人付き合いが怖いとは、等身大の自分で人と接していないことである。

人付き合いには、人と接する場面から別れた後、どっと疲れが出る人付き合いと、元気がでる人付き合いがある。

そしてどっと疲れが出る人付き合いを続けていると、やがて人付き合いが怖くなってしまう。

どっと疲れが出る人付き合いの原因としては幼少期の親の養育環境が大きく影響している。

人付き合いが怖いからといって、人付き合いを避けていれば、ますます人付き合いが怖くなる。

人付き合いは人が生きていくうえで切っても切れないことであるから目をそらすことは出来ない。

人付き合いが怖いを克服するポイントとして、人付き合いの中で楽な自分をさらけ出すことである。

それは、弱さかもしれないし恥ずかしいと思う自分かもしれない。

しかし、客観的に見てそれはそんなにまでやってはいけないことだろうか。そんなにまで人付き合いの中で意識されることであろうか。

ここでは、まずどっと疲れが出る人付き合いにフォーカスをあて、そしてその人付き合いが怖い原因も含め、どうやったら元気が出る人付き合いができるようになるか、つまり人付き合いが怖いを克服する方法について記してみたい。

人付き合いが怖いとは

人付き合いが怖いとは
人付き合いが怖いということは、人付き合いの中で他人から自分がどう見られているかが気になり、それに沿って行動して疲れてしまうことである。

人に嫌われないようにしようとか、人から変な風に見られないようにしようとか等、自意識過剰な事態に陥っている。

人付き合いが怖いとはどういうことか、ここでは述べてみたい。

人付き合いを等身大の自分でしていない

人付き合いが怖いとは本当の自分で人と接していない人である。

つまり、背伸びして人と付き合っている。

だから人付き合いが怖くなる。(図1-1参照)

人付き合いが怖いと人付き合いが楽とはの図説
図1-1

例えば、複数人で雑談しているときにどもってしまう。

どもってしまうと人付き合いの中で、人から変な人とみられるのではないかと思っている。

だから、談笑の中で発言できない。

そして居場所がなくなり、自分を責めてしまう。

人付き合いの輪の中で自分はいらない存在なんだ、と思ってしまう。

そうなると人付き合いが怖くなり、生きているのが辛くなる。

しかし、実は人付き合いを怖く感じている人の思っている程、周りの人はその人を意識していない。

実は、本当に危ないと感じているのは人付き合いが怖い人の頭の中であって周囲の人ではない。

それを客観視できれば人付き合いなど、どうってことないのだ。

中には、吃音があるけれど全く気にしないで談笑の場を楽しんで人付き合いしている人もいる。

人付き合いの中でその人は吃音など全く気にしていない。だから、生きているのが楽しい。

人付き合いが怖い場面に遭遇すればするほど怖くなる

人付き合いを楽しんでいる人、あるいは人付き合いは得意じゃないけど、それほど苦にはならない程度の人は、人と接すればするほどそのコミュニティでの人付き合いは楽になる。

しかし、人と接する場面に遭遇すれば遭遇するほど怖さが強くなっていく人がいる。

人付き合いが怖い人である。

そういう人たちは背伸びして人付き合いしているから、だんだん苦しくなる。

行動はその背後にある動機を強くするのである。

スピーチの場面でも、PTAの役員での発表でも、会社のプレゼンでも、ママ友のランチでも、嫁姑関係から夫婦関係まで、様々な人付き合いの場面で背伸びしている。(図1-2参照)

怖い人と接する場面に接すれば接するほど怖くなるの図説
図1-2

解決方法は唯一つ、背伸びをやめて人付き合いすることだ。

それには、弱さや恥ずかしいと思い込んでいることをその怖い人付き合いの場面でさらけ出すことだ。

ここでは、その方法についてつらつらと述べていきたいと思う。

きっと人付き合いが怖いあなたに克服する勇気を授けられると思う。

人付き合いが怖い人は想像力豊か

人付き合いが怖い人は想像力豊か

自分ではない真面目な人が誰かに怒られているとする。

すると、その真面目な人と自分を重ねてしまい、怒られてもないのに萎縮してしまう。

他人の痛みがよくわかる。

すると場がピリピリする。

空気に飲まれるという言い方でもある。

人付き合いが怖い人はそういう空気に敏感である。(図2参照)

空気に敏感の図説
図2

中には、怒られているのに、それを右から左へでマイペースを貫き通す人がいる。

そういう図太い、言い換えると厚かましい人もいる。

人付き合いが怖い人とは真逆の存在である。

そういう人がいると空気は淀まない。

人付き合いが怖い人にとっての安全基地と呼ばれる人である。

逆に、自分以外のみんなが輪になって楽しく談笑していると、自分もその中にいれたら楽しいだろうな。と感傷的になってしまう。

つまり、想像力が豊かすぎるのが人付き合いが怖い人の特徴でもある。

一人でいるのに向いている人と向いていない人がいる

人の中には、一人でいるのが楽な人と、一人でいるのが寂しくて誰かと一緒にいるのが楽な人がいる。

誰かといると楽なんてことは人付き合いが怖い人には考えられないことである。

仕事などで集団行動を一日中行ったとする。

人付き合いが怖い人も含め、普通の人でも疲れる。

しかし、集団行動を終えて解散して、更に元気になる人がいる。

それどころか、解散して一人になるのが寂しい。もっと人といたい。(図3-1参照)

一人でいるのが寂しい人の図説
図3-1

そういう一人になる向き不向きは自我がおおよそ確立される25歳位で決定されてしまう。

しかし、一人になる向き不向きとは別に人付き合いを上手に行うことはできる。

集団の中で一人になる方法である。

具体的に言うと、他者との心理的距離を離すことだ。

そうすることで、エネルギーを使わずに済み、人付き合いが楽に感じられる。

人付き合いは怖いけれども一人でいるのも孤独

人付き合いは怖いけれどもひとりでいるのも孤独で人肌恋しいという人もいる。

そういう人は人に依存している。

アルコールに依存している人のように人に依存している。

人と接していないとそれはそれで辛い。

ヤマアラシのジレンマである。

人に近づきたいけれど、距離が近すぎて傷ついてしまうのである。

そういう人は人依存症から立ち直るほかない。

しかし、人依存症はアルコール依存症のように接点を断つわけにはいかない。

人付き合いは人が生きていくうえで切っても切れないものである。(図3-2)

ヤマアラシのジレンマの図説
図3-2

そういう人は楽な自分で人と接するほかない。

参考記事>>心理的距離を離してみる

人付き合いが怖い原因、ルーツを探る

人付き合いが怖い原因、ルーツを探る

人は「おぎゃー」と生まれた瞬間から人付き合いが怖い人はいない。

人付き合いが怖くなるために、「おぎゃー」と生まれてから今まで、何かしらのことがあったに違いない。

人付き合いが怖くなるのは、大体、自意識が強くなる思春期以降に始まるとされている。

その原因とルーツを探ってみたいと思う。

人付き合いが怖い原因を追究することは人付き合いが怖いを克服する大きな手掛かりになる。

人付き合いとアダルトチルドレン

人付き合いとアダルトチルドレン

先に述べた人付き合いが怖い原因としての本当の自分で人付き合いできていない人は幼少期、アルコール依存症や神経質、過保護、過干渉などの親に育てられた可能性が高い。

例えば、小さい頃、ごはんを残したら親や学校の先生に怒られたことが原因で、無理にでも食べなければいけない。

ごはんを残すことは悪いことなんだ。と思い込み、大人になって食欲が無い時にでも無理に食べなきゃと思い、食事が辛い時間になってしまう人がいる。(図4)

ご飯を食べるのが怖いの図説
図4

そういった養育環境が人付き合いが怖い原因になっている。

テレビの中のイメージを真に受けると人付き合いが怖くなる

また違う角度から人付き合いが怖くなる原因を考えてみると、テレビの独特の陽気さ、元気さを受けとめてしまうことだ。

ジャンルにもよるが、テレビの中の演者はスポンサーのイメージを良くするため、元気であったり陽気さを表現する傾向にある。

テレビを観た人は、この元気さ、陽気さをお手本として真に受けてしまう。

人は時には、元気でない時がある。そんなときでも元気さを出そうとしてしまう。

するとテレビが人付き合いが怖くなる原因ともなりうる。

テレビやラジオの影響を受けるの図説
図5

体育会系のシステムが人付き合いを怖くする

体育会系といえば、コーチや先輩を過度に敬い、生活での行動も機敏だというイメージがある。

失敗やミスを犯せばコーチや先輩にしごかれる。

日本での自衛隊や警察学校などが特に顕著であるが、こういったシビアな生活は人付き合いが怖い人には向いていない。

軍事パレードの行進など、自分ごとと思えば人付き合いが怖い人には見るに耐えないものである。

そういった体育会系のシステムの延長に学校が該当する。

同じ時間に起立、きょうつけ、礼。

まさに体育会的といってよい。

人にはそれぞれ多様性があり、ご飯を多く食べる人や元が少食の人、機敏に動ける人、そうでない人など様々である。

それらや感情などを無視して一個のコマとして扱おうとすることを体育会系ではおこなっている。

そういった体育会系的なしつけが人付き合いの価値観の歯車を狂わし、人付き合いが怖い人を生んでいる。(図6)

体育会系システムの図説
図6

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人付き合いと愛着との関係

人付き合いと愛着との関係

また、愛着が人付き合いを怖いものに変えてしまっている視点で見てみる。

愛着とは小さい頃、親から与えられる愛情であり、人間が生きていく上での安心のベースの部分である。

この愛情がうまく与えられないと、不安になったり、ものごとから回避しやすくなることがある。

例えば、人前であがってしまったら変な人に思われるんじゃないかと緊張してしまい、人前でのコミュニケーションを避けてしまうようなことが起こる。

人付き合いが怖い人の愛着としては、恐れ、回避型愛着パターンが大部分をしめる。(図7)

愛着の関係の図説
図7

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人付き合いが怖い人は気持ちの上でどうしようもない

内づらのわるい不機嫌な人は、心の底では愛情と受容を求めながらも、親密な関係がわずらわしい。

人付き合いが怖い彼らは他人への愛情欲求、一体化願望が満たされていない。

それゆえに自他の合体を望むが、人付き合いが怖い人は同時に個性化を望む。

そして、この心の葛藤ゆえに内側にあたる身近な人に接すると、人付き合いが怖い人は混乱して自己が自己として体験できなくなってしまう。

結果として人付き合いが怖い人は不安定で、不快な感情におちいってしまう。

彼らは愛情と受容を求めながらも、他方で親密な関係を避けたがる。

なぜか?

