意見を通せば他人はついてくるのか?
ここでは、争わない生き方をする人の「大人度」について考えてみます。
争い好きと争い嫌いではどっちが大人かということです。
二つの意見が対立したとき、気の強い人は自分の意見を通そうとします。
気の弱い人は、相手が強く出れば自分の意見を引っ込めてしまいます。
「そんなにいうのなら」とあきらめるのです。
そういう図式だけを見れば、思い通りに生きていけるのは気の強い人ということになりますが、はたしてそうでしょうか。
どんなに自分の意見や判断に執着しても、世の中には思い通りにいかないことがたくさんあります。
望んだ通りにものごとが運ぶなら、だれも苦労はしないのです。
そのとき、気の強い人ほど不満を抱いてしまいます。
たとえば自分がチームリーダーになって実行したかったプランが、社内の同意を得られないようなときです。
その結果、気の進まないプランを受けもたされたときに、気の強い人は最初から不満を抱えてしまいます。
仕事だから放り出すわけにはいきませんが、「こんな仕事」と思ってしまえばどうしても身が入らないでしょう。
では自分のやりたかった仕事を任されたときには、思う存分に力が発揮できるでしょうか?
これがそうともいい切れないのです。
張り切って先頭に立ちますが、スタッフの意見に耳を傾けるより自分の意見を押し通そうとしてしまいます。
壁にぶつかっても強気で攻めることだけしか頭にありませんから、チームの力がまとまらないままに失敗することも多いのです。
さらにいうと組織では自分の意見だけが通るとはかぎりません。
そしてそれが不満の種になります。
強すぎるリーダーはしばしば、チームを自滅させます。
これしかないと考えると苦しくなる
気の強い人や、他人との争いに負けたくないと考える人は、自分の思い込みにどうしてもこだわってしまいます。
その結果、望んだ通りの展開にならなければ不満を抱え、望んだ通りの展開になれば、たとえ先行きに不安を感じても方針を変えようとしません。
結果として、身のまわりに不満やうまくいかないことが増えてくるのです。
バブル経済のときに、世の中の流れに乗り遅れたら損だと考えて、不動産や株を銀行からお金を借りてまで買い求めた人がいました。
他人には負けたくないと考えた人たちです。
もちろん結果論ですが、そういう人たちのほとんどは失敗しました。
株や不動産を高値でつかんだ人ほど、被害が大きかったはずです。
その心理を考えてみると、いま話したことに共通するものがあるように思えてきます。
まず、思い込みがありました。
乗り遅れたら損だ、みんなが儲けているのに自分だけ指をくわえているわけにはいかない、とにかく進もう、といった思い込みです。
けれども、バブル経済末期には、「いつまでもこんな狂騒が続くはずはない」という観測が流れていました。
そういった観察に不安な気持ちを抱きながらも、「いまさら退けない」と突き進んだ人が結果としてひどい目に遭ったのです。
一旦決めたことであってもストップすればOK
では「自分は自分、人は人」という人はどうでしょうか。
ここまでは強気の人、自分の意見を押し通そうとする人について、あえてその弱点を取り上げてみましたが、この「自分は自分、人は人」という人にももちろん弱点はあるのです。
というより、弱点だらけになってくるかもしれません。
まず自分の意見や判断を押し通すことはあまりしません。
相手が強く出てくれば、争ってまでそれを押さえつけようとはしませんから、自分の主張を引っ込めてしまうことがしばしばあります。
そのためにチャンスを逃すこともあるでしょう。
やりたいことができないという欲求不満も生まれてくると思います。
けれども、争いの嫌いな人はそこでヤケになったりしません両行強気の人は思い通りにいかないと大きな不満を感じますが、そうでない人は「しょうがない」と受け止めることが多いのです。
「しょうがない。ここはひとまずあの人のプランに従ってみよう。うまくいけばそれでいいんだし、ダメならこっちのプランを試すことになるだろう」
そういった受け止め方をしますから、ダメージはほとんどありません。
それに日常生活の大部分は「こっちがダメなら別の方法を考えよう」というものばかりです。
家事はもちろん、旅行や部屋の模様替えや車の買い替えだってそうです。
