さて、私達が他の人と接するときは、自分のPACのいずれかの部分で、相手のPACのいずれかの部分に働きかけているのです。

そして同時に、相手からPACのいずれかに返答が返ってくることを無意識のうちに期待しているのです。

たとえば、出勤時の夫と妻の次のような会話を考えてみましょう。

夫「車のキー、知らないかい?」

妻「また?だから、いつも決まったところに置くようにって言ってるじゃないの」

妻の回答に夫は気分を害します。

このやりとりは、次のように分析されます。

PAC

夫の言葉は、彼の成人の心の部分が妻の成人の部分に働きかけたものです。

そして、夫は単純に「知らない」とか「机の上にあるわよ」など、妻が成人の部分で、自分の成人の部分に返答することを暗黙のうちに期待しているのです。

ところが、期待に反して、妻が親の心の部分で、夫の子どもの心の部分へ返事を返したのです。

このため夫は、かつて親に叱られたときのような気分を引き起こされ、不快な感情を覚えたのです。

別な例を考えてみましょう。

夫が会社からしょげて帰って来て、妻に言いました。

「また、失敗しちゃって課長に叱られたよ。僕、能力ないのかなあ?」

この言葉は、明らかに現実的なレベルでの回答を求めているのではありません。

ですから妻が、「本当に私もそう思うわ」などと客観的事実を確認する反応をすれば、離婚ざたです。

そうではなくて、夫は自分を子どもに見立て、妻に親の部分で返答して、支えてもらいたいだけなのです。

「そんなことないわ。一所懸命やっていればそのうち認めてもらえるわよ」などと返答してもらうことを期待しているのです。

期待どおりの返答が返ってくるときには、やりとりの線は平行になります。

この場合のやりとりを相補交流といいます。

期待通りの返答が返ってこない場合には、この線は交わります。

この場合には交叉交流といいます。

一般に相補交流において人間関係がスムーズにいきます。

このように、人と接する時、私達は暗黙のうちに相手の反応を期待しているのです。

その期待どおりの反応が返ってきたとき満足を感じ、期待に反する反応に気分を害するのです。

なかには友達や会社の上役など、「保護的な親」の反応を期待すべきでない人に対して、「保護的な親」の反応を期待するために、ちっとも分かってくれないなどと、心がかき乱されてしまう人もいます。

自分はPACのどの部分で、相手のPACのどの部分に働きかけることが多いか、また、相手からどのような反応を期待しがちであるかを分析してみることは、人との接し方を改善するために有効です。

言葉はまた、表面上、言葉で表現されたもの以外を伝えていることがあります。

「僕、三十万円で〇〇のパソコン買ったんだ。ディスプレイの解像度も高いのでCGが最高にきれいだよ。
動作も速いし。いま、誰もいないんだ。見に来るかい?」

「ふーん、ソフトはなにが入っているの?見に行くわ」

この会話ではパソコンは口実にすぎません。

本当は「いま家の人がいないから、家に行ってもっと親密な関係になろうよ」と言っているのであり、女性のほうはその関係になることを承諾しているのです。

このように言葉で表現されたこととは別な内容を伝える交流を、裏面交流と言います。

裏面交流には人間関係に波風をたてない効用があります。

しかし、これを多く用いる人と一緒にいると、不愉快にさせられます。

それは、じっさいには強制されているのに、あたかも自分からすすんでことを行っているかのようになり、本来、自分が負わなくてもよい責任が負わされてしまうからです。

次の例でこのことが理解できるでしょう。

ある教授は、大学院のゼミの時間に空を見上げ、次のように言いました。

「今度の日曜日、うちは引っ越しでね、晴れるといいんだが」

この言葉は天気を祈って言ったものではありません。

「だから、君たち手伝いにこいよ」と言ったのです。

そして、ゼミの学生たちは「すすんで」手伝いに行かなければならないのです。