おそらく人付き合いが怖い彼らは母なるものからの完全な自立がなしとげられていないからであろう。

女性の場合は父から分離、個別化がされていないのだろう。

人付き合いが怖い人は心理的な親離れが成就されていないことが、親密な関係を避けようとする姿勢となってあらわれる。

親しい内側の人がうっとうしく、不快なのは、人付き合いが怖い人は親しくなることで親を裏切り、そしてもう親に迎え入れてもらえないのではないかという心配が無意識に働いているからであろう。

不機嫌な内づらの基底にある人付き合いが怖い人の問題は、親密さへの不快さであり恐れである。

そして無意識のうちに人付き合いが怖い人の親密さは親への裏切りと感じている。

まだ親が人付き合いが怖い彼らには必要なのであろう。

外づらの人とは、人付き合いが怖い彼らにとって「よそ者」なのである。

よそ者とどんなに親しくなろうと、相手がよそ者であるかぎり、親への忠誠と衝突することはない。

親に対しては自分をさらけ出すことはできない

そして内側の人間に親に対する感情を転位させてしまう。

つまり内側の人間には自分をさらけ出すことができない。

しかしよそ者には自分をさらけだすことができる。

親から離れられない人付き合いが怖い人というのは自分を信用できない人なのである。

自分を信用でき自信ができれば、他人と親しい関係を持ちたいという欲求は高まる。

健全な家庭で育った人は、自分を信用できるし、他人と親しい関係を持ちたいという欲求を実感できる。

しかし、嫉妬深い家庭などで育つと、人付き合いが怖い人はとても他人と関係を持つことへの欲求を素直に感じることはできない。

また人付き合いが怖い人はそのような欲求を高めることもできない。

嫉妬深い親というのは、自分の子どもとの関係では常に他人に脅かされている。

子どもが他人に親近感を持つことに脅かされている。

子どもにはこの親の気持ちが反映する

親離れできない子どもは、この親の気持ちを大切にする。

嫉妬深い親に育てられると、人付き合いが怖い子どもは自分の人間としての立場を失う。

立場の喪失は自我の喪失でもある。

親は親の立場で、子どもは子どもの立場で親子の関係を結べないのが嫉妬深い親子関係である。(図8参照)

親離れ、子離れできないの図説
図8

よそ者がよそ者であるかぎり親は脅かされない。

だから人付き合いが怖い内づらのわるい不機嫌な人も、外側の人に対しては接近を妨害するものを心の中に持っていない。

嫉妬深い親が望む人付き合いとは

それはすべての他者をよそ者として排除しておく人付き合いである。

子どもが、結婚し配偶者と親しくなることは望まれないし、親しく生活するという人生観は望まれないコミュニケーションなのである。

実際、多くの奥さんは次のように悩んでいる。

「夫は私か母親のどちらかを選ぶなら母親を選ぶといいます」

自分の奥さんと親しくなることは、母親との関係を脅かすものではまったくない、ということが、これらの人にはどうしてもわからない。

残念ながら人付き合いが怖い彼らは嫉妬深い母親に育てられたのであろう。

それが内づらのわるい不機嫌な人なのであろう。

人付き合いが怖い内づらのわるい不機嫌な人は嫉妬深い親に負けてしまっているのである。

嫉妬深い親から心理的にどうしても離れられないでいるのが、人付き合いが怖い内づらのわるい不機嫌な人なのである。

ことに嫉妬深い親に猫かわいがりされた子どもは悲劇である。(図9参照)

嫉妬深い親の図説
図9

多少極端な例であるが、ある人付き合いが怖い内づらのわるい不機嫌に苦しむ男性が話をしてくれた。

小さいころからの話である。

悩みや苦しみは、現実から逃避していれば、母親が助けてくれた。

小学校でも中学校でも、ほとんど努力しなくてもよかった。

母親は、自分が成績わるくても、陰で先生に贈り物をしてくれる。

僕の友達を家に呼んでもてなしてくれる。

母親の温かい羽根の下で安心して暮らせる。

母親と性的な話になると緊張する。

そういう話は避ける。

今まで記してきたことの他に、回避依存症といわれるものがある。

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人付き合いが怖い人は過干渉の親に育てられた

人付き合いが怖い人は過干渉の親に育てられた

アルコール依存症の人がアルコールを飲まないではいられないように、回避依存症の人は、近くなるとその人を回避しないではいられない。

「わが家の者はいちばんであり、他の人々は愚かである」

人付き合いが怖い彼には、親密さが家族への裏切りのように思えた。

「よそ者」と親密になることに対する恐れにはいくつかある。

  1. 人びとに嫌われるのではないかという恐れ
  2. 人びとと親しくなることで家族を裏切るのではないかという怖さ
  3. もう家族に迎え入れてもらえないのではないかという心配

そういう人付き合いが怖い人は、とりあえずアルコール依存症(alcoholism)や性交渉(sexual affairs)で、現実から目を背けることがある。

空しさを避けるためのsexual affairsである。

実存的空白で欲望は肥大化する。

無理をして過剰に適応した人付き合いが怖い人は口唇欲求のような欲求を排斥しながら、意識的に自分の人格をつくっていく。

欲求は意識からは分離されても、その人付き合いが怖い人の心の底にある。

意識的につくられている人格とは融合することなく、人付き合いが怖い人は分離されて心の底で満足させられることを待っている。

内づらが、その分離されて心の底で満足されることを待っている欲求不満を表現している。

外づらが、意識的につくられている自分の人格である。

この二つが融合していないのが、内づらがわるくて外づらがよい人の心である

人付き合いが怖い人は家ではreal self(本来の自分)である。

家での姿が、本当のその人である。(図10参照)

過保護・過干渉な親の図説
図10

外では人付き合いが怖い疑似自己である。

本当の自己を隠して、人付き合いが怖い人は人に見せるための自己を演じている。

こういう人付き合いが怖い人は、とにかく人に認めてもらいたい。

無意識の領域で人付き合いが怖い本人が受け入れてもらいたいのは「実際の自分」のほうである。

幼児的願望を持った自分の人付き合い

幼児的願望を持った自分の人付き合い

人付き合いが怖い人は疑似自己と、「実際の自分」との乖離が不安を生む。

「意識と無意識の乖離」

その不安を解消しようとして、人付き合いが怖い人は外ではいよいよ立派な人間関係を演じなければならない。

とにかく認められたいから人付き合いが怖い人は人間関係をがんばる。

すると、人付き合いが怖い人は人に見せるための「疑似自己」と「実際の自分」との乖離がいよいよ深刻になる。

たとえば大企業の役員をやめて家に戻ったときには、人付き合いが怖い人はもうその乖離は埋めようがなくなっている。

「実際の自分」の欲求は何も満たされていない。

人付き合いが怖い人の欲求不満は深刻である

人付き合いが怖い人の欲求不満は深刻である

そして実は、自分は心理的にいえば立派でも何でもない。

人付き合いが怖い人は情緒的成熟に挫折している。

心の底では憂うつである。

ところがどんなに無意識の領域で憂うつに苦しめられても、その人付き合いが怖い人は「本来の自分」「実際の自分」を認められない。

外では人付き合いが怖い自分は「実際の自分」を隠して無理をしていたということを認められない。

しかし実は人付き合いが怖い人はある視点から見れば、立派なのである。

その人付き合いが怖い人が、たとえ疑似自己であったとしても、「そこまでがんばった」ということは間違いない。(図11参照)

疑似自己と実際の自己の図説
図11

しかし仮面をかぶりつづけて人付き合いが怖い人は生きていたということも事実である。

そこで「私の人生は、そういう人生だった」と認めれば道はひらける。

幼い頃に、ありのままの自分を受け入れてもらえなかったことが悲劇のはじまりであった。

私はありのままの自分を受け入れてもらえないままにがんばった。

人付き合いが怖い人は疑似自己で生きてきたと認める

人付き合いが怖い人は疑似自己で生きてきたと認める

まさにこれがアイデンティティの確立のときである。

それは自分の運命を受け入れて、社会の中の自分の位置がわかったときである。

自分だって、もし違った人間関係の中に生まれていたら、疑似自己としてがんばらなくてもよかったかもしれないのである。

しかし自分の運命は違った。

人付き合いが怖い自分は生き延びるためには疑似自己として生きる以外に方法はなかった。

本当にがんばって生きてきたのであれば、「私にはこれ以外の人生は考えられなかった」と思える。

そのときが、その人付き合いが怖い人にとって人生のコペルニクス的転回のときである。

「私には私の人生がある」と、自分の人生を受け入れてくれたときに、今までの自分の人生がよく見えてくる。

偽りの自分としてがんばった人付き合いが怖い人生が見えてくる。

虚勢に苦しんだ自分の人付き合いが怖い人生が見えてくる。

そして疑似自己として生きた人付き合いが怖い時代をも含めて、「これが自分の人生だ」と受け入れられる。(図12参照)