いったん「こうしよう」と決めたことでも、不都合が出てきたらプランを変更しても困ることはありません。
仕事だって同じで、やってみてダメならプランを変更するだけのことです。
時間のムダや経費のムダといったところで、見極めが早ければそれほどの被害は生まれません。
それよりむしろ、一度決めたことにこだわってどこまでも突き進むほうが傷口を広げてしまうのです。
苦肉の策から当たりが生まれる
100円ショップの出発点は、値札をつけるのがかんたんだからという「苦肉の策」だったといいます。
きちんと利益を出そうと思えば、商品のすべてに適正な価格をつけて店頭に並べなければなりません。
けれども、個人商店が在庫を一気にさばいてしまいたいときには、そんな手間のかかることをやっても大量の売れ残りが出るかもしれません。
それでは在庫一掃の意味がありませんから、とにかくトータルで売り上げを増やせばいいと考えて全部の商品を100円の値札で売り出したら、買うほうもつい、熱くなって大量に買い込んだのです。
わたしたちもしばしば、「この際だからしょうがない」と思って実行したことが、意外にうまくいったり、周囲に好評だったりすることがあります。
スペースが狭いので立食のパーティーにしたら、みんなが打ち解けてかえって喜ばれたりするようなものです。
つまり、自分がベストだと思っている策が正解かどうかは、実行してみないかぎりわかりません。
その策をたった一つの答えだと思ってしまえば、壁にぶつかった時点であきらめるしかなくなります。
あるいは、失敗覚悟で意地になって突き進むことになります。
争い好きの人にはしばしば、そういった強引な行動が生まれます。
その点で、争いの嫌いな人はのんびりしています。
「まあ、この際だから仕方ない」と考えることができる人なのです。
ベストではなくても、やらないよりマシ。
計画通りではないけど何もしないよりマシと考えて、とりあえずいまできることを試してみます。
「苦肉の策」であっても、いまはそれしか選べないというのでしたら、そのプランが現時点ではベストの選択だと割り切れるのです。
次善の策が新しい道を作る
他人との争いに負けたくない人は、一度の敗北を大袈裟に受け止める傾向があります。
たとえば大学受験で志望校に不合格になったときに、「もうダメだ」とガックリくるような人です。
就職のときでも、めざす企業や業界に入れないと人生に大きくつまずいた気持ちになってしまいます。
もちろん争いの嫌いな人でも、自分の希望がかなえられないときにはガックリします。
けれども、いつまでも落ち込んでいるわけにはいきません。
「第一志望ではないけど自分の好きな勉強はここでもできるはずだ」とか、「小さな会社なら仕事を覚えるのも早いだろう」と考え直して、そこでコツコツ頑張ろうとします。
争いに負けたくない人は、自分が負けてしまったショックを引きずってしまい、新しいスタート(入学や入社)にも最初から不満を抱えることになります。
「こんな学校(会社)に入ってもいいことなんか一つもない」といった気持ちですから、勉強にも仕事にも身が入りません。
実際、ずっと優等生で通してきた学生が(つまり「勝ち・勝ち」で来て)、合格できる自信のあった大学や大企業に不合格になると放心状態に陥る例がしばしばあります。
その原因を考えてみると、「自分の進む道はこれしかない」という思い込みがあまりに強かったせいだということになります。
めざす目標を「これしかない」と決めるのはいいのですが、それが閉ざされたり、実現できないとわかったときに、「次善の策」を選べない人ほど、たった一度の負けで大きな敗北感を味わってしまうのです。
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大人の割り切りができる人は争いの嫌いな人
「次善の策」というのは、イメージとしてはマイナス思考のように見えます。
「一度決めたことは最後まであきらめないのが成功の秘訣だ」と断言する人もいるでしょう。
強気の人ならそれでいいかもしれません。
けれども争わない生き方をする人は、もっと柔軟です。
それに、「次善の策」を選ぶことがマイナス思考だとは思っていません。
最初に決めたことは実現できなくても、目標をあきらめたわけではないからです。
今選べる最善の手を選んだだけのことだと思っています。
