”他人を恐れるあまり相手の言いなりになる”
自分に対する怒りの第二の表現形式は「増大する従順」である。
迎合する自分に嫌気がさして迎合を止めたいという人がいる。
しかし基本に自分に対する怒りがあるのに、「迎合するまい、迎合するまい」と思っても無理である。やはり迎合してしまう。
自分に対する怒りは、時に他人を怒らせるのではないかという恐れになる。
他人は自分に怒っていないのに、怒っていると感じる。
相手を誤解する。
自分が自分の欠点に怒っているのに、他人が自分の欠点を怒っていると思う。
だから他人を恐れる。
自分の弱点に対する怒りがあるからこそ、自分の弱点が相手を怒らせないかと恐れるのである。
自分に対する怒りは、自分に対する非現実的なほど高い要求が通らないときに生じるものである。
それは完全で理想的でない自分に対する怒りである。
自分が自分の欠点に怒っているように、他人も自分の欠点を怒っていると思う。
もちろん小さい頃は本当に凄い基準を課せられていた。
親が自分に高すぎる基準を課した。
ところが大人になっても、他人は小さい頃の親と同じように非現実的なほど高い期待を自分に課していると思う。
そこで他人を恐れる。
その結果が「増大する従順」である。
ところでこの「増大する従順」から「外で子羊、家で狼」という夫や子どもの言動も説明できる。
何で外ではあそこまで人にペコペコと迎合するのに、いったん家に帰るとあそこまで横暴になるのかという疑問である。
昔から内弁慶という言葉があったが、これはまだ正常の範囲内である。
先に述べた如くカレン・ホルナイによると、自分に対する怒りはまず第一にイライラとなって表れる。
第二が怯えであり、「増大する従順」である。
第三が身体の不調である。
外では第二の特徴の怯えが表れ、家では第一の特徴のイライラが表れているのである。
家では怒りが外に向かって表れ、いつもイライラしている。
家の外では、自分の弱点が相手を怒らせるのではないかと恐れて、いつもビクビクしている。
そして何でもかんでも相手の言うことに「そう、そう」と言って迎合していく。
家の外では従順な子羊になることで相手の怒りから自分を守ろうとする。
家の外では怒りが受け身の外化をして、家の中では積極的な外化をする。
狼も子羊も「自分に対する怒り」の外化という同じコインの表と裏なのである。
ところで日本には想像以上にこのタイプの夫が多い。
また家庭内暴力の子どもも外では子羊であることが多い。