心が疲れた人へ元気よく生きるために大切なこと

生きていれば、多少、つらいことや突発的な悪い状況に、心がすりへってしまうことはあるでしょう。

けれども、それに気付いて心を満たしてあげてください。

そうすれば、心はすりへったままにならずに、また元のように戻っていきます。

心がすりへらないように、毎日ちょっとしたことに気を配るだけで、心は満たされていくのです。

自分の声を聞き、自分を大切にし、自分の中にちゃんとした自信を育てる。

正解に固執しない

「正解はどれかに固執」ということは、すりへらない心をつくるのに、とても大切です。

というのも、心がすりへりやすい人は、「正解」「どれが正しいか」「何が間違っているか」に固執してしまいます。

過去のことを悔いたりしがちです。

「部下にあんな風に怒るべきじゃなかったか」

「上司にもっと、ガツンとはむかってやればよかった」

「あの子、いいとこだけもっていって。私も彼女のようになればいいのかな」

などと、自分の行動を後悔したり、いろんな選択肢の中で揺れ動いているのです。

「こうしたい」「好き」という自分の気持ちよりも「正しい」「まわりが認めてくれること」など他人がくれる正解に固執しているのです。

だから、そんなあなた自身に、「あれもあなたの一部だね」「あのときはそうしたかったもんね」「それしかできなかったよね」「だって怖かったもんね」と言ってあげてください。

過去を振り返って「ああすればよかった」「こうすればよかった」と思い悩んだり、後悔したら、次に、「疲れた」「しんどい」と思う自分を、許してあげてください。

そのためにもまず「あ~怖かった」「あ~できなかった」とダメだった自分を受け止めてみてください。

「正解にこだわらない」「正解にふりまわされた過去の自分も許してあげる」。

心がすりへらないために大切な習慣です。

否定も肯定もせず、ただ認める

ものごとがうまく運んでいないとき、「どうして思い通りにいかないの」と目の前の現実を否定します。

人間関係がうまくいかないときは、「どうして思うとおりに動いてくれないの」と相手を否定します。

「否定する」ということは「自分が正しい」「自分のほうがマシ」と考えているからです。

「あなたは間違っている」でも「私は正しい」。

「私は正しい」でも「あなたは間違っている」。

これが、問題を引き起こします。

すべての争いごとは、このようにして起こり始めます。

要するに「考え方」「ものの見方」の違いです。

だから、嫌なことがあったり、人間関係がうまくいかないとき、相手や現実を否定するのをやめてみてください。まず、認めてください。

でも、うまくいってないんですから、考え方が違うんですから、「認めます」とは素直に言えないですよね。

でも、言わなくてもいいんです。

「認める」という字は「言」と「忍」と書いてあります。

「言うことを忍ぶ」のです。

つまり「言わない」でもいい。

「認めてるよ」ってわざわざ言わなくていい。

そう、わざわざ無理に肯定しなくても、いい。

ただ、そこに、いる。

ただ、そこに、ある。

それを、何も言わずに、見るだけでいい。

「そうなんだ」です。

交流分析という心理学の考え方に「ストローク」というものがあります。

平たく言えば、「他人との交流」です。

野球のキャッチボールのように、他人との交流を通じて、他人から見てもらったり、話しを聞いてもらったり、声をかけてもらったり、触れられたりすることで、人は自分の存在を確認します。