がんばってきたことを認めるの図説
図12

人付き合いが怖い人はがんばって生きてくれば、今の職業は自分には適していないなと気がついても、「私にはこれ以外の職業は考えられなかった」と感じる。

人付き合いが怖い人の適職には、いろいろなタイプがある

人付き合いが怖い人の適職には、いろいろなタイプがある

はじめの職業が自分には適していない商売で、最後まで商売人として生きた人もいるだろう。

あるいは職業を転々として、いくつ変わったかわからないという人もいるだろう。

外側から見ればいろいろとちがった人生である。

しかし必死で生きてきた人は、最後には、「私にはこれ以外の職業遍歴は考えられなかった」と感じるにちがいない。

そう感じない人は、手抜きして生きてきた人である。

手抜きして生きてきた人は、たとえ社会的に成功しても、「私にはこれ以外の職業は考えられなかった」と感じることはない。

アイデンティティの確立はない。

つまり「私にはこれ以外の職業は考えられなかった」と感じる人は、一切の職業的劣等感から解放される。

心理学者がアメリカのマサチューセッツ州のコンコルドの刑務所に入って調査したときのことである。

そこには武装強盗の人たちが入っていた。

刑務所の中で話をしたときの、ある若者である。

「俺はブラック(黒人)だ、教育も受けていない。親父は俺が小さい頃、女をつくって家からでていった。俺に、盗む以外にどう生きろというのだ」といった。

そして彼は「俺には、盗むことは悪くない」と主張した。

要するに「俺に生きる権利があるというなら」ということである。

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人付き合いが怖い人の決断する覚悟の大切さ

人付き合いが怖い人の決断する覚悟の大切さ

人付き合いが怖い人は、トラブルがあると逃げ出してしまうことが多い。

人は時に修羅場と対峙しなければならない時がある。そこから逃げて逃げて逃げ続けると最終的に人付き合いが怖くなる。

人付き合いには出会いと別れがある。

そして、いい人付き合いと悪い人付き合いがある。そこをきちんと整理すると、人付き合いは楽しいものになる。

そのことについてここでは述べてみたいと思う。

1.捨てる

1.捨てる

「譲る」のは解決の先延ばし

嫌われるのが怖くて、人付き合いが怖い人は譲って、譲って、人間関係を維持していこうとしているうちに、どんどんと心の底には敵意が積み重なっていく。

譲って人付き合いが怖い人は人間関係を維持しようとしても、だれでもおもしろくない感情を抱く。

敵意が積み重なれば人付き合いが怖い人は、表面的にどんなにいい顔をしても、関係はうまくいかない。

それは、ベラン・ウルフが言うように相手はその人の無意識に反応するからである。

相手はその人付き合いが怖い人の無意識にある敵意に反応する。

だから、人付き合いが怖い人は最終的にはどうしても人間関係はうまくいかなくなる。

譲って我慢しても、最後には結果は悪くなる

譲ることで人付き合いが怖い人がうまくしようとした人間関係は、譲ることでうまくいかなくなる。

「決断する」ということは「捨てる」ということである。

「あの人とは、うまくいかなくなってもいい」と覚悟をする。

その「捨てる」覚悟ができなければ人付き合いが怖い人は決断はできない。

「こうしたらあの人が気分を害する」「ああしたらこの人が怒る」と気にしていては、人付き合いが怖い人は毅然とした態度はとれない。

「もういい!」と「捨てる」覚悟をして、人付き合いが怖い人は、はじめて決断ができる。

そして「捨てる」覚悟ができて、はじめて気持ちのうえで「スッキリ」とする。(図13)

捨てる決断をするの図説
図13

人間はすぐに決断できるものではない

だれでもいろいろと悩み、「どうしようか?どしようか?」と迷い、そうしているうちに、あるときに「こうしよう」という決断ができる。

決断できない人付き合いが怖い人は、結局ずるい人からなめられる。

ずるい人は決断できない人付き合いが怖い人の弱さをかぎ分けて近寄ってくる。

さらに欲求不満な人から人付き合いが怖い人はいじめられる。

要するに人付き合いが怖い人は質の悪い人から利用される。(図14参照)

ずるい人に付け込まれるの図説
図14

人付き合いに消耗して病気になる

いつでも、だれからも人付き合いが怖い人はいい人と思われようとしていれば決断はできない。

いつでも、だれからもいい人と思われることなどありえない。

人付き合いが怖い人は決断する前に、いままでの自分の人生を反省してみる。

相手の意志に振り回された人付き合いが怖い自分。

自分を消してまで相手の意に添った人付き合いが怖い自分。

そして結局はなめられた人付き合いが怖い自分

あれだけ頑張って、無理をして、評価はされなかった自分

そうした人付き合いが怖い生き方の反省の上に立って決断をする。

感情をねじ伏せても人付き合いが怖い人は無理があるから、ストレスになる。

人間、一年後にどうなっているかはわからない。

「決断をしない」ということは、人付き合いが怖い人が「修羅場をつくらない」ということである。

「譲る」ことで人付き合いが怖い人はその場は解決する。

しかし本質的な人付き合いが怖い状況は悪化している。

人付き合いにおいて、相手は譲る前より更にこちらをなめてくる

対人関係において、より傲慢になってくる。

より利用しようとしてくる。

その場を収めるという手段は、人付き合いが怖い人は長期的に見ると事態の悪化を招く。

ブドウに新芽がでるためには、ブドウのどこかを切る必要があると聞いた。

「どこを切ればいいのかな?」

適切なところを切れば新芽が出る。

人付き合いのトラブルは、相手がいるから処理が難しい

したがって自分のなかの人付き合いが怖い問題もそう簡単に処理できない。

できることは自分のなかの問題を整理することである。

「切る」とは、「自分がどうすれば納得できるか?」ということである。

渦中にあると人付き合いが怖い人は相手に飲まれているから些細なことがたいへんなことだと思う。

納得が解決。

執着しないと、違うほうにエネルギーが行く。

生産的なほうにエネルギーが行く。

エネルギーが違うほうに注がれれば、ストレスはなくなる。(図15参照)

違う方向へエネルギーを注いでみようの図説
図15

「人生、うまくいかない」と思うことが大事。

明日はわからないから「まず寝よう」

事実は生きられるのだけれども、「もう生きられない」と思うことがある。

「これさえなければ」と思うが、それがなくなれば、次の問題が出てくる。

違うことが起きてくる。

「火事になると病気が治る」ということを読んだ。

火事から逃げることが第一の問題になるからである。

だから夜の十二時には寝る。

寝られることが、怒りがないことのバロメーター。

寝ることができれば、勝てる。

快眠快食快便が目的。

それをしていれば、いつかは目的を達成できる。

それができていれば、自然と事態は好転してくる。

捨てることができれば、ストレスをためない。

ストレスがなければ快眠快食快便ができる。

人付き合いが怖い人の勝負は会社の出世ではない。

快眠快食快便が勝負。

快眠快食快便は一見簡単なことのようでもたいへんなことである。

なぜならそれはストレスを抱え込んでいないということだから。(図16参照)

快眠快便快食が何より優先の図説
図16

熟睡できない時には、自分は今問題を抱えている

人付き合いが怖い人はそれを認めること。

自分には気がついていない不満なことが人付き合いが怖い人は何かある。

身近なことが人付き合いが怖い人は原因かもしれない。

大きなことに気がいってしまっているあいだに、人付き合いが怖い人は小さな身近なことで不満がたまっている。

積み上げたものが器から漏れたときに人付き合いが怖い人は決断する。

どうしようかな、やめとこう。

ルビコン河を渡ろうかな、やめようかな。

そこには迷いの時間がある。

時間を経て決断をしたとき、魔法の力がある

迷いがないときには、すでにそれ以前に心で準備をしていたということである。

決断をしたときにはサッパリしている。

時の勢いがある。

自分に魔法の力を与えてくれるのは決断。

今の時代、親の介護で悩んでいる人は多い。

介護をしなければ兄弟から嫌われる。

人付き合いが怖い人は親不孝と言われる。

利己主義と言われる人付き合い

事実、親の介護をしない人はトコトンの利己主義者。

それがイヤなら介護をする。

自分はいい人を演じながら、人付き合いが怖い人は親の面倒をみない方法を考える。

人付き合いが怖い人はだから悩みが出る。

覚悟をして親の面倒をみる方法を考える。

そうでなければ「私は利己主義で、どうしようもない人間」と人付き合いが怖い人は認める。(図17参照)

良い人を演じるのをやめてトラブルと向き合うの図説
図17

お金に困って子どもを売ろうか、悩んでいる人がいる。

とんでもないことだと言う。

たしかにみごとに自分勝手。

ただ子どもを売る話は、むかしは教科書にも出ている。

しかし、じつはいまの親のほうがひどい。

いまの若い親の多くは、子どもは子ども、自分は自分と心の底では思っている。

いまは、人付き合いが怖い人はほんとうは子どもに無関心なのに、きれいごとで規範を言っている。

しかし、人付き合いが怖い人は昔と同じ。

むかしはどうせ昆虫なら昆虫として扱っている。

いまもむかしも人付き合いが怖い親は自分勝手。

ただ、いまはその自分勝手を心の底に隠している。

いまは人付き合いが怖い親が自分を自分勝手と思っていない。

子どもがあっというまに生まれた。

いまの人付き合いが怖い親は、自分を自分勝手と思っていないで、自分勝手なことをしようとしているから悩みが出る。

切れる人付き合いならしょうがない

人付き合いが怖いから、言いたいことが言えないでいると気持ちが暗くなる。

あまりにも我慢すると人付き合いが怖い人は気持ちが暗くなる。

暗い人付き合いが怖い人は我慢しすぎている。

その結果、人付き合いが怖い人はかえって嫌われる。

「みんなからわがままな人だと思われやしないか」と恐れて、人間関係の中で人付き合いが怖い人は我慢をする。

人間関係では八方美人になっていては決断ができない。

そしてますます人付き合いが怖くなる。(図18参照)

八方美人はますます人付き合いを怖くするの図説
図18

「あの人は我慢が出来ない人だ」と言われるのを恐れて、人付き合いが怖い人は自分の感情と意志を言えない。

「あの人は嫌だ」と自分の感情と意志を人付き合いで示せない

人間関係においてハッキリと「こうする」と自分のなかで決められれば気持ちも落ち着くのに、人付き合いが怖い人はあっちにもいい人と思われたい、こっちにも利己主義な人と思われたくない、となると決断はできない。

決断をするということは、人付き合いが怖い人は人間関係でトラブルは出てくるということである。

すべての人に「好かれたい」と思っていれば、人付き合いが怖い人は決断はできない。

そうして「すべての人から好かれたい」と思っているあいだに、人付き合いが怖い人は言いたいことが言えず、不本意ながらも相手に同調し、敵意が積もりに積もって、高血圧になり、心臓病で倒れるかもしれない。

何よりも大切なのは人付き合いでの決断である

人付き合いを「捨てる」ということである。

決断できない人付き合いが怖い人は、人を勘違いしている。

人はこちらが我慢しても、それほどこちらのことを「立派な人だ」とは思っていない。

それほど人付き合いが怖いこちらのことを気にしているわけではない。

あなたがものすごく我慢をしても、相手は人付き合いが怖いあなたがそれほど我慢をしているとは思っていない。

切れる関係は切れる。(図19参照)