わたしはこういう考え方が最後まで希望を失わない考え方だと思っています。
マイナス思考どころか、むしろプラス思考なのです。
その点で強気な人には、オールオアナッシング的な考え方があります。
「こうしたい」とか「こうなりたい」と思ったことに突き進んで、思い通りにいかないときには腹を立てたり、すべて放り投げるようなことがあるからです。
ちょうど子どもが集まって野球をやるときに、「ピッチャーでなきゃイヤだ」と駄々をこねるようなタイプです。
ピッチャーをやりたい子どもがほかにもいればジャンケンになり、それに負けると怒って帰ってしまうようなタイプです。
大人の場合はそんなわがままは許されませんが、自分の思うようにものごとが運ばないと不機嫌になる人間はしばしばいます。
好きな仕事から外されたとか、ボーナスの査定が予想より低かったというだけで、やる気をなくしたり他人を妬んだりするようなタイプです。
ひとことでいえば、「幼児性」が強いのです。
勝ち負けにこだわる人には、幼児性がたしかにあります。
思うようにいかないことがあっても、気を取り直してふたたび目標に向かって歩き出せる人のほうが、はるかに大人なのです。
他の選択肢を見逃しがちな強気の人
どうしてここで「大人度」を取り上げたかといいますと、そこに「争い嫌いな人」の成功のヒントが隠されているからです。
- むやみに人と争わない。
- 結果に不満があってもとりあえず受け入れる。
- ベストではなくても打てる手を打ってみる。
こういった態度は、ただの現状維持にしか見えないかもしれません。
いくら大人ぶっても勝てなかったらしょうがないじゃないかと思う人だっているでしょう。
でも安定感は抜群なのです。
大きく崩れないという意味では、勝ち負けにこだわる人よりはるかに安定しています。
私たちが困ったときに頼るのはそういう人ではないでしょうか。
たとえば取引先とトラブルがあって、先方の担当者が一歩も退かないようなときです。
相手の要求を呑めばこちらの完全な負け、かといって今後のことを考えればケンカ別れはできないといった状態です。
こういう状態は、勝ち負けにこだわる人にはどうしていいかわかりません。
負けられない、ケンカはできないでは打つ手がないように思うからです。
ところが、争いの嫌いな人はあっさりと解決します。
なぜかというと、「ここは負けてもいい」という判断ができるからです。
気が強いだけの人にはもてない選択肢をもっているのです。
クレームの処理とか、こじれたトラブルは、こちらの言い分を少しでも通そうと思うかぎりなかなか解決しません。
時間をかければどうにかなるというものでもありません。
心理的にもつらいものがありますから、ほかの業務に影響します。
それよりむしろ、相手の言い分に応じて負けを受け入れたほうが、問題をこじらせないで決着させることになります。
損をしてもトータルで考えればプラスになることが多いのです。
ユーザーのクレームなら信頼感を失わないで済みます。
むしろ口コミでファンを増やすことになるでしょう。
取引先も同じで、トラブルの対処が気持ちよければビジネスが途切れることはありません。
勝ち負けにこだわる人が思いつきもしなかった答えをあっさり出したことになります。
二枚腰のしぶとさをなくさないで生きる
まず、「負ける」選択肢を挙げてみました。
ほかにもあります。
その場の勝ち負けにさえこだわらなければ、「退く」「加わらない」「レベルを下げる」「代案を考える」「返事を保留する」「助けを求める」
・・・そういった現状打開の手を打つことができるのです。
目標に手が届かないと思ったら、いったんレベルを下げてまず達成感を得られるようにすれば、そこからまたつぎのレベルをめざそうとする意欲が湧いてきます。
どういうプランでも、それがダメだったときの代案を準備しておけば落ち着いて実行できます。
むずかしい問題に直面したら徹底的に考え続けてもいいのです。
優柔不断に思われてもその間に問題が解決していることがあります。
とにかく投げ出さないことです。
「こいつはもう降りたな」と思われてもいいです。
周囲に「負け」と判定されてもいいです。
仕事も人生も続いていくのです。
どういうときでも二枚腰のしぶとさを失わないのが、「自分は自分、人は人」という生き方をする人の勝ち方になってきます。