不安のイライラ

実はイライラと不安には深い関連があります。

多くの場合、イライラがあるところには不安を見つけることができます。

まず、「本来あるべき状態」からの逸脱が、自分の不安を喚起する方向である場合には、イライラも強まり、より切実なものになる、という傾向があります。

例:歩きたばこ。それもたばこを持った手を振って歩く人

例:傘を閉じて持ち歩くときに、傘の先を気にしない人

これらはいずれも、「見ているだけで危ない」というケースですね。

見ているだけで危ない、というような状況では、それだけ、「本来あるべき状態」の重要度が増します。

「本来あるべき状態」が安全と関連してくるからです。

どうしても現実を「本来あるべき状態」に戻したい。

でも、関係性上、それができない。

そんなときにはイライラし続けることになります。

頭の中にある「なんで?」は、「なんで歩きたばこの危険性に気づかないのだろう」「なんで傘の先が人に刺さることを想像できないのだろう」などというものでしょう。

例:咳やくしゃみをするときに、手で押さえない

これも、マナーの問題であると同時に、「自分に飛んでくるのではないか」という不安を喚起しますので、余計にイライラするはずです。

自分に飛んでくると、不潔だということもありますし、場合によっては風邪がうつることもあるのですから、やはり安全に関わる問題となります。

気軽な友達関係などで「やだ、手で押さえてよ」などと簡単に言えるのであれば、イライラしないですませることも可能でしょう。

「まったく、ずぼらなんだから」と笑って終わらせることすらできるかもしれません。

でも、仕事上の関係者など、指摘することが難しい相手だと、自分はずっと「危険」にさらされることになり、それをコントロールできないわけですから、とてもイライラするはずです。

他の「本来あるべき状態」からの逸脱であれば、考え方一つで「まあ、気にしないようにしよう」とすることも可能なのですが、実際にそこに危険がある場合には、「気にしない」というわけにもいきませんね。

イライラは困っているときの感情です。

危険を伴う場合には、「困っている度」が高くなりますから、それだけイライラもひどくなるはずです。

不安があると「べき」がきつくなる

もう一つ、より本質的なのは、不安がイライラのエネルギーを供給する、という側面です。

何だかイライラするというとき、実はいろいろと生活の中に心配事があって、それらの不安が解消しないことにイライラしている、ということもあるものです。

普段だったら大してイライラしないようなことにもイライラしがち、というようなときがありますが、そんな状況の自分を振り返ってみると、実は仕事の締め切りが気になっている、子どもの成績が気になっている、というような別のテーマが見つかるときもあります。

これは、「締め切りに間に合わなかったらどうしよう」「子どもの人生がこのままうまくいかなくなったらどうしよう」という不安がある、と言える状況です。

このような不安があると、「べき」がきつくなります。

「べき」で現実を縛りたくなるのです。

仕事の締め切りや、自分ではどうしようもない家庭の事情などでただでさえ不安が強まっているときには、自分をこれ以上不安にさせないために、物事はこの範囲におさまってほしい、という思いが、強い「べき」となるのです。

そして、その範囲に現実がおさまっていないと、とてもイライラしますし、自分の「べき」を他人にも押しつけがちになってしまいます。

つまり、「べき」のエネルギーは不安が作ると言っても過言ではないのです。

完璧主義の人はイライラしがち

完璧主義の人がイライラしがちなのも、不安がエネルギーであることが多いものです。

実は、完璧主義、つまり、「完璧にできるべき」という考え方は、「本来あるべき状態」の範囲が「完璧」というところまで挟まったもの、と言えます。

そして、完璧主義というのは、基本的には不安に基づくものです。「どこかまだ不十分なところがあるのではないか」「失敗したらどうしよう」という不安が、完璧主義を作っていくからです。

完璧主義の人はイライラしていることが多いものです。

自分にも他人にもイライラを向けている姿をよく目撃するのではないでしょうか。

人に任せるとイライラする人は・・・

完璧主義の人にも多いのですが、人に任せるのが苦手な人は少なくありません。

何でも自分で抱え込もうとし、やむなく人に任せる形をとっているときでも、そのやり方を細かく見てはイライラしていたりするものです。

人に任せるとイライラする、というのも、そのエネルギーは不安。

「人に任せたりして、うまくできるだろうか」ということが不安なので、イライラするのです。

相手は相手のペースでやっていて、今は抜けているところでもあとでちゃんと手をつけようとしている、というような場合でも、「今ここができていない!」と「本来あるべき状態」とは違うところを見つけて、いちいちイラッとしたりします。

「本来あるべき状態」というのはかなり主観的なものです。

これは単なる仕事の手順の個性であったりペースの違いであったりするのですが、「本来あるべき状態」からの逸脱と感じられるので、イラッとしてしまうのです。

そして、その状態がなかなか改善されない(相手が自分の思った通りに動いてくれない)と、イライラを抱え込む、ということになります。

「二度と衝撃を受けたくないモード」のイライラも、そのエネルギーは不安です。

衝撃を受けるのが怖いので、ピリピリしているのです。

「もう衝撃はない」と安心できれば、そのイライラは消えるはずです。

こんなふうに、イライラと不安には極めて深い関係があります。

ポイント:不安はあらゆるイライラの源になる。