対人恐怖症などの人間関係でつまづいてきた人は、次のような疑問が生じたと思います。

人の中にいるのが苦痛であるという、自分をくるしめているこの性格は変わるのだろうか、と。

自分の性格に悩んで、自分の性格を変える努力をすると過酷な課題を自らに課す人がいます。

たとえば、赤面恐怖を克服しようと、人と話す時には絶対に感情を顔に現わさないようにしようと努力している人がいました。

視線恐怖の人で、相手の視線に負けない訓練をしようと、自分の方から決して目をそらさない努力をする人もいます。

電車の中で向かいに座っている人からけげんな目で見られたり、相手がなかなか目をそらさないので目が痛くなって、それでも必死に涙目で見続けていたりします。

内気な性格を変えるために、毎日、最低5人の人に自分のほうから話しかけることを課題にしている人もいました。

クラスのなかにいるのがつらくて逃げ出したいのに、その逃げ出したい気持ちをいつまでもいちばん前の席に座ることで克服しようと性格を変える努力をしている学生もいました。

そこまでいかなくとも、若い時には多かれ少なかれ、多くの人が自分の性格を変える努力します。

性格を変えるといまの自分とまったく別人になれるかのように思って、自己変革の本を何冊も何冊も読む人がいます。

本を読んでいるときは少しばかり心が救われます。

でも、じっさいには何も変わりません。

性格を変える努力をしようとそのために次々とそうした本に飛びつき、その種の本の中毒になっている人がいます。

そういう性格を変える努力をする人が自分の悩みを家族に話せば、「考えすぎるだけだ」と言われてしまいます。

「そんなこと気にしなければなんでもないじゃない」と、友達からも言われます。

自分でもそう思います。

ところが、実際には性格を変える努力をする人は「考えすぎない」ことが難しいのです。

性格を変える努力をする人はほんの半歩、その半歩にとても大きな溝があるのです。

性格を変える努力をする人はその溝のために、五年、十年と、苦しんできた人も少なくないのです。

そのため、「性格は変えられる」とは残念ながら安易には言えません。

ある性格を変える努力をする人は劣等感と存在の不安定感に苦しんでいました。

性格を変える努力をする人は自分が傷つきやすい人間で、他の人々の強さに圧倒される感じでした。

性格を変える努力をする人は表面上、人とおだやかに接していても、心の中ではおびえていました。

これではいけないと、こうした性格を変える努力をしてみました。

性格を変える努力をする人は必死にみんなのなかに入っていこうとしました。

しかし性格を変えることはできませんでした。

人と接するのが苦手な性格は変えることができません。

しかしその性格を変える努力をする人は、人と接するのが苦手という性格で苦しまずにすむ方法を身につけました。

それで、現在ではこうしたことで苦しむようなことはほとんどありません。

ですから、性格を変える方法をお教えすることはできませんが、そうした性格で悩まない方法を教えてあげることはできます。

気が軽くなる援助はできます。

性格を変える方法をお教えすることはできませんが、人のことに悩み傷つきながらも、自己実現と実感できる人生を築く方法を述べることはできます。

五十代、六十代の人で、自分をあるがままに見つめたとき、青年期に感じていた自分の基本的な性格が残っていることを認めない人は、まずいないと言ってよいでしょう。

川端康成も、国際ペンクラブの副会長を勤めながら、若い頃の性格はそのまま残っており、自分を「もっとも孤独な文学者」と言っています。

たしかに性格を変えることのできる可能性の高い時期があります。

それは、思春期から青年期前半です。

つまり小学校高学年から中学、高校時代です。

この時期には、急速に、身体的、知的側面で大人に匹敵するほど能力が向上します。

また、男性や女性としての身体的な魅力も出てきます。

こうしたことに裏付けられて、人は一般に自分の諸能力に自信を持ちます。

そして、この自信により内向的な性格が変わる人がいます。

しかし、この時期に内向的な性格を転換できなかった人は、おそらく一生を通して、人のなかにいるのが苦手であるという基本的な性格は変わりません。

こうしたことは、昔から「三つ子の魂、百までも」と表現されてきたことです。

性格というものは、心の全体構造として存在するのです。

人付き合いが苦手という特性は、それだけが独立しているのではありません。

自我全体のなかにそうした性格を変えることができない特性が組み込まれているのです。

ですからこの性格を変えることができない特性は、不安の高さとか罪責感の強さ、あるいは細かいことや過去にこだわってしまう傾向、自分をおさえてしまう傾向など、他の心理的傾向と同時に見られるのです。

したがって、ある特定の性格を変える努力をすることは、自我全体を揺さぶることになるのです。

また性格とは、もともと生まれてきたこの世界に適応するために形成されてきたものです。

ですから、いまその性格が苦しみをもたらすものであったとしても、それは以前は安全をもたらすものであったのです。

このために、性格を変える努力をすることは、その住み慣れた安全をおびやかすことにもなるのです。

したがって、自我は無意識のうちに抵抗するのです。

このために、性格を変える努力をする戦いは、いたずらにエネルギーを消費し、疲れさせるだけで終わることが少なくないのです。

アドラーは言っています。「人間にとっていちばん実行するのが難しいことは自分自身を変えることだ」と。