大切にしている信念

大切にしている信念には副作用がある

大切にしている信念にはさまざまなものがある。

例えば、仕事はがむしゃらに取り組むべきもの。

待ち合わせとは5分前には到着すべきもの。

他人には気を遣うべきもの。

愚痴を言ってはならない。

上司は手本となるよう完璧であるもの。

自分の手柄はひけらかさないもの・・・。

自分が大切にしているだけならそれでいい。

しかしそれをやってくれない他人に対して、無意識のうちに大きな怒りを持ってしまうポイントにもなりがちだ。

「信じられない」「常識でしょう」「当たり前のことでしょう」という言葉が浮かんだら要チェックだ。

自分はどんな信念を持っているのだろうか?

生きていく上で大切にしていることが、対人関係ではアキレス腱のように弱点になることもある。

それをしっかり認識していおいたほうがいい。

その信念が見つかったら、今度は本当にそれが100パーセント正しいことなのかを検証する。

実は「正しい」というのは、人それぞれのもの。

ある人にとっては正しいことでも、他の人にとってはそうでないこともある。

イライラするあまり、自分こそ正しい、相手を間違いだと決め付けていないだろうか。

感覚としては「正しくないか、間違っているか」というよりも、「程度を緩めてみる」と考えてみよう。

「仕事はがむしゃらに取り組んだほうがいい。でも、そうでなくてもいい時もあるかもしれない」というように。

大切にしている信念は、価値観の親玉。

これがあるから自分らしく生きてこられた。

それは絶対捨てられないものだ。

だからこそ、しっかりその副作用は認識しておこう。

ただし、この大切にしている信念のチェックも、エネルギーに余裕がある人にしかできない。

そもそも疲れている人、自信が低下している人は、それだけでパワハラ上司の素地が出来上がってしまっている。

まずは、エネルギーケア、疲労ケアを何よりも優先して取り組もう。

脅すわけではなく、リーダーの職にある人はそれくらいに考えて、自分を大切にして、安定したリーダーシップをぜひ発揮してほしい。

上司は「怒り」の感情に特に注意する

職場には「役割」が存在する。

上司は上司として、先輩は先輩としての役割を意識する。

しかも、仕事の内容や報酬は、上の立場の人がコントロールしているのが普通だ。

そんな上司・先輩が、自分の大切にしている信念に気付かずに、部下と接していると「パワハラ」として訴えられることがある。

パワハラに対して、「どういう言葉や行為がパワハラに当たるか」という教育がなされている。

論理的には、それらを真剣に考察すれば、この「価値観」の押し付けによるパワハラは防げるはずだ。

しかし、現実にはパワハラはなくならない。

どうしてだろう。

「蓄積疲労」や「感情のケアの有無」が関係していると思っている。

上司・先輩など、上の立場にある人は、部下より多忙を極める人が多いだろう。

肉体労働、頭脳労働だけでなく、責任の重さや、多くの人との付き合いによる「感情労働」の大きさが関係している。

もちろん、部下のエネルギーケアをする、ということも大事な役割の一つだが、それに取り組む前に、まずは自分の疲労のケアをすること、つまり自分自身のエネルギーコントロールに努めることを、もっと意識しなければならない。

もしリーダー自身が疲弊し、感情的だったらどうだろう。

チームとしてのダメージは非常に大きい。

特に注意しなければならないのが、「怒り」の感情。

怒りには、自分が「正しい」「強い」と思わせる機能がついている。

また、相手を従わせたいという強い欲求も附属する。

これと、大切にしている信念が重なりやすいのだ。

もし、「部下は上司の言うことにたとえ不服でも、素直に従うべし」という大切にしている信念があったとしよう。

ある時、取引先に対して不遜な態度をとった部下に、取引先が帰った後に「さっきの態度はなんだ!君の頭にはおが屑でも詰まっているのか?あんな態度、小学生でもしないぞ。

親の顔が見たいもんだ」などという言葉を言ってしまったとする。

こんな発言は、パワハラ教育でダメだと教わっているが、「怒り」の感情は、「今、私が彼の態度を矯正してやらねば誰が矯正する?」

「こんな態度をこれまで野放しにしてきたのがいけない、彼のためにも言ってやらねば」「ここで社会というものの厳しさを教えてやらねば」と、自分の行為を正当化してしまう。

