢」し、「忘れてしまう対処」をする機会が多くなってしまうのだ。
我慢と忘れる対処だけでは、人間関係トラブルは、拡大していってしまう。
しばらくは潜伏しているが、メンバーの体力がなくなると表面化してくる。
突然の欠勤、マスコミリーク、傷害事件、横領・・・。
そのような明確な事件とならなくても、少なくとも、職場が仕事ではなく、人間関係のほうでエネルギーを消耗する集まりになってしまいがちだ。
働き方改革で、過重労働はましになっても、ここで紹介した人間関係をベースにしたストレスは、それほど減っていかない。
資本主義で、業務のために頑張らざるを得ない時がどうしてもある。
すると疲労は避けられない。
私は、疲労が蓄積した職場を維持するためには、どう仕事を回すかより、人間関係ケアのほうが優先されるべきと考えている。
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受け身の若者でも誰しもが、自分の大切な信念を持っている
職場というものは疲れる人間関係を生みやすいものである。
しかし、もちろん、素晴らしい職場もある。
しかし、人は期待と比較の動物。
現実的な職場のあり方を知らず、理想の職場をイメージしていると、その場でわいてくる感情に対して、自分を責め、期待通りでない組織と仲間に対し、怒りを持ちやすい。
職場は理想郷ではないという現実を知ることが、必要以上に疲れない人間関係の第一歩になるのだ。
さて、では第二歩目は何だろう。
やはり「価値観」の問題だ。
職場は、目的を達成するための集団。
そこで活動する上で、他の人とトラブルが生じやすい価値観を持っていると、当然疲れてくる。
自分がどんな価値観を持っているのか、大切な信念という概念で考えてみよう。
職場は、人間関係トラブルの多発地帯。
多くの人は、「我慢」と「忘れる対処」で過ごしているが、それが限界に近くなると、「疲れ」というより、まずは「怒り」としてそれを感じる場合が多いだろう。
「あの係長は何もしない」「後輩にカチンと来た」「部下が言うことを聞かない」「自分だけ下に扱われている」・・・。
職場で感じるイライラは、実は、ラッキーチャンスの到来である。
職場の人間関係ストレスを減らすための大切な信念のチェックタイムなのだ。
人は、何らかの信念(価値観)をもって、共同作業に取り組んでいる。
その人にとって「当たり前」のことなので、特に意識されることはない。
例えば空気のようなもので、とても大切だが、普段は意識されない。
職場でイラッと来たときは、自分の価値観が否定されるような事態が起こった時だ。
空気が薄くなるようなもので、苦しい。
苦しくなって初めて、自分が空気という大切なものを吸っていたことを知ることができる。
例えばある部下に対して感情がザワザワする時は、自分が持っている何らかの信念が脅かされている。
その信念に気付き、果たして本当に大切にすべきことなのか、検証できる極めて貴重な機会なのだ。
大切にしているからこそ、極端な「程度」になっている可能性があり、それが7~3バランスが崩れた言動や反応を自分にさせているのかもしれない。
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受け身の若者にカチンと来たら「七つの視点」で点検していく
こんな事例がある。
I部長がある部下に三日後までに仕上げてくれと仕事を頼んだ。
その部下は優先順位を考え「三日間あるから、今はいいだろう」とその仕事を横に置き、他の仕事に着手した。
次の日、I部長は「頼んだあの仕事、できたか?」と聞いた。
「いえ、まだ見ていません」と部下。
「見てもいない?見てくれよ。もしわからないところがあったら、先に聞いておかないとできないだろう」と少しイライラしてしまった。
部下は「でも部長は、三日後に出せばいいとおっしゃいましたよね。
私は優先順位をつけて仕事をしているだけです」と不満気だ。
I部長は、どの態度にカチンとくる。
仕事を何だと思っているのだ。
「優先順位だか何だか知らないが、納期どおりにアップするためには、先に見ておくべきだ。
見てもいないとはどういうことだ。
私の部署にいる以上、そんな仕事の仕方は許さない。
そのやり方では、君は今後、この会社でやっていけないぞ。
いいか、言ったぞ」とにらみつけた。
部下は「わかりました」というものの、相変わらず不服そうで、部長は思わず次の言葉を吐きそうだったが、そこはぐっと我慢して、自席に戻って平静を装った。
飲み込んだ言葉は、「俺を誰だと思っているんだ」である。
どうしてこの言葉が出てくるのか。
それは背後に「俺が上だから」という観念があるからだ。
そう、「上下関係確認の儀式」に突入しているのだ。
I部長は、部下を苦しめようとか、パワハラしようなどとは夢にも思っていない。
むしろ、部下に対して、自分の成功体験から得た正しい仕事のやり方を、伝えたい気持ちから言っている。
けれども、もしその信念が間違っていたとしたら?
その信念は自分(部長)だけに適応したものだったら?
少なくとも、部下にとっては合わないものだとしたら?
このトラブルこそ、I部長にとって、大切な信念の見直しのチャンスなのだ。
I部長は、帰りの電車の中で、今日の部下とのトラブルのことを考えてみた。
やはり腹が立つ。
DNA呼吸をして落ち着いた後、七つの視点でまずは自分のことを考えてみた。
最近I部長は、家庭でのトラブルがあって、よく眠れない時期が続いていた。
業績も悪化しており、そのことで局長からは注意を受け、ちょっと上司としての自信も揺らいでいた。
「もしかしたら、俺が疲れているってことか・・・」
知らず知らずのうち疲労の2段階に至っていたのかもしれない。
そこに、この出来事があった。
部下への反応も通常の2倍。
「確かに少し、言い方がきつかったかもな・・・」
I部長は、自分の弱さを認めた。
そして、「どうして、この場面にあんなイライラしたのだろう。何が、私の怒りを引き出しているのか?」と自分を振り返ってみた。
無意識にしろ、意識的にしろ、何か信念があるはずだ。
すると、I部長の頭に浮かんだのは「仕事が遅い」の一言だった。
部長は、かつて自分が部下の立場にある時は、納期まで日にちがあっても、必ずそれよりも早くアップしていた。
「仕事が早いね」と歴代の上司にほめられてきた。
早く提出したことによって問題点が見つかり、それに対応する時間が十分とれて、感謝されたこともあったのだ。
「仕事とは、そういうもの。早くすればするほどいい」。
それがI部長の信念である。
あまりにも当然で疑う余地もない。
でも本当だろうか。
これが大切な信念のチェックだ。
七つの視点の「相手視点」でも考えてみる。
彼は「優先順位」って言っていたな・・・。
優先順位をつける。
新人研修でもよく言われることだ。
彼の立場になってみると、「三日後」と言われたのだから、三日後に確実に提出できればいいのではないのか。
別にサボっているわけでもない。
むしろ、すべての仕事をミスなく確実にこなすために、優先順位が何より重要である。
でも、自分は次の日には「見てもいないのか」と声を荒げた。
部下には何の事だか理屈がわからなかったのだろう・・・。
I部長は、翌日部下に謝った。
そこがI部長の素晴らしいところだ。
そしてどうして自分がそう指導したのかを説明した。
「大人の心の強さ」を発揮したのだ。
そしてその部下は、それ以降、部長との仕事に、非常に熱心に取り組んでくれるようになったという。
ついでに言うと、仕事を頼むと、まずは概要を把握するようにもなってくれた。