我慢している人付き合いを捨ててみるの図説
図19

そこが決断である。

人付き合いが怖い人は我慢をしても体調を崩すだけである。

ストレスが原因の高血圧で心臓病になって倒れたからといって、その人たちがだれも真剣にあなたを助けてくれるわけではない。

それぞれの人は、自分の問題で精一杯

好かれようとして我慢したからといって、人付き合いが怖い人はそれほど好かれるわけではない。

好かれようとして無理をして、我慢をして、それでも人付き合いが怖い人には期待したものが返ってこない。

返ってこなければ人付き合いが怖い人は逆に恨みが出てくる。

「これだけ我慢をしたのだから、少しはわかってくれるだろう」と人付き合いが怖い人は思うが、まず分かってもらえない。

「切れる」関係なら切れてもしょうがないと腹を決めることで、体調を保てる。

人に「私は不幸」と話してもしょうがない。

自分の意図していることを相手が理解しないと人付き合いが怖い人は腹が立つ。

したがって人付き合いが怖い人は相手に「こう思ってもらおう」と思うことは話さないほうがよいときが多い。

「こう思って」くれなくて人付き合いが怖い人は腹が立つからである。

他人を操作しようとすることをやめると人付き合いは楽になる。(図20参照)

人付き合いを思い通りにしようとするのをやめることの図説
図20

自分ではよいと思っているコミュニケーションが相手は良くない

この世の中には何もない。

それをわかることが悟り。

そうすれば悔しくて眠れないということはない。

人付き合いが怖い人が自分らしく生きるとは、自分の能力にしたがって生きるということである。

その能力とはなにもパソコンや語学の能力ではない。

耐える能力も、人付き合いが怖い人が生きるためには重要な能力である。

そのコミュニケーションは英語の能力などと比較できるものではない。(図21参照)

自分の能力に従って人付き合いを構築してみるの図説
図22

はるかに重要である。

人付き合いの中で自分らしく生きる

人付き合いの中で自分の能力を超えて頑張って我慢をしても、人付き合いが怖い人は結果はよくない。

それはガソリンが切れても走ろうとするようなものである。

それが燃え尽きる人。

ガソリンがないから走れるわけはないのに、走ろうとする。

執着性格は疲れても休めない。

コミュニケーションが上手な人は、自分にできないことは「できない」と伝えて、関係が切れても心はサッパリしている。(図23参照)

出来ないと言うと楽になるの図説
図22

2.対決する

2.対決する

難しくても人付き合いが怖い人は対決すること

拒絶されることを人付き合いが怖い人は恐れないこと。

ある大企業に飛び込みで雇用された女性がいる。

学歴は高卒。

人事の人は「高卒、困ったなぁ」と言った。

そこで彼女は「どうしていけないんですか?」と聞いた。

ほんとうにそう思ったからである。

自分がいままでに取った実用新案などを巻紙に書いて持っていった。

彼女は自分を売り込むのは「巻紙だ」と思ったからである。

そして秘書になれた。

自分を打って出る。

対決するということは、人付き合いが怖い人にはできない。

拒絶されることが怖い人付き合いが怖い人には生身で相手と対決できない。(図23参照)

相手と対決できないの図説
図23

対決する覚悟を決めると、人付き合いで拒絶されることも嫌われることも怖くなくなる

人付き合いが怖いのは、自己蔑視しているからである。

自分が自分を軽蔑していなければ、相手から軽蔑されることは怖くない。

毅然として自分を出す。

すると相手の対応が違う。

すると相手が見える。(図24参照)

自分を軽蔑することをやめると楽になるの図説
図24

利口ぶった演技を人付き合いが怖い人は身につけても、それでは相手が見えない。

演技をしていると、人付き合いでの対応の違いがわからない

生身の人間と対決することを恐れないためには人付き合いが怖い人は、こちらはやることをやっていなければならない。

飛び込みで秘書に採用された女性もやることをやっている。

だから飛び込める。

次に自分で自分を守る姿勢がなければならない。

何でも人に頼らない。

3.人付き合いを整理する

3.人付き合いを整理する

納得するまで頑張って、ダメな人付き合いなら別れる

整理とは優先順位をつけること。

この人に嫌われるのと、この人と別れるのと、あの人から信用をなくすのと、あの人と争うのと、どちらが困るか?

そのようなことを人付き合いが怖い人は考える。

自分にとって大切な人はだれかがわかってくる。

ところが人付き合いが怖い人は成功を焦っているから優先順位を間違える。(図25参照)

優先順位を付けると楽になるの図説
図25

先を人付き合いが怖い人は考えていない。

どこに石を投げるかで人付き合いが怖い人は先が違う。

客観的に人付き合いを見られることは整理できている

人が「泥棒しようぜ」と言った。

その人は悪い。

しかし、それに乗った人付き合いが怖い人は意志がない。

また人付き合いが怖い人は「泥棒をしよう」というような人を、自分の側に置いておいた人間関係の構築が悪い。

そういう人が側にいることは、運がよくないということである。

そういう人から離れている人間関係が安心すること。

そういう人から離れていることで人付き合いが怖い人は心安らかにいられる。(図26参照)

困った人は離れている程安心するの図説
図26

何をしてもうまくいかないときには、人付き合いを変える

人付き合いが怖い人は人間関係を整理することが必要。

いかに生きるかではなく、人付き合いが怖い人はいかに側に変な人を置かないかを考える。

変な人とは、人付き合いが怖いこちらの思考を変えてしまう人である。

変な人といると、人付き合いが怖い人の周辺が変な社会になる。

社会的に許されない環境になる。

そして人付き合いが怖い人はトラブルが起きる。

なんか心に引っかかるものがある人とは、人付き合いが怖い人は別れる。

メダカのなかにザリガニがいると「これ、だいじょうぶかな?」と思うだろう。

水は同じでもお互いに緊張感が走ることにはちがいない。

それと同じこと。

多くの場合、人付き合いが怖い人は別れることはエネルギーがいるから、離れなくてもよい理由を見つける。

その理由づけの段階で人付き合いが怖い人は道を間違える。(図27参照)

関係を断つのはエネルギーが必要の図説
図27

その後人付き合いが怖い人はトラブルが起きる。

人間関係は人付き合いが怖い自分が納得するまでよい関係を追求する。

そして時間をかける。

人付き合いが怖い人はそうしないと判断する力をなくす。

自分が自分でわからなくなる。

生きることに人付き合いが怖い人は自信をなくす。

人付き合いで恨まれて困ることはない

人付き合いが怖い人はその人と離れるということは、その人から恨まれることになるかもしれない。

しかし恨まれることを覚悟でこのことをしないと、人付き合いが怖い人は人間関係の問題を解決しない。

人は何もしなくても恨まれる。

恨まれても困ることは何もない。

努力してもよく思われることはない。

何をしても恨まれる。

何をしなくても恨まれる。

(図28参照)

恨まれる覚悟が必要の図説
図28

人付き合いにトラブルはつきもの

人付き合いが怖い人は良く思われようとして、手紙にいろいろなことを書いている。

しかし、そう書いたからといって人付き合いが怖い人はよく思われることはない。

そう書いた後で人付き合いが怖い人は返事を要求していて、「厚かましい」と思われたりする。

「穏便にことをすませよう」とすると、人付き合いが怖い人は質の悪い人にどんどん侵食される。

相手が搾取タイプのときには、人付き合いが怖い人は穏便に事をすまそうとしてはいけない。

トラブルを起こして言い訳をする子がいる。

そういう子は憎しみがある。

怒らないお母さんは疲れてしまっている。

だから怒らない。

人付き合いが怖い人は「穏便に事をすませよう」としていると、周りにおかしな人がどんどん集まる。

無理して人付き合いが怖い人は「いい人」を演じていると、関係の形が崩れる。(図29参照)

穏便にことを済ませようとするとずるい人が集まるの図説
図29

こっちがいい人を演じていると周りは自分勝手な世界に入ってくる。

綱引きをして、引いているフリをする人がいる。

口先だけは大きな声で「よいしょ、よいしょ」と言っている。

逆に本気で引っ張る人がいる。

綱が切れたときには、ほんとうに引っ張っている人が怪我をする。

前後を見ないで、全身で綱引きをしているから怪我をする。

頑張る人付き合いが怖い人が出れば出るほど、周りは頑張らない。

怠ける。

周囲の人を見ないで頑張る人付き合いが怖い人は、やがて「眠れない夜」を迎えるような人になる。

気がついてみると自分一人が頑張っている。

あなたの我慢に解決策はない。

几帳面なのにわざと遅れてくる人がいる。

ケチで人をなめている。

憎しみがあるのに、口はていねい。

人付き合いにおいて自分の机の上だけは整理されている

こういう人は他人を利用する。

また、遅れてくるし、机の上が散らかっている人もいる。

全部だらしがない。

そういう人は優先順位がわからない。

全部だらしがない人と同じように、悩みが原因で早く死んでしまう人も、自分にとって何が一番大切かがわかっていない。

そういう人付き合いが怖い人は善良なのだけれども、人間環境の整理ができていなくて、おかしな人に囲まれていつもトラブルにまきこまれている。

やたらに愛想よくする人付き合いが怖い人がいる。

何かをしてもらおうとすると愛想よくなる。

そこでずるい人に人付き合いが怖い人はなめられてしまう。

人付き合いが怖い人はペコペコしてしまうとなめられる。

だますつもりが人付き合いが怖い人はだまされる。(図30参照)

愛想良くすると他人になめられるの図説
図30

誠意は、つきあっている関係の中で示される。

いきなりの誠意は必要ない。

相手がどんな人だかわからないのだから。

最初は自己主張。

相手を見よ。

変だと思ったら変。

相手がどんな人かもわからないうちからの親切は危険である

なめられて人付き合いが怖い人はひどい目にあうことが多い。

親切な人は、相手の親切がわかるが、一度も人に親切をしたことのない人付き合いが怖い人は、相手の親切がわからない。

あなたが親切をしても、相手は親切をされたとは感じない。

人付き合いが怖い人は逆に弱みがあると誤解される。

そしてとんでもない仕打ちに人付き合いが怖い人はあう。

「恩を仇で返す」という言葉がある。

しかし、これは少し違う。

恩を受けた側は、恩を受けたとは感じていない。

恩を感じる心そのものがない。(図31参照)

恩を感じる能力が無い人はひどい仕打ちに合うの図説
図31

人付き合いの修羅場は現実と向き合うこと

活路を見つけるために、現実と向き合う。

人付き合いが怖い人は現実に向き合うためには覚悟が必要。

修羅場とは、人付き合いが怖い自分の自覚。

修羅場は現実と向き合って、人付き合いが怖い自分がどう生きるかを見つけること。

それは活路を見いだすこと。

「修羅場をつくる」ということはそういうこと。(図32参照)

修羅場が必要の図説
図32

人付き合いの修羅場は活路

人付き合いが怖い人は現実と向き合うことは活路を見いだすことと思わなければ、話し合いが泣き言になってしまう。

私達は持っている価値のないものに、しがみついて、自分から人生を苦しいものにしてしまう。

自分の幸せにとって何の意味もないものに、なんでそこまでしがみつくのか?