もし、さらに部下が口答えをしてきたとしよう。

今度は例の”上下関係確認儀式”が始まる。

「俺のほうが上だ。お前は従うべきだ」という文脈で大切にしている信念が刺激され、さらに言ってはいけない言葉で部下を罵倒してしまう。

怒りは、行動するための勇気を刺激し、実際に行動してしまう衝動性も高い。

つい、口が滑って・・・とか、手のほうが先に動いてしまった・・・、ということがあるのだ。

具体的な行動を抑えることができたとしても、表情、語気、雰囲気、物音などで相手を無意識のうちに威嚇してしまう。

こうなると、立派なパワハラだ。

ところが、本人は、そのような言動自体は認識し、頭の片隅でまずいな・・・とは思いつつも、「俺は上司として正しいことをした」という意識のほうが強いことが多い。

大切にしている信念と疲労の点検でパワハラを予防する

もう一つ、上司がパワハラに陥りやすい大切にしている信念がある。

それは「勝たなければならない」という信念だ。

受験勉強をしていた頃から受験競争に勝つことを求められ、資本主義の組織でも、勝つことで今の地位を手に入れてきた。

また現代は、テレビ、雑誌、本、広告、SNSと、さまざまなメディアから「成功者」の情報が流れ続けている。

経済的、社会的格差が大きくなっている世界情勢も、勝ち負けの風潮をあおっている。

気を付けないと、「勝ち負け思考」は、私たちに染み付いてしまう。

勝ち負けへのこだわりは、結果、自分を追い詰めてしまう面がある。

勝ち組、負け組の区別で世の中を見ていると、勝ち組に入らなかった時に、自己嫌悪(自虐)を感じてしまうからだ。

すると、それを何とかしたくて、他人に対する威圧的な行動で自分の「勝ち」を確認したがってしまうのだ。

その時は、攻撃しても反撃してこない立場の相手を巧妙に選択している。

つまり部下や後輩などの目下の人だ。

部下のちょっとした態度も、提案も許せない。

論理で旗色が悪ければ、ゴリ押しでも自分を通す。

自分が弱っているからこそ、自分の正しさ、強さを証明したい、勝ちたい、になってしまうのである。

さて、このような大切にしている信念は、怒りが重なると「自分は正しい」という思考の偏りが強くなっているため、振り返ろうとしても、なかなか自分だけでは気が付きにくいものだ。

そんな時は、カウンセラーを利用するといい。

職場を離れ、冷静に話をしていると、怒りの思考バイアスが次第に緩んでくる。

職場以外の客観的視点から質問をされ、それに答えているうち、大切にしている信念が浮かび上がりやすくなる。

社会で成功している人は、エネルギッシュで論理的な人が多い。

それは怒りを感じやすい体質でもあったりする。

私のところでは、定期的にコーチングを受け、自分の心を整理しながら、上司としてのバランスをとっている方も多い。

職場の上下関係は、怒りが乗りやすい関係だ。

上司の立場にある人は、自分の大切にしたい信念を丁寧にチェックするとともに、自分の疲労管理に注意しなければならない。

感情が2倍モードになっていなければ、怒りはそれほど大きくならないし、抑えも効く。

パワハラになる背景には、ほとんどと言っていいほど、パワハラするほうの疲労の問題が隠れている。

部下もまずは、疲労のコントロール

「人間関係の戦場」では、上の立場にある者が、下に対して強いので、横暴になりがちな傾向にある。

ただし、もしあなたが今、「下」の立場にあっても、心得ておくべきことがいくつかある。

一つは、上の立場にある人と同じく、自分自身のケア、疲労や自信のケアを怠らないことだ。

「上司のパワハラを受けています」と悩んでいる人の中にも、よく話を聞くと、「それはパワハラとは言わないのでは。上司は単にあなたを指導しただけなのでは・・・」というケースがよくある。