ということは、それをされないときに人は、存在を否定されているように感じるのです。

「見てもらえない」「聞いてもらえない」「声をかけてもらえない」「触れてもらえない」。つまり「無視」が一番つらい。

家族間においても、友人関係においても。

「肯定」できないことはたくさんあります。

特に自分が嫌っているものは、なかなか肯定できません。

でも「無視しない」。それだけでいい。

何も言わなくていい。

「ただ、見る」「言葉を忍んで見る」。

褒め(肯定)なくてもいい。

ただ、見るだけでもいい。

「肯定しなくていい」「好きにならなくていい」「変えようとしなくていい」「ただ、そこに、ある」と、存在を確認する。

それだけでも「認める」になるのです。

出来たことを数えてみよう

「自分を好きになる」「自分を認める」方法の一つとして「昨日、あなたが出来たことは、なんですか」と自分に質問することです。

自分に自信がない人、自分のことが嫌いな人はこう言います。

「なんにもできなかった」って。

そうですね、そう思ってしまいますよね。

でも、ちょっと考えてみてください。

これを読んでる時点、そう、今この時点で、昨日のことを思い出してください。

「あなたは昨日、朝、起きましたか?」

「仕事しましたか?」

「何か本を読みましたか?」

「ごはん、食べましたか?」

「笑いましたか?」

「1日を生きましたか?」

右の質問、1つでも「はい」がありましたでしょうか。

ありましたよね。

それ、あなたが「できたこと」なんです。

何気ない日常です。でも、実はその中にも「できたこと」がいっぱいあります。

「できていないこと」だと思っていたものの中に、実は「できたこと」がいっぱい眠っているんです。

自分をすりへらしながら、一生懸命生きている人の中には、「なんにもできなかった」といって自信喪失している人もいます。

そういうときは「できたこと」を数える。

何気ない日常の中の「できたこと」を数えるのです。

それだけでも、ちょっとずつ満たされていくはずです。

「これをやろう」でやってみよう

心が疲れていると、すさんでいると、ついつい新しいことや、自分とは違うこと、異質なものをはねのけてしまいます。

あるいは、身にならないことや損することを避けようとします。

セミナーや講演会へ行っても、「今回は、得るものがなかったな~」「行って損した」という人が少なからずいます。

でもね、今まで受けた「学びが少ないと思った」ものも否定しないことです。

これを否定し続けると、変われません。成長できません。

たとえば、学んだ本の中から

  • 目標を考える時間をとる
  • 新しい通帳を作る
  • 〇〇さんに相談メールする

といった「やろう」と思った考え方、アイデア、習慣です。

これを「TO DO」リストにしておくのです。

そして、やり終えたり、習慣になったらリストから消します。

最終的には、全部消します。

本も教材も含め、自分の過去、選んだ行動、教育、環境・・・それらを否定しないことがとても大事です。

どんな経験でも、自分の経験です。

学びがない、損だなんて、否定しないでください。

たしかに世の中には、いろんな手法や考え方、アイデア、習慣があります。

受け入れることができないことも多いと思います。

許せないことも多いと思います。

嫌なことも多いと思います。

でも、否定だけしないで。

あ、「否定しないで」というのは否定語ですね。

反対だと「受け入れる」ですもんね、それができないですもんね。

だから「否定しない」。

もしくは「特別に受け止める」。

あるいは、その出来事のあとに「ま、いっか。おかげで・・・」とくってけてみる。

自分に素直になれば世界が光って見える

太陽は、自分が光り輝くから、太陽から見れば、月を見ても、火星を見ても、金星を見ても、土星を見ても、どの星を見たとしても「光しか見えない」んだなぁとこの間ふと思いました。