いま人付き合いを怖れている人は、あなたが病気になったときに助けてくれますか?

傷ついたあなたの心を癒してくれますか?

いま人付き合いが怖いあなたの我慢には解決策がない。

その先に生きる道がない。

活路を見いだすことが大切。(図33参照)

修羅場は活路を見いだせるの図説
図33

人といて居心地が悪いのは、周囲の人が心理的に敵だからである

人と食事をして楽しくないのは、周囲の人が敵だからである。

人付き合いが怖い人はこのままいても事態は改善に向かわない。

現実に向き合って事態を解決する。(図34参照)

他人は敵と感じる人は現実と向き合ってみるの図説
図34

「人間は、よくムダなことをしているな」と思うことがある。

だいたいデパートにはたくさんの商品があるが、生活にどうしても必要なものはあまりない。

人は生きるために必要のないものを手に入れようとして無理をする。

「これをなくしたらどうしよう」と思うが、なくしても生きていかれる。

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人付き合いが怖いを克服するには人付き合いと向き合うしかない

人付き合いが怖いを克服するには人付き合いと向き合うしかない

人付き合いが怖い人は自転車のタイヤがパンクしている。

その自転車を治すには、ブレーキを調整すればよいか、チェーンに油をさせば奇跡が起きて治るか?

自転車を治すにはただ一つ、タイヤのパンクを修理するしかない。

人付き合いが怖い人も、同じである。

辛い滝に打たれようとも、辛い山登りをしようとも治らない。

人付き合いが怖いを克服するためには、人付き合いと向き合うしかない。

その人付き合いの向き合い方やコツをここでは紹介したいと思う。(図35)

原因を修理するしかないの図説
図35

人付き合いには認めてもらいたい人を選ぼう

人付き合いには認めてもらいたい人を選ぼう

嫌われるのは怖くない、そういう強い人は、「あんな人に認めてもらわなくてよい」と思っている。

べつに嫌われてもよいと思っている。

しかし嫌われるのが怖い、人付き合いが怖い人は、だれでもかれでも認めてもらおうとしている。

人付き合いが怖い人は認めてもらうことを願わなくてもいい人から認めてもらおうとする。

そのことで、人付き合いが怖い人は自分から心理的に弱者の立場に立ってしまう。

認めてもらおうとすれば、人付き合いが怖い人は認めてもらわなければ傷つく。

認めてもらおうとしなければ、認めてもらえないことで傷つかない。

だいたい認めてもらおうとして傷つく人付き合いが怖い人は、ずるい人の餌になる。

たいてい弱い、人付き合いが怖い人はずるい人に認めてもらおうとする。

自分の力に頼って生きていこうとしない人である。

ずるい人は確実に、その認めてもらおうとしている人の心理的弱点を見抜く。

そして利用する。

「これをすれば認めてやる、あれをすれば認めてやる」というようにして人付き合いが怖い人を利用する。

「人付き合いが怖い人」は自分から傷つきにいったようなものである。

何も苦しむ必要がないのに人付き合いが怖い人は苦しんで生きている。

「さびしい」ということは、つねに危険な心理状態である。

認めてもらいたいし、つねに注意が欲しい。

つねに人付き合いが怖い人は自分で自分の首を絞める準備態勢が整っているということである。

さびしいという人は、もし自分で自分の首を締めなければ幸せになれるのに、大抵は自分で自分を傷つけて不幸になっていく。
人付き合いが怖い人は認めて欲しいという欲求を持っていると、相手が見えない。

八方美人など人付き合いが怖い人はつねに傷つく。

いい顔をする必要がない人に人付き合いが怖い人はいい顔をする。

そして人付き合いが怖い人は親しい人がいない。

無理をして人付き合いが怖い人はいい顔をしているが、親しい人はできない。

嫌われるのが怖くて「イヤ」と言えない人付き合いが怖い人は、親しい人がいない。

八方美人に人付き合いが怖い人はなることで、すべての人に対して自分から心理的に弱者の立場に立ってしまう。

小さいころから従順に生きてきたことで、八方美人になるような心理状態になっている。(図36参照)

八方美人は親しい人がいないの図説
図36

「報酬として与えられる愛」(フロム)に慣れている。

人付き合いが怖い人は仕事でいえば下請け業者のようなものである。

「言う通りにしなければ仕事をあげない」と言われれば、言う通りにしなければならない。

権威主義的な親に従順に生きてきたということは、つねにプレッシャーを感じて生きてきたということである。

いま生きるのが苦しい人付き合いが怖い人は、「認めてやる」という誘惑に乗って生きてきて不幸になった。

人付き合いの達人とは思いやりのある人

人付き合いの達人とは思いやりのある人

私の職場の同僚で尊敬している人付き合いの達人とも言える人がいる。

彼は、よく自己主張をする。それがもし間違っていれば、素直に謝る。

彼は、怒るところでは、しっかり怒る。私には、その怒りに思いやりを感じる。相手のことを思って怒っている。

そして、いつも会うといつも笑顔で挨拶してくれる。この挨拶にも思いやりを感じる。

彼が人付き合いの達人だなあと一番関心させられるのは、周りには誰もいないのに必ず落ちているゴミは拾うことである。

電車内でペットボトルが落ちていたのを駅のゴミ箱まで捨てに行ったときは、本当に思いやりのある人なんだなあ、自分には果たしてそこまでできるのかと思ってしまう。

彼はゴミを嫌々捨てていない。ゴミが無くなれば他の人が心地よいと思うからやっている行いである。

そして、彼はよく笑う。生きているのが楽しいのだろう。

そんな彼にはいい人が集まる。

人付き合いの達人とは思いやりのある人なのである。

人付き合いが怖い人は、いきなり思いやりのある人付き合いの達人になるのは難しいかもしれない。

しかし、実はここでのキーポイントは彼が自己主張しているということである。

それはつまり等身大の自分で人付き合いしているということである。

そうすると思いやりのエネルギーが湧いてくる。(図37参照)

思いやりから行動するの図説
図37

人付き合いの達人になる一歩として、小さなことでもいいので自己主張をしてみることである。

誘惑とは自分の望むイメージのように扱ってくれる人

誘惑とは自分の望むイメージのように扱ってくれる人

愛情飢餓感が強い人付き合いが怖い人は、搾取タイプの人に引きずり回される。

ときに、そういう人付き合いが怖い人は搾取されているときは気分がよい。

「利用されていること」を「認めてもらっている」と錯覚するからである。

人に認められたいというのは、その人付き合いが怖い人の弱点。

しかし自分のほうが尊敬している人から認められたいというのは強い証拠。(図38参照)

搾取、利用されるの図説
図38

尊敬は普段着。

普段着だけれどもエプロンだけはノリがきいている。

私は人付き合いの中で誰に対しても弱みはない

私は人付き合いの中で誰に対しても弱みはない

弱みがあると、人付き合いが怖い人は他人にいい顔をする。

そして笑顔を振りまく。

人付き合いが怖い八方美人は心の底で自分の偽善に気がついている。

それを見て、ずるい人は「この人は弱みがある」と的確に見抜く。

実際に弱みがある場合には、人付き合いが怖い人はそれはそうなるのが当たり前である。

しかし実際に弱みがあるのではなく、その人付き合いが怖い人が勝手に「私は弱みがある」と思い込んでいるだけのことがある。

実際に弱みがあるから人は他人にいい顔をする、というよりも、人付き合いが怖い人は他人にいい顔をするから、何でもないことが弱みに感じてくるのである。

「私は誰に対しても弱みはない」と思ってみる。

そう思えばそう思えないだろうか。

ある人付き合いが怖い女性である。

アルバイト先で周りの人を立てすぎて、自己嫌悪に陥り、ノイローゼになった。

その人付き合いが怖い人は相手を立てないと受け入れられないと一人で勝手に思い込んでいる。

ほかの人は適当にみなそれぞれ楽しんでアルバイトをしている。

また別の人は「笑えないと嫌われる」と一人で勝手に思い込み、自分で自分に笑うことを強制していた。

無理がきかなくなって、人付き合いが怖い人は笑おうとすると顔が引きつってしまい、一人で黙り込むようになってしまった。

この人付き合いが怖い人もまたノイローゼになった。(図39参照)

他人に付け込まれると人付き合いが怖くなるの図説
図39

「いま、私はどのような思い込みに囚われているのか?」と自分に問いかけてみることである。

人付き合いが怖い最大の問題は小さいころからの思い込み

人付き合いが怖い最大の問題は小さいころからの思い込み

この思い込みを人付き合いが怖い人は小さいころの生活を反省することで解消しなければならない。

子どもが言うことを聞かないので、母親はどうしてよいかわからない。

そこで、子どもを脅す。

家出するとか、子どもをよそにやるといって脅かす。

「ママは出て行く」という母親は子どもを脅している。

脅された子どもはいつも怖さがある

脅された子どもはいつも怖さがある

「このような制裁や制裁の脅しが反復的に用いられるとき、あるいは時折であっても強度に用いられるとき、それらはパーソナリティの発達に不幸な影響をもたらす。

特に、それらは必要に際しての有効性に大きな疑いを故意に投げかけるので、そのようなおどしは、自分は棄てられるかもしれないという個人の恐怖を非常に増大させるだけではなく、他の事態に対する恐怖反応の敏感性をもいちじるしく増大させる」

要するに子どもは親から脅されることで、自分は嫌われるのではないかという恐怖感を増大させる。

人付き合いが怖い人は、小さいころいつも親から脅されていたのではないか。(図40参照)