エネルギーや自信が低下しているので、普通の指導を2倍、3倍の強さで感じる。

極端な話、上司に名前を呼ばれただけでも、「目をつけられている」と感じてしまうのだ。

まずは自分のエネルギーケアをする。

もちろん職場を休みにくい、職場環境を改善しにくい、仕事を選べないという立場かもしれないが、休日の過ごし方やストレス解消法の改善、通勤の工夫、睡眠の工夫などやれることは少なくない。

とにかく「疲労をコントロールする」という意識は重要だ。

その上で、「下」の立場にある時、特に若い人に、あえて伝えたいのは「石の上にも三年」ということ。

まずはこの戦場に三年間留まってみる、ということだ。

なぜそんな古めかしいことを言うのか。

それは、就職、つまり新しい職場での体験は、人生の中で価値観を修正するための大変貴重な機会であるからだ。

その機会を、ぜひ生かしてほしいと思う。

学生時代にすでに若者には若者なりの大切にしている信念が蓄積されている。

これまではそれを守ることで成功体験を積んできた。

しかし、これからの長い社会生活で、それでうまくいくとは限らない。

逆に、人間関係の疲れのもとになるかもしれないのだ。

「就職」は「結婚」と並ぶ、新しい価値観に触れる二大チャンスの一つ。

人というものは、自分にない、新しい価値観を受け入れることはなかなか難しい。

それも、年齢と経験を重ねるほど、難しくなっていく面がある。

「若いうちの苦労は買ってでもしろ」という言葉がある。

若いうちのほうが、体力もあり、新たな価値観をより柔軟に受け入れやすい。

だから、修業や医師などのトレーニングは、若い時に集中的に行う。

若いうちに許容範囲を広げておけば、その後がぐっと生きやすいのである。

「就職」は試練だ。

新しい人との出会いもあり、新しいことも習得しなくてはならない。

でも、若いからこそ耐えられる、という面は大きい。

ただ、つらいだけの職場で三年我慢するのは、現代の若者にとって非常に難しいだろう。

意味を感じないからだ。

しかし、三年耐えるだけの意味はある。

それは、人とか仕事というものについて本当に「知る」ためには、それぐらいの期間がどうしても必要になるからだ。

学生時代は、共同して作業することは少ない。

利害もそれほど対立しない。

学生時代の「人」とか「組織」とか「協働」などというのは、社会一般のものではなく、特別のものだ。

本物の社会における、人と組織と協働を知る。

そのためには、最低三年はかかるのだ。

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若者に必要な期間限定で騙されてみる謙虚さ

若者が就職したとしよう。

最初は自分も緊張し、相手も、お客さん状態で接してくれる。

覚えることが多く大変な時期だ。

研修を終え、仕事をし始めて三カ月も経つと、次第に慣れてくる。

すると周囲の配慮も少なくなってくる。

当初の緊張や興奮が、徐々に疲労に変わる。

そんな頃、仕事や同僚、組織の粗が目立つようになる。

ここで、我慢だけで過ごし、仲間などとのコミュニケーションが無い場合、苦痛が拡大して、辞めたくなる。

しかし、うまくそれを乗り越えられると、いろんなものが見え始める。

無駄に見えていた手続きにも、一年の仕事のサイクルを経験するうちに、それなりの意味があることを知る。

先輩や上司の態度にも、過去からの積み上げがあり、それなりの意味があることを知る。

なかなかうまくいかなかった仕事についても、自分なりの成長を感じることができる。

そして、三年目頃には、新しい仕事をする中で、組織の動きをもっと多角的に想像できるようになるし、後輩を指導しながら、「人」についても、もっと大きな視野で見ることもできるようになる。