これって、人にもいえるんじゃないでしょうか。

つまり自分が光り輝くと、自分のまわりはすべて輝いて見える。

火星や木星のように、自分が輝いていない星は、太陽の光を受けることでしか輝けないように、誰かから光をもらうことでしか輝けない。

では、どうしたら、太陽のように自分が光り輝くことができるのでしょうか。

自分が光り輝くための一番大きな要素、それは「素直であること」だと思っています。

「素直」とは、ひねくれていない、すねてない、いじけてない、卑下していないということです。

きちんと意地を張らずに受け止めることができる人です。

すねてる人は、それが、子どものころからのクセであり、「かまってもらうための戦略」だったりします。

でも、その戦略がなかなか通じないから、もっとすねてみたり・・・。

それを繰り返してきた。

「もっとすねる」ために、自分を悲劇的な状況にどんどん追い込んでいきます。

そして「べき」という「正しさ」で自分を守り続ける。

「べき」は、自分の「法律」です。

「べき」をやぶる人、自分の法律をやぶる人と闘い続けてしまう。

時には、自分のルールを自分がやぶると、自分とも闘ったりして・・・。

「べき」の裏側には「期待」があります。

人は、期待を裏切られると悲しくなったり怒ったりするんですよね。

勝手に期待して、勝手に裏切られたのだとしても。

ですが、そんなことしているうちに、すねることが習慣になってしまうんです。

すると、人生がこじれだします。

だから、「すねる」戦略を手放して、素直になってしまうことが大事なんです。

素直になることで、輝く自分になれて、自分のまわりも同時に輝きだします。

今、苦しい思いをしている人、疲れきってへとへとになっている人、まずは、「すねる」ことをやめて「素直」になってみませんか。

それだけで、まわりがだんだん光り輝いてくるはずですよ。

素直になることが分からない人は、ちゃんと「嫌だ」と言うこと。ちゃんと「したい」「して」って言うことです。

自信はなくてもいい

「自信がないからできない」そう思って、変化をためらう人がいます。

やってみることを怖がる人がいます。

ですが、自信があるからやるんじゃないんです。

やってみて、できたから自信が少しずつついてくる。

自分の可能性を信じられるようになるんです。

ということは、まずやっぱり「やってみる」ということが大切だなぁと思うのです。

「失敗してみる」「ダメでもともと」「損してみる」「怒られてみる」という気持ち。

しかしこう記すと、「やってみて、うまくいかないのが続いたから自信がなくなったんです」という声が聞こえます。

そうかもしれません。

そしてきっと「うまくいかない」の基準が厳しいのでしょう。

きっと「うまくいってる」のに、満足していないだけなんでしょう。

きっと「うまくいってる」こともあるのに「失敗」ばかり数えているのでしょう。

「もっともっと」って言われてきたのかもしれない。

「やればできる」って言われてきたのかもしれない。

それに応えて「もっと期待に応えよう」と思ったのかもしれない。

それでうまくいかなかったのだとしたら、今は「止まる」ときかもしれません。「やめる」ときかもしれません。

「がんばり」を、「完璧」を、「ちゃんと」を、「期待」を。

だから、やってみなくてもいい。

「自信」なんて、なくてもいい。

そんなときは、「おかげさま」「させていただく」「助けてもらった」「ありがたい」とただ、感謝する。

最後は、「他の力」への感謝。「自分でやる」のをやめて、「他の力」に、ただ感謝。

心を疲れさせないために大切なことは「ちゃんと言う」

心を疲れさせないために一番大切なことがあります。

それが「ちゃんと言う」ということです。

心が疲れるときは、「したいことをしていない」「したくないことをしている」ときだというお話をしましたが、これは言い換えると「言いたいことを言っていない」「言いたくないことを言っている」とき、ということにもなります。