親への恐怖は他者へ転移するの図説
図40

「自分はいつも脅かされていたのではないか」と、小さいころのことを考えてみることである。

そしてこの脅しで言われなき恐怖感を心の中に増大させた。

したがって人付き合いが怖いという恐怖感には何の理由もないのだと、恐怖感が消えるまで自分に言い聞かせることである。

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怖いと思っていることを行動に移し、それを受け入れる

怖いと思っていることを行動に移し、それを受け入れる

人付き合いが怖いとは、その恐れていることから逃げ続けた結果である。

例えば、複数人で談笑していて、自分は話すと赤面して周りから変に思われるんじゃないかと緊張しまうからその中になかなか入っていけない。

そこで、赤面しながら緊張しながら発言することである。

そのときに大切なのが、髪で顔を隠したり、下を向いたりして赤面を隠そうとしないことである。

堂々と赤面をみんなの前にさらけ出すことである。(図41参照)

人付き合いが怖くなるカラクリの図説
図41

そして、赤面してもしょうがないと受け入れること。

そして、それを何回も継続して行うことである。

そうしているうちに赤面しても、まあいっかと思えるようになる。

がんばって失敗しよう

がんばって失敗しようとは語弊があるかもしれないが、言い換えるとがんばって弱さを出してみようということである。

仕事や人付き合いで寝坊して遅刻したとする。

それを鵜呑みにして、自分はなんてダメな奴なんだとクヨクヨ引きずる人がいる。

それでいて、すいませんと言いながら、次は遅刻しないように早く寝ようと思う人もいれば、中にはすいませんと言いながら全然反省していない人もいる。

このように人付き合いが怖い人は人付き合いの中でもう少し厚かましくなっていい。

厚かましくなる効果抜群の呪文がある。

それは「まあ、いっかあ」という言葉である。

「まあ、いっかあ」で大抵のことは流れて行く。

学校や資格の試験で緊張で前日から夜も眠れない人もいれば、寝坊して遅刻してくる人もいる。

人前での発表やママ友の付き合いなどでも、緊張して声が震える人もいれば、ずっとしゃべりっぱなしで話の中身がまったくない人もいる。

世の中の価値観はそれだけ多様性に富んでいる。

人類の歴史から見れば、遅刻の一回や二回どうってことないのだ。

人付き合いが怖い人は「まあ、いっかあ」と言ってみよう。(図42-1参照)

まあいっかで楽になるの図説
図42-1

怖い場面から逃げない

スピーチが怖い人の中には進んでスピーチを行う場に立ち向かう人もいる。

しかし、そこでうまくスピーチをしてはいくらチャレンジしても怖さは無くならない。

むしろ、どんどん怖さは大きくなる。

本当は、そのスピーチの場で震えて過呼吸になり、変な間をつくり、その失敗を仁王立ちして受け止める必要がある。

しかし、いきなり怖すぎる人付き合いの場面から始める必要はなく、安易な怖さの場面から小さな成功体験を積み重ねていくことも、人付き合いが怖いを克服する戦略の一つである。

まずは仲の良い友達をランチに誘うことから始まり、ママ友達の井戸端会議に参加して会話することを経て、話してみたいけれど割と疎遠なママ友をランチに誘うという段階をふむことだ。

ここで大切なことはどの段階でも失敗や弱さをさらけ出していくことだ。

小さな失敗という自分らしさの自信の体験を積んでいくことでやがて大きな人付き合いの怖い場面を攻略することができるのである。(図42-2参照)

段階を踏んだ怖さの克服の図説
図42-2

感情を出してみよう

昔、ラジオの生放送番組の冒頭で、パーソナリティの女の子が声を震えながら話し始め、ついにはえんえんと泣き出してしまったことがあった。

そして、5,6分すると「泣いたらスッキリしました」といって番組を無事続け、終了までパーソナリティを続けた。ということがあった。

その女の子の話によると、この番組出演が決まってから、一週間ぐらい、ご飯もまともに喉を通らず、ずっとそのことを考えていたそうだ。

私は、その女の子はラジオ向きな人だなと思った。

なぜなら、泣いてしまうほど、繊細で思慮深い心を持っているから、面白みがあるのであって、その心と触れ合えるからだ。

同じラジオやテレビであっても、薄い神経で周りだけ取り繕ったパーソナリティの人がいるが、面白みが無い。

音楽でも繊細さや思慮深さが共感するのであって、その弱さに共感することで人は心動かされる。

ラジオのパーソナリティの女の子は全国放送という舞台で、泣くという弱さを表に出した。

また別の角度から言うと、感情を表に出したのである。

人は感情を表に出すと、スッキリする。

なぜなら等身大の自分になれるからである。

逆に感情を抑え込むと緊張感がどんどん大きくなっていく。それが続くとやがては人付き合いが怖くなる。

感情を出すということはつまりは自己主張するということである。

人付き合いが怖い人はうまく自己主張できていない。

自己主張という感情を出すことで、楽な人付き合いができるようになる。(図43参照)

自己主張すると楽になるの図説
図43

人付き合いでの自我と超自我

よく5歳位で自我が芽生えて、20代半ば位で動かぬものとして決定してしまう、なんて言ったりする。

超自我とは専門的な用語で聞き慣れないものかもしれないので、説明を加えると、こうなりたい自分のこと、理想像である。

会社での取引先の人が、同じ年にもかかわらず、いつも元気で笑顔で陽気であの人のようになりたい。

ドラマの中のあの人が、クールで勇敢であの人のようになりたい。といったものである。

しかし、よくよく考えてみてほしい超自我が叶えば誰でもスーパーマンになってしまう。

人前で震えてしまうのをなくしたいという超自我があれば、それは自我を無視していることになる。

人付き合いの中で超自我を追求し過ぎ、自我を無視し過ぎると、人付き合いが怖くなる。

それは自我というあなたらしさは消すことが出来ないことを意味している。

自我を受け入れることを自我同一性といい、別の言い方をするとアイデンティティの確立ともいう。

恐竜は夕陽を見て、キレイだなあと思って泣いたりはしない、それと同じで恐竜は人前であがって声が震えたりはしない。

つまり、自分の弱点だと思っていることは立派なその人らしさなのだ。

人付き合いの中で自我を受け入れると人付き合いが楽になる。(図44参照)

自我を見出すと楽になるの図説
図44

つまり、先の章で述べた通り、等身大の自分で人付き合いすることが人付き合いを楽にする方法なのだ。

客観視の重要性

大勢の人前での発表であがって過度に怖がってしまう人がいる。

そういう人は周りが見えていない。

そこで声が震えてしまっても、周りは実は話の内容に興味があるのであって、声の震えなどほとんどなんとも思っていないのである。

ママ友たちの人付き合いでも、人見知りしてしまってなかなかうまく輪に入れず話に加われないと焦ってしまう人がいる。

しかし、周りの人は「物静かな人なんだな。」位にしか思っておらず、別に嫌っていない。逆にじょう舌な人を「あの人はよくしゃべりすぎるな少しだまってくれないかな。」なんて思っているかもしれない。

それがわかると人付き合いが楽になる。

つまり人の気持ちがよくわかると人付き合いが楽になる。

人の気持ちが分かるとは人付き合いを客観視できるということである。

先にも述べたが、本当に危ないのは、その人の頭の中であって周囲ではない。

人付き合いを客観視できれば人付き合いが楽になる。(図45-1参照)

客観視できれば克服できるの図説
図45-1

内面と外面のギャップを無くす

人付き合いが怖い人は内面と外面のギャップがかなりある。

簡単に言うと、家族の前では横柄な態度をとり、学校や職場では優等生のいい子を演じるといったことだ。

これは家族の前ではリラックスした自然体の自分でいて、学校や職場では等身大の自分で接していない。つまり背伸びして人付き合いしている。

これでは生きるのが苦しくなる。(図45-2参照)

内面と外面のギャップの図説
図45-2

何処へ行っても等身大の自分でいる。お客さんの前でも家族の前でも友達の前でも同じ顔でいること。

これで生きることが楽になる。

しかし、それをするには弱い自分、恥ずかしい自分をさらけ出して受け入れることが必要となる。

そうして初めてどこへいっても等身大の同じ顔で接することができる。

自己主張をしよう

いい夫婦の秘訣は一日一喧嘩と言われるほど、人付き合いの中での喧嘩というのは重要なものだ。

喧嘩とは自分が素直に思っている感情や思考等のぶつけ合いでもある。

いわば自己主張することである。

自分の素直な感情や思っていることを吐き出してしまえばすっきりする。

そしてなにより、相手のことがよくわかる。

しかし、感情に任せて相手をひっぱたくのは避けたほうがよい。

喧嘩のコツとしては冷静に自分の感情を伝え、その理由を述べることだ。

例えば、「私は今イライラしている。雨が降っているのにあなたが洗濯物をとりこんでくれなかったからだ」
「仕事が疲れて寝ていて今、目が覚めたところなんだ」といった具合だ。

お互い自己主張できている。

そんなことを言ったら相手に嫌われてしまうのではないかと感情や思いを押さえつけているとどんどんマイナスな感情が膨らんでいって、最後には人付き合いが怖くなる。

だから時には喧嘩が必要なのだ。

人付き合いの達人は喧嘩して仲直りしてまた喧嘩して仲直りしてを続けていく。

理想の関係である。(図46参照)

喧嘩、仲直りを繰り返すと楽になるの図説
図46

カップルや夫婦はおならをしてみよう

おならは生理現象で必ずするものであるが、出さなきゃ苦しくなる。

しかし人前でおならをするのは恥ずかしい。

音もそうだが、臭いもする。

カップルはお互いカッコつけたい。

ここがカッコつけたいと恥ずかしいの葛藤の部分である。

カップル、特に夫婦なんかはこの先ずっと一緒いるパートナーである。

だから、パートナーの前でおならをしないとやっていけない。

そこで勇気を出しておならをしてみよう。

そして、おならをした後は、「失礼」とひと言、わびをいれよう。

すると心が楽になる。

パートナーのおならを笑ってくれたり、可愛いと思えれば幸いである。

おならとは人付き合いのバロメーターなのである。(図47参照)

おならで楽にするの図説
図47

会話が苦手な人は聞き役に徹してみる

人付き合いが怖い人の中には、会話が苦手だという人が多い。

会話が苦手な人はまずは聞き役に徹してみることである。

「家はどこから来てるんですか?」「家は〇〇駅から徒歩〇〇分の場所で、そこの商店街の〇〇は・・・」とべらべら話してくれたら簡単だ。

相づちをところどころ打って、好奇心があれば、どんどん質問してゆけばよい。

相づちは相手を受け入れるというサインを示している。

そうすると相手もどんどんしゃべってくれるし、こちらも充実した気持ちになる。(図48参照)

