誉め合えば信頼が深まる

いかにもただ単位を取るため、という態度で授業を受けている学生がいました。

その態度を何度注意されても改まりません。

ところがあるとき、その学生が授業中に斜に構えたままで質問したのです。

本人は授業内容を皮肉ったつもりだったようですが、「それは他の人もきっと聞きたかったことで、非常に良い質問です」と誉められて、講師は質問に丁寧に答えていました。

すると、それをきっかけにその学生の態度が、これまでとはまるで変わったのです。

また、毎時間提出するレポートが期待する水準には到達していないのですが、それでも少しずつ良くなっている学生がいました。

それで講師が「だんだん良くなっているよ」と付け加えて返却し続けたら、めざましい伸びをみせ、やがて教師として就職していきました。

このように、誉めることで人は変わり、誉めることで人は伸びるという体験を、教師なら誰でもしているものです。

心理学の古典的実験においても、誉める群、無視する群、叱責群を比較してみると、長期的には誉める群だけが伸び続けるという結果が得られているのです。

「誉めて伸ばせ」は教育の基本であり、人材育成の基本であり、子育ての基本です。

ところが、私たちは、変わるように要求しないと人は変わらないという考えで行動しがちです。

それで、相手の至らない点を指摘し、批判し、相手を責めるということになります。

これでは相手の人は反発を感じて、素直に自分を変える気持ちになれません。

たとえ表面上行動を変えたとしても、心の中では反感がつのります。

人は誉められることで、行動だけでなく、心も変わるのです。

いくつになっても誉められることは嬉しいことです。

たとえ誉められたことを快く受け取っていないかのような素振りをしても、内心では喜んでいるものです。

その喜びが、人を良い方向へと動かしていくのです。

良いと思ったことは、素直に本人に伝えてあげるように心がけることです。

それがお世辞とか、ごますりなどと受け取られないためには、率直かつ具体的に伝えることです。

「あの提案、時宜を得ていて、すごく良いと思いました」

「ゆっくり、はっきりした口調で、とてもわかりやすかったです」

良いと思ったことを伝えることは、しばしば尊敬を伝えることにもなります。

「大きな視点で物事をとらえていて、勉強になりました」

「仕事に取り組む姿勢を、私は手本にしています」

率直に感動として語ると、いっそう相手の心に届くことがあります。

「先輩、すごい!あの場面でのあの言葉!」

もし自分が誉められたら、素直に「ありがとう」と受け入れることです。

誉め言葉を素直に受け入れると、誉めて返したくなるものです。

「ありがとうございます。そうした配慮をしていただいて。見習わなくちゃと思います」

良いところを見るために

人は誰でも長所と短所を持っているものですが、短所は目につきやすく、長所は見逃しがちです。

このために、批判や注意はしやすいのですが、誉めることは容易ではないのです。

他の人の長所をきちんと見るために、以下のようなことを心がけることです。

すべての人から学ぼうとする

他の人から学ぼうとする謙虚な姿勢だと、どんな人からも学ぶべきことを発見します。

ある教授は学生と接していると、真摯に取り組む学生の姿のけなげさに心打たれ、真摯に取り組む学生の姿のけなげさに心打たれ、教授も真摯に彼らに向き合わなければ
と、いつも心を新たにさせられたものだそうです。

周囲を引っかき回す口先だけの人と思っていた人からは、楽天性を学ぶべきだと思い知らされました。

その人は、いつでも困難性よりも可能性を見ていて、それが多くの提案につながっていることに気づいたのです。

学ぼうとする姿勢で接すると、相手の肯定面に焦点を合わせることになります。

それで、相手の人に対する好意の感情が自然に湧いてくるようになります。

皆違う人として受けとめる

私たちは自分と正反対の性格の人を毛嫌いしてしまいがちです。

そして、その毛嫌いの感情を核にしてその人を見てしまうために、マイナス面を実際以上に大きくとらえてしまいます。

また、周囲の人を一緒くたにして見てしまうことで、現実を見る目が曇らされてしまいます。

たとえば、周囲に馴染めない人が、「みんな意地悪」とか「皆、どうしようもない人たち」などという言い方をすることがあります。

でも、実際には、一人一人違う人であり、一人一人がいろいろな面を持っています。

具体的に一人一人を見ていけば、「みんな」ではなく、「特定の人だけが意地悪」であることがわかります。「特定の人だけがどうしようもない人」であることがわかります。

人それぞれ違っており、そうした違いをすべて個性として受け入れることです。

自分の欲求で見ていないか反省する

私たちは意識しないうちに、他の人を自分の欲求を満足させてくれる対象として見てしまいます。

たとえば、仕事が切羽詰まってくると、同僚の人を「手助けしてくれる人」ととらえてしまいます。

この期待に応えてくれないと、「信頼できない人」「冷たい人」などと否定的に見てしまいます。

部下を持つ身であれば、自分の思い通りに行動しない部下を「反抗的な人」と見てしまいます。

こうしたときは、かつて哲学者のマルティン・ブーバーが提唱した「我―汝」という向き合い方でなく、「我―それ」という姿勢になっているのです。

「我―汝」という関係の仕方は、じぶんも相手も同じ人間という接し方であり、「我―それ」というのは、相手を自分の欲求満足のための対象としての接し方です。

「我―汝」という接し方であれば、「冷たい人」ではなく、「同じように仕事を抱えている人」ととらえることになります。

「反抗的な人」ではなく、「自分を主張する人」と受け止めることになります。

相手の良さに気づいても、素直にそれを認めることが出来ない人がいます。

その人と競ってしまい、自分の劣等感が刺激されるからです。

たとえば、立派な業績をあげて昇進が早い同期の仲間を、賞賛することができません。

「上役に取り入るのがうまいので昇進が早いのだ」などと、相手の価値を貶めるようなことを考えたりします。

あるいは、相手の美点に嫉妬して、長所を短所として歪めてしまうようなこともあります。

たとえば、内向的な人が、社交的な人に嫉妬して「ぶりっこ」とか「口先だけの人」などと評価することがあります。

人の美点を素直に賞賛できる人が、心の大きな人です。

周囲の人の良い面を見て、その良い面を素直に賞賛できる大きな心の人になりたいものです。

●まとめ

人の良い点を見るように心がけよう。

素直に賞賛しよう