「本当は、やりたくない」「本当は、言いたくない」「本当は、好き」という、「本当は~」のあとに続く、正直な気持ち。

「助けてほしい」「手伝ってほしい」「認めてほしい」という「~ほしい」で言うことができる自分の素直な欲求。

「おもしろくないって言いたい」「誘いたい」「これ食べたい」という「~したい」でいうことができる自分のありのままの願望。

あなたが毎日飲み込んでいる言葉は、どのぐらいあるのでしょうか。

言葉を飲み込むたび「我慢」が発生します。

「ストレス=我慢=言いたいことを言ってない」なのです。

それが、心が疲れる。

今までずっといろんなことを我慢していた人。

嫌なときでもいつもニコニコして、遊びたくても我慢して、嫌な仕事も我慢して引き受けて、言いたくないことも言わされて、ずっと自分に嘘をついていた人。

その結果、心が疲れてしまった。

たとえ嫌われても、たとえ怒られても、たとえバカにされても、「ちゃんと言う」ことが大事なんです。

「ちゃんと言う勇気」、それだけが、人生を変えていくのです。

「してほしい」「しないでほしい」「したい」「したくない」と、ちゃんと、言おう。

ちゃんと、もめよう。

それが「自分らしさ」です。

自分らしさを出したとき、人は初めて認めてくれるのです。

自分らしさを出したとき、人は初めて自由に魅力的になれるのです。

自分らしさを出したとき、人は初めて自分が受け入れられていたことに気づけるのです。

努力が報われなかったのは、我慢して言いたいことを言っていなかったから。

したいことをしていなかったから。

したくないことをしていたから。

それだけなのです。

そう、自分が自分に嘘をついて、自分がありのままの自分を認めていなかったから、誰も自分のことを認めてくれなかった。

ちゃんと言う、ってとても勇気がいること。

ちゃんと言う、ってとても避けてきたこと。

ちゃんと言うと、世界が変わる

疲れない心の持ち方

心が疲れたときは、疲れているから、心がやせ細って力が出ません。

まるでカツオ節のように、自分の身を削って自分以外の人のためにがんばってきた。

そしてその分、心がやせ細ってしまった。

心が疲れない人は、人のためにもがんばるし、自分のためにもがんばっています。

自分の好きなことに時間を割き、そのためには多少人に迷惑をかけたりすることがあっても、「自分」を大事にします。

「わがまま」。そう言われるかもしれません。

でも、実は心が疲れている人は、そんな「わがままな人」の言うことを聞いてしまっているから、そういう人に支配されてしまっているから、疲れるんです。

「じゃあ、私はそんな人になるなら、やっぱりわがままはしたくない」というのも1つの選択です。

それを美学として生きることが「本当にしたいこと」という人もきっといると思うのです。

そして、それが自信となっていけばきっと疲れることもないでしょう。

でも「もう、わがままな人に振り回されるのは嫌」という人は、ぜひ自分が「わがまま」をやってみてください。人生が変わります。

もちろん最初はとっても怖い。

だって、何十年も「わがままを言ってはいけない」「人に迷惑をかけてはいけない」という法律に縛られてきたのですから。

でも、そのおかげで体中に、我慢を溜めて、体を痛めて、元気が出ないなら、転換しましょう。

実は、自分がわがままを言うと、たしかにまわりの人に迷惑をかけたり、無理を強いたりすることが沢山出てきます。

すると、人はどうなるかと言えば「謙虚」になるのです。

「あれ?」。ということは、いつも我慢している人は、実は、心の中がどんどん「傲慢」になっていくのです。

どういうことかというと、いつも我慢している人はまわりに「のに」という「貸し」をいっぱいしているという感覚があるのです。

だから、いつか返してもらおうと思っている。

だから、まわりが「返してくれるかどうか」をチェックしていたりします。

そして、こっちが「貸し」たのに反してくれない人に、心の中でイライラや不満を抱いていたりする。

当然「利子」がつくので、貸したもの以上に返ってこないと、また不満になります。

そしてどんどん「傲慢」になる。

ところが勇気を出して迷惑をかけると、まわりに「借り」がたくさんできるのです。

たくさんたくさんできる。

助けてもらったり、応援してもらったり、我慢してもらったり、という「借り」が山ほどできる。

そして、こちらにも「利子」がつくので、何かあるときには、自然に人を助けたくなったり、応援したくなったり、褒めたくなったり、優しくなったりする。

してもらったこと以上のことを謙虚に感謝して返していくので、そうされた人がまた助けてくれる。

するとまた返したくなる。

という幸せの循環がそこに生まれるのが「わがままに生きる」ということなのです。

最後に、もう一度繰り返します。

心が疲れない生き方、とは、「ちゃんと言う」「ちゃんとしたいことをする」「ちゃんと断る」「ちゃんとしたくないことをやめる」ということです。

そんなわがままに生きること。

それが自分らしく生きること。

それが自分を大切にするということ。

それが愛され助けられて生きること。

それが愛し助け合いながら共に生きる、分かち合いの生き方なのです。

まとめ

  • 他人がくれる正解に振り回されない。どれが正解だったか、なんてことにこだわらない。
  • 他人も目の前の現実も、否定しない。ただ、黙って認めるだけでいい。
  • 何気ない日常の中での「できたこと」を数えることが、心を満たしていく。
  • 「すねる」自分を手放して、素直になってしまうことが大事。
  • 言いたいことを言っていないから心が疲れる。自分の思いを「ちゃんと言う」ことが大事。それが人生を動かしていく。