ところが、中にはこちらの質問に相手は端的に答えるだけで、話が進まない、あるいは相手があまり話したくないといった人もいる。

そういう人とは、無理に話さなくていいのだ。

無言でもOKだ。

そこで大切なことは目的を見失わないことだ。

仕事での人付き合いであれば仕事に集中すればよい。

職場には仕事をしに来たのであって、おしゃべりをしにきたわけではない。(図49参照)

目的に集中すれば会話しなくても苦でなくなるの図説
図49-1

チャンスがあればその仕事に関連した質問をしてみる。

そして相手の返答で相手のパーソナリティが少しわかったりする。

しかしここに述べる通り挨拶だけは欠かさずおこなおう。

挨拶は人付き合いを保つ大切な役割を果たす。

参考記事>>挨拶は楽な人付き合いの基礎はこちらから

砂漠の赤信号を待つ人

人付き合いが怖い人とは車も人も通らない砂漠で赤信号を待つような人である。

柔軟性が無い。

例えば、会話が途切れるのはいけないことと思い込み、無言にならないよう必死に会話をするようなことである。

また、PTAの役員で人前で話さなければならない時、堂々と話さなければならないと思い込み、震える声を必死に我慢して、話そうとするようなことである。

人付き合いが怖い人たちに共通するのは、「~しなければならない」という思考があることだ。

自然体ではない。

そうなると生きるのが苦しくなる。

柔軟性を獲得するには、自分の正直な心に気づくことである。(図49-2参照)

砂漠の赤信号を待つ人の図説
図49-2

しかし、幼児期から親の養育で「~しなければならない」という思考が植え付けられているから難しい。

なので、まず自分は何に恐れているのかをひとつひとつ見定めることである。

そして恐れていることを見定めたら、その怖さに立ち向かおう。

思い切って心の砂漠の赤信号を渡ってみよう。

ユニークさの大切さ

人はそれぞれ個性を持っている。

その個性に人は惹かれる。

しかし、その個性は親の養育や学校での養育で削られる。

軍隊でのしつけと変わらないことだ。

そしてその個性を自分は弱点だと思うようになる。

そうするとどういうことが起こるかと言うと、人付き合いが怖くなる。

自分らしく自然体で生きられていないからだ。

人前でしゃべるのが苦手な人は、堂々と緊張して話してみよう。

そこにユニークさがある。

そして、そのユニークさを大切にしよう。(図49-3参照)

ユニークさは自分の宝物である。

ユニークさの大切さの図説
図49-3

人付き合いの悲劇を喜劇に変えてみよう

人には自分の弱点と思っていることが一つや二つある。

顔が大きいとか、滑舌が悪いとか、運動が苦手とか等。

これらのことを劣等感、あるいはコンプレックスといったりする。

多くの人はこれらコンプレックスを人付き合いの中でばれないように隠そうとする。

そうやってコンプレックスを隠そうとすればするほど悩みは大きくなる。

そのコンプレックスを解消するとっておきの方法がある。

それはコンプレックス、自分が弱点と思っていることを武器にすることだ。

そのいい例として、お笑い芸人のユーモアの才だ。

背が低かったり、薄毛などの弱点を前面に出し、笑いに変えてしまう。

まさに悲劇が喜劇に変わるということだ。(図50参照)

悲劇を喜劇に変えると楽になるの図説
図50

芸能界とは言わばいついなくなるかの人付き合いの戦場といってもいい。

そんな場所で彼らはコンプレックスをユーモアに変えて生き残っている。

人付き合いが怖い人は自分の弱点を武器にして生きている人から学ばされる。

人付き合いにおける性善説と性悪説

ある国で小さい子どもを連れた母親が飢餓に苦しんでいる。

このまま何も食べなければ、子どもは死んでしまう。

目の前には畑があり野菜が実っている。

その母親はその畑に実っているトマトを子どもに食べさせた。

この行いは果たして悪いことと断言できるであろうか。

もちろん、良い行いとは言えない。

この母親は悪意に満ちていたとはいえない。

性善説である。

世間の人付き合いも基本的には性善説である。

しゃべる時緊張して震えているあの人をもっと緊張させて怖がらせてやろうなんて思う人はいない。

必死にがんばっているんだなと思っている。

しかし、本人は、笑われて馬鹿にされてしまうと性悪説に人付き合いを捉えている。

ママ友付き合いでうわさが好きなのも、より情報を得て豊かな付き合いをしたいという性善説である。

基本的に皆、楽しく充実した生活が送れればいいや。と思っている。

学校や資格の試験でもそうだ。

皆、緊張している。

周りは皆敵だと思っている。

しかし周りは皆、勉強を頑張ってきた仲間なのだ。

性善説で人付き合いを捉えられれば人付き合いが楽になる。(図51参照)

性善説で克服の図説
図51

良い加減な人付き合い

日本人の勤勉さと真面目さにはすごい驚かされる。

特にそれを象徴としているのが都心の電車やバスだ。

都心のバスや電車は数分単位で時刻表が組まれている。

そして、その通りバスや電車はやってくる。

遅れるのは、事故やトラブルがあった時位だ。

もし、運転手が寝坊や体調不良で遅刻したらどうするのだろう。

数万人に影響が出る。

飛行機の管制官なども神経を使う。

一歩間違えれば大事故だ。

後、驚かされるのが、外科医や内科医だ。

外科医はチームで行う。一日何件も手術を抱えている。

そこで遅刻は許されない。

大病院では診察で何時間も待たされた経験はないだろうか。

そこで遅刻したら大変なことになる。

電車の話に戻すが、多くの海外では、電車が時間通りにやってくることは稀である。

それに、乗車人数が多すぎて危険な走行もあり、実際に事故も多発している。

そこにはいい加減さがある。いい加減すぎるといってもよい。

日本と海外の文化の違いはこの電車の話に大きく表われている。

日本のこういった仕事に比例して人付き合いも勤勉で真面目である。

会社の縦社会や茶道などの神経質な文化である。

人付き合いが怖い人はイメージとして少し良い加減になっていい。

良い加減とは雑にという意味ではなく、良い、加減ということである。

適当という言葉でもいい。適度に当たると書いて適当である。

どうも一般的には、いい加減や適当という言葉が悪いイメージになってしまっている。

大事な会議の時に一発、ギャグをかませとまではいかない。

会議の時、トイレに行くことぐらいはいいのではないだろうか。

人付き合いを良い加減に調整することで人付き合いは楽になる。(図52-1参照)

良い加減、適当がベストの図説
図52-1

赤ちゃんやペットを見習う

人付き合いが怖い人は、赤ちゃんやペットを見習ってみよう。

赤ちゃんやペットは何か役立つことをすることもなく、ただ泣いたり、言うことも特に理解してきくこともなくして、ご飯の世話から排泄の世話までしてもらっている。

そして、時には抱きしめられて、無条件の愛を与えられる。

なぜか、それは赤ちゃんやペットの弱さに魅力を感じるからである。

そして、その弱い存在そのものに愛を注ぎたくなるのである。

その弱さの魅力は赤ちゃんやペットだけでなく、あなたにもちゃんとある。

あなたにも無条件の愛情を受け取る資格はちゃんとある。

そのためには、自然なあなたらしさを人と接する時に出すことである。

つまり、弱さを魅せることである。

そこにあなたらしさというチャーミングさがある。

そしてそのチャーミングに無条件の愛が注がれる。(図52-2参照)

無条件の愛を受け取る資格の図説
図52-2

すると人の温かさを感じ、人付き合いは楽になる。

インターネットの人付き合い

インターネット、SNS等の人付き合いは現実世界の人付き合いの延長であるかと思いきや、そうではない。

インターネット、SNSは現実世界とは別ものである。

なぜならインターネット、SNSで人に嫌われる可能性が極端に少なく、もしもSNSで嫌われたとしても致命傷は避けられるからだ。

インターネット、SNSで便利だと思うのは、ひきこもりの人や人付き合いが苦手だったりする人が、ある一定の距離を置いて気軽に人付き合いできることだ。

コミュニティなどで悩みを共感できることは、悩みを抱えてきた人にとって、自分だけじゃないんだという救いがある。

もちろん、そのデメリットとして誹謗中傷で傷つくこともあるかもしれないが、インターネット、SNSの使い方のコツとしてある一定の距離を保ちながら、使用すると依存症などの危険は回避できる。(図53参照)

インターネットは使いようによっては楽しい人付き合いができるの図説
図53

インターネットの世界の中でも人付き合いの思いやりを感じる一面がある。

それは、通販サイトのレビューを書く人だ。

レビュー中には購入したものが気に入らず、怒りに任せて苦情をなぐり書きする人もいるかもしれないが、それはごく一部であって、よくみると、その商品やサービスに対して、素直な長文を書き込んでいる人は偉いなと感心してしまう。

なぜなら、一度購入してしまえば、感想など書く必要はないし手間がかかるからだ。

インターネットの世界でもそんな人付き合いのほっこりとした一面を垣間見ることができる。

血縁関係を考慮してはいけない

血縁関係を考慮してはいけない

人付き合いが怖い人は親にも心理的な問題がある可能性が高い。

過保護過干渉の神経質な親だ。

そういう親は子どもの自立を阻害する。

もしそうだとしたら親と距離を離すことも大切である。

例えば勝手に部屋に入ってきて引き出しを開けて物をあさり出したとしたら、勝手にあさらないで!と自己主張する必要がある。

せっかくお腹を痛めながら産んでここまで育てなのに親不孝だ。

と言われるかもしれない。

しかし、それとこれとは別の問題である。

血縁関係は幼児期から親に刷り込まれてきたから、そこから抜け出すことは容易ではない。

カルト宗教を抜け出すより大変である。

人付き合いが怖いあなたのことを近い距離で見ているのは親だけであって、他人はあなたのことをそんな近い距離で見ていない。

親の十字架をずっと背負う必要はない。

家族との人付き合いのようなどんなに近しい間柄でも腹六分が位がちょうどいいのである。(図57参照)

