自己価値感に不利な日本文化
人間の歴史は、自己価値感にとって有利な状況と不利な状況を作り出してきましたが、わが国の文化は、自己価値感の形成にとり不利に働く要因が少なくありません。
たとえば、日本では子どもの長所を伸ばすよりも、欠点を直すことに関心が向きがちです。
ある会合で、日本の婦人が「うちの子はリズム感がないので、リズム体操を習わせています」と言ったら、米国婦人はきっぱりと答えました。
「私たちはそういうことはしません。子どもが得意だから習わせます。好きだから、習わせます」と。
琴を弾き、日本語も話す音楽専攻のアメリカ人女性が、小学校の音楽教育について語っていました。
「日本では特定の楽器を与え、あるレベルまで演奏できることを求めますが、米国の小学校では、いろいろな楽器をひと通り体験させ、それで好きなものがみつかったら、あとはその子に任せます」
『間違いだらけの〇〇』と題した本の氾濫にも、無能感を強いる日本文化の特色が表れています。
学校での英語教育は、この典型といっていいでしょう。
文法的な正確さが優先され、もっぱら間違いを訂正されます。
生徒が黒板に書いた英文を、赤いチョークで先生が徹底的に訂正していきます。
この体験が鮮明に残っているせいか、私は未だに英語では臆してしまいます。
努力至上主義の日本では、テストの成績が悪かったとき、努力が足りなかったなどと、自分に原因を求める傾向が強いのです。
これに対し、他国の子どもたちは、運が悪かったとか、問題が難しかったからなど、自分以外のものに原因を求めます。
そして、成功した場合には、自分に力があるからだと、自分に原因を求めるのです。
こうした日本文化の特徴は、子どもをほめる度合にも表われています。
日米の学校で教師のほめ言葉の頻度を比較した研究によれば、教師が子どもをほめる頻度は米国のほうがはるかに多いことが明らかにされています。
それも、ほめる頻度だけではありません。
「パーフェクト!」など、賛辞の度合いも大きいのです。
「パーフェクト」とは、もはや欠けるものがなく、まったくそのままでいいですよ、という生徒へのメッセージです。
自己価値感が低い日本の子ども
こうしたことのために、各種の国際比較調査で、日本の子どもは自己価値感が低いという結果が一貫して得られています。
たとえば、ベネッセ『モノグラフ・小学生ナウ vol.12』では1992年にストックホルム、ハルピン、サクラメントと東京の子どもたちの比較調査をおこなっています。
これによると、勉強ができるとか、スポーツができるなど自分の能力への評価は東京の子どもが最低であり、正直さや親切さ、勇気など人格の自己評価も最低でした。
日本青少年研究所の2002年日米中三ヵ国の高校生意識調査では、「私は他の人に劣らず価値ある人間である」という項目で「良く当てはまる」「まあ当てはまる」と回答した比率は、日本37.6%、米国89.3%、中国96.4%であり、逆に、「自分はダメな人間だと思うことがある」という項目で「当てはまる」を選択した比率は、日本73.0%であるのに対し、米国48.3%、中国36.9%という結果です。
同じく日本青少年研究所の2003年日米中韓四カ国の高校生の意識調査でも、「全体としてみれば、私は自分に満足している」という項目で、「まったくそう思う」と「まあそう思う」と答えた割合は、日本が最も低く36%ほどで、最も高い米国の高校生は約83%でした。
慶応大学の河地和子氏は日本、アメリカ、スウェーデン、中国の十四、五歳の男女約四千人におこなった調査結果を報告しています(『自信力はどう育つか』朝日新聞社 2003年)。
ここでも、日本の子どもたちの自信が極端に低いという結果が得られています。
たとえば、「自分に積極的な評価をしている」という項目に「そう思う」と肯定的な回答をした比率は、中国約94%、スウェーデン83%、アメリカ78%であるのに対し、日本の子どもは40%でした。
また、「私は自分を誇れるものがない」という項目に「そう思わない」と否定的回答をした比率は、他国の子どもが70%以上なのに対し、日本の子どもは44%なのです。
学力の国際比較調査を見てみると、日本の子どもの成績はトップクラスです。
ところが自信の無さでもトップクラスなのです。
国際教育到達度評価学会の国際学力調査結果速報(国立教育政策研究所、2003年)をみてみましょう。
これによれば、中学二年生の数学の平均得点は46カ国のなかで、5位の成績です。
ところが、「数学の勉強に対する自信」が「高い」者の割合は17%で最下位です。
国際平均の40%よりも23ポイントも下回っているのです。
理科についても、成績は6位ですが、理科の勉強についての自信が高いレベルにある者は、韓国と並んで最下位です。
さらに、OECD(国際経済協力開発機構)の高校1年生を対象にした学習到達度調査(2003年)を見てみましょう。
読解力は40カ国中14位で上位第2グループ、科学的リテラシーは同点トップ、問題解決能力は4位です。
ところが、「学校は決断する自信をつけてくれた」という項目に肯定的な回答をした者の比率は、40カ国の平均が70%なのに対して、日本の子どもはわずかに52%でした(国立教育政策研究所編『生きるための知識と技能―OECD生徒の学習到達度調査(PISA)』ぎょうせい 2004年)。
こうした調査結果に表われる自信のなさは、必ずしも全面的否定的なものとして受けとめるべきではありません。
なぜなら、一面では、謙遜が美徳とされる日本の文化的な影響による部分があり、さらに、日本の子どもや青年の内省能力の高さも、一定程度は反映していると思われるからです。
しかし、そうした文化的特殊性を考慮しても、日本の子どもが自己価値感を持ちにくい社会に置かれていることは否定しがたいのです。
それは、親が自分の子どもを見る目も厳しく、子どもに満足している程度も低いという調査結果でも裏付けられます。
一例を挙げましょう。
文部科学省が、韓国、タイ、米国、英国、スウェーデン、日本の親に対しておこなった調査があります(『家庭教育に関する国際比較調査』1993年)。
このなかで、「自分の子どもに満足しているか」という質問に対して、「満足している」という回答は、子どもの年齢にかかわらず、日本の親が最も低いのです。
十歳から十二歳の子どもを持つ親で見てみると、「子どもに満足している」と回答した親は、米国で約85%なのに対し、日本ではわずかに36%でした。