このような経験を積んで初めて「人」に対する信頼が生まれ、職場や仕事に対する信頼や面白さも感じはじめる。

その中で、どれほど組織や他人や自分に期待するべきかの価値観の「程度」が洗練されていくのだ。

これは大変貴重な機会だ。

もし三カ月で辞めてしまったら、この機会をずっと逃し続けることになる。

だから三年は頑張ってみてほしい。

とはいっても、なかなか難しいと思う。

そこで心構えを一つアドバイスしておこう。

ポイントは「謙虚さ」。

まずは、今の仕組みの成り立ちを知る。

一見不合理でも、必ずそうなっている、そうなってしまっている理由がある、と考えてみることだ。

今のメディアを使えば、自分で何でも調べられる。

いつでも発言権がある。

どうしても批判的視点が強くなる。

少し自分の理想が通らなかったり、肉体的、精神的に疲れてきたりすると、その組織や周囲の人を正論で非難し、とんでもない”ブラック企業”と早々に決めつけてしまう。

まずは、「必ず隠れた意味がある」と信じてみること。

「期間限定で騙されてみる」と表現している。

仕事の場合、あとでその理由がわかることが多いので、少なくとも一年は騙されてみよう。

ただし、三年間頑張ろうとしても、入社した会社が本物のブラック企業だったら、そうはいかないだろう。

社会人は、子どもの時代とは違い、自分の身はじぶんで守らなくてはいけない。

また、このような類いのトラブルは、自分だけで解決する問題ではない。

周囲のさまざまな人に相談をしてから、最終的な判断をするべきである。

そこで次に重要になるのが、相談者を持つことだ。

今の苦しみが、耐えるべきものなのか、そうでないのか。

経験がない分、自分だけでは判断がつきにくい。

現代は、インターネットで情報を集め、相談することが多い。

しかし、組織には組織のルール、地方には地方のルール、業界には業界のルールがある。

それに精通していない人の「一般的」な意見は、若者の被害者意識をただ刺激するだけになることが多い。

疲労がたまって正常な判断ができなくなっている時は、先輩より職場のメンタルヘルス担当や、カウンセラーのほうが適切なアドバイスをくれる。

複数、しかもバラエティーに富んだ相談相手を持つことは、人間関係の疲れをためなくする大きなコツの一つだ。

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モンスター社員の対応方法

職場には、「役割」や「価値観」の問題というより、すでにその人自体が「モンスター化」してしまった人もいるものだ。

先日もこんな人がいた。

「職場に「かみつき亀」って陰で呼ばれている、いつも怒ってばかり、余り仕事もしないで文句ばかり言っている女性がいるんです。

そんな上司にも、他の部署の人にも、同僚にもいつもかみついていて、社内ではちょっとした有名人なんです。

その人の言い分は、『私が、みんなの代表として、この会社の悪いところを指摘してあげている』というもの。

もちろん、見当違いですよ。

もう彼女が何か言っても、周囲も、あ、またかみついている、くらいにしか見ない。

先日、私もかみつかれてしまいました。

仕事上の話なのに、あまりに批判的なことしか言わないのでカチンと来て、思わず私のほうが声を荒げてしまったんです。

そうしたら、『仕事の話をしているんだから、キレないでください』って、そのかみつき亀に言われてしまったんですよ。

あなたにだけは言われたくない!って頭にきて頭にきて」

このケースは感情面の問題というよりも、部署全体に弊害が出ている、現実対処すべき問題だ。

彼女の怒りは、ごく正常な反応だろう。

自分の感情をケアしつつも、速やかに人事的な対処をお願いするなどをしたほうがいい。

ちなみに、いつも怒っている人とは「自信がない人」である。

自信がない時に、人は自分を責めるか、相手を責めるかのどちらかの態度をとる。

困った人は、昔から一定数いるものだ。

周りにいる人は大変だが、「人間はみんな分かり合えるもの」という「期待」を緩める、良いチャンスだと前向きに考えよう。

「困ったなあ。でも、こんな変わった人も世の中にはいるんだな」と思えれば、また一つ、懐が広くなったということだ。

職場にひそむモンスター問題に対しては、こうするべきだという正解はない。

その都度、自分の感情の問題か、現実的な対応で処理すべきトラブルなのか、バランス良く見極めていくしかない。

相手を変えることはできないのだ。

自分自身の疲労、自信のケアでエネルギーを保ちつつ、モンスターの弊害が大きい場合は、その人との距離を上手にとる、それが得策である。