血縁関係に、はまらないの図説
図57

挨拶は楽な人付き合いの基礎

挨拶は楽な人付き合いの基礎

人付き合いが怖い人の多くは挨拶が苦手なのではないだろうか。

「おはようございます。」「こんにちは。」「こんばんは。」「ありがとうございます。」「ごめんなさい。」「お疲れ様です。」

等といった挨拶を素直にできる人は人間的に成熟している。

そういう人には人が集まる。

挨拶は人付き合いをズムーズにするための潤滑油のような役割を果たす重要な役割を担っている。

挨拶が苦手な人は、自分から勇気を出して、弱々しく怯えながら挨拶をしてみよう。

ポイントは弱々しく怯えながら挨拶することである。

人付き合いが怖いうちは堂々と笑顔で元気よく挨拶する必要はない。

下手をすると逆効果である。

弱々しく怯えながらでも挨拶されたら悪い気をおこす人はいない。

私自身、学生時代飲食店で働いていた時、お客さんの「ごちそうさま」の一言がとっても嬉しくて、それ以降、「ごちそうさま」は欠かさずに言うようにしている。

挨拶が楽にできるようになってくると、人付き合いも楽になってくる。

楽な人付き合いを構築するうえで挨拶は大切な役割を担っている。(図58参照)

挨拶は人付き合いを円滑にするの図説
図58

一緒にいて緊張する人とは心理的距離を離してみる

心理的距離を離してみる

人付き合いが怖い人は人付き合いにおいて心理的距離が近いことが挙げられる。

その心理的距離が近いとその分エネルギーを使い、疲れてしまう。

なので、人付き合いでは腹六分目位で付き合う位がちょうどいいのである。

心理的距離が近いとは、会社の厳しい上司とエレベーターで乗り合わせた時などである。緊張して身が引き締まる人も多いのではないか。

逆に心理的距離が遠いとはイメージしにくいかもしれないが、例えば電車の席に座ったとき隣にいる知らない人であったり、夫婦関係であったらおじいさん、おばあさんになってあまり口を利かなくなった感じである。

中にはいつも人といなきゃ安心できない、心理的距離が近くなきゃダメな人もいる。寂しくていられないのである。そういった人は神経質傾向にあるケースが多い。

嫁姑の関係なんかもこの心理的距離で説明がつく。

嫁が息子を姑から引き離す。すると、姑は寂しくて寂しくてたまらない。そして敵意が嫁にいく。

そして嫁は姑との人付き合いに参ってしまう。

たいてい人付き合いが怖い人は他者との心理的距離が遠い方が安定する。

だから心理的距離を短くしてくる人と接する時は近づきすぎないように注意しなければならない。(図59-1参照)

心理的距離を離すと克服できるの図説
図59-1

人付き合いが怖い人は、少し孤独な位が楽に生きられるのである。

厚かましさの極致

私は昔、老人ホームで働いていたことがあり、そこでのコミュニティのあり方に衝撃を感じたことを覚えている。

老人ホームでは利用者は普段何をしているかというと、食堂に集合して、ただ黙ってそこにたたずんでいるのである。

両隣に人がいるのに、ほとんど会話はない。

ときどき、ちらっと会話がささやかれる程度である。

認知症の人もいるから確信はできないが、高齢者の人付き合いは個人個人の心理的距離がかなり離れた状態で成り立っている。

だからみんなリラックスしている。

中には孤独を感じている人もいるかもしれないが。

また、喧嘩も多い。

気に入らないことがあれば、介護士にも暴力を振るう。

これこそが厚かましさの極致である。

人間は歳を取るほど厚かましくなる。言い換えると図々しくなる。

図々しくなるということは自然体の自分でいることに近くなる。(図59-2参照)

厚かましさの極致の図説
図59-2

人付き合いが怖い人は老人ホームのコミュニティを見習って、もっと厚かましくなっていいのである。

一緒にいて癒される人との付き合いを増やす

一緒にいて癒される人との付き合いを増やす

人付き合いの中で一緒にいて楽に感じる人もなかにはいると思われる。

このことを安全基地というが、人付き合いの怖さを解決する上で重要な要素である。

人付き合いが怖い人は、この一緒にいて癒される人となるべく多く付き合うようにするといい。

この人の前でなら手が震えても何とも思わない、むしろ手の震えも起こらない、といった具合だ。

そうすることで、人前で手が震えてもいいんだという感覚をつかむことができる。(図60参照)

安全基地の人との付き合いが恐れの克服のカギの図説
図60

笑顔が人をリラックスさせる

笑顔は女性の最高の化粧であると言われるほど、素晴らしいものである。

笑顔の多い人の周りには人が集まる。

なぜなら、笑顔は人をリラックスさせ、楽しくするからだ。

ただし、引きつり笑いはダメだ。相手も引きつり笑いになり緊張感がある。

また、お葬式や深刻な話の時等、笑うべき所でない時は笑わない。

心から大きく笑う人は、人付き合いをエンジョイしている。

ここが一番大きなポイントになるが、笑いは元気を分けてもらうことができる。

笑う元気がない人はそういったよく心から大きく笑う人との付き合いを増やしてみよう。(図61参照)

挨拶は人付き合いを円滑にするの図説
図61

実際に人付き合いが怖いを克服する簡単な練習をしてみよう

実際に人付き合いが怖いを克服する簡単な練習をしてみよう

人付き合いが怖いを克服する簡単な練習として、電話番号104番や適当なお店、ドラッグストア等にかけて適当なことを聞くというものだ。

「〇〇市役所への行き方はどうやったらいいんですか?」「〇〇駅周辺の宿はどこにありますか?」、「そちらのドラッグストアでは風邪薬はどのようなものを取り扱っていますか?」など。

その電話をかける際のポイントとして、震えながら、どもりながら、呼吸を乱しながら、かけることだ。つまり恥ずかしさや恐怖を前面に出してかけることだ。

かっこつけながらかけても何の意味もない。
いや、かえって恐怖を増すことになる。

恐怖を前面に出す練習をしているうちに相手が見えてくる。

すると電話するのが楽になってくる。(図62参照)

弱さをさらけ出す練習で楽になるの図説
図62

人付き合いが怖くてどうしようもなく辛い人へ

晴れた日に空を見上げてみる

空は真っ青がどこまでも続いていて終わりがない。

その青ははるか昔からあり、はるか未来まで続いている。そんなことを思うと、今自分が悩んでいる人付き合いのことなどちっぽけに感じないだろうか。

そんな空を見ると、人前で声が震えてしまうことなど、ちっぽけに感じられないか。

人前で顔が赤くなってしまうことなど、どうでもよくなってこないか。

真っ青な空を見た後、人前で赤面して、また真っ青な空を見上げてみても、いつでも真っ青である。

あなたが、おじいさんになった時、晴れた空を見上げてみる。

きっと、若い頃は人付き合いに悩んでよくこの変わりない真っ青な空を見上げたなと思うであろう。

空を見ると、空の偉大さに気づく。人類のちっぽけさに気づく。

そう感じているうちに自分が今悩んでいる人付き合いを客観視できるようになる。

人付き合いに立ち向かう勇気が湧いてくる。(図63参照)

空の広さから悩みの小ささを感じるの図説
図63

どうしようもなく辛い時は人間以外の生き物と触れ合ってみよう

人付き合いが怖くてどうしようもなく辛いときには、人間以外の生き物と触れ合ってみよう。

身近に動物がいない場合は、植物でもよい。

木に直接触れてみる。

彼らの息遣いを感じる。

木も生きているのだ。

雨の日も風の日も堂々と生きてきた。

そんな木と友達になってみよう。

そして、その存在に無条件に感謝してみよう。

心が温かくなる。

雑草はは胡蝶蘭に生まれればよかったのになんて思ったりしない。

雑草は雑草として堂々と生きている。

木や植物を含め、動物は皆、等身大の自分で生きている。

背伸びしたり、カッコつけたりも虚勢を張ったりもしていない。

つまり彼らは人付き合いが怖い人にとって安全基地になる。

動植物と触れ合うと、単に癒されるだけでなく、ありのままの自分で生きる勇気をもらえる。(図68参照)

生命の偉大さを感じて弱みをさらす勇気をもらえるの図説
図68

人付き合いが怖いを克服した後はどんな感じになるのか

生きているってこんなにも素晴らしい

人付き合いが怖いを克服した後は、エネルギーがみなぎってきて、何だってできる!という感じになる。

長く寒い冬が終わって春がくるような、小学生の時のあの元気が有り余っていた頃のノスタルジックな感情になる。

そして、毎日活動的になる。

人付き合いが楽しくなり、魅力的な人とはどんどん関わっていきたいと思うようになる。

そして、ささやかなことに幸せを感じるようになる。

コンビニのこの商品、新しくでたんだ!など、小さなことでも感動する。

目の前を長い時間、覆っていた霧がスッとなくなり太陽がさんさんと輝くような気持ちになるのだ。

生きているってこんなにも素晴らしいことなんだと実感できるようになる。(図69参照)

生きているってこんなにも素晴らしいの図説
図69

人に優しくできる

人付き合いが怖いを克服すると人に優しくなれる。

なぜなら相手の気持ちがわかるからである。

飲食店で働いている人にとってお客さんの「ごちそうさま」は、本当うれしく、モチベーションの維持に一役買っている。

だから飲食店で働いていた人はお会計の時にほぼ必ず、「ごちそうさま」を言う。

人には光と闇があり、光しか知らない人は、他人の痛みがわからない。

闇の部分を知っているから他人の痛みがわかる。

闇の部分を知っているから光のありがたさがわかる。(図70参照)

困っている人がいると「大丈夫ですか?」と声をかける。

人に優しくなれるの図説
図70

まとめ

まとめ

人付き合いが怖い人の思っているほど周りの人はその人を意識していない。

本当に危ないのは、周囲の人ではなく、人付き合いが怖い人の頭の中。

人付き合いが怖い人は、自分が怖いや恥ずかしいと思っていることを人付き合いの中でさらけだしそれを受け入れていこう。

つまり失敗も受け入れた等身大の自分で人付き合いしよう。

そうすることで気が楽になる。

また、自分が一緒にいて楽だなと思える人と積極的に付き合おう。

そうすることでダメな自分も受け入れてもらえるんだと思えるようになる。

人付き合いがどうしようもなく辛い人は動植物と触れ合ってみる。

人付き合いが怖いを克服した後は生きるエネルギーがみなぎり、人に優しくなる。