期待された役割を生きる自分の出発点
私たちの心は、幼いときからの積み重ねで作られていきます。
期待された役割を生きる発端も幼い時期に見ることができます。
赤ん坊は生まれたときから愛着の対象を求めています。
それは、一人では生きていけない無力な赤ん坊が生き残り、安心を得るために不可欠のことだからです。
このために、赤ちゃんは母親と一緒にいることで安心を得るし、できる限り母親と一緒であろうとします。
赤ん坊は母胎内で母親の心拍にさらされており、聞き慣れた心拍のリズムが誕生後の赤ん坊に安心を与えることはよく知られています。
哺乳瓶の乳首を吸う強さによって母親の声と別な女性の声が聞こえる実験装置を用いた研究では、生後二日目の赤ちゃんが、飲む強さを調整して母親の声を好んで聞くことを明らかにしています。
また、無表情実験といって、ニコニコと赤ん坊に接していた母親が、表情を抑えて乳児に接するようにすることでどのような反応が生じるかを調べた実験があります。
乳児は、無表情な母親に対して、なんとか反応を引き出そうとして、笑顔を見せたり、声を上げたり、手を伸ばしたり、手足をばたばたさせたりします。
それでも無表情であると、乳児は、指しゃぶりをしたり、そっぽを向いたりして自閉的になるか、泣いてしまうなどの行動を示しました。
このように、乳児は、自分に関心を向け、自分を受け入れ、心地よい表情で接して欲しいという母親に対する本能的な欲求を持っているのです。
この欲求が満たされることが、愛されているという実感を子どもにもたらし、母親への愛着が形成され、母親が安心を与えてくれる存在となるのです。
そして、この安心感をもとに、子どもは自由に自分を外界へ表出することで、内発的な成長力が発揮され、のびのびとした自分を作っていくのです。
ところが、この愛着欲求が満たされないと、子どもはホーナイが基底不安と呼んだあの恐ろしい不安にさいなまれることになります。
基底不安とは、自分では対処できない恐ろしい出来事が起こるこの世界に、守ってくれる人もなく、頼れる人もなく、たった一人でいる、という無力な子どもの不安のことです。
このために、愛着欲求が満たされないと、自分を表現するよりも、愛着を求めることが自我発達の主要なテーマになってしまいます。
安心と安全を得たいがために、親に関心を向けてもらうこと、受け入れてもらうこと、喜んでもらうこと、そのために親に心地よい感情を維持してもらうことが、子どもの心と行動を決める基本的なルールになってしまうのです。
自分の内発的な感情や衝動、欲求、願望をないがしろにして、代償的な自分をつくることに関心を向けてしまうのです。
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愛着対象の拡大
期待された役割を生きる自分を形成し始めると、自然な自分を抑えつける親に対し怒りや憎しみの感情がわき起こります。
しかし、親は圧倒的に強大な力を持つので、子どもがそうした感情を表出させたら、子どもにとって事態はいっそう悪化してしまいます。
このために、子どもは怒りや憎しみ、恨みなどの感情を抑圧します。
ところが、内面ではそうした感情が蓄積されていくので、時として噴出しそうになり、親に気づかれてしまうのではないか、という恐れを持ちます。
そのために、「自分」をできる限り感じないようにして、親に従おうとします。
この服従により、自分は無力であるという感覚が強まり、外界に対する不安が増していきます。
この外界への不安のために、周囲の人に対しても強迫的に愛着欲求を持つようになります。
つまり、この世界は恐い世界なので、人に愛されることで安心を得ようとします。
誰からも好かれようとします。
好かれないことを過度に恐れます。
よい子でいれば好かれるだろう、優秀であれば愛されるだろう、完璧であれば誰も非難しないであろうと、こうした自分を作ろうとします。
このようなことから、期待された役割を生きる子ども心の底には根深い不安、怒り、恨みなどが潜在しているのですが、周囲の人からは素直で、がんばり屋の「よい子」として受けとめられ、情緒も安定しているように